能の舞台上では事件は進行しない。
イタリアの建築家ロッシは、出来事・事件と関わることで形態(タイプ)としての建築は意味を発する、としている。
能の舞台では事件は既に終わっている。
登場人物はそれを思い出しているに過ぎない。
やがて登場する、主役である仕手の大半は幽霊。
今を生きている人にはわからない、仕手のこの世での出来事・事件を幽霊となり語る。
楽屋(鏡の間)と能舞台とを繋なぐ橋(橋掛かり)はこの世(舞台)とあの世(楽屋)を意味する。
仕手の生来ていた世界を語る能では、出来事は起こるのではなく顕れる。
能を観るということは、何もかも(出来事・事件)をも顕現させる現場に立ち合うことを意味する。
ロッシの建築では事物と出来事が重ね合わされる。
建築という事物は出来事を生み出す舞台。
ここでの建築デザインの役割は諸事・人間の関係の調整というより、関係を生起する役割を持つ。
つまり、建築はいつも劇場を意味するようだ。
ロッシの建築には彼のみが創造し得る独特の領域がある。
その領域はイデオロギーではない。
それは論理ではなく想像力の世界だ。
そこでは建築は発展のない形態、機能は変るが形は変わらない、それは能舞台も同じ。
参考:
1−タイプとモデル
何を論理化し、何を物語化するかが建築デザイン
ロッシの類型概念(タイポロジー)ー>集団記憶・都市的創生物・アーティファクト
タイポロジーは形態に先行し、形態をづくる
建築はまず形態、そして、物語・理念つまり美的なるもの
しかし、従来の多くの建築はタイプではなく、モデル(歴史・様式)
モデルは生産のために必要とされる、そのままの形で際限なくできる対象
2-スタンダールの「アンリ・ブリュガールの生涯」の挿し絵=ドローイングと文章
松本竣介の絵画=ホッパーと竣介
事物・出来事・記憶=劇場
人間の生きる世界=祝祭・劇場・都市・建築