2020年7月5日日曜日

装飾と犯罪 アドルフ・ロース


装飾家達はこう主張する。
「ある消費者が家具を買ったとする。そしてその家具がイヤになってしまうとする。となると、十年毎に家具を買い替えなければいけないわけで、こういう人の存在自体、古いものの寿命がつきてもう使えなくなった状態になって、はじめて新しいものに買い替える人の存在より、ずっと好ましいことだ。ものを作る産業界がそれを望んでいるのである。人がつぎつぎとものを買い替えることによって、多勢の人達が仕事にありつくことになるのだ」こうした言い分に、オーストリアの国民経済の秘密があるようにも思える。というのは、火災がおこる度に、「やれやれ、有り難い。これでまた人々に仕事ができた」といった言葉を幾度となく耳にしたことか。それ私しにもいい考えがある。都市に火をつけて燃やしてしまう、そして国中に火を付けて燃やしてしまえばいい。そうすれば沢山、金儲けができ、楽な生活ができて、国中、わきかえるだろう。そして買って二、三年もすればオークション会場にもっていっても労賃と材料費の一割の金にもならないのだから、暖房用の焚き木にでもしたほうがいいような家具を作ればいい。金具類にしても、四年もしたらもとの金属溶かして地金にしてしまうような金具を作ればいい。そうすれば我々はますます金持ちになるだろう。冗談はこのくらいにして、話を元に戻そう。・・・・・近代人とは、自分の創意・工夫のみ才を他のものに集中するものである。」

ロースは平明な文章で、世紀末の金持ちの「装飾」を「犯罪」として批判しているのだが、よく読むと、安物の物質環境に踊る、現在の我々の消費者主義が「犯罪」なのだ。
アドルフ・ロース「装飾と犯罪」中央公論美術出版p99。