2020年8月25日火曜日

ロースからロッシへ



「建築は他律であるがゆえに自律する」。現代建築における自律の問題はほとんど忘れられているが、ルネサンス・イタリアでアルベルティが職人ではなく、ディレタント建築家として登場して以来、ヨーロッパでは重要なテーマとなっている。ここのところ20年代のロースと70年代のロッシに関心を持っている。20世紀の50年間のディスタンスを持つ建築は、15世紀のアルベルティからパラーディオまでの100年間の「建築の自律」とどう異なるかに関心があるからだ。

商業デザインに脱するポピュリズムでは、建築形態から自律的な価値を見いだすことは出来ない。そのためには歴史的な考察、文化的モニュメントの再発見が必要となる。とマルグレイブの現代建築理論序説にはあるが、近代主義の美学は他の形式主義のリバイバルと同じく嫌いと書いたのはアルド・ロッシ。そして、近代建築のプチブル的遺産をすべて拭い去り、残ったのは、社会民主主義的な幻想を本質的に乗り越えた大建築家はアドルフ・ロースとミース・ファン・デル・ローエと「自伝p192」に書いている。

アルド・ロッシの初期の作品から明らかにロースを感じさせるものがある。
1960年ー>ロンキのヴィラ
1965年ー>セグラーテの広場とパルチザン記念噴水
ロースのラウムプランによる住宅作品にも引き継がれるが、無装飾のまま外形化された形態、プラトン的物体の形式性と不規則な内部空間の利便性の組み合わせ、ロッシの形態は確実にロースに繋がっていると言える。
ロッシは1981年「学としての自伝」の中でアドルフ・ロースの諸論文について直接的に触れている。
「ロースの声明文は半ば聖書的な性格も手伝い私を興奮させる。それは建築の非歴史的な論理を生み出したからである。彼の建築的発見は観察と記述によって(変化もなく、屈することもなく、さらに創造的な熱情もなく、逆に時間の中に凍結された感覚をもって)自分を対象と同一にみなしたところからなされた。・・・ロース風の凍結した記述は、ルネサンスの大理論家にも窺うことができ、アルベルティの理論書やデューラーの書簡の中にも現われている。」(自伝p102)
さらに同書でロッシはロースとミースについて書いている。「私自身は彼らの弟子だと考えている。彼らは彼ら自身の歴史、そしてそれゆえに人間の歴史に、一条の流れをつくり上げる意味で最大限の働きをした建築家である。私が自著「都市の建築」の中で機能主義の文化を覆していく際に、彼らが果たしてくれた役割は実に意味あるものだった。・・・いかなる対象も対応するべき機能があることは明らかであるが、機能は時間に沿って変化するので、対象がそこで終わってしまうことはない。このことは今までずっと私の科学的な主張であったわけだが、私はこれを都市と人間生活の歴史から紬ぎ出したのだ。」(自伝p172)

ロッシの最も重要な仕事は1966年の「都市の建築」。ロッシは都市が荒廃しつつある中の60年代、同時代の都市計画者たちの主義主張に対する反論をし、時代を超えた類型概念(タイポロジー)の法則を見出すことにあった。そして都市は構築的要素や文化的相貌によって規定される。都市を時代を超えた都市のタイプに回帰する必要があるとしている。都市とは集団的意味を持つもの、現実的でもあるが、観念的、文化的、人間が生きるべき場所。
都市は建築がつくる。建築は都市的、小さな都市。
都市が時代を超えて生き残っていくための基本要素、それは都市の儀礼的行事や集団的記憶の源となる形態にあるのだが、ロッシのタイポロジーは18世紀のカンシーの複製・模倣という設計ルールとは異なり、集団的記憶に関わる場の構成、都市的創成物によるタイポロジー。しかし、建築形態を生み出す類型概念はその後50年、ロッシのスケッチ集には数多く描かれているが、具体的な建築学的展開をその後見ることは殆どない。