2020年11月18日水曜日

シェーンベルグの音楽と近代建築

「ひとつの基本的な音、すなわち根音が和音の構成を支配し、その連続を制御するという考え方は、拡大された調性の概念へと発展した。すぐに疑問視されるようになったのは、そのような根音が、すべての和声の中心として、依然として維持されうるのかどうかということであった。さらに疑いを持たれるのは、冒頭や終始、あるいはそのほかのどんな 場所に現れるにせよ、主音は構成的意味を持っているのかということであった。」

音楽を生み出す以前から存在している根音や主音に疑問を持ったシェーンベルクは音楽の構成における全く新たな方法を打ち立てた、十二音音楽です。
「互いにのみ関係づけられた十二の音による作曲方法」。

第一次世界大戦勃発までのシェーンベルクは調性和声のシステムに依存することなく、いかにして自律的な音楽構造を達成するかの模索している。
そして1920年から23年、「ピアノのための組曲」など小規模ではあるが十二音技法による重要な作曲された。
しかし、調性を亡くした十二音音楽だが、その後はテクストの内容や感情に依存する、表現主義的傾向を示したことは良く知られている。
シェーンベルクは結局、音楽の外の世界の秩序を、なんらかの形で音楽の内部に取り込むことなしに、音楽を作る方法は見つからなかったのかもしれない。

https://youtu.be/sGLcUfbVF3k
Arnold.Schoenberg' manuscript-Six Little Piano pices op.19

同時代の建築はどうだろうか。
自律的建築の模索は同じウィーンのアドルス・ロースによってなされている。
彼はシェーンベルグとは大変親しい間柄にあった。
「装飾と犯罪」という彼の著作は有名だが、音楽との関連では「ラウムプラン」(三次元の空間中に各部屋空間を切り取っていく方法)がシューエンベルグの十二音音楽の方法に照合する。



ロースは建築を建築空間だけで作ろうとした最初の人。
建築以外の世界の秩序を使って建築を作ること拒否した人であると言える。
その後、彼の建築を引き継ぐ建築家は沢山登場する。
コルビジェがその筆頭です。

表現主義に陥ったシェーンベルグはその後、古典主義的な方法、伝統的な音楽形式を用いるようになり十二音技法による音楽の制作は全く停滞してしまう。
一方、建築はその後ますます自律の道、外部からの指示(物語・世界観・象徴・記念性)には一切頼ることなく、建築の内部にのみ秩序を与えると称する、機能主義、合理主義に向かったのはすでに良く知られていることだ。


図版1−>ロース設計、ルーファー邸:アドルフ・ロース、鹿島出版会より
図版2−>コルビジェ設計、サヴォア邸:ル・コルビジェの建築、鹿島出版会より