近・現代の音楽と建築批評を読み続けているが、世紀末のカール・クラウスについてはまったく知らず、最近になって気になっている。
クラウスは建築家アドルフ・ロースが敬愛したモラヴィアの同郷人であり、音楽家・フランクフルト学派の哲学者テオドール・アドルノは二人の言説に早くから理解と関心を示していた。
クラウスの貴重な解説書は池内紀の「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」。「『WIRED』日本版VOL.28」はクラウスの方法に絶えず関心を持っていた池内紀を追悼し、現代において最も貴重なジャーナリズム批判として取り上げている。
「炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける」は、カール・クラウス(1874-1936年)の生涯を描いた日本語による唯一の書物。
ー>世紀末ウィーン ペンの森を見通すには枝一本で十分
「カール・クラウスは生涯、いかなる党派や集団にも属さず、自身の流儀を貫き通しました。たとえば彼はユダヤ人ですが、批判対象の多くは同じユダヤ人でしたし、彼自身がジャーナリストであるにもかかわらず、ジャーナリズムを徹底的に攻撃しました。
当時のジャーナリズムといえば、主役は新聞です。『無冠の帝王』と称されていたことからもわかるように、新聞が、メディアとして最も影響力を有していた時代だと言えるでしょう。そんな新聞や、ときの権力者たちが発信する表現──たとえば美しい言い回しや常套句を、クラウスは精緻に追いかけ、そこに隠された真意を暴いていきました。
権力者たちが人々に追従を語るとき、あるいは真実を隠すとき、彼らはそれを悟られまいと、言葉に細工を施します。その『細工が施されている』こと自体が、発せられた言葉がカラクリであることの証明にほかならない、というのがクラウスのロジックでした。探偵に喩えるなら、言葉を証拠物件にして相手の犯罪を暴く。そうした手法を、クラウスは用いたわけです。
言葉の名探偵クラウスは、ことさら、『ジャーナリズムの悪』を槍玉に挙げました。一見批判しているようだけれど、現体制の顔色を常にうかがい、迎合している存在。いわば、正義を振りかざす悪を、彼は徹底的に糾弾したのです。そうした“目配りするいやらしさ”を、クラウスは一つひとつの言葉を追いかけることで暴いていきました。
彼はこう述べています。『ペンの森を見通すために、私の方法によれば一枝で足りる』と。ひとつの動詞の使い方がひとりの人間を代表し、ひとつの形容詞が恐るべき犯罪の動かぬ証拠になり、なにげない新聞の見出しが、一時代の罪業を要約していることを、彼は誰よりも見抜いていたのです」<-
ロースのもっとも親しい友人であったクラウスはロースの思想・建築を側面から養護するだけでなく、二人は思想的連帯を築いていた。ロースの数多くの著作はクラウス「炬火」同様、当時のウィーンの社会と文化の欺瞞性を鋭く告発し続けている。
また実際の仕事面においても、クラウスは自分の二人の兄妹、友人、知り合いで住居を改築・新築したいと思っている多くの友人をロースに紹介している。1933年8月25日のロースの葬儀の弔辞が残されている。その弔辞は僅か2ページ、しかし、表紙含め6ページの少冊子として同じ年ウィーンの書店から出版されている。そして、この本から得られる収益は、ロースの墓碑建設のための基金にあてられた。殆ど無一文で死んでいったロース、弔辞にはクラウスの厚い友情が記されている。
「 アドルフ・ロース、君と心を同じくする僕達僅かな仲間でもって、君とここにお別れをする。社会のために身を捧げてきた君だが、今日、君とのお別れには、そう沢山の人々は来ていない。君が身を捧げてきた社会は、それを理解しようとしなかったし、また報いようともしなかった。だが、僕達は君が常に関心を抱いていた真に社会的存在であることを、ここで確認する。それは未来の社会にとってその歩むべき方向を準備し、浄化し、住み得るものとした君は切り離せない存在なのだから。君は虚飾などがもはや存在しない世界の建築家であった。君が建てたものは、真に君の思考の産物であった・・・」。