2022年7月28日木曜日

ポストアートセオリーズ

ここのところ北野氏の「ポストアートセオリーズ」を読んでいる。読みながら終始、気になるのはヴィクトル・ユーゴの「ノートル=ダム・ド・パリ」。なんとも場違いな話しだが、「現代芸術」は14・15世紀と同様のメディアの変容のなかにある。
かって、音楽と美術は建築と一体化し、神話やキリスト教の世界を顕現させていた。やがて、音楽はアルスノーヴァ、絵画は透視画法によりあるがままの世界に関わり自律する、そして作品は教会から各々自由に飛翔していく。ユーゴはそんなパリのノートルダム大聖堂を書いていた。
18世紀、建築はニュートラルな建物に変わり、誕生したのが「近代芸術」の鑑賞空間。文学・絵画・彫刻・音楽は教会とは異なるライブラリー・ギャラリー・コンサートホールという空間を獲得する。現在はニューメディア技術が一般化する21世紀、「現代芸術」はいかなる世界を必要とするのだろうか。

参考:ノートル=ダム・ド・パリ ヴィクトル・ユゴー文学館第五巻 辻とおる松下和則 潮出版
司教補佐はしばらく黙ってその巨大な建物をながめていたが、やがて溜息をひとつつくと、右手を、テーブルにひろげてあった書物のほうへ伸ばし、左手を、ノートル=ダム大聖堂のほうへ差し出して、悲しげな目を書物から建物へ移しながら言った。
「ああ!これがあれを滅ぼすだろう」
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現代における「芸術とは何か」という問い、現代芸術のはじまりはデュシャンの「小便器」であり、ウォーホールの「工業製品」にある。見るモノ聞くモノ、全てが溶解、それがモダニズム芸術の始まり。

「現代芸術」は理解の溶解のみならず「芸術対象」そのものの溶解でもあった。作家の意図と作品、その意図を読み取る受け手、この二者が構成する場、その全体が現在のアートワールドを構成している。
メディアが「建築術」「印刷術」から「映画術=電脳術」に変容するとき、その渦中にあるアートワールドはどんな様相を呈するのだろうか。

ポストモダニズムは美学の転換、それは文化現象への記号を巡る知の戯れによる芸術の拡張。しかし、1970年代以降、その転換に促がされ記号の戯れは市場主義に包摂されてしまう。
モダニズムの「フォルムの解体」から「記号の戯れ」によるシュミラークルはショッピングモールに包摂されるという歴史認識がポストモダニズムの美学ということになる。
しかし、そこにあるのは自律を失った現代芸術の状況に他ならない。そして、21世紀の今日、もはや批判的記号という知の戯れに興じるものは誰もいない。

リオタールに言うモダニズムの大きな物語はアヴァンギャルド的な小さな物語へと横滑りし、芸術を支える意味の世界はお祭りドクトリンとフェスティバル、市場化されたインターナショナル・アートワールドへと変容した。
同じポストモダニズムの「記号の戯れ」はアートと建築の複合態を加速する。精神より物体への問い、理論に疲れた風景の中で現実的なものに対峙する作品の群れが一斉にアートシーンに登場し、作品は同時代状況にいかに向き合うかが課題となった。
アートと建築が一体化しながら「デザイン」という名のもとに資本主義に飲み込まれていく、二十一世紀の光景を抉り出し、ハル・フォスターは2011年「アート建築複合態」を書いた。

工業技術化された抽象と装飾的な歴史主義の狭間に建つ建築は企業からのブランド化の要請に応え、抽象的なシンボリズム(記号操作)で彫刻的で巨大なアイコン建築によって「人間の都市」を覆っていく。
やがて世界は後期(金融)資本主義社会に飲み込まれ、結果として、芸術や都市の終焉まで、真実味を持って論じられるようになったのだ。

20世紀末から今世紀はじめにかけて、生活世界の多くの局面がデジタル技術によって再構築(再デザイン化)されるプロセスが進む。記号論的意味合いでの脱構築という言葉に酔いしれている間に新たな構築が進んでいた。
モノはデジタル技術が操作しやすいような水準で組み立てなおされていた。わたしたち人間が向き合うモノはもはや安定的な風景のなかには収まっていない。記号論的世界観にとらわれる身振りが、感覚の平面にある時代状況からかけ離れている。
美術史研究では「感覚」や「知覚」という言葉が多く見られるようになる。そして、「メディア」という言葉に浮かれだすという事態もあちこちにみられるようになった。

すべてを商品化しようするグローバルな資本主義が、暮らしのなかのモノの理解までをものみこんでいく。もはやフラット化する社会どころかリキッド化する社会。そうしたなかにあって、現代芸術に対するかたりかたもうねり、逡巡し、彷徨っている、と著者はみている。
「芸術の終焉」を書いたアーサー・ダントーは「芸術固有の意味はまったく別の次元で推移する、と期待されていた。言語的理解を越え、感覚器官の水準さえも越え、芸術作品は作品として屹立せねばならない」と言っている。

2022年7月27日水曜日

「世紀末の思想と建築」から

「フランス革命と芸術」は建築を含めルネサンス・バロックから近代への変容の解説。200年後の現在はその世紀末となる。
既に触れたC.ダントーの「芸術の終焉」、欧米では多くの反響を呼び、今や古典なっている。二人の対談であるこの書は現在の建築が持つ基本的な問題。消費社会という批判できない資本主義において建築を建築たらしめるものはなにか、というテーマでの二人の対談。
「アート建築複合態」でも触れているが、消費社会と芸術という問題をどんなかたちでとらえるか、というプロブレマティックを提出するのが建築家であり芸術家、何も言わなければ商業職人と言うことだ。