2020年5月25日月曜日

開かれの詩学


開かれた作品は美学理論というより、文化史であり、詩学の歴史について論じている。詩学とはもともと文学作品の言語構造の究明を意味するが、エーコはその究明をヴァレリーの詩学講義にならい、すべての芸術ジャンルに拡充し、検討している。目的は芸術に関する一連の定義と美的諸価値とを推定しようとするもの。詩学の企図を明らかにし、それによって文化史の一局面を解明していく。
文化史ないし詩学の歴史と言っても、現代の作品はおしなべて動的なもの(開かれた作品)。そこでは「なんらかの作品において完成する」創作行為あるいは創作する活動という構造が問題となる。さらに現代芸術におけるテーマは共通していて、芸術と芸術家の、形式的構造やそれを司る詩学のプログラムには「偶然・不確定・慨然・曖昧・多値性による挑発」が目論まれていて、それに対し、解釈者がどう反応するかが詳細に語られている。
結論から言えば、<開かれた作品の構造>とは、様々な作品の個別的構造ではなく、受け手とのある一定の享受関係の中で設定されたもの。動的作品とは、多様な個人的参与の可能性ではあるけれども、無差別な参与への無定形な誘いではない。ある世界に自由に参入することへの、必然的でも一義的でもない誘いだが、この世界は常に作者によって意図されたもの。動的作品の詩学は芸術家受容者の間に新しいタイプの関係を創設し、美的知覚の新たな仕組み、社会における芸術所産の別様の位置付けを確立する。
つまり、詩学は開かれを享受者と芸術家との基本的可能性として告知するものに他ならない。


2020年5月19日火曜日

無調音楽とエーコの作品世界


エーコの「開かれた作品」を、世紀末以降、音楽家が調性組織を放棄したのは建築のポスト・ポストモダンの問題かもしれない、と感じながら読んでいる。つまり、ここにはアドルノと同じように近代建築への批判が読み取れる。中世以来の調性組織からウィーン世紀末、創作者である多くの音楽家が離れたのは、建築に関わるテーマと考えていたが、音楽における「現実参加」に注目するエーコは終章で興味深い検討を加えた。
エーコは音楽家の調性組織に対する反逆は、慣習の硬直化とか創造的可能性の枯渇とか言うことでも、類型化し暗示能力が消えアイロニカルな形でしか表現できなくなってしまったことでもない、としている。放棄したのは調性組織が世界観や世界における在り様全体を、構造的関係性の問題にすり替えてしまったからなのである、と書くのだ。

これは、作品の創作者の問題であって享受者の問題ではない。演奏者でも、工事者でもなく、創作者という観点に立てば、調性音楽の実践は理論面においても、社会的関係の面においても、あらゆる教化をその目的とする、という根底的な信念をひたすら反復してきたにすぎない、と感じられたことに関わっている。

調性音楽は現代においては、演奏会という儀式に補強された一つの一時的な共同体のための音楽である。固定された時間に、ふさわしい衣装を着て各人が美的感受性を働かせる。しかるべき心のカタルシスと緊張の解消を果たしている寺院を後にするように、危機と心の安らぎとを享受するために客は入場券に金を払う。これは確かなこと。音楽家が調性組織に危機を感じるとき、それを介して感じることはなんであろうか。

「楽音間の関係があまりにも長い間、特定の精神的関係やある特定の現実の見方と一致してきた結果、聴き手の心がある一つの音響的関係群に出会うと必ず、その関係系が長い間繰り返してきた道徳的・イデオロギー的・社会的世界に本能的に依存するということが起きているのではないか、と感ずるのである」。(p297)
そして創作者は調性組織において表わされる理論的世界観、社会的倫理や道徳といったものすべてに疎外されているのではないかと感じてしまう。この伝達体系を解体した瞬間「音楽は通常の伝達状況を逃れ、反人間的意味で行動しているように見える。しかしそうすることでしか、聴き手を偽り欺くことを逃れる道はないのである。」(p298)

今現在、調性に何が起こっているのか。リズムにおいて目新しさはまったくない。歌詞の最後が<心>という言葉なら、<愛>にふれたその心の歓びが悲しみに変わることがわかったところで別に驚きはしない。調性の世界が繰り返し提示する人間関係の世界、秩序立って安定した世界と我々が習慣的に考えてきた世界とは、それはやはり我々が生きている世界なのであろうか。とエーコは問う。

体系を破壊するのではなく、体系の内部で行動すること。その体系を離れ、それに修正を加えるために、体系において敢えて疎外されながら、その兆しを受け止めること。今生きている世界をまさにあるがままの危機的世界として受け入れること。 現在の状況の混乱を収拾しようとすれば、欺瞞者と言われるだろう。そのような人は共同体とは無関係だと言われ、伝統的世界こそが維持するものとみなされるが、しかし、現実はまったく逆の事態なのだ。
新しい作品、それが本当のものである限りにおいて、伝達性にしっかりと根ざしながら、現在の世界と意味作用の関係を維持してゆく唯一のものとなるのである。

2020年5月13日水曜日

ウィーン世紀末とワーグナー


「シェーンベルク音楽論選」の訳者序文の「アーノルト・シェーンベルクの調性感について」によると、
世紀末のシェーンベルグの無調への変化は、美術・建築にみるドラスティックな変化ではないとのこと。拡大された調性のなかにあって主題の新たな展開を求めることは、中世以来、連綿と続いてきた音楽表現上の変容の一端にすぎない。無調音楽は古い時代の最期ではなく、音楽の世界では絶えず新しい時代が始まっている、と書かれている。
なるほど、ということであるならば、先日のブログの「近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。」は愚問かもしれない。しかし、「無調」はひとまず置き、「音楽」は美術・建築とどう関わってきたかも大事なテーマ。今日は海野弘氏の「世紀末の音楽」のウィーンに触れてみる。

最大の関心はシェーンベルクの「無調」とロースの「ポチョムキン都市」批判との関連。しかし、今日は「世紀末ウィーンその第一期」、マーラーやクリムト等によるゼツェッション展(分離派展=1902年)。海野氏の「世紀末の音楽」から読みとれることは、ロースや、シェーンベルクは第二期だが、その第一期、マーラー・クリムトの世紀末ウィーンはベートーヴェンとワーグナーとともにあったというところ。

マーラーは分離派の画家たちとは知り合うが、音楽は造形芸術とは無縁と考えている人。しかし、愛妻であるアルマはクリムト等とは親しい間がら。一方、ゼツェッション展のベートーヴェン像やフリーズを作ったクリンガーやクリムトもベートーヴェンとは遠く隔たっていたと言われている。しかし、マーラーは分離派の人々の要望で、展覧会でベートーヴェンの「第九」を演奏、その演奏が切っ掛けとなり、宮廷オペラ監督に就任、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を1903年に上演する。

大事なのはここからなのだが、1902年のゼツェッション展は旧体制から分離しようとした新しい芸術、それ古い時代を超える、文化的総合運動であったということ。音楽、文学、演劇、美術などの中世以来ばらばらであった芸術を統一し、総合的な空間を作り出し、古い社会の危機を救済することが分離派運動のポイントだ。
なるほどだからこそベートーヴェン=ワーグナー、それは19世紀オーストリア=ハンガリー帝国の階級的・民族的対立の危機に直面した帝国を文化政策によって統一をつなぎとめようとするものだった。1902年はつかの間の安定期、社会的な対立・分裂の危機を救い、まとめるために文化=総合芸術が不可欠として呼び出された。
1898年にオルブリッヒが設計したゼツェッション館はその代表。そのモチーフはテンプルクンスト=神殿芸術、それはキリスト教とは異なる芸術のみの神殿による救済。神殿建設は世紀末の特徴である、と海野氏は書いている。

神殿芸術は世紀末の特徴というところで、もう一つ大事なことを思い出した。それはバルセロナのガウディ=ワーグナー。総合芸術としてのサグラダファミリアとワーグナーはかって「ガウディ・オペラ」として、ある雑誌に書かせてもらった。しかし、ここにきてまた一つわかった。新都市に建つサグラダファミリアは産業革命で疲弊したバルセロナの救済、世紀末の「自然=真正」のモチーフはワーグナーの神殿=総合芸術にも重なっていたのだ。




2020年5月11日月曜日

ウィーン分離派の都市と近代音楽

ロースにポチョムキン都市として批判された世紀末ウィーンが20世紀の「都市と建築」の始まり。国境の街ウィーンの城塞が19世紀後半に壊され、新たに建設された都市は結果として歴史的折衷主義による建築博物館となってしまった。そのカタストロフィは大都市建設における「美術と建築」の始まりだが、最近、気になっているのは「近代音楽」がその都市づくりとどう関わっているのかだ。

分離派そしてアールヌーボ、「美術と建築」の変容は「あるがままの自然あるいは風景」がテーマ。そのデザイン・モチーフは「植物」ということは、よく理解できる。歴史様式の折衷ではなく、自然こそ根源的。人工的偽物とは異なり、自然や植物が持つ真正さ、そのオネスティあるいはモラリティこそが近代デザイン(美術と建築)のテーマとなった。その後のデザインは自然より、より真正な機械主義そして機能主義こそモダン・デザイン。以降、60年代のモダニズム、ポストモダニズム、そしてエコロジー建築へと引き継がれた。

近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。「調性」は中世以来のクラシック音楽の原理。世界中の民謡や民族音楽とは異なり、神に変わる人間が作曲するためには不可欠な方法。14世紀のアルス・ノヴァ(新音楽)により、リズムに対する自由度が高まり、作曲される音楽は一気に拡大する。さらに、その後のバッハにより、長調および短調よる調性は厳格になり、人間に作曲される音楽として、ヨーロッパのクラシック音楽は、建築以上に不可欠なものとして啓蒙社会に必要とされる。人間により作曲される音楽(クラシック音楽)から「調性」が無くなることはあり得ないことだ。そして気になる「近代音楽」の変容。シェーンベルグ、ロース、アドルノ、ベンヤミン、さらにエーコは「近代音楽」にどう関わり、どう変わったのであろうか。