2020年9月15日火曜日
モデルネの美学、アレゴリーとミメーシス
2020年9月14日月曜日
アドルノの美的なるもの、そのミメーシス
2020年9月9日水曜日
シェーンベルクの墓
2020年9月7日月曜日
炬火は燃え続け、カール・クラウスは吼えつづける
近・現代の音楽と建築批評を読み続けているが、世紀末のカール・クラウスについてはまったく知らず、最近になって気になっている。
クラウスは建築家アドルフ・ロースが敬愛したモラヴィアの同郷人であり、音楽家・フランクフルト学派の哲学者テオドール・アドルノは二人の言説に早くから理解と関心を示していた。
クラウスの貴重な解説書は池内紀の「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」。「『WIRED』日本版VOL.28」はクラウスの方法に絶えず関心を持っていた池内紀を追悼し、現代において最も貴重なジャーナリズム批判として取り上げている。
「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」は、カール・クラウス(1874-1936年)の生涯を描いた日本語による唯一の書物。
ー>世紀末ウィーン ペンの森を見通すには枝一本で十分
「カール・クラウスは生涯、いかなる党派や集団にも属さず、自身の流儀を貫き通しました。たとえば彼はユダヤ人ですが、批判対象の多くは同じユダヤ人でしたし、彼自身がジャーナリストであるにもかかわらず、ジャーナリズムを徹底的に攻撃しました。
当時のジャーナリズムといえば、主役は新聞です。『無冠の帝王』と称されていたことからもわかるように、新聞が、メディアとして最も影響力を有していた時代だと言えるでしょう。そんな新聞や、ときの権力者たちが発信する表現──たとえば美しい言い回しや常套句を、クラウスは精緻に追いかけ、そこに隠された真意を暴いていきました。
権力者たちが人々に追従を語るとき、あるいは真実を隠すとき、彼らはそれを悟られまいと、言葉に細工を施します。その『細工が施されている』こと自体が、発せられた言葉がカラクリであることの証明にほかならない、というのがクラウスのロジックでした。探偵に喩えるなら、言葉を証拠物件にして相手の犯罪を暴く。そうした手法を、クラウスは用いたわけです。
言葉の名探偵クラウスは、ことさら、『ジャーナリズムの悪』を槍玉に挙げました。一見批判しているようだけれど、現体制の顔色を常にうかがい、迎合している存在。いわば、正義を振りかざす悪を、彼は徹底的に糾弾したのです。そうした“目配りするいやらしさ”を、クラウスは一つひとつの言葉を追いかけることで暴いていきました。
彼はこう述べています。『ペンの森を見通すために、私の方法によれば一枝で足りる』と。ひとつの動詞の使い方がひとりの人間を代表し、ひとつの形容詞が恐るべき犯罪の動かぬ証拠になり、なにげない新聞の見出しが、一時代の罪業を要約していることを、彼は誰よりも見抜いていたのです」<-
ロースのもっとも親しい友人であったクラウスはロースの思想・建築を側面から養護するだけでなく、二人は思想的連帯を築いていた。ロースの数多くの著作はクラウス「炬火」同様、当時のウィーンの社会と文化の欺瞞性を鋭く告発し続けている。
また実際の仕事面においても、クラウスは自分の二人の兄妹、友人、知り合いで住居を改築・新築したいと思っている多くの友人をロースに紹介している。1933年8月25日のロースの葬儀の弔辞が残されている。その弔辞は僅か2ページ、しかし、表紙含め6ページの少冊子として同じ年ウィーンの書店から出版されている。そして、この本から得られる収益は、ロースの墓碑建設のための基金にあてられた。殆ど無一文で死んでいったロース、弔辞にはクラウスの厚い友情が記されている。
「 アドルフ・ロース、君と心を同じくする僕達僅かな仲間でもって、君とここにお別れをする。社会のために身を捧げてきた君だが、今日、君とのお別れには、そう沢山の人々は来ていない。君が身を捧げてきた社会は、それを理解しようとしなかったし、また報いようともしなかった。だが、僕達は君が常に関心を抱いていた真に社会的存在であることを、ここで確認する。それは未来の社会にとってその歩むべき方向を準備し、浄化し、住み得るものとした君は切り離せない存在なのだから。君は虚飾などがもはや存在しない世界の建築家であった。君が建てたものは、真に君の思考の産物であった・・・」。
2020年9月2日水曜日
どうだい銃声の音が聞こえるかい?
2020年8月25日火曜日
ロースからロッシへ
2020年8月18日火曜日
建築家アルド・ロッシ
2020年7月23日木曜日
住まいは人になじみ、人は住まいになじむ アドルフ・ロース
2020年7月5日日曜日
装飾と犯罪 アドルフ・ロース
装飾家達はこう主張する。
「ある消費者が家具を買ったとする。そしてその家具がイヤになってしまうとする。となると、十年毎に家具を買い替えなければいけないわけで、こういう人の存在自体、古いものの寿命がつきてもう使えなくなった状態になって、はじめて新しいものに買い替える人の存在より、ずっと好ましいことだ。ものを作る産業界がそれを望んでいるのである。人がつぎつぎとものを買い替えることによって、多勢の人達が仕事にありつくことになるのだ」こうした言い分に、オーストリアの国民経済の秘密があるようにも思える。というのは、火災がおこる度に、「やれやれ、有り難い。これでまた人々に仕事ができた」といった言葉を幾度となく耳にしたことか。それ私しにもいい考えがある。都市に火をつけて燃やしてしまう、そして国中に火を付けて燃やしてしまえばいい。そうすれば沢山、金儲けができ、楽な生活ができて、国中、わきかえるだろう。そして買って二、三年もすればオークション会場にもっていっても労賃と材料費の一割の金にもならないのだから、暖房用の焚き木にでもしたほうがいいような家具を作ればいい。金具類にしても、四年もしたらもとの金属溶かして地金にしてしまうような金具を作ればいい。そうすれば我々はますます金持ちになるだろう。冗談はこのくらいにして、話を元に戻そう。・・・・・近代人とは、自分の創意・工夫のみ才を他のものに集中するものである。」
ロースは平明な文章で、世紀末の金持ちの「装飾」を「犯罪」として批判しているのだが、よく読むと、安物の物質環境に踊る、現在の我々の消費者主義が「犯罪」なのだ。
アドルフ・ロース「装飾と犯罪」中央公論美術出版p99。


