2010年11月10日水曜日

ローマ・バルベリーニ宮殿

バロック・ローマの音楽と建築にとって、最も重要な人物はバルベリーニ家のマッフェオ、後のウルバヌス八世でしょう。彼はベルニーニやボロミーニを世に送り出すばかりか、生まれたばかりのオペラを育てた人でもあるからです。
17世紀の入るとシクストゥス五世の都市計画は形になりはじめ、ローマは新しいイメージを表し始めました。大聖堂の竣工に合わせるかのように、主要街路には沢山のパラッツォ(宮殿)、豪華な彫刻や噴水に飾られた広場が建設されたからです。ローマにはヨーロッパ中の貴族が集まり、様々な外交の花が開き、新しい都市は一大コミュニケーション・シティとしての役割を担うようになりました。
ローマに集う貴族たちのコミュニケーションに欠かせぬもの、それは音楽と美術です。ローマにはまた多くの芸術家たちが集い、制作し、発表する、あるいは各々の力量を示す彼らの格好の舞台、ショールームの役割も果たすようになります。

そんなローマでいち早く力量を発揮するのがベルニーニです。彼は主要街路の一つ、現在のローマにとっても最も賑やかな街路であるシスティーナ通りの中央にトリトーネの泉を持つ広場を従えたパラッツォ(宮殿)を建設しました。このパラッツォがマッフェオ・バルベリーニ、後のウルバヌス八世のバルベリーニ宮殿です。
ポポロ広場からの巡礼者たちはまずサンタ・マリア・マジョーレを目指します。その街路はかってはフェリーチェ街道、後に道路の開設者シクストゥスの名がそのまま取りシスティナ通り(現在はクワトロ・フォンターナ通り)と呼ばれますが、バルベリーニ宮殿はその新設のもっと主要な通り、それもスペイン階段上広場とサンタ・マリア・マジョーレの中央に位置します。従って、バルベリーニ宮殿とその設計者ベルニーニは一躍有名になりました。

バルベリーニ家のウルバヌス八世が即位したこの時期がまさにサン・ピエトロ大聖堂の竣工の時でもあります。1626年11月18日サン・ピエトロ大聖堂は歴史的献堂式を迎えました。バルベリーニ宮殿の建設もまた同じ時期、最初の設計者は教皇庁の主任建築家カルロ・マデルノ(トスカの舞台、サンタンドレア・デッラ・バッレの設計者)です。
マデルノはシクストゥス五世の都市改造の建築家カルロス・フオンターナの甥に当たります。従って、彼はミケランジェロに引き続きサン・ピエトロ大聖堂の建設を任され、同時に、バルベリーニ宮殿の設計も担当しました。
しかし、彼はウフィッツ美術館に保存されている一枚の図面を残したまま1629年他界します。そして引き継いだのがジャン・ロレンツォ・ベルニーニだったのです。工事はすでに始まっていましたが、マデルノの仕事場で石工として働いていたフランチェスコ・ボッロミーニと共に宮殿建設の指揮を執り、現在のパラッツォを竣工させました。

バロック時代を代表する2人の建築家があいまみえたこの建築、そのデザインは当時のローマの宮殿建築としては革新的なデザインであったと言えます。
マデルノの設計は中庭を中央に配し、四周をブロックで囲うという典型的なルネサンススタイル。しかし、実施された建築は中庭は廃棄され、現在に見るH型の平面形を持っています。
ルネサンスのパラッツォの特徴は中央にオープンな中庭を確保し、外周を比例的配列で構成された堅い閉鎖的なブロックで囲うという形態が一般的です。
しかし、このパラッツォは中庭はなく、前面は都市的状況を引き寄せるかのように、凹型の列柱エントランスを持ち、後方はまだ庭園としては整備されていないままの自然環境に対応したデザインとなっています。

ベルニーニの果たした革新とは、静的な形態を持ち、閉じられた求心的なルネサンスの宮殿を、動的で開かれたバロックの宮殿に変容したことにあります。しかし、動的な建築とはいっても、部分部分がバラバラになったわけではありません。一つ一つの空間は中央の主軸を中心にしっかりと対称的に構成されています。つまり、ルネサンス以来のシステムへ向かう強い計画性は厳然と全体を支配しているのです。一方、得られた空間は都市や自然環境と対応し、実用性を確保、エントランスに示されるように奥行き感が強調され、全体は開かれかつ動きを持ったダイナミックな印象を与えています。
中世の城郭からルネサンスの宮殿への変化、そこでは戦いの為の建築から、交渉あるいは外交の場としての建築の時代への変化が端的に反映されなければなりません。しかし、中世・ルネサンスどちらもともに、まだ厳しいその形態は権力の象徴や防御の姿勢をそのまま表現していたのです。バルベリーニ宮殿はこの動的で開かれた形態を強調することで、新しい時代の建築であることを示しています。この変化はやがて、宮廷オペラを市民のオペラへと開いていく流れにも符号します。建築と音楽はルネサンスからバロックへと、その新しい表現手法を移行しつつあったのです。



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