2021年5月27日木曜日

オペラ(作品)としての建築

18世紀以降の音楽と建築に関心を集中すると、オペラが重要な役割を果たしていることに気がつく。同時代はカントに始まる美的モデルネ。美が自律し、芸術の誕生と多くの人が書いている。モデルネとは<新しさ>、そこでは「実体より認識」「美とはなにか」「世界はどんなカタチか」「批判精神」等々が再検討された。オペラと建築の検討に共通する関心は「虚構の空間」。

「虚構の空間」とはエリオットの言う「現実の外にもう一つの世界を作る」試み。初期のオペラはその誕生の経緯を含め、虚構空間に現実批評あるいは知的教育的メッセージを発っしていた。そんなオペラの目的と変容を概観しつつ、同時代の建築を眺めてきたのが「音楽と建築、そのデザイン」(kindle出版)、そしてこのブログ(Commedia)。10年を経過し、同じテーマを今、モデルネに集中し検討しようと考えている。

パッラーディオ以降の近代劇場が示したプロセニアムアーチの役割。そのアーチを手がかりに、様々な虚構世界が生み出されてきたが、このアーチの崩壊により18世紀のモデルネは20世紀のモデルネに引き継がれた。しかし、関心はまさにカストリアディスが言う「自律からの後退:一般化された順応主義の時代」にある。彼は自治の企ては中世末期に始まると書き、最初の契機は西洋思想の再構築、次に批評の時代といわれる近代(1750年〜1960年)、そして今は「順応主義」。資本主義的合理性に対する体系的な批判がすっかりなくなり、代議制民主主義が消極的に受容されている、と書いている。つまり、我々は現実逃避の策略に堕した半真実の一群にあり、「ポストモダニズムの価値を盲従的に反映しているにすぎない。多元論・差異の尊重に関する流行の駄弁を混ぜ合わせ、折衷主義を賛美して、不毛なことを蒸し返して無方向な原理を一般化している」のだ。

19世紀末、オペラのみならず、調性が批判され音楽は大きく変わった。建築もまた同じ。無装飾に始まるモダニズム建築だが、いまやそれは環境の中の単なる箱。箱を表面的に飾るというパッケージデザインによるイリュージュン作り、それはまさにテーマパーク化現象。建築はもはや人間の持つ想像力に寄与できないのだろうか。あるいは現代人の想像力は新たな「オペラ」を生み出す力を失ってしまったのだろうか。

2021年5月10日月曜日

美的モデルネ

ドレスデン国立歌劇場(1838年)

ベルリン王立劇場(1741年)

現代芸術がますます商業化されていく中、「美的モデルネ」の位置付けが取り沙汰されている。始まりは世紀末そして30年代ドイツ(2つの大戦のはざま)における時代の閉塞感。フランクフルト学派は啓蒙的理性の所産としての近代の文化的諸価値は19世紀市民社会において実現されたかに見えながら、それは国民国家的イデオロギーに吸収され、希薄化されたとしている。この近代への反省から新たな美的モデルネが登場するのだが、そこから生み出されたアヴァンギャルドの芸術領域は果たして現代芸術の世界を切り開いたのであろうか。

理性が実現される場として用いられる「美的モデルネ」は19世紀後半から20世紀前半にかけてのドイツの文学・芸術を意味していた。それは初期フランクフルト学派の芸術と社会の関係を検討する芸術論として、マクルーハン、ベンヤミン、アドルノによって展開されている。

80年代のハーバマスのモデルネ(近代)論はアドルノの美的モデルネにある批判的潜在力を文化モデルネとして一般にまで拡張することを求めている。しかし、その一般化とは、アドルノの限界を突破し、延長したのか、アドルノの概念を変質させたのではないか、という懸念もある。

まずは先を急がず、美的モデルネの批判精神の基底にある19世紀のニーチェに立ち戻ってみたい。ニーチェは市民社会のヒューマニスティックな自己理解を従来のアポロンではなく、ディオニュソスに置き換えた。ニーチェは近代的学問の真理要求や市民的道徳の普遍性要求の虚偽を暴露したのだ。

暴露の象徴となるのがアポロンとディオニュソスだが、そのそこで意味されている事柄は18世紀・19世紀の2つの劇場建築に表現されている。前はカール・シンケルのベルリン王立劇場。第二次大戦で焼失後1970年代に規模が縮小され、ベルリン・コンチェルトハウスとして復元再生されている。この建築は18世紀啓蒙社会の殿堂としてアポロンを含め、ギリシャの神々に捧げられている。

一方、19世紀なかばに建設されたドレスデンのゼンパー・オパー(ドレスデン国立歌劇場)。リヒャルト・ワーグナーも関わったゴットフリート・ゼンパーの傑作。1945年、ドレスデン爆撃で瓦礫の山となったが、1985年に復興再生。現在はイタリアのスカラ座、フェニーチェにならぶ3つのオペラの殿堂の一つ。1990年ドイツ再統一に伴い州立歌劇場として世界中のオペラファンに愛されている。

そしてこのオペラハウスの頂塔はなんと、ナクソス島のアリアドネを救ったディオニュソス。ミノタウロスを退治したアテネのテーセウスを、その迷宮から糸を使って彼を助けたクレタの王女アリアドネ。しかし、二人は共にアテネに向かったはずだが、何故か彼女はひとりナクソス島に取り残された。そんな、テーセウスに捨てられ嘆き悲しむクレタの姫を救ったのはディオニュソス。頂塔はアリアドネを載せたディオニュソスの馬車が天に向かって駆けている。

シンケルはゼンパーの師であり、アドルノの友人でもあったロースはゼンパーに師事している。三人三様の美的モデルネ、その検討はこれからだが、シンケルは古典主義、ゼンパーは新古典主義、そしてロースはモダニズム。建築の検討課題も80年代のハーバマスのモデルネ論、「コミュニケーション的行為の理論」に引き継がれるのであろうか。たしか、ハーバマスはアドルノの弟子でもあったはずだ。

2020年11月21日土曜日

ダゴベルト・フライとジェームス・ファーガソン

19世紀ウィーンのダゴベルト・フライは演劇の現実性に関する考察を展開し、「建築は私の生活空間に所属する」と言っている。

当たり前と思うが「模写的絵画や彫刻では、作品と観照者である自分との間には、時間的・空間的な隔たりや境界があるが、建築ではそのような隔たりがなく、作品と私は同一の時空を共有する」(建築美学・中央公論美術出版)と書かれるとややややと思う。

つまり、一般美学では建築は絵画や彫刻と同じように自然をある種の幻影として表現することがあるが、建築では現実性として表現しなければならない。しかし、実用性がそのまま美となることもなく、建築は芸術的に形成された現実性であるというのだ。
これは現代都市にこそ相応しい言及、彼の「観客と舞台」はちょっと気になる論文だ。


ジェームス・ファーガソンは、宗教改革期以降の西洋建築は全て模倣様式と言い放ち、19世紀イギリスの建設ブームの真っ最中にあって折衷主義建築を鋭く批判した人として有名だ。
その彼がさらに面白いのは、まだ見ぬ近代建築を、野獣によって表現されるほどの喜びや悲しみしか表現できない建築と語っていることだ。
人間の術としての建築は初歩的な技術段階、感性的美術段階、そして最後に言語を用い知性に訴える音声術段階の三段階あるとするのがファーガソンの論だが、20世紀の建築からは形態の持つ人間的意味情報はすべて消去されうると予測していたのだ。

2020年11月18日水曜日

シェーンベルグの音楽と近代建築

「ひとつの基本的な音、すなわち根音が和音の構成を支配し、その連続を制御するという考え方は、拡大された調性の概念へと発展した。すぐに疑問視されるようになったのは、そのような根音が、すべての和声の中心として、依然として維持されうるのかどうかということであった。さらに疑いを持たれるのは、冒頭や終始、あるいはそのほかのどんな 場所に現れるにせよ、主音は構成的意味を持っているのかということであった。」

音楽を生み出す以前から存在している根音や主音に疑問を持ったシェーンベルクは音楽の構成における全く新たな方法を打ち立てた、十二音音楽です。
「互いにのみ関係づけられた十二の音による作曲方法」。

第一次世界大戦勃発までのシェーンベルクは調性和声のシステムに依存することなく、いかにして自律的な音楽構造を達成するかの模索している。
そして1920年から23年、「ピアノのための組曲」など小規模ではあるが十二音技法による重要な作曲された。
しかし、調性を亡くした十二音音楽だが、その後はテクストの内容や感情に依存する、表現主義的傾向を示したことは良く知られている。
シェーンベルクは結局、音楽の外の世界の秩序を、なんらかの形で音楽の内部に取り込むことなしに、音楽を作る方法は見つからなかったのかもしれない。

https://youtu.be/sGLcUfbVF3k
Arnold.Schoenberg' manuscript-Six Little Piano pices op.19

同時代の建築はどうだろうか。
自律的建築の模索は同じウィーンのアドルス・ロースによってなされている。
彼はシェーンベルグとは大変親しい間柄にあった。
「装飾と犯罪」という彼の著作は有名だが、音楽との関連では「ラウムプラン」(三次元の空間中に各部屋空間を切り取っていく方法)がシューエンベルグの十二音音楽の方法に照合する。



ロースは建築を建築空間だけで作ろうとした最初の人。
建築以外の世界の秩序を使って建築を作ること拒否した人であると言える。
その後、彼の建築を引き継ぐ建築家は沢山登場する。
コルビジェがその筆頭です。

表現主義に陥ったシェーンベルグはその後、古典主義的な方法、伝統的な音楽形式を用いるようになり十二音技法による音楽の制作は全く停滞してしまう。
一方、建築はその後ますます自律の道、外部からの指示(物語・世界観・象徴・記念性)には一切頼ることなく、建築の内部にのみ秩序を与えると称する、機能主義、合理主義に向かったのはすでに良く知られていることだ。


図版1−>ロース設計、ルーファー邸:アドルフ・ロース、鹿島出版会より
図版2−>コルビジェ設計、サヴォア邸:ル・コルビジェの建築、鹿島出版会より

2020年11月17日火曜日

ロッシの建築と能舞台



能の舞台上では事件は進行しない。
イタリアの建築家ロッシは、出来事・事件と関わることで形態(タイプ)としての建築は意味を発する、としている。
能の舞台では事件は既に終わっている。
登場人物はそれを思い出しているに過ぎない。
やがて登場する、主役である仕手の大半は幽霊。
今を生きている人にはわからない、仕手のこの世での出来事・事件を幽霊となり語る。
楽屋(鏡の間)と能舞台とを繋なぐ橋(橋掛かり)はこの世(舞台)とあの世(楽屋)を意味する。
仕手の生来ていた世界を語る能では、出来事は起こるのではなく顕れる。
能を観るということは、何もかも(出来事・事件)をも顕現させる現場に立ち合うことを意味する。

ロッシの建築では事物と出来事が重ね合わされる。
建築という事物は出来事を生み出す舞台。
ここでの建築デザインの役割は諸事・人間の関係の調整というより、関係を生起する役割を持つ。
つまり、建築はいつも劇場を意味するようだ。
ロッシの建築には彼のみが創造し得る独特の領域がある。
その領域はイデオロギーではない。
それは論理ではなく想像力の世界だ。
そこでは建築は発展のない形態、機能は変るが形は変わらない、それは能舞台も同じ。

参考:
1−タイプとモデル
何を論理化し、何を物語化するかが建築デザイン
ロッシの類型概念(タイポロジー)ー>集団記憶・都市的創生物・アーティファクト
タイポロジーは形態に先行し、形態をづくる
建築はまず形態、そして、物語・理念つまり美的なるもの
しかし、従来の多くの建築はタイプではなく、モデル(歴史・様式)
モデルは生産のために必要とされる、そのままの形で際限なくできる対象

2-スタンダールの「アンリ・ブリュガールの生涯」の挿し絵=ドローイングと文章
松本竣介の絵画=ホッパーと竣介
事物・出来事・記憶=劇場
人間の生きる世界=祝祭・劇場・都市・建築

2020年11月12日木曜日

ロシア構成主義のまなざし

形あるものから形が失われて行く時代にあって懸命に形を求めるロトチェンコの構成主義はある種の痛々しさを感じてしまう。
展示作品を眺めていて気がついた、建築も絵画も音楽に成りたがっていると。
「建築」と書かれたコーナーに9点ほどのタブローがあり、そこにあるのは空間ではない、運動と時間だ。
形のない現代、二次元の画面に形を生み出そうとするなら、表現されるものは時間、つまり音楽なのだ。

こんな戯れ言を思いつかせる展覧会は明日が最終日。
梅雨の休み、夏の日が輝いたり曇ったりの午後。
同時代の建築、アールデコの旧朝香宮邸、庭園美術館。
昨日、ロトチェンコ展を観ながら気になったことをつけたそう。
感想は上記の通りだが、何か痛々しいものは今も後を引いている。
それはもちろん、作品そのものがではなく、自分自身が、ということなのだが。
同時代の印象派絵画、決して嫌いではない。
しかし、最近何故か、ヌクヌク感じられて空々しい。

名作であろうが傑作であろうが、作品は作品である以上、全て虚構の世界。
その世界が、我々の現在とどう関わるかが、展覧会に行く楽しみ。
「いまなら僕は「デザイン」という言葉に「うぬぼれ」というルビを振るでしょう。」 これは今朝、読んだある人のブログだ。 http://gitanez.seesaa.net/article/153703729.html
建築も絵画もまたデザイン、そしてある種の虚構の世界。
ロトチェンコを観ていて気づかされたのは、このブログに近いもののような気がする。
20世紀初頭、作家は「虚構を生み出す方法」を失った。
少なくとも従来の方法からは模倣はともかく、虚構は生まれない。
印象派は様々な画法を駆使する事で、新たな虚構、作家の現実との橋を作品化した。
しかし、そこにあるのは「うぬぼれ」だ。
かたちは、あるいはフォルムは、虚構と現実を橋渡しする言葉を失って久しい。
ロトチェンコのみならず、モダニストはすべてこの失った言葉の再生に関わった。
しかし・・・・。

最近、なぜ、展覧会に行く事にこだわろうとしているのか。
あるいは、しきりに「いいと思われる作品に出会いたい」と思わせるのか。
秋には京都に、春には奈良に行った。
どうやら、「うぬぼれ」に気がつき始めたようだ。
失ったのは言葉ではない、ライフスタイルなのだ。

2020年9月24日木曜日

修辞から解釈、ドラマとしての器楽曲


音楽の「ドラマとしてのオペラ」が「ドラマとしての器楽曲」に変わったのは18世紀初頭。(ドラマとしてのオペラ・カーマン)それはオペラ時代、いわゆるバロック時代の終焉を意味している。

音楽を歌曲から器楽曲の優勢に導いたのは「ソナタ形式」、カーマンは音楽の持つ連続性が器楽曲においても劇的に展開されていくことをバロックの「建築的な」様式と対比し「ソナタ形式」は「劇的な」様式であり、説明的というよりむしろ機能的であるような展開の方法が用いられた、としている。

諸芸術におけるバロックから古典主義への移行は修辞学的虚構から、機能主義的現実へ、あるいは言葉の持つ意味の世界から、抽象的記号的言語世界への変容と読み取って良いのかもしれない。

と強引に置き換えてしまうと、建築を含め諸芸術の近代は解釈学の時代だ。アリストテレスの詩学におけるミメーシスが無視され、存在論、現象学、精神分析学、歴史学が音楽と建築を解体していく。

ps.
ミメーシスー>20200915
ミメーシスー>20200911
モデルネ ー>20200610
ミメーシスー>20200516
ソナタ形式ー>20200413
オペラの時代>20131221
オペラの時代>20131215

2020年9月16日水曜日

コーラ再考

プラトンの語るコーラ。 自然のままの”場所”を意味するトポスとは違う意味での”場”。 
生成を可能にする養い親のような場とされている。

  ジャック・デリダは『コーラ/プラトンの場』で"コーラは、「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれであり、かつあれであるようにみえる。」あらゆる概念的同一性を逃れ去る、”場なき場”であると定義している。

 つまり、哲学者 
プラトンのコーラー>生成の場 
デリダのコーラー>生成が無い  

しかし、ギリシャ劇場 
コーラ=神との対話ー>コロスの場ー>コーラス・コレグラフィー  

建築的にはコーラの解釈は「祝祭そして都市と劇場の誕生」にある。

 全員参加の祝祭空間はやがて<観る・観られる>空間に分化し、ギリシャ演劇が誕生。
祝祭の場は劇場空間(ギリシャ劇場)へと変容する。 
ギリシャ演劇の初期においては、俳優は存在せず舞台も不用、コロスの場(コーラ)のみがあった。 
そこでは人々の言葉と身体が不可分であり、全員参加であるためまだ舞台も観客席もない。 
コロスは後の合唱(コーラス)へと受け継がれると共に、コレオグラフィー(Choreography=振り付け)をも意味づける。 
コロスの場(コーラ)は後にオルケストラと呼ばれるが、全員参加の祝祭時には群衆であり、掛け声をかけあい(コーラス)、踊る人々の為の群舞の場(コーラ=空間)。 
コロスは祝祭に参加する人々(合唱・群舞)と祝祭の象徴、超越的なるもの、つまり神と交歓・対話するためのアート行為。 

最初に生み出された舞踏の為のエリアをコーラとすれば、コーラにおいて踊りや演劇的行為=パフォーミング・アートを行った人々はコロス。
コロスは今も群舞や集団という意味で演劇用語として使われている。
また、この言葉は音楽用語で合唱を意味するコーラスの語源ともなっている。

2020年9月15日火曜日

モデルネの美学、アレゴリーとミメーシス

アドルノの「美的モデルネ」はモダニズムではなく、ボードレールの現代性を引き継ぎ、ブルジョワ社会とその商品世界を批判するものだった。
アドルノの友人、ベンヤミンの美学もまたボードレールから始まる。ベンヤミンとアドルノは共に商品の持つフェティシズム(物神崇拝・呪物崇拝)と芸術作品との関係がテーマだが、アドルノはフェティシズムの持つ二律背反性に視点を据えた<ミメーシス>による美学。
一方、ベンヤミンはフェティシズムの二重性を<アレゴリーに変えた美学。二人の方法の違い、アドルノは作曲家でもあり論理的、フラヌールなベンヤミンは経験的と思える方法と言う感想を持った。仲正昌樹氏は「ポストモダン・ニヒリズム」で二人を対比し解説をしている。この書の読み取りから今日はベンヤミンの「アレゴリー」とアドルノの「ミメーシス」の対比を試みる。 
 ベンヤミンは「ドイツ悲劇の可能性」(1928年)で崇高な自然の表象体としての象徴的芸術が解体する過程で現れたアレゴリー芸術の特質を論じる。 バロック芸術のアレゴリーによって表象されるのは<精神を客体化した>自然ではなく、自然が過ぎ去った後に残された廃墟。当時の悲劇によって舞台上演される自然史のアレゴリー的相貌は実際は残骸として現前する。そのような姿をした<歴史>は永遠なる生のプロセスとしてではなく、止まることのない、崩壊の過程として現れてくる。
そして、そこからバロック廃墟崇拝が生まれてくるとベンヤミン。つまりアレゴリーによって表象されるものは<自然>そのものではなく、自然が過ぎ去った後の廃墟。結果、描かれる<歴史>は永遠なる生のプロセスとしてではなく、止まることのない崩壊の過程、<アレゴリー>は自らの美が彼岸にあることを告白する、とベンヤミンは言う。こんな言説から、無謀だが、透視画法による理想都市図の意味、あるいはアルベルティやマキャベリの様々の叙述を思い出していた。
 <アレゴリー>を読む意味作用の主体である私が、自然を取り戻そうともがけばもがくほど、自然は私から遠ざかる。ベンヤミンにとって歴史とは、自然との和解(精神=主体/客体=自然)へと収斂していく救済の歴史ではなく、自然が崩壊していく<歴史>。従って、文字に書き留められた<歴史>の中には、生き生きとした<自然>の現前性を見出すことはできない。
<歴史>とは、もはや生を失った<自然>の死骸を<記号>によって結合した意味作用の連関にすぎないのだ。そして<象徴>が隠蔽してきた<自然>と<歴史>の間の弁証法的関係が<アレゴリー>の中に映し出されてくる、とベンヤミンは言う。 中世から近代への移行期に登場したアレゴリー芸術は、<象徴>形式に付着していた<感性的な美>の仮象を破壊し、死の相貌を呈する<自然=歴史>の本質を露呈してしまうと同時に、抽象化された<記号>の中に<超越的なもの>の痕跡を保持する両義的機能を果たしている。
このバロック芸術における位置付けをめぐる議論は、資本主義社会における芸術の在り方にそのまま引き継がれる、とするのがベンヤミンのアレゴリーなのだ。 ベンヤミンは「セントラル・パーク」(1939年)でボードレールのエクリチュールにおける<アレゴリー>の破壊的性格に言及する。
芸術とは本来、自らが感性的に知覚した<物>を像として再現、模倣しようとする、人間の営み。しかし、第二帝政期のパリで生活したボードレールを取り巻いていたのは高度に発展した複製技術を通して構築された商品世界だった。
 そこでは写真に代表される複製技術の発達で、人間の知覚は関与されずに、<物>を形象化することが可能になったのだ。しかし、商品として大量生産されるようになった<像>からは、かっての芸術作品が身にまとっていた<アウラ>が消えていく。アウラの衰退は、<物>に対する我々の知覚能力の衰退を意味している。 
ボードレールは技術によって画一化され、ステレオタイプが氾濫している商品世界の現実に反抗する戦略として、<アレゴリー>の破壊力を利用する。彼はテクストの中で<アレゴリー>は、生産体制に従って合目的的に秩序づけられている<物>相互の連関を切り裂き、<断片>化する役割を果たしている、としている。 

 人間の環境は仮借なく、商品としての表情を見せるようになると、同時に物の商品的性格を覆い隠そうとする広告が始まる。この商品世界をアレゴリー的なものへと変形するのは、商品世界の欺瞞的な美化に対する反抗と言えるだろう。この試みの対をなすのは、商品をセンチメンタルな仕方で人間扱いする同時代のブルジョワの試みと同じではないかとボードレールは考える。
なぜなら、ブルジョワは家財を包んでいるケースやカバーとまったく同じ意識で商品を覆いアレゴリー化しているからだ。 ボードレールはブルジョワジーが自らの環境である商品世界が紡ぎ出すファンタスマゴーリに無自覚に囚われることに危機感を覚える。人間の願望(ユートピア)を実現するために生産された<商品>が、逆に人間の願望をコントロールし、人間自体を商品化させるという皮肉な事態が生じているのだから。 
 ボードレールはブルジョワジーの倒錯した夢から身を引き離すため、アレゴリーの手法によって商品世界の中での<物>相互の組織的連関を歪んだ形で叙述する。彼の眼差しの中では、パリはアレゴリカルなタブローへと変貌していく。アレゴリー化された都市空間においては、<商品>を拘束していた既成の意味連関は寸断され、個々の<物>はモナドとして粉々に砕け散り、散乱した<物>は自然の残骸の様相を呈するようになる。
こうして商品の持つ物神的な連鎖を断ち切ったうえで、ブルジョワのユートピア願望の反映体である<商品>に潜む固有の<アウラ>を浮上させ、それを自らのまなざしの中で自覚的に捉えなおそうとするのがボードレールの作品なのだ。 
 バロック芸術におけるアレゴリーが、象徴的なものを崩壊へと追い込むと同時に、象徴の中に現前していた<超越的なもの>を抽象的の形式で保存する役割を果たしたのとパラレルに、ボードレールのアレゴリーは<商品世界>の一元的な価値のヒエラルキーを寸断し、商品の持つアウラ的なものを我々のまなざしの中へと現象させるという両義的な機能を担っている。
商品経済の中で硬直化しつつある我々のまなざしは、アレゴリーの破壊作用によって瞬間的に<覚醒>へと導かれる。つまり、ボードレールにとって「アレゴリーはモデルネの武具なのだ」とベンヤミンは言っている。 
 しかし、やがてベンヤミンは芸術作品の脱アウラ化と共に生まれた大衆芸術の可能性について楽観的見解を示すことになる。「複製技術により、その存在の一回性は脱落しつつあるが、今、ここにしかない真正なものであるからこそ、オリジナルはコピーにはない権威を持っていっている。複製技術においてはオリジナルとコピーの関係が根本的に変化するのだ。複製技術によってアウラは衰退するが、芸術作品は伝統の拘束から解放しつつある」とベンヤミンはアレゴリーに新たな意味を見出している。
 しかしアドルノは、大量複製技術はアウラの衰退を加速させ、それによって芸術作品を祭祀価値から開いたことは評価するが、映画などのニューメディアが大衆の主体意識を覚醒させる作用があることを前提としてしまうと、映画自体が生み出す新たなフェティシズムに対して無防備になる可能性があると、彼は懸念する。
 芸術の自律化、そのプロセスは<人間性>という理想の実現。しかし、その方法は脱神話化から啓蒙のユートピア。そこでは芸術として映し出される人間性と一致することはなかったのだ。芸術という尺度から見ると、社会は次第に非人間化していった。芸術が指示する<人間性>は現実社会の基盤である<人間性>とは全く異質なものとなってしまった。
従って、ここからは自律した芸術は、非人間的社会にとっては<他者>という機能を果たさざるを得ない。芸術は自らの進んで行くべき方向に確信を持つことができない。そのため芸術は自らが作り出した<美>の仮象を次の瞬間、自らの手で破壊しなければならない、というジレンマを背負わされている。
しかし、アドルノの<美>の仮象、それは模倣<ミメーシス>の対象となるべき社会的現実は実体としては存在しない。芸術は<現実>とは異なったもの、理解不可能なものを呈示し、間接的に社会を<批判>することが芸術の自律の方法としたのだ。 世界とのコミュニケーションは、非コミュニケーションを通してしか成立しない。
アドルノは自律的な芸術は生産秩序を支えているコミュニケーションを破壊することによって、メタコミュニケーションを開示することを目指した。従ってミメーシスは逆説的機能を帯びている、と言って良いだろう。
 アドルノからみれば、後期資本主義社会における文化産業は交換経済の中で<新しいもの>、それはアウラ的なものを内包している<展示価値>であり、交換経済における反復再生産するシステムにすぎない。 アドルノのミメーシスによって<芸術>に映し出されるのは、社会が自覚していない、あるいは自覚することを回避している社会自体の物象化された姿。
後期アドルノの美学は、市民社会を支える合理性をトータルに否定するのではなく、合理性の根底に沈澱している呪術的なものの残滓を内側から露呈する戦略を取る。アドルノは一切の救済の仮象を破壊することで、形而上学の誘惑に抵抗する。 
モデルネの芸術作品の抽象性は、それが一体何のために存在しているのか理解できない苛立ちを我々の内に引き起こすことにある。それは、抽象的な<同一性>に仲介されるコミュニケーションのリズムを乱すことに意味がある。モデルネは商品世界のグロテスクな抽象性をむき出しにすることで、同一性の支配に変調をきさせるのだ。そこには、同一化の原理の圧迫の下で<人間性>の仮象が完全に死滅してしまうことだけは最低限阻止するという戦略しか残されていないのだから。

2020年9月14日月曜日

アドルノの美的なるもの、そのミメーシス


アドルノの美的なるものの構成は、キルケゴールの人は自己の中の美的なるものによって生きる、を引き継いでいる。
しかし、キルケゴールは自己の理性・精神の行き詰まりを、そのかなたに神を捉え、それにすがってしまうところにはアドルノは納得しない。
形式としての主体が、内容としての客体の正当な権利を侵害してしまうからだ。
アドルノはキルケゴールの主張を、弁証法で乗り越える方法的態度をとる。

本来、精神ないし理性は自然(外部)なくして存在することは出来ない。精神の批判は自然との和解の自覚を示唆するものなのである。(同一性・非同一性の弁証法)
アドルノの理性批判は自然との和解、自然こそ根源的なもの。精神(理性)は自然について由来する自然の一契機にすぎない、と言うところにある。

キルケゴールの実存主義は、資本主義から自己喪失され、大衆化・物象化していく歴史に対し、自己の自由・自律・主体性を頑なに守ろうとするもの。
それは客観的精神・理性の展開に真理を見る、ヘーゲルに対抗している。
つまり、人間とは精神、精神とは自己、内面的精神が行為の尺度なのだ。
しかし、アドルノのキルケゴール批判のポイントは客観的・外的な対象を持たない内面性としてのみの主体性にある。

アドルノの美的理論のポイントは自己の中にある美的なるもの自体が客体に対する関わりを示している。つまり、美的なるものは動的であると同時に、ミメーシスなのだ。
アドルノの美的理論は18世紀のカントの観念論と同時代に誕生したばかりの芸術家の主観主義(反ミメーシス論)を批判している。
アドルノのミメーシスはシェーンベルクの無調音楽から読み取れる。それはシェーンベルクの弟子であり、アドルノ自身の音楽の師でもある、アルバン・ベルクに引き継がれていく。