2020年9月24日木曜日

修辞から解釈、ドラマとしての器楽曲


音楽の「ドラマとしてのオペラ」が「ドラマとしての器楽曲」に変わったのは18世紀初頭。(ドラマとしてのオペラ・カーマン)それはオペラ時代、いわゆるバロック時代の終焉を意味している。

音楽を歌曲から器楽曲の優勢に導いたのは「ソナタ形式」、カーマンは音楽の持つ連続性が器楽曲においても劇的に展開されていくことをバロックの「建築的な」様式と対比し「ソナタ形式」は「劇的な」様式であり、説明的というよりむしろ機能的であるような展開の方法が用いられた、としている。

諸芸術におけるバロックから古典主義への移行は修辞学的虚構から、機能主義的現実へ、あるいは言葉の持つ意味の世界から、抽象的記号的言語世界への変容と読み取って良いのかもしれない。

と強引に置き換えてしまうと、建築を含め諸芸術の近代は解釈学の時代だ。アリストテレスの詩学におけるミメーシスが無視され、存在論、現象学、精神分析学、歴史学が音楽と建築を解体していく。

ps.
ミメーシスー>20200915
ミメーシスー>20200911
モデルネ ー>20200610
ミメーシスー>20200516
ソナタ形式ー>20200413
オペラの時代>20131221
オペラの時代>20131215

2020年9月16日水曜日

コーラ再考

プラトンの語るコーラ。 自然のままの”場所”を意味するトポスとは違う意味での”場”。 
生成を可能にする養い親のような場とされている。

  ジャック・デリダは『コーラ/プラトンの場』で"コーラは、「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれであり、かつあれであるようにみえる。」あらゆる概念的同一性を逃れ去る、”場なき場”であると定義している。

 つまり、哲学者 
プラトンのコーラー>生成の場 
デリダのコーラー>生成が無い  

しかし、ギリシャ劇場 
コーラ=神との対話ー>コロスの場ー>コーラス・コレグラフィー  

建築的にはコーラの解釈は「祝祭そして都市と劇場の誕生」にある。

 全員参加の祝祭空間はやがて<観る・観られる>空間に分化し、ギリシャ演劇が誕生。
祝祭の場は劇場空間(ギリシャ劇場)へと変容する。 
ギリシャ演劇の初期においては、俳優は存在せず舞台も不用、コロスの場(コーラ)のみがあった。 
そこでは人々の言葉と身体が不可分であり、全員参加であるためまだ舞台も観客席もない。 
コロスは後の合唱(コーラス)へと受け継がれると共に、コレオグラフィー(Choreography=振り付け)をも意味づける。 
コロスの場(コーラ)は後にオルケストラと呼ばれるが、全員参加の祝祭時には群衆であり、掛け声をかけあい(コーラス)、踊る人々の為の群舞の場(コーラ=空間)。 
コロスは祝祭に参加する人々(合唱・群舞)と祝祭の象徴、超越的なるもの、つまり神と交歓・対話するためのアート行為。 

最初に生み出された舞踏の為のエリアをコーラとすれば、コーラにおいて踊りや演劇的行為=パフォーミング・アートを行った人々はコロス。
コロスは今も群舞や集団という意味で演劇用語として使われている。
また、この言葉は音楽用語で合唱を意味するコーラスの語源ともなっている。

2020年9月15日火曜日

モデルネの美学、アレゴリーとミメーシス

アドルノの「美的モデルネ」はモダニズムではなく、ボードレールの現代性を引き継ぎ、ブルジョワ社会とその商品世界を批判するものだった。
アドルノの友人、ベンヤミンの美学もまたボードレールから始まる。ベンヤミンとアドルノは共に商品の持つフェティシズム(物神崇拝・呪物崇拝)と芸術作品との関係がテーマだが、アドルノはフェティシズムの持つ二律背反性に視点を据えた<ミメーシス>による美学。
一方、ベンヤミンはフェティシズムの二重性を<アレゴリーに変えた美学。二人の方法の違い、アドルノは作曲家でもあり論理的、フラヌールなベンヤミンは経験的と思える方法と言う感想を持った。仲正昌樹氏は「ポストモダン・ニヒリズム」で二人を対比し解説をしている。この書の読み取りから今日はベンヤミンの「アレゴリー」とアドルノの「ミメーシス」の対比を試みる。 
 ベンヤミンは「ドイツ悲劇の可能性」(1928年)で崇高な自然の表象体としての象徴的芸術が解体する過程で現れたアレゴリー芸術の特質を論じる。 バロック芸術のアレゴリーによって表象されるのは<精神を客体化した>自然ではなく、自然が過ぎ去った後に残された廃墟。当時の悲劇によって舞台上演される自然史のアレゴリー的相貌は実際は残骸として現前する。そのような姿をした<歴史>は永遠なる生のプロセスとしてではなく、止まることのない、崩壊の過程として現れてくる。
そして、そこからバロック廃墟崇拝が生まれてくるとベンヤミン。つまりアレゴリーによって表象されるものは<自然>そのものではなく、自然が過ぎ去った後の廃墟。結果、描かれる<歴史>は永遠なる生のプロセスとしてではなく、止まることのない崩壊の過程、<アレゴリー>は自らの美が彼岸にあることを告白する、とベンヤミンは言う。こんな言説から、無謀だが、透視画法による理想都市図の意味、あるいはアルベルティやマキャベリの様々の叙述を思い出していた。
 <アレゴリー>を読む意味作用の主体である私が、自然を取り戻そうともがけばもがくほど、自然は私から遠ざかる。ベンヤミンにとって歴史とは、自然との和解(精神=主体/客体=自然)へと収斂していく救済の歴史ではなく、自然が崩壊していく<歴史>。従って、文字に書き留められた<歴史>の中には、生き生きとした<自然>の現前性を見出すことはできない。
<歴史>とは、もはや生を失った<自然>の死骸を<記号>によって結合した意味作用の連関にすぎないのだ。そして<象徴>が隠蔽してきた<自然>と<歴史>の間の弁証法的関係が<アレゴリー>の中に映し出されてくる、とベンヤミンは言う。 中世から近代への移行期に登場したアレゴリー芸術は、<象徴>形式に付着していた<感性的な美>の仮象を破壊し、死の相貌を呈する<自然=歴史>の本質を露呈してしまうと同時に、抽象化された<記号>の中に<超越的なもの>の痕跡を保持する両義的機能を果たしている。
このバロック芸術における位置付けをめぐる議論は、資本主義社会における芸術の在り方にそのまま引き継がれる、とするのがベンヤミンのアレゴリーなのだ。 ベンヤミンは「セントラル・パーク」(1939年)でボードレールのエクリチュールにおける<アレゴリー>の破壊的性格に言及する。
芸術とは本来、自らが感性的に知覚した<物>を像として再現、模倣しようとする、人間の営み。しかし、第二帝政期のパリで生活したボードレールを取り巻いていたのは高度に発展した複製技術を通して構築された商品世界だった。
 そこでは写真に代表される複製技術の発達で、人間の知覚は関与されずに、<物>を形象化することが可能になったのだ。しかし、商品として大量生産されるようになった<像>からは、かっての芸術作品が身にまとっていた<アウラ>が消えていく。アウラの衰退は、<物>に対する我々の知覚能力の衰退を意味している。 
ボードレールは技術によって画一化され、ステレオタイプが氾濫している商品世界の現実に反抗する戦略として、<アレゴリー>の破壊力を利用する。彼はテクストの中で<アレゴリー>は、生産体制に従って合目的的に秩序づけられている<物>相互の連関を切り裂き、<断片>化する役割を果たしている、としている。 

 人間の環境は仮借なく、商品としての表情を見せるようになると、同時に物の商品的性格を覆い隠そうとする広告が始まる。この商品世界をアレゴリー的なものへと変形するのは、商品世界の欺瞞的な美化に対する反抗と言えるだろう。この試みの対をなすのは、商品をセンチメンタルな仕方で人間扱いする同時代のブルジョワの試みと同じではないかとボードレールは考える。
なぜなら、ブルジョワは家財を包んでいるケースやカバーとまったく同じ意識で商品を覆いアレゴリー化しているからだ。 ボードレールはブルジョワジーが自らの環境である商品世界が紡ぎ出すファンタスマゴーリに無自覚に囚われることに危機感を覚える。人間の願望(ユートピア)を実現するために生産された<商品>が、逆に人間の願望をコントロールし、人間自体を商品化させるという皮肉な事態が生じているのだから。 
 ボードレールはブルジョワジーの倒錯した夢から身を引き離すため、アレゴリーの手法によって商品世界の中での<物>相互の組織的連関を歪んだ形で叙述する。彼の眼差しの中では、パリはアレゴリカルなタブローへと変貌していく。アレゴリー化された都市空間においては、<商品>を拘束していた既成の意味連関は寸断され、個々の<物>はモナドとして粉々に砕け散り、散乱した<物>は自然の残骸の様相を呈するようになる。
こうして商品の持つ物神的な連鎖を断ち切ったうえで、ブルジョワのユートピア願望の反映体である<商品>に潜む固有の<アウラ>を浮上させ、それを自らのまなざしの中で自覚的に捉えなおそうとするのがボードレールの作品なのだ。 
 バロック芸術におけるアレゴリーが、象徴的なものを崩壊へと追い込むと同時に、象徴の中に現前していた<超越的なもの>を抽象的の形式で保存する役割を果たしたのとパラレルに、ボードレールのアレゴリーは<商品世界>の一元的な価値のヒエラルキーを寸断し、商品の持つアウラ的なものを我々のまなざしの中へと現象させるという両義的な機能を担っている。
商品経済の中で硬直化しつつある我々のまなざしは、アレゴリーの破壊作用によって瞬間的に<覚醒>へと導かれる。つまり、ボードレールにとって「アレゴリーはモデルネの武具なのだ」とベンヤミンは言っている。 
 しかし、やがてベンヤミンは芸術作品の脱アウラ化と共に生まれた大衆芸術の可能性について楽観的見解を示すことになる。「複製技術により、その存在の一回性は脱落しつつあるが、今、ここにしかない真正なものであるからこそ、オリジナルはコピーにはない権威を持っていっている。複製技術においてはオリジナルとコピーの関係が根本的に変化するのだ。複製技術によってアウラは衰退するが、芸術作品は伝統の拘束から解放しつつある」とベンヤミンはアレゴリーに新たな意味を見出している。
 しかしアドルノは、大量複製技術はアウラの衰退を加速させ、それによって芸術作品を祭祀価値から開いたことは評価するが、映画などのニューメディアが大衆の主体意識を覚醒させる作用があることを前提としてしまうと、映画自体が生み出す新たなフェティシズムに対して無防備になる可能性があると、彼は懸念する。
 芸術の自律化、そのプロセスは<人間性>という理想の実現。しかし、その方法は脱神話化から啓蒙のユートピア。そこでは芸術として映し出される人間性と一致することはなかったのだ。芸術という尺度から見ると、社会は次第に非人間化していった。芸術が指示する<人間性>は現実社会の基盤である<人間性>とは全く異質なものとなってしまった。
従って、ここからは自律した芸術は、非人間的社会にとっては<他者>という機能を果たさざるを得ない。芸術は自らの進んで行くべき方向に確信を持つことができない。そのため芸術は自らが作り出した<美>の仮象を次の瞬間、自らの手で破壊しなければならない、というジレンマを背負わされている。
しかし、アドルノの<美>の仮象、それは模倣<ミメーシス>の対象となるべき社会的現実は実体としては存在しない。芸術は<現実>とは異なったもの、理解不可能なものを呈示し、間接的に社会を<批判>することが芸術の自律の方法としたのだ。 世界とのコミュニケーションは、非コミュニケーションを通してしか成立しない。
アドルノは自律的な芸術は生産秩序を支えているコミュニケーションを破壊することによって、メタコミュニケーションを開示することを目指した。従ってミメーシスは逆説的機能を帯びている、と言って良いだろう。
 アドルノからみれば、後期資本主義社会における文化産業は交換経済の中で<新しいもの>、それはアウラ的なものを内包している<展示価値>であり、交換経済における反復再生産するシステムにすぎない。 アドルノのミメーシスによって<芸術>に映し出されるのは、社会が自覚していない、あるいは自覚することを回避している社会自体の物象化された姿。
後期アドルノの美学は、市民社会を支える合理性をトータルに否定するのではなく、合理性の根底に沈澱している呪術的なものの残滓を内側から露呈する戦略を取る。アドルノは一切の救済の仮象を破壊することで、形而上学の誘惑に抵抗する。 
モデルネの芸術作品の抽象性は、それが一体何のために存在しているのか理解できない苛立ちを我々の内に引き起こすことにある。それは、抽象的な<同一性>に仲介されるコミュニケーションのリズムを乱すことに意味がある。モデルネは商品世界のグロテスクな抽象性をむき出しにすることで、同一性の支配に変調をきさせるのだ。そこには、同一化の原理の圧迫の下で<人間性>の仮象が完全に死滅してしまうことだけは最低限阻止するという戦略しか残されていないのだから。

2020年9月14日月曜日

アドルノの美的なるもの、そのミメーシス


アドルノの美的なるものの構成は、キルケゴールの人は自己の中の美的なるものによって生きる、を引き継いでいる。
しかし、キルケゴールは自己の理性・精神の行き詰まりを、そのかなたに神を捉え、それにすがってしまうところにはアドルノは納得しない。
形式としての主体が、内容としての客体の正当な権利を侵害してしまうからだ。
アドルノはキルケゴールの主張を、弁証法で乗り越える方法的態度をとる。

本来、精神ないし理性は自然(外部)なくして存在することは出来ない。精神の批判は自然との和解の自覚を示唆するものなのである。(同一性・非同一性の弁証法)
アドルノの理性批判は自然との和解、自然こそ根源的なもの。精神(理性)は自然について由来する自然の一契機にすぎない、と言うところにある。

キルケゴールの実存主義は、資本主義から自己喪失され、大衆化・物象化していく歴史に対し、自己の自由・自律・主体性を頑なに守ろうとするもの。
それは客観的精神・理性の展開に真理を見る、ヘーゲルに対抗している。
つまり、人間とは精神、精神とは自己、内面的精神が行為の尺度なのだ。
しかし、アドルノのキルケゴール批判のポイントは客観的・外的な対象を持たない内面性としてのみの主体性にある。

アドルノの美的理論のポイントは自己の中にある美的なるもの自体が客体に対する関わりを示している。つまり、美的なるものは動的であると同時に、ミメーシスなのだ。
アドルノの美的理論は18世紀のカントの観念論と同時代に誕生したばかりの芸術家の主観主義(反ミメーシス論)を批判している。
アドルノのミメーシスはシェーンベルクの無調音楽から読み取れる。それはシェーンベルクの弟子であり、アドルノ自身の音楽の師でもある、アルバン・ベルクに引き継がれていく。

2020年9月9日水曜日

シェーンベルクの墓


シェーンベルクはロースとは、彼の建築の施主であるウィーンの女学校の経営者シュヴァルツヴァルト夫妻の文化サロンで1905年頃知り合っている。
まだ無名、「グレの歌」の完成前のシェーンベルクには、コンサート開催もままならず、ロースの支援経済援助はありがたかった。
しかし、ロースはもともとワーグナーファン、難聴でもあったので、どこまでシェーンベルクの音楽を理解していたかは疑わしい。ロースが自分を高く評価してくれるのは良いとしても、何も意見を述べたことが無いことに不満を持っていた。

そんなことを日記に書いているが、シェーンベルクは1931年、バルセロナからロースに手紙を書いている。
「僕は君のことを度々、思い出している。もし僕にお金があったら、君に住宅を設計してもらって、そこに住みたいと思っている。」

シェーンベルクはロースの設計した建築は高く評価していて、ロースの建築の核心とでも呼べるラウムプランによる建築空間を見透すなど、シェーンベルクの眼識は高く、興味深い。

Wiki
1951年7月13日、喘息発作のために、ロサンゼルスにて死去した。76歳。故郷ウィーン中央墓地の区に葬られており、墓石は直方体を斜めに傾けた形状である。

2020年9月7日月曜日

炬火は燃え続け、カール・クラウスは吼えつづける


近・現代の音楽と建築批評を読み続けているが、世紀末のカール・クラウスについてはまったく知らず、最近になって気になっている。
クラウスは建築家アドルフ・ロースが敬愛したモラヴィアの同郷人であり、音楽家・フランクフルト学派の哲学者テオドール・アドルノは二人の言説に早くから理解と関心を示していた。

クラウスの貴重な解説書は池内紀の「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」。「『WIRED』日本版VOL.28」はクラウスの方法に絶えず関心を持っていた池内紀を追悼し、現代において最も貴重なジャーナリズム批判として取り上げている。

「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」は、カール・クラウス(1874-1936年)の生涯を描いた日本語による唯一の書物。

ー>世紀末ウィーン ペンの森を見通すには枝一本で十分
「カール・クラウスは生涯、いかなる党派や集団にも属さず、自身の流儀を貫き通しました。たとえば彼はユダヤ人ですが、批判対象の多くは同じユダヤ人でしたし、彼自身がジャーナリストであるにもかかわらず、ジャーナリズムを徹底的に攻撃しました。
当時のジャーナリズムといえば、主役は新聞です。『無冠の帝王』と称されていたことからもわかるように、新聞が、メディアとして最も影響力を有していた時代だと言えるでしょう。そんな新聞や、ときの権力者たちが発信する表現──たとえば美しい言い回しや常套句を、クラウスは精緻に追いかけ、そこに隠された真意を暴いていきました。
権力者たちが人々に追従を語るとき、あるいは真実を隠すとき、彼らはそれを悟られまいと、言葉に細工を施します。その『細工が施されている』こと自体が、発せられた言葉がカラクリであることの証明にほかならない、というのがクラウスのロジックでした。探偵に喩えるなら、言葉を証拠物件にして相手の犯罪を暴く。そうした手法を、クラウスは用いたわけです。

言葉の名探偵クラウスは、ことさら、『ジャーナリズムの悪』を槍玉に挙げました。一見批判しているようだけれど、現体制の顔色を常にうかがい、迎合している存在。いわば、正義を振りかざす悪を、彼は徹底的に糾弾したのです。そうした“目配りするいやらしさ”を、クラウスは一つひとつの言葉を追いかけることで暴いていきました。
彼はこう述べています。『ペンの森を見通すために、私の方法によれば一枝で足りる』と。ひとつの動詞の使い方がひとりの人間を代表し、ひとつの形容詞が恐るべき犯罪の動かぬ証拠になり、なにげない新聞の見出しが、一時代の罪業を要約していることを、彼は誰よりも見抜いていたのです」<-

ロースのもっとも親しい友人であったクラウスはロースの思想・建築を側面から養護するだけでなく、二人は思想的連帯を築いていた。ロースの数多くの著作はクラウス「炬火」同様、当時のウィーンの社会と文化の欺瞞性を鋭く告発し続けている。
また実際の仕事面においても、クラウスは自分の二人の兄妹、友人、知り合いで住居を改築・新築したいと思っている多くの友人をロースに紹介している。1933年8月25日のロースの葬儀の弔辞が残されている。その弔辞は僅か2ページ、しかし、表紙含め6ページの少冊子として同じ年ウィーンの書店から出版されている。そして、この本から得られる収益は、ロースの墓碑建設のための基金にあてられた。殆ど無一文で死んでいったロース、弔辞にはクラウスの厚い友情が記されている。
「 アドルフ・ロース、君と心を同じくする僕達僅かな仲間でもって、君とここにお別れをする。社会のために身を捧げてきた君だが、今日、君とのお別れには、そう沢山の人々は来ていない。君が身を捧げてきた社会は、それを理解しようとしなかったし、また報いようともしなかった。だが、僕達は君が常に関心を抱いていた真に社会的存在であることを、ここで確認する。それは未来の社会にとってその歩むべき方向を準備し、浄化し、住み得るものとした君は切り離せない存在なのだから。君は虚飾などがもはや存在しない世界の建築家であった。君が建てたものは、真に君の思考の産物であった・・・」。

2020年9月2日水曜日

どうだい銃声の音が聞こえるかい?


西洋音楽を聖なる教会から俗なる社会に転撤したのが14世紀、ギョーム・ド・マショーのアルスノーヴァ。 その音楽を市民社会の基盤としたのが16世紀末のオペラの誕生。 そして18世紀、モーツアルトのピアノソナタは近代市民社会を切り開いた。
 20世紀、市民社会は大衆社会へ向かう。 
 イタリア未来派は音楽の大衆化を目論んだ。 もっとも未来派の運動は音楽のみならず建築も美術も文学も一体としての大衆社会への対応ではあったのだが。 未来派の活動はカテゴライズ化された、あるいはクラスファイした19世紀の文化活動全域へのアンチテーゼと言える。その活動は、シュールレアリストや構成主義、モダニストに受けつがれる。
21世紀の今日、未来派のコンセプトを超えるものはまだ生み出されてはいない。  
20世紀の音楽家サティやケージの活動、彼らの音楽が確実に基盤となって、最近ユニークな環境デザインが注目され始めた。
 
1960年代後半、米国全体がベトナム戦争に揺れ、不幸な事件が相次ぐ。 ケントステイト大学ではヴェトナム派兵に反対した学生たちが図書館が望めるキャンパスの丘に州兵によって追いつめられ、4人の学生が銃弾によって死亡した。
 大学は早速、死亡した学生の追悼モニュメントのコンペを実施する。
 その佳作が「どうだい、銃声が聞こえるかい?」という作品。  
デザインされたものは4人が死んだキャンパスの丘に至る4本の小道。
 大理石の彫刻や構築されたヴィジュアルなモニュメントではない。
 4本の小道は事件を抽象化して「かたち」として表すという手法ではなく、モニュメントの体現者に過去の出来事を方法的に「経験してもらう装置」としてデザインされた。
 樹林の中の4本の小道は銃火を避けるために逃げまどった学生たちの乱れた足跡を辿っている。  
学生たちが追いつめられ最後に見たであろう青空、その青空が広がる小さな三角形の広場まで小道は続いている、垣間見える直線路の前方には大学の象徴である図書館。
 そしてデザイナーは「どうだい、銃声が聞こえるかい?」と私たちに呼びかけた。(参考文献:都市環境デザイン/学芸出版)

 ニューヨーク・マンハッタン高層建築群の一角に12m*70m四方のナラの林がある。 アラン・ゾンフィスト作「タイム・ランドスケープ=時の風景」。
 ゾンフィストは空き地にナラを移植することで空間の作品化を試みた。 
木を移植した林だけで作品だと言うのはどういうことだろうか。 
これは「時間の仕掛け」をデザインした作品。 デザイナーは樹齢数百年の立派な木を植え、完成された公園を作るのではなく、若木がそよぐ昔のまんまの風景を作り出すことによって、体現者に200年前のマンハッタンを経験させている。  
ここでもまた彫刻という視覚装置ではなく、林の中の風や小鳥の声、かいま見られる青空によって過去の出来事を「経験してもらう装置」が試みられている。(参考文献:平安京 音の宇宙/平凡社)

 騒音を出すことを音楽だと宣い、ピアノを前に座っているだけ、時にはピアノそのものを破壊することこそ音楽だ、という20世紀の芸術活動は何を意味していたのか。  
「はず」の世界から「あるがまま」の世界を開いたマショウやモーツアルトの音楽、しかし、その音楽的想像世界は19世紀には額縁(プロセ二アムアーチ)の中の「見せ物」「聞く物」に転化してしまった。

 新しい芸術は視覚や聴覚だけでは決して捉えることが出来ない、人間の持つリアリティを再登場させようと試みたのだ。  
そして彼らの活動がいま、都市や自然環境が持つ経験的側面を明確に浮かび上がらせるきっかけとなっている。
 どの時代もデザインを支える基盤は想像力にある。
 テーマパーク化していく都市、商品化していく建築、デザイン時代はかえってデザインを矮小化し、電脳箱の中に閉じ込めていく傾向にある。
 未来派の活動そしてサティやケージの音楽について、今、再び検討する必要があるようだ。