2020年6月29日月曜日

チュミとデリダ


言葉の意味する世界をラディカルに捉えるポスト構造主義のジャック・デリダ。建築もまた言葉による構築物であるところから、建築の方法論として構造主義、ポスト構造主義は現在も継続されている。しかし、デリダの「脱構築」はいわゆる「デコン建築」で表現された形態や空間とは全く別物だった。

構築物という観点では、建築でも形から生み出される世界像が問題となるが、デリダはそこに一貫性・統一性・完全性という形而上学的観点を持ち込むことを徹底的に批判する。彼は「全く共通点のない要素同士を連続的なものへと融合したもの、より大きな組み合わせのなかで断片であり続ける要素同士が生み出す全体」という構造を主張し、永続的構築物である建築は「形而上学の最後の砦」であると語っている。

デリダの哲学では絶対的なもの、確かなるもの、自然の法則、倫理の原則、美の基準、理想的なもの、超越あるいは常識さえも懐疑の対象となる。そして、西洋世界を支えてきた形而上学を崩壊させることから生まれる新たな世界像(脱構築)が彼のテーマだが、そこからは、実体的建築による形態的世界像に関わる糸口は見えてこない。
ラディカリズムの哲学者デリダは60年代のアメリカ、すでにその知的風土を揺るがす人として知られていた。彼は1967年に「グラマとロジーについて」を書き、フォルマリズムや空間化に言及している。しかし、デリダは文学研究分野の人であり、当時の建築理論家はほとんど関心を示していない。

建築理論は19世紀のロマン主義を引き継いだモダニズムの歴史主義とポスト・モダニズムの現象学と構造主義。80年代になってようやっと、デリダの「脱構築」を建築界に紹介したのはポスト構造主義の建築家ベルナール・チュミ。
チュミは「ラ・ヴィレット公園」の設計者であり、1982年パリの広大な歴史的エリアを復興させるための国際建築コンペに勝利している。スイス出身の教育者でもある彼は1975年に建築論文集「建築と断絶」を書いている。チュミは対置、曖昧性、崩壊、断絶、攪乱といった概念を援用する。そして、建築・空間とその機能・プログラム・イベントには何ら関係性がないという観点から、建築は断絶していると語っているのだ。

「ラ・ヴィレット公園」に勝利したチュミは「芸術家や作家も設計者と同じように一緒に文化交流に参加させたい」という見解を示している。彼は学際的なチームが公園内の個々の庭をデザインし、その上に全体構造としてのポイント・グリッドを覆い被せるという構想を持っていた。つまり、さまざまな学問分野をとりまとめて交差させることがこの公園のコンセプト。要請された哲学者・文学者の一人がデリダ。彼は「脱構築は反ー形態であり、反ーヒエラルキー、反ー構造、何から何まで建築が拠って立つものに対置されるものであるのに、なぜ、建築家が自分の仕事に興味を持つのか」と質問した。チュミは答えている。「まさにそれが理由です」と。

2020年6月16日火曜日

シェンベルクの「見ることの悲劇」とノーノの「聴くことの悲劇」


20世紀前半、「見ることの悲劇」をオペラにしたのは 「モーゼとアロン」の シェーンベルク。
20世紀後半、「聴くことの悲劇」をオペラにしたのは「プロメテオ」のルイジ・ノーノ。
もっとも、 「モーゼとアロン」「プロメテオ」がオペラであるか否か、識者の見解は様々と言って良い。

16世紀の貴族社会はギリシャ以来の「悲劇・喜劇」とは異なる、より娯楽性の高い第三の劇「牧歌劇」を生み出したことが、オペラの誕生に繋がる。
ギリシャ悲劇の復活を目指していたフィレンツェの人文主義者達は牧歌劇を話す代わりに歌う音楽劇に仕立て、結婚式の催し物として上演した。
メディチ宮廷での上演は「エゥリディーチェ 」、このオペラは竪琴を弾くことで世界を和ませる音楽の神「オルフェオ」を題材としていることから、合い争う当時の北イタリアの宮廷では格好の外交的催し物となり人気となる。
結婚式の祝典でのオペラの上演は、貴族の権威の保護装置、しかし、人文主義者にとって、彼らが時代に関わるための理念や批評の機会でもあり、ルネサンスの人々の生き方の再確認の場であったことも留意すべきだ。
それは当時の建築の持つ役割にも言えることだが、貴族が必要とする視覚装置は、権力の誇示ばかりではなく、より良く生きねばならないというノーブル・オブリージ宣言でもあったのだ。

貴族社会から市民社会へ移行していく18・19世紀、動く絵画としてのオペラは社交と娯楽の道具であり、都市における市民生活の基盤となっていた。
しかし、20世紀になると、ヨーロッパの絵画・建築・音楽が大きく変容する。
その変容は、芸術は日常生活のお飾りでも贅沢品でもなく、生きていくため不可欠なものとすること。
従って、虚構と現実を二分化するプロセニアム・アーチ(額縁舞台)は新しい市民生活のモラリティやリアリティを損なうものと批判され、オペラはその意味と役割を大きく変えなければならなかった。

アーノルド・シェーンベルクは音楽の自立を妨げ装飾的と見なしかねない形式的な調性を疑い、無調そして十二音音列を模索し 「モーゼとアロン」を作曲する 。
旧約聖書の出エジプト記にある「偶像崇拝の禁止」をテーマとしたこのオペラではモーゼは語ることはあっても歌う事はない。
神の指示により、その姿を描く事を禁じられたモーゼは歌い上げることで神の姿を視覚化する彼の兄アロンと大きく対立する。
自立した近代市民の音楽の意味に関わるシェーンベルクは、その対立場面ではアロンの歌により、オペラの持つルネサンス以来の視覚装置を顕在化することで、「見ることの悲劇」としてのオペラを生み出した。



しかし、「モーゼとアロン」は対立場面の第二幕まで、第三幕以降は作曲されていない。
現代世界、果たしてオペラは可能なのだろうか。
ルイジ・ノーノはその答えとして「プロメテオ」を作曲した。
プロメテオは神々のみが天界で所有する「火」を人間にもたらし神。
不死のプロメテウスはゼウスにカウカーソスの山頂に張り付けにされ、3万年に渡り肝臓を鷲に啄めばられる責め苦を負う。
言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった人間世界の象徴。
ノーノはしかし、この物語を直接的には描いてはいない。

シェーンベルクの「モーゼとアロン=見ることの悲劇」は「神は見るものではなく信じるもの」、それは視覚的な「形を見る」ことではなく、個々人の中に響く「音楽」を聴くことにある、とメッセージしている。
ノーノのシェーンベルクを引き継ぐ「プロメテオ=聴くことの悲劇」は、プロメテウスの火に苦しめらる群島状に分布する様々な人の声、それは矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱となり鳴り響く。オペラは脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を「音楽」として聴くことを試みている。
つまり、ルネサンスに生まれた視覚装置としてのオペラはプロセニアム・アーチが解体された現代世界においても「音楽」として本来の意味と役割を発揮続けているのだ。