2021年5月10日月曜日
美的モデルネ
現代芸術がますます商業化されていく中、「美的モデルネ」の位置付けが取り沙汰されている。始まりは世紀末そして30年代ドイツ(2つの大戦のはざま)における時代の閉塞感。フランクフルト学派は啓蒙的理性の所産としての近代の文化的諸価値は19世紀市民社会において実現されたかに見えながら、それは国民国家的イデオロギーに吸収され、希薄化されたとしている。この近代への反省から新たな美的モデルネが登場するのだが、そこから生み出されたアヴァンギャルドの芸術領域は果たして現代芸術の世界を切り開いたのであろうか。
理性が実現される場として用いられる「美的モデルネ」は19世紀後半から20世紀前半にかけてのドイツの文学・芸術を意味していた。それは初期フランクフルト学派の芸術と社会の関係を検討する芸術論として、マクルーハン、ベンヤミン、アドルノによって展開されている。
80年代のハーバマスのモデルネ(近代)論はアドルノの美的モデルネにある批判的潜在力を文化モデルネとして一般にまで拡張することを求めている。しかし、その一般化とは、アドルノの限界を突破し、延長したのか、アドルノの概念を変質させたのではないか、という懸念もある。
まずは先を急がず、美的モデルネの批判精神の基底にある19世紀のニーチェに立ち戻ってみたい。ニーチェは市民社会のヒューマニスティックな自己理解を従来のアポロンではなく、ディオニュソスに置き換えた。ニーチェは近代的学問の真理要求や市民的道徳の普遍性要求の虚偽を暴露したのだ。
暴露の象徴となるのがアポロンとディオニュソスだが、そのそこで意味されている事柄は18世紀・19世紀の2つの劇場建築に表現されている。前はカール・シンケルのベルリン王立劇場。第二次大戦で焼失後1970年代に規模が縮小され、ベルリン・コンチェルトハウスとして復元再生されている。この建築は18世紀啓蒙社会の殿堂としてアポロンを含め、ギリシャの神々に捧げられている。
一方、19世紀なかばに建設されたドレスデンのゼンパー・オパー(ドレスデン国立歌劇場)。リヒャルト・ワーグナーも関わったゴットフリート・ゼンパーの傑作。1945年、ドレスデン爆撃で瓦礫の山となったが、1985年に復興再生。現在はイタリアのスカラ座、フェニーチェにならぶ3つのオペラの殿堂の一つ。1990年ドイツ再統一に伴い州立歌劇場として世界中のオペラファンに愛されている。
そしてこのオペラハウスの頂塔はなんと、ナクソス島のアリアドネを救ったディオニュソス。ミノタウロスを退治したアテネのテーセウスを、その迷宮から糸を使って彼を助けたクレタの王女アリアドネ。しかし、二人は共にアテネに向かったはずだが、何故か彼女はひとりナクソス島に取り残された。そんな、テーセウスに捨てられ嘆き悲しむクレタの姫を救ったのはディオニュソス。頂塔はアリアドネを載せたディオニュソスの馬車が天に向かって駆けている。
シンケルはゼンパーの師であり、アドルノの友人でもあったロースはゼンパーに師事している。三人三様の美的モデルネ、その検討はこれからだが、シンケルは古典主義、ゼンパーは新古典主義、そしてロースはモダニズム。建築の検討課題も80年代のハーバマスのモデルネ論、「コミュニケーション的行為の理論」に引き継がれるのであろうか。たしか、ハーバマスはアドルノの弟子でもあったはずだ。