2021年5月28日金曜日

情報の建築化




1−モダニズム建築再考
建築論は実在化した建築物を素材として論じられるもの、しかし、実在化のための手段(機能・技術)や、その背景(時代・自然)だけが西洋建築のテーマではない。モダニズム建築論が3人の住宅作家の建築を中心とし論じられているがしかし、かって住宅は建築ではなかったことからを論じなければならない、新たなテーマも浮上する。
現在の建築論では住宅建築の持つ特性(安全、便利、快適、個人的財産価値)が先にたち、建築の持つ意味、特に世界との関係、トポロジーとしての建築という観点が、見えにくくなっている。人間と世界との関係構造のデザインという、本来の建築論が組み立てにくくなっている。

2−工業時代から情報時代へ=テクノロジーからトポロジー
伝統的建築材に変って、工業製品による建物を支える美学は「機能」だった。そして民家も倉庫も工場も全てが美の対象となり、建築になった。伝統的建築群のなかに新たに咲いた初期のモダニズム建築(モデルナ)は光り輝いていた。しかし、その形態がどこにでも見られるようになると、建物はどれも工業生産に準じ、都市は単調・退屈な世界に変わった。私たちは営々とがらくたの山を築いて来たのだろうか。
今は見えない都市、形のない建築の時代と言われる。しかし、そこでは情報が建築であり、人間の経験が建築となるはずだ。景観との関わりが美術であり、街角での出会いが劇であり、コンサートなのだろう。
現代建築はその実態論への反省として、テクノロジーではなく、コスモロジー喪失こそ問題とすべきと考える。つまりザインとシャインの消滅だ。そんな建築への反省からイェーニッヒは芸術としての建築、「芸術の空間」を検討している。彼は書いている。芸術とはなにか、モノではない、それ自体の構造の中で経験されて始めて存在する、芸術は普遍的概念では把握できない、実例・具体・経験によってのみ語りうる、と。

3−情報化時代の建築
見えない都市、形のない建築の時代、情報が建築であり、人間の経験が建築となるのが情報化時代。
そこでは景観との関わりが美術であり、街角での出会いが劇であり、コンサートであるといえよう。
 
ー>建築そのものを情報に還元、身体的空間ではなく、マスメディアを通じ、建築の概念を言語化する
ー>プランニングや建築構造の問題ではなく、エクィップメント(設備)とパフォーマンス(性能)の問題=形より力
ー>実体的な建築空間より、可変的なイメージ空間の方がリアリティーを持つのだろうか
インスタントシティは工業時代と情報時代をまたぐ、優れた建築コンセプトであったと言えよう。そして30年、建築は今どこに行こうとしているのだろうか。

4−情報の建築化->建築は情報である
世界モデル、世界書物であり、そこのはコスモロジーが描かれ、その衰退から人間の自律とその限界、新たな世界との関係構造の構築へ
/情報としての建築・実体化しない建築・タブローとしての建築

参考
インスタントシティーとイエローサブマリーン/情報の建築化
1960年代は情報化社会の始まり/この時代は情報がこれまでになく人々の生活に浸透し始めた時代/平凡パンチの創刊
広告、量産品、写真、テレビなどのマスメディアのイコンが巷に氾濫->社会は産業化から情報化へ変換し始めた
ロンドンが全ての情報の発信源->カ-ナビ-街のミニスカ-ト
アーキグラムー>インスタントシティー
ビートルズー>イエローサブマリーン・リバプールとハンブルグを往復=1963、アメリカ上陸=1964
ー>建築そのものを情報に還元、身体的空間ではなくマスメディアを通じ、建築の概念を言語化するー>プランニングや建築構造の問題ではなく、エクィップメント(設備)とパフォーマンス(性能)の問題=形より力

2021年5月27日木曜日

オペラ(作品)としての建築

18世紀以降の音楽と建築に関心を集中すると、オペラが重要な役割を果たしていることに気がつく。同時代はカントに始まる美的モデルネ。美が自律し、芸術の誕生と多くの人が書いている。モデルネとは<新しさ>、そこでは「実体より認識」「美とはなにか」「世界はどんなカタチか」「批判精神」等々が再検討された。オペラと建築の検討に共通する関心は「虚構の空間」。

「虚構の空間」とはエリオットの言う「現実の外にもう一つの世界を作る」試み。初期のオペラはその誕生の経緯を含め、虚構空間に現実批評あるいは知的教育的メッセージを発っしていた。そんなオペラの目的と変容を概観しつつ、同時代の建築を眺めてきたのが「音楽と建築、そのデザイン」(kindle出版)、そしてこのブログ(Commedia)。10年を経過し、同じテーマを今、モデルネに集中し検討しようと考えている。

パッラーディオ以降の近代劇場が示したプロセニアムアーチの役割。そのアーチを手がかりに、様々な虚構世界が生み出されてきたが、このアーチの崩壊により18世紀のモデルネは20世紀のモデルネに引き継がれた。しかし、関心はまさにカストリアディスが言う「自律からの後退:一般化された順応主義の時代」にある。彼は自治の企ては中世末期に始まると書き、最初の契機は西洋思想の再構築、次に批評の時代といわれる近代(1750年〜1960年)、そして今は「順応主義」。資本主義的合理性に対する体系的な批判がすっかりなくなり、代議制民主主義が消極的に受容されている、と書いている。つまり、我々は現実逃避の策略に堕した半真実の一群にあり、「ポストモダニズムの価値を盲従的に反映しているにすぎない。多元論・差異の尊重に関する流行の駄弁を混ぜ合わせ、折衷主義を賛美して、不毛なことを蒸し返して無方向な原理を一般化している」のだ。

19世紀末、オペラのみならず、調性が批判され音楽は大きく変わった。建築もまた同じ。無装飾に始まるモダニズム建築だが、いまやそれは環境の中の単なる箱。箱を表面的に飾るというパッケージデザインによるイリュージュン作り、それはまさにテーマパーク化現象。建築はもはや人間の持つ想像力に寄与できないのだろうか。あるいは現代人の想像力は新たな「オペラ」を生み出す力を失ってしまったのだろうか。

2021年5月10日月曜日

美的モデルネ

ドレスデン国立歌劇場(1838年)

ベルリン王立劇場(1741年)

現代芸術がますます商業化されていく中、「美的モデルネ」の位置付けが取り沙汰されている。始まりは世紀末そして30年代ドイツ(2つの大戦のはざま)における時代の閉塞感。フランクフルト学派は啓蒙的理性の所産としての近代の文化的諸価値は19世紀市民社会において実現されたかに見えながら、それは国民国家的イデオロギーに吸収され、希薄化されたとしている。この近代への反省から新たな美的モデルネが登場するのだが、そこから生み出されたアヴァンギャルドの芸術領域は果たして現代芸術の世界を切り開いたのであろうか。

理性が実現される場として用いられる「美的モデルネ」は19世紀後半から20世紀前半にかけてのドイツの文学・芸術を意味していた。それは初期フランクフルト学派の芸術と社会の関係を検討する芸術論として、マクルーハン、ベンヤミン、アドルノによって展開されている。

80年代のハーバマスのモデルネ(近代)論はアドルノの美的モデルネにある批判的潜在力を文化モデルネとして一般にまで拡張することを求めている。しかし、その一般化とは、アドルノの限界を突破し、延長したのか、アドルノの概念を変質させたのではないか、という懸念もある。

まずは先を急がず、美的モデルネの批判精神の基底にある19世紀のニーチェに立ち戻ってみたい。ニーチェは市民社会のヒューマニスティックな自己理解を従来のアポロンではなく、ディオニュソスに置き換えた。ニーチェは近代的学問の真理要求や市民的道徳の普遍性要求の虚偽を暴露したのだ。

暴露の象徴となるのがアポロンとディオニュソスだが、そのそこで意味されている事柄は18世紀・19世紀の2つの劇場建築に表現されている。前はカール・シンケルのベルリン王立劇場。第二次大戦で焼失後1970年代に規模が縮小され、ベルリン・コンチェルトハウスとして復元再生されている。この建築は18世紀啓蒙社会の殿堂としてアポロンを含め、ギリシャの神々に捧げられている。

一方、19世紀なかばに建設されたドレスデンのゼンパー・オパー(ドレスデン国立歌劇場)。リヒャルト・ワーグナーも関わったゴットフリート・ゼンパーの傑作。1945年、ドレスデン爆撃で瓦礫の山となったが、1985年に復興再生。現在はイタリアのスカラ座、フェニーチェにならぶ3つのオペラの殿堂の一つ。1990年ドイツ再統一に伴い州立歌劇場として世界中のオペラファンに愛されている。

そしてこのオペラハウスの頂塔はなんと、ナクソス島のアリアドネを救ったディオニュソス。ミノタウロスを退治したアテネのテーセウスを、その迷宮から糸を使って彼を助けたクレタの王女アリアドネ。しかし、二人は共にアテネに向かったはずだが、何故か彼女はひとりナクソス島に取り残された。そんな、テーセウスに捨てられ嘆き悲しむクレタの姫を救ったのはディオニュソス。頂塔はアリアドネを載せたディオニュソスの馬車が天に向かって駆けている。

シンケルはゼンパーの師であり、アドルノの友人でもあったロースはゼンパーに師事している。三人三様の美的モデルネ、その検討はこれからだが、シンケルは古典主義、ゼンパーは新古典主義、そしてロースはモダニズム。建築の検討課題も80年代のハーバマスのモデルネ論、「コミュニケーション的行為の理論」に引き継がれるのであろうか。たしか、ハーバマスはアドルノの弟子でもあったはずだ。