(祝祭空間)
「音楽と建築」の歴史は人類の誕生に始まる。どちらも共に生きる上に不可欠だからだ。音楽と建築は生活の飾りものではない。建築が無くても風雨をしのぐ洞窟があれば、音楽が無くとも音を発っする道具を手にすれば、人間は身を守り、生き延びることは可能であったであろう。しかし、想像力を持った人間が「人間として生きる」ためには、儀式あるいは祭祀は欠くことができない。人間は「音楽と建築」をメディアとして祭祀を掌ることで生きるべく方法を発見してきた。
音楽と建築は動物とは異なる人間が生きるためのメディア。儀式のために用意されたものが一本の柱だけ、演じられたものが完全八度という二音だけの歌声であっても、「動物とは異なる」生き方を問題とした時、人間は日常空間とは異なる別種の時間と空間 、特別な空間を必要とした。その特別な空間を祝祭空間と呼んでいる。
集団として生きる人間は祝祭空間を生みだし、弛緩した日常を活気づけ、荒れ狂う自然を静穏化し、やせ細った農地を若返らせてきた。祝祭空間は一時的なものだが、コミュニケーションや交歓の場としても集団で生きる人々にとっては不可欠だった。音楽と建築は日常空間を特別な空間に変容し、晴れやかな祝祭空間を生み出すメディア(媒体)としての役割りを果たして来た。
(現実世界と想像世界)
「私たちはいま、どこに住んでいるのか」という問は哲学的過ぎるかもしれない。しかし、人間が人間として、生きていく為には避けては通れない問題だ。私たちは目の前にある現実世界が、全ての人々が生きる唯一の世界と思いがちだが、その世界は個々人各々が別々に持つ異なるフィルターを通して眺めている世界に他ならない。その世界があなたと共に生きる「唯一共通する世界」であるという保証はどこにもない。物理科学の恩恵によって、太陽系の第三惑星・地球という丸い星の上に住んでいる、と安心しきっている現代人はともかく、昔の人々は共に生きる世界を実感したいと考えた。
祝祭空間の最大の役割はこの「共に生きる唯一つの世界」の実感にある。生きのびるための知識や情報も重要だが、あなたと私は今どこにいるのか、どんな世界に住んでいるのか、そのことを明らかにしたい、と考えることは想像力を持った人間にとっては当然の事。集団として生きる人間は実在の世界ではなく想像世界に唯一の生きるべき世界を見いだしてきた。
その想像世界を世界観(コスモロジー)と呼んでいる。その世界を目に見えるものとし、実感できるものとしたのが祝祭空間。音楽と建築は「私たちの世界はこんなところ」という場としてデザインされたのが祝祭空間です。
どの文明の祝祭にはコミュニティの活性化と日常生活の解放が仕込まれている。日々の労働で疲弊した肉体と弛緩した精神の再活性化を計るのが大きな役割。さらに祝祭は、若者たちが明日を共にする伴侶と出会う貴重な場、集団で生きる人間が、人間として生きるための情報交換の場でもあった。長老たちが知る「狩りの方法と季節」、若者たちが新しく見つけた「漁の場所や時刻」、新旧様々な情報を伝達し交換する、それもまた祝祭空間。
(祝祭はまた情報空間)
人間は頭脳を持ち、生きる糧とそれを得るための情報、あるいは人間として生きていくための様々な知識をその中に収納している。しかし、その情報は仲間たちと共有してはじめて有効に機能する。人間はいつの時代も頭脳以外の外部記憶装置を必要としてきた。祝祭は生きるためには不可決な外部記憶装置でもあったのだ。
新旧の大事な情報を記憶し、いつでも自由に取り出すことができるアクセスフリーの情報空間。それもまた祝祭の大きな役割。祝祭は人間と人間、人間と世界(神)、人間とモノとが共存し、情報や意識、イメージが交換(歓)される人間にとって欠かすことのできないマルチメディア空間と言って良い。そして、その空間を生み出し、情報を蓄え、記憶し、伝達するメディア(媒体)となったのもまた音楽と建築。音楽と建築は世界のカタチ、世界模型を示す媒体であると同時に、アクセスフリーのマルチメディアな情報装置。その情報空間はやがて都市を生み出し、劇場を生み出し、オペラを生み出していく。
(建築の誕生)
発生期の建築は祝祭という一時的なパフォーマンスのための装置だった。しかし、その装置がテンポラリーではなく、恒久化された時、それは「建築」の誕生だが、人間世界はドラスティックに変化する。人間が自然空間の中に祝祭に関わらず「特別な場所」を築くことで、人間社会にモニュメントとランドマークが生み出されたからだ。
この時、造られたという「この時」という「時」が定まれば、「この時」を手がかりに「あの時」という他のあらゆる「時」が説明可能となる。この場所に造られた、が決まれば「この場所」を中心として「あの場所」の位置も明確にできる。海の波のような混沌とした日常の時間と空間は「この時」と「この場所」が手がかりとし記憶され、説明され、分節され、秩序づけられた。
自然世界の一部は「建築」によって「人間のための空間」に変容したのだ。建築の誕生による秩序化された「特別の空間」の発見は、動物とは異なる、「大地からの飛翔」した人間的生き方を自覚させる。
人間は祝祭空間という時空に関わらなくとも「この時」「この場所」に「建築」を造ることにより、混沌としたあるがままの自然空間とは異なる、人間として生きる特別な空間、文化的な空間を生み出すことが可能となった。
(集落から訣別し、都市が誕生)
祝祭空間は日常空間の中に現出した気晴らしや楽しみの場でもあるが、より良く生きようとする人間にとっての情報交換の場、交流の場、そして何よりも集団としての人間の文化的資質の備わった場。つまり祝祭空間とは「都市」そのものを意味している。
テンポラリーであり、 日常空間から分離されていた祝祭空間が音楽と建築により恒久化された時、それが都市の誕生だ。「都市」は日常的な集落の中に生み出されたマルチメディアな「特別な空間」に他ならない。
集団で生きる人間が経済的利便を合目的化し「集落」が誕生する。その集落の洗練が都市の誕生と考えられるが、それは誤り。人間がただ生き残る上での利便や必要のために集つまって住まうのであるならば、集落としては拡大されるが、都市は必要ではない。
人間が人間として生きていくために最も必要とするもの、それは食料や衣類ではなく共に生きる人間なのだ。人間と人間の関係(社交)を生み出す場、その場こそ祝祭であり都市。従って、都市は自然と一体化した集落からは決別したものを意味する。
都市は祝祭という非日常的な空間、混沌的自然空間から飛翔した人間的秩序空間。集落の延長ではなく集落との断絶こそその基盤。都市はその発生から、その空間に含みもつ「文化的資質」こそ、なくてはならないものと考えなければならない。
(ドラマの起源と劇場の誕生)
ドラマの起源は公共の儀式あるいは祭祀、つまり祝祭にある。ドラマはギリシャ語の儀式を表す言葉、ドロメノン(dromenon)から派生している。「為されるもの」という意味を持つドロメノンはもともと「現実に実践された行為あるいは期待」を意味している。
ギリシャ人は儀式を行うには何かを為さねばならず、それは見たり、聴いたり、感じたりではなく、行為で表現しなければならなかったのだ。古代の儀式にはどこでも歌や踊りが含まれるが、ここでは、この行為そのものがドロメノンだ。
儀式における歌や踊りは、決して成人男子だけに限られたものではない。女性はもちろん、老人も子どもも、つまり全員参加でなければならない。ドラマ(ドロメノン)は全員参加であったことが重要。
踊る人々は大半が仮面をつける。畏怖を示す仮面は精霊の力の具現化。それは神の代理人を演じるのではなく、仮面を付けて踊ることで超人的な力を人為的に示している。つまり、ここではまだ今に言う演じているのではなく、精霊化することで自分自身を昇華していたのだ。さらに仮面により精霊の力を具現化することで、祭祀という聖なる場は神と人を包み込む場、祝祭空間として意味付けられた。
仮面には目立つ仮面もあれば、仮面も付けない人も登場する。儀式的演技の中では各々の役割は全員が同じと言うわけではなく、主役も脇役も登場するようになる。さらに、脇役の中でより重要度の少ない人は、周辺に散り、ただ中央の演技を見守るだけの参加へと立場を変えていく。この時、「観客」が誕生する。
そして、観客の誕生が「劇場」を生み出す。つまり、観客の誕生が劇場の誕生だ。観客のためのスペースは演技の場と分離される必要がある、と同時に神との合一の場でも無ければならない。劇場とは舞台と客席とに二分された祝祭空間。あるいは劇場は全員参加であった祝祭空間の解体を意味しているのかもしれない。