2020年4月26日日曜日

絵画的世界から音楽的世界へ


「ドラマとしてのオペラ」の中でカーマンは重要な指摘をしている。
 「オペラブッファが持つ音楽の連続性が劇的音楽の道を開いた。」
 18世紀の器楽曲が展開したソナタ形式を支えたのは調性だ。 
バロックの説明的展開に対し調性は機能的な展開を切り開き、葛藤・経過・興奮、絶え間ない変化を可能にしている。
 結果、器楽音楽はブッファを発展させ劇的連続性を生み出していく、とカーマンは考えている。 

18世紀まで、形式性の展開においては似たような方法をとってきた音楽と建築がその後、決定的に異なるのはこの連続性(シークエンス)にあると考えられる。 
宗教曲からルネサンスそしてバロックへ、音楽は歌曲であり、オペラ誕生以降、その世界は音による絵画世界(視覚世界)だ。
従って、音楽と建築はその表現方法には大きな違いがない。
しかし、ロマン派以降、音楽はソナタ形式で調えられた、時間的に連続する器楽世界を開いて行く。
一方、視覚的形式のみで展開せざるを得ない建築は不連続な行間をどう繋ぐかが問題となる。 
 近代建築を批判し言語論を応用した建築もこの行間を繋ぐ方法とはならずポストモダニズム以降姿を消す。 しかし、まだ方法はある、建築もまたscenographyからsequence。
ロースはラウムプラン、ロッシは記憶・連想をその糸口とし、シザは?スティーブンホールは? 建築の音楽的世界を検討する意味 がここにある。

2020年4月19日日曜日

シェーンベルグからエーコへ

シェーンベルグは「無調」を開いた音楽家、しかし、弦楽六重奏「浄められた夜」等を聴く限り、内面表現の芸術家とも言える。彼は絵画のカンディンスキーとも親しく近代の表現主義運動の人と目されている。
アドルノが評価するのは、シェーンベルグがマニュアルから生み出された「調性音楽」を「無調」に変えたことにある。「調性」を手書きの音とは異なり、外部からの装飾として嫌っていたシェーンベルグは「装飾と犯罪」を書いた建築家ロースとは同じ頃、同じ街ウィーンで同じ空気を共有していたのだ。

ロマン主義者でもあるシェーンベルグ、彼は自分自身が生み出した十二音音列に対してさえ忌避感を示すこともあった。事実、弟子にはその技法を教えようとはせず、授業時間のほとんどはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、等の分析であったという。シェーンベルグが考えていたのは伸び縮みし、呼吸し、主張する音楽であり、図式的でメカニックな音楽ではない。彼にとって音楽は有機的な自然であり、ロマン主義そのものであったと言える。

アドルノの芸術哲学から敷衍すれば、近代音楽は啓蒙主義の同一性のもとにある「ソナタ形式」から離れ、「無調」をめざすことで、新たな音楽創作の道を開いたのだが、アドルノは 「無調」以降のシェーンベルグ、彼の十二音音列の持つ機械的な合理性を批判している。しかし、新音楽は「無調」から「十二音音列」へ、さらに「不確定性音楽」へと向かうのだが、それはまたその後のモダン建築と同じように、外部からの「同一性」あるいは「合理性」を徐々に採用していく方向。結果として新音楽の創作もまた不活発な状況に置かれる。

ウンベルト・エーコは「開かれた作品」で「不確定性音楽」について触れている。彼は作者と受容者とのコミュニケーションレヴェルにおける同定の保証、作者から受容者への透明な通路といううロマン主義的な概念を無効なものとした。「単一のシニファインにおける多様なシニフィエ」としてのテクストは、事象レヴェルにおいては完成している「閉ざされた作品」でありながらも、コミュニケーションレヴェルにおいて「未完の作品」である、と書いている。

不確定性音楽において、「その作品がどのように仕上げられうるのか、正確には知らない」というエーコだが、彼は作品において隠れた存在として機能する、そうした未完結性はカオスではなく、諸関係の組織化を可能とする糸口があるのなら、これもまた作品と書いている。完成されていなくとも、作品は作者のもの。エーコの「開かれた作品」を読みながら、現在の音楽と建築の置かれている状況、その困難さを切り開く道に直接触れているような気がする。

エーコは芸術作品にあって「解釈関係」が成熟し「批判的自覚」に到達したのは現代美学に至ってからとし、開かれた作品という概念には歴史的展開と文化的諸要因があると強調する。中世において聖書に書かれている内容を解読するには「寓意解釈作業」が必要とされた。バロックはルネサンスの古典的形式の持つ静的で明確な確定性に対し、動的であり現代的意味での<開かれ>のはっきりした様相を見出すことができる、としている。
ルネサンスは中心軸をめぐって展開され、中心と共謀する相称線と閉じた視点によって限定され、運動というよりむしろ<本質的>永遠性の観念を暗示すべき空間の確定性があるのだが、バロックでは充実と空虚との、明と暗との戯れにおいて、その曲線と折れ線、より多様な角度からの視点によって効果の不確定性へと向かい、空間の漸次的膨張を暗示する。
動きとイリュージュンを追求する結果、バロックの造形群は、一定の特権的な正面視を許容せず、観者が絶えず動いて、あたかも作品が絶えず変貌するかのように、作品を常に新たな相の下に見るよう誘うことになる。

動的なものとしての「開かれた」作品は作者とともに作品の作ることへの誘いによって特徴づけられる。刺激の総体を知覚する行為において受容者が発見し、その発見における展望、趣味、演奏に応じて作品を甦らせる受容者は自由に散策する創造主となるのだ。
作曲家、演奏者、聴衆に作品制作を要請する不確定な作品。しかし、それは創作レベルでは「開かれ」であり、感受レべルでは操作の及ばない「開かれ」ではない。外的な開かれ=内的な開かれ、エーコの「開かれた作品」は感受レベルの持つ能動性、操作の介在しない「内的な開かれ」の方に力点がおかれている。

ヨーロッパ社会における作品と作家の誕生はイタリア・ルネサンス期、中世キリスト教社会から人間中心社会への変容期にあった。そこでは表現メディアとして透視画法とグーテンベルグの印刷術の発見が大きな役割を果たしている。そして現代、我々の情報環境は印刷術から電脳術へと変容しつつある。
印刷術時代を主導するのはブロード・キャスト、つまり作者であるが、電脳術の時代にあってはスキャニング、受容者(リセプター)こそ、その情報環境の主役。エーコの「開かれた作品」への関心が高いのはまさに、この電脳術の時代の表現、作者=受容者の関係を明確にし、新たな作品制作の方法を見いだすことではないだろうか。







2020年4月15日水曜日

ロースの空間のシンフォニー

18世紀のヨーロッパ、台頭したブルジョワジーは長らく貴族に愛好された声楽音楽に代わって器楽音楽を好んだ。大がかりな劇場におけるオペラに代わり、サロンやコンサートホールで楽しめる器楽曲もまた、音楽を劇的に表現できるようなったからだ。音楽が連続したドラマとなったのはソナタ形式が果たした役割が大きい。この形式により音楽は調性により秩序付けられ、構築された建築のような世界を生み出している。

19世紀末そして20世紀、シェーンベルクをはじめとした近代音楽の作曲家たちは調性の持つ合理性を捨て、無調そして十二音音列により音楽を作曲した。新しい自由な音楽とは「ド」あるいは根音を中心とした調性で秩序化するのではなく、中心音を作品の内部にのみ設定したところにある。つまり作品の外部にある秩序、調性に関わることなく音楽を生み出す、無調あるいは十二音、セリー音楽へと変わっていく。そして、音の構成は自律し、内部にのみかかるその後の音楽の試みは、同時代の建築へと反映されていく。

世紀末以降、建築は外にある物語(意味)や象徴を持ち込むのではなく、建築の内部、建築自身が持つ空間の仕組みによって新しい作品を生み出す方法が検討された。「装飾は犯罪」を書き、ラウム・プランで住宅を設計したアドルフ・ロースは同時期、ウィーンにいたシェーンベルクやアドルノとは親しい間。ロースのラウムプランは構造的要素と非構造的要素は不可分であり、住宅建築では構造を露出させるより、内部空間の感覚を知覚させることに重点が置かれている。つまり、建築は「空間のシンフォニー」としてデザインされたのだ。

シェーンベルグの十二音音楽は美術のキュービズムや建築のピュリスムと呼応している。ポイントは全て作品を成り立たせる秩序や意味は、その作品内部にあるということ。それは外的要因に煩わされることのない、自律した音楽であり、外部の思想や感情・風景に煩わされることのない音楽や絵画・建築と言えるようだ。音楽が調性を捨てたように、建築もまたギリシャ・ローマ・ゴシック・ルネッサンスという美術様式を捨て、ルネサンス以来の新たな建築の自律、モダン建築をめざした。

「空間のシンフォニー」とは空間のみによって表現される音楽のような建築。建築は空間に空間を貫入させたり、空間と空間を対峙させたりすることで、外部的意味ではなく内部のみ、空間と空間の構成によって作ることを意味している。しかし、シンフォニーを生み出すものは何か、それはモダン建築あるいは新音楽の大きな問題だ。中心はない、いやいらない、それでは何を手がかりに作品を生み出すのか、建築に何が出来るのか、まさか制作者の恣意・主観ではあるまい。結果として、建築は外部からの抽象的イデオロギー(機能主義・機械主義・国際主義・マニエラ)によって展開されてしまった。音楽そして建築の自律、新たな道の模索は続いている。60年代以降は電脳術の時代、それは前代(ルネサンス)の建築の自律を模索した15世紀の印刷術時代に代わるメディアの変容、新たな音楽と建築の時代に他ならない。

参考:
1ー機能主義ー>ファンクショナリズム
形態は機能に従う
機能的なものは美しい
自然は不確か、人工こそ真正
2ー機械主義・工業主義ー>インダストリアリズム
合理的かつ経済的ー>非人間的
3ー国際主義ー>インターナショナル・スタイル
抽象的であり合理的であるが故に、地域性を超えた普遍性を持つ
4ー建築家の手法=マニエラと問題提起
手法は建築家がまず問題提起、提起した問題への解答という形で建築を作る


2020年4月13日月曜日

調性による空間構築、ソナタ形式


ソナタ形式とは提示部・展開部・再現部という三つパートで構築された建築のようなもの。始まりの提示部では第一・第二主題等、いくつかのメロディーやリズムが奏でられるが、聞き取らなければならないのは和声。
和声とはルネサンス期の対位法という幾つかのメロディの横の連なりとは異なる、音が縦に重なる和音により進行する音楽。その連なりには根音と調(しらべ)を生み出す主音が連結され、調性が生まれる。
ソナタ形式で一番重要となることは、この和音の継続で生み出された調性をいかに聞き取るかということです。
提示部で奏でられる一番主要な調は何か、主音と属音という構成の長調、それはへ長調かニ長調か。その調はやがてどのように移行し、悲しげな短調にかわるか。
展開部では提示部のメロディーやリズムを発展させ、様々な調性を連続させていく。そしてこの形式で構築されつつある音楽はまさに建築と同様、独特な色合い、空間を生み出していくのだ。
音楽を完結させる再現部。
ソナタ形式という建築の完成は、提示・展開された調性を安定、納得した形として認識させなければならない。
どのような形かは聴き手次第だが、展開された世界は再現部において簡略化され、記憶され、はじめに提示された和声と同じようなペースで連なり終曲される。