2020年9月16日水曜日

コーラ再考

プラトンの語るコーラ。 自然のままの”場所”を意味するトポスとは違う意味での”場”。 
生成を可能にする養い親のような場とされている。

  ジャック・デリダは『コーラ/プラトンの場』で"コーラは、「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれであり、かつあれであるようにみえる。」あらゆる概念的同一性を逃れ去る、”場なき場”であると定義している。

 つまり、哲学者 
プラトンのコーラー>生成の場 
デリダのコーラー>生成が無い  

しかし、ギリシャ劇場 
コーラ=神との対話ー>コロスの場ー>コーラス・コレグラフィー  

建築的にはコーラの解釈は「祝祭そして都市と劇場の誕生」にある。

 全員参加の祝祭空間はやがて<観る・観られる>空間に分化し、ギリシャ演劇が誕生。
祝祭の場は劇場空間(ギリシャ劇場)へと変容する。 
ギリシャ演劇の初期においては、俳優は存在せず舞台も不用、コロスの場(コーラ)のみがあった。 
そこでは人々の言葉と身体が不可分であり、全員参加であるためまだ舞台も観客席もない。 
コロスは後の合唱(コーラス)へと受け継がれると共に、コレオグラフィー(Choreography=振り付け)をも意味づける。 
コロスの場(コーラ)は後にオルケストラと呼ばれるが、全員参加の祝祭時には群衆であり、掛け声をかけあい(コーラス)、踊る人々の為の群舞の場(コーラ=空間)。 
コロスは祝祭に参加する人々(合唱・群舞)と祝祭の象徴、超越的なるもの、つまり神と交歓・対話するためのアート行為。 

最初に生み出された舞踏の為のエリアをコーラとすれば、コーラにおいて踊りや演劇的行為=パフォーミング・アートを行った人々はコロス。
コロスは今も群舞や集団という意味で演劇用語として使われている。
また、この言葉は音楽用語で合唱を意味するコーラスの語源ともなっている。