2020年6月29日月曜日

チュミとデリダ


言葉の意味する世界をラディカルに捉えるポスト構造主義のジャック・デリダ。建築もまた言葉による構築物であるところから、建築の方法論として構造主義、ポスト構造主義は現在も継続されている。しかし、デリダの「脱構築」はいわゆる「デコン建築」で表現された形態や空間とは全く別物だった。

構築物という観点では、建築でも形から生み出される世界像が問題となるが、デリダはそこに一貫性・統一性・完全性という形而上学的観点を持ち込むことを徹底的に批判する。彼は「全く共通点のない要素同士を連続的なものへと融合したもの、より大きな組み合わせのなかで断片であり続ける要素同士が生み出す全体」という構造を主張し、永続的構築物である建築は「形而上学の最後の砦」であると語っている。

デリダの哲学では絶対的なもの、確かなるもの、自然の法則、倫理の原則、美の基準、理想的なもの、超越あるいは常識さえも懐疑の対象となる。そして、西洋世界を支えてきた形而上学を崩壊させることから生まれる新たな世界像(脱構築)が彼のテーマだが、そこからは、実体的建築による形態的世界像に関わる糸口は見えてこない。
ラディカリズムの哲学者デリダは60年代のアメリカ、すでにその知的風土を揺るがす人として知られていた。彼は1967年に「グラマとロジーについて」を書き、フォルマリズムや空間化に言及している。しかし、デリダは文学研究分野の人であり、当時の建築理論家はほとんど関心を示していない。

建築理論は19世紀のロマン主義を引き継いだモダニズムの歴史主義とポスト・モダニズムの現象学と構造主義。80年代になってようやっと、デリダの「脱構築」を建築界に紹介したのはポスト構造主義の建築家ベルナール・チュミ。
チュミは「ラ・ヴィレット公園」の設計者であり、1982年パリの広大な歴史的エリアを復興させるための国際建築コンペに勝利している。スイス出身の教育者でもある彼は1975年に建築論文集「建築と断絶」を書いている。チュミは対置、曖昧性、崩壊、断絶、攪乱といった概念を援用する。そして、建築・空間とその機能・プログラム・イベントには何ら関係性がないという観点から、建築は断絶していると語っているのだ。

「ラ・ヴィレット公園」に勝利したチュミは「芸術家や作家も設計者と同じように一緒に文化交流に参加させたい」という見解を示している。彼は学際的なチームが公園内の個々の庭をデザインし、その上に全体構造としてのポイント・グリッドを覆い被せるという構想を持っていた。つまり、さまざまな学問分野をとりまとめて交差させることがこの公園のコンセプト。要請された哲学者・文学者の一人がデリダ。彼は「脱構築は反ー形態であり、反ーヒエラルキー、反ー構造、何から何まで建築が拠って立つものに対置されるものであるのに、なぜ、建築家が自分の仕事に興味を持つのか」と質問した。チュミは答えている。「まさにそれが理由です」と。

2020年6月16日火曜日

シェンベルクの「見ることの悲劇」とノーノの「聴くことの悲劇」


20世紀前半、「見ることの悲劇」をオペラにしたのは 「モーゼとアロン」の シェーンベルク。
20世紀後半、「聴くことの悲劇」をオペラにしたのは「プロメテオ」のルイジ・ノーノ。
もっとも、 「モーゼとアロン」「プロメテオ」がオペラであるか否か、識者の見解は様々と言って良い。

16世紀の貴族社会はギリシャ以来の「悲劇・喜劇」とは異なる、より娯楽性の高い第三の劇「牧歌劇」を生み出したことが、オペラの誕生に繋がる。
ギリシャ悲劇の復活を目指していたフィレンツェの人文主義者達は牧歌劇を話す代わりに歌う音楽劇に仕立て、結婚式の催し物として上演した。
メディチ宮廷での上演は「エゥリディーチェ 」、このオペラは竪琴を弾くことで世界を和ませる音楽の神「オルフェオ」を題材としていることから、合い争う当時の北イタリアの宮廷では格好の外交的催し物となり人気となる。
結婚式の祝典でのオペラの上演は、貴族の権威の保護装置、しかし、人文主義者にとって、彼らが時代に関わるための理念や批評の機会でもあり、ルネサンスの人々の生き方の再確認の場であったことも留意すべきだ。
それは当時の建築の持つ役割にも言えることだが、貴族が必要とする視覚装置は、権力の誇示ばかりではなく、より良く生きねばならないというノーブル・オブリージ宣言でもあったのだ。

貴族社会から市民社会へ移行していく18・19世紀、動く絵画としてのオペラは社交と娯楽の道具であり、都市における市民生活の基盤となっていた。
しかし、20世紀になると、ヨーロッパの絵画・建築・音楽が大きく変容する。
その変容は、芸術は日常生活のお飾りでも贅沢品でもなく、生きていくため不可欠なものとすること。
従って、虚構と現実を二分化するプロセニアム・アーチ(額縁舞台)は新しい市民生活のモラリティやリアリティを損なうものと批判され、オペラはその意味と役割を大きく変えなければならなかった。

アーノルド・シェーンベルクは音楽の自立を妨げ装飾的と見なしかねない形式的な調性を疑い、無調そして十二音音列を模索し 「モーゼとアロン」を作曲する 。
旧約聖書の出エジプト記にある「偶像崇拝の禁止」をテーマとしたこのオペラではモーゼは語ることはあっても歌う事はない。
神の指示により、その姿を描く事を禁じられたモーゼは歌い上げることで神の姿を視覚化する彼の兄アロンと大きく対立する。
自立した近代市民の音楽の意味に関わるシェーンベルクは、その対立場面ではアロンの歌により、オペラの持つルネサンス以来の視覚装置を顕在化することで、「見ることの悲劇」としてのオペラを生み出した。



しかし、「モーゼとアロン」は対立場面の第二幕まで、第三幕以降は作曲されていない。
現代世界、果たしてオペラは可能なのだろうか。
ルイジ・ノーノはその答えとして「プロメテオ」を作曲した。
プロメテオは神々のみが天界で所有する「火」を人間にもたらし神。
不死のプロメテウスはゼウスにカウカーソスの山頂に張り付けにされ、3万年に渡り肝臓を鷲に啄めばられる責め苦を負う。
言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった人間世界の象徴。
ノーノはしかし、この物語を直接的には描いてはいない。

シェーンベルクの「モーゼとアロン=見ることの悲劇」は「神は見るものではなく信じるもの」、それは視覚的な「形を見る」ことではなく、個々人の中に響く「音楽」を聴くことにある、とメッセージしている。
ノーノのシェーンベルクを引き継ぐ「プロメテオ=聴くことの悲劇」は、プロメテウスの火に苦しめらる群島状に分布する様々な人の声、それは矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱となり鳴り響く。オペラは脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を「音楽」として聴くことを試みている。
つまり、ルネサンスに生まれた視覚装置としてのオペラはプロセニアム・アーチが解体された現代世界においても「音楽」として本来の意味と役割を発揮続けているのだ。

2020年5月25日月曜日

開かれの詩学


開かれた作品は美学理論というより、文化史であり、詩学の歴史について論じている。詩学とはもともと文学作品の言語構造の究明を意味するが、エーコはその究明をヴァレリーの詩学講義にならい、すべての芸術ジャンルに拡充し、検討している。目的は芸術に関する一連の定義と美的諸価値とを推定しようとするもの。詩学の企図を明らかにし、それによって文化史の一局面を解明していく。
文化史ないし詩学の歴史と言っても、現代の作品はおしなべて動的なもの(開かれた作品)。そこでは「なんらかの作品において完成する」創作行為あるいは創作する活動という構造が問題となる。さらに現代芸術におけるテーマは共通していて、芸術と芸術家の、形式的構造やそれを司る詩学のプログラムには「偶然・不確定・慨然・曖昧・多値性による挑発」が目論まれていて、それに対し、解釈者がどう反応するかが詳細に語られている。
結論から言えば、<開かれた作品の構造>とは、様々な作品の個別的構造ではなく、受け手とのある一定の享受関係の中で設定されたもの。動的作品とは、多様な個人的参与の可能性ではあるけれども、無差別な参与への無定形な誘いではない。ある世界に自由に参入することへの、必然的でも一義的でもない誘いだが、この世界は常に作者によって意図されたもの。動的作品の詩学は芸術家受容者の間に新しいタイプの関係を創設し、美的知覚の新たな仕組み、社会における芸術所産の別様の位置付けを確立する。
つまり、詩学は開かれを享受者と芸術家との基本的可能性として告知するものに他ならない。


2020年5月19日火曜日

無調音楽とエーコの作品世界


エーコの「開かれた作品」を、世紀末以降、音楽家が調性組織を放棄したのは建築のポスト・ポストモダンの問題かもしれない、と感じながら読んでいる。つまり、ここにはアドルノと同じように近代建築への批判が読み取れる。中世以来の調性組織からウィーン世紀末、創作者である多くの音楽家が離れたのは、建築に関わるテーマと考えていたが、音楽における「現実参加」に注目するエーコは終章で興味深い検討を加えた。
エーコは音楽家の調性組織に対する反逆は、慣習の硬直化とか創造的可能性の枯渇とか言うことでも、類型化し暗示能力が消えアイロニカルな形でしか表現できなくなってしまったことでもない、としている。放棄したのは調性組織が世界観や世界における在り様全体を、構造的関係性の問題にすり替えてしまったからなのである、と書くのだ。

これは、作品の創作者の問題であって享受者の問題ではない。演奏者でも、工事者でもなく、創作者という観点に立てば、調性音楽の実践は理論面においても、社会的関係の面においても、あらゆる教化をその目的とする、という根底的な信念をひたすら反復してきたにすぎない、と感じられたことに関わっている。

調性音楽は現代においては、演奏会という儀式に補強された一つの一時的な共同体のための音楽である。固定された時間に、ふさわしい衣装を着て各人が美的感受性を働かせる。しかるべき心のカタルシスと緊張の解消を果たしている寺院を後にするように、危機と心の安らぎとを享受するために客は入場券に金を払う。これは確かなこと。音楽家が調性組織に危機を感じるとき、それを介して感じることはなんであろうか。

「楽音間の関係があまりにも長い間、特定の精神的関係やある特定の現実の見方と一致してきた結果、聴き手の心がある一つの音響的関係群に出会うと必ず、その関係系が長い間繰り返してきた道徳的・イデオロギー的・社会的世界に本能的に依存するということが起きているのではないか、と感ずるのである」。(p297)
そして創作者は調性組織において表わされる理論的世界観、社会的倫理や道徳といったものすべてに疎外されているのではないかと感じてしまう。この伝達体系を解体した瞬間「音楽は通常の伝達状況を逃れ、反人間的意味で行動しているように見える。しかしそうすることでしか、聴き手を偽り欺くことを逃れる道はないのである。」(p298)

今現在、調性に何が起こっているのか。リズムにおいて目新しさはまったくない。歌詞の最後が<心>という言葉なら、<愛>にふれたその心の歓びが悲しみに変わることがわかったところで別に驚きはしない。調性の世界が繰り返し提示する人間関係の世界、秩序立って安定した世界と我々が習慣的に考えてきた世界とは、それはやはり我々が生きている世界なのであろうか。とエーコは問う。

体系を破壊するのではなく、体系の内部で行動すること。その体系を離れ、それに修正を加えるために、体系において敢えて疎外されながら、その兆しを受け止めること。今生きている世界をまさにあるがままの危機的世界として受け入れること。 現在の状況の混乱を収拾しようとすれば、欺瞞者と言われるだろう。そのような人は共同体とは無関係だと言われ、伝統的世界こそが維持するものとみなされるが、しかし、現実はまったく逆の事態なのだ。
新しい作品、それが本当のものである限りにおいて、伝達性にしっかりと根ざしながら、現在の世界と意味作用の関係を維持してゆく唯一のものとなるのである。

2020年5月13日水曜日

ウィーン世紀末とワーグナー


「シェーンベルク音楽論選」の訳者序文の「アーノルト・シェーンベルクの調性感について」によると、
世紀末のシェーンベルグの無調への変化は、美術・建築にみるドラスティックな変化ではないとのこと。拡大された調性のなかにあって主題の新たな展開を求めることは、中世以来、連綿と続いてきた音楽表現上の変容の一端にすぎない。無調音楽は古い時代の最期ではなく、音楽の世界では絶えず新しい時代が始まっている、と書かれている。
なるほど、ということであるならば、先日のブログの「近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。」は愚問かもしれない。しかし、「無調」はひとまず置き、「音楽」は美術・建築とどう関わってきたかも大事なテーマ。今日は海野弘氏の「世紀末の音楽」のウィーンに触れてみる。

最大の関心はシェーンベルクの「無調」とロースの「ポチョムキン都市」批判との関連。しかし、今日は「世紀末ウィーンその第一期」、マーラーやクリムト等によるゼツェッション展(分離派展=1902年)。海野氏の「世紀末の音楽」から読みとれることは、ロースや、シェーンベルクは第二期だが、その第一期、マーラー・クリムトの世紀末ウィーンはベートーヴェンとワーグナーとともにあったというところ。

マーラーは分離派の画家たちとは知り合うが、音楽は造形芸術とは無縁と考えている人。しかし、愛妻であるアルマはクリムト等とは親しい間がら。一方、ゼツェッション展のベートーヴェン像やフリーズを作ったクリンガーやクリムトもベートーヴェンとは遠く隔たっていたと言われている。しかし、マーラーは分離派の人々の要望で、展覧会でベートーヴェンの「第九」を演奏、その演奏が切っ掛けとなり、宮廷オペラ監督に就任、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を1903年に上演する。

大事なのはここからなのだが、1902年のゼツェッション展は旧体制から分離しようとした新しい芸術、それ古い時代を超える、文化的総合運動であったということ。音楽、文学、演劇、美術などの中世以来ばらばらであった芸術を統一し、総合的な空間を作り出し、古い社会の危機を救済することが分離派運動のポイントだ。
なるほどだからこそベートーヴェン=ワーグナー、それは19世紀オーストリア=ハンガリー帝国の階級的・民族的対立の危機に直面した帝国を文化政策によって統一をつなぎとめようとするものだった。1902年はつかの間の安定期、社会的な対立・分裂の危機を救い、まとめるために文化=総合芸術が不可欠として呼び出された。
1898年にオルブリッヒが設計したゼツェッション館はその代表。そのモチーフはテンプルクンスト=神殿芸術、それはキリスト教とは異なる芸術のみの神殿による救済。神殿建設は世紀末の特徴である、と海野氏は書いている。

神殿芸術は世紀末の特徴というところで、もう一つ大事なことを思い出した。それはバルセロナのガウディ=ワーグナー。総合芸術としてのサグラダファミリアとワーグナーはかって「ガウディ・オペラ」として、ある雑誌に書かせてもらった。しかし、ここにきてまた一つわかった。新都市に建つサグラダファミリアは産業革命で疲弊したバルセロナの救済、世紀末の「自然=真正」のモチーフはワーグナーの神殿=総合芸術にも重なっていたのだ。




2020年5月11日月曜日

ウィーン分離派の都市と近代音楽

ロースにポチョムキン都市として批判された世紀末ウィーンが20世紀の「都市と建築」の始まり。国境の街ウィーンの城塞が19世紀後半に壊され、新たに建設された都市は結果として歴史的折衷主義による建築博物館となってしまった。そのカタストロフィは大都市建設における「美術と建築」の始まりだが、最近、気になっているのは「近代音楽」がその都市づくりとどう関わっているのかだ。

分離派そしてアールヌーボ、「美術と建築」の変容は「あるがままの自然あるいは風景」がテーマ。そのデザイン・モチーフは「植物」ということは、よく理解できる。歴史様式の折衷ではなく、自然こそ根源的。人工的偽物とは異なり、自然や植物が持つ真正さ、そのオネスティあるいはモラリティこそが近代デザイン(美術と建築)のテーマとなった。その後のデザインは自然より、より真正な機械主義そして機能主義こそモダン・デザイン。以降、60年代のモダニズム、ポストモダニズム、そしてエコロジー建築へと引き継がれた。

近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。「調性」は中世以来のクラシック音楽の原理。世界中の民謡や民族音楽とは異なり、神に変わる人間が作曲するためには不可欠な方法。14世紀のアルス・ノヴァ(新音楽)により、リズムに対する自由度が高まり、作曲される音楽は一気に拡大する。さらに、その後のバッハにより、長調および短調よる調性は厳格になり、人間に作曲される音楽として、ヨーロッパのクラシック音楽は、建築以上に不可欠なものとして啓蒙社会に必要とされる。人間により作曲される音楽(クラシック音楽)から「調性」が無くなることはあり得ないことだ。そして気になる「近代音楽」の変容。シェーンベルグ、ロース、アドルノ、ベンヤミン、さらにエーコは「近代音楽」にどう関わり、どう変わったのであろうか。

2020年4月26日日曜日

絵画的世界から音楽的世界へ


「ドラマとしてのオペラ」の中でカーマンは重要な指摘をしている。
 「オペラブッファが持つ音楽の連続性が劇的音楽の道を開いた。」
 18世紀の器楽曲が展開したソナタ形式を支えたのは調性だ。 
バロックの説明的展開に対し調性は機能的な展開を切り開き、葛藤・経過・興奮、絶え間ない変化を可能にしている。
 結果、器楽音楽はブッファを発展させ劇的連続性を生み出していく、とカーマンは考えている。 

18世紀まで、形式性の展開においては似たような方法をとってきた音楽と建築がその後、決定的に異なるのはこの連続性(シークエンス)にあると考えられる。 
宗教曲からルネサンスそしてバロックへ、音楽は歌曲であり、オペラ誕生以降、その世界は音による絵画世界(視覚世界)だ。
従って、音楽と建築はその表現方法には大きな違いがない。
しかし、ロマン派以降、音楽はソナタ形式で調えられた、時間的に連続する器楽世界を開いて行く。
一方、視覚的形式のみで展開せざるを得ない建築は不連続な行間をどう繋ぐかが問題となる。 
 近代建築を批判し言語論を応用した建築もこの行間を繋ぐ方法とはならずポストモダニズム以降姿を消す。 しかし、まだ方法はある、建築もまたscenographyからsequence。
ロースはラウムプラン、ロッシは記憶・連想をその糸口とし、シザは?スティーブンホールは? 建築の音楽的世界を検討する意味 がここにある。

2020年4月19日日曜日

シェーンベルグからエーコへ

シェーンベルグは「無調」を開いた音楽家、しかし、弦楽六重奏「浄められた夜」等を聴く限り、内面表現の芸術家とも言える。彼は絵画のカンディンスキーとも親しく近代の表現主義運動の人と目されている。
アドルノが評価するのは、シェーンベルグがマニュアルから生み出された「調性音楽」を「無調」に変えたことにある。「調性」を手書きの音とは異なり、外部からの装飾として嫌っていたシェーンベルグは「装飾と犯罪」を書いた建築家ロースとは同じ頃、同じ街ウィーンで同じ空気を共有していたのだ。

ロマン主義者でもあるシェーンベルグ、彼は自分自身が生み出した十二音音列に対してさえ忌避感を示すこともあった。事実、弟子にはその技法を教えようとはせず、授業時間のほとんどはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、等の分析であったという。シェーンベルグが考えていたのは伸び縮みし、呼吸し、主張する音楽であり、図式的でメカニックな音楽ではない。彼にとって音楽は有機的な自然であり、ロマン主義そのものであったと言える。

アドルノの芸術哲学から敷衍すれば、近代音楽は啓蒙主義の同一性のもとにある「ソナタ形式」から離れ、「無調」をめざすことで、新たな音楽創作の道を開いたのだが、アドルノは 「無調」以降のシェーンベルグ、彼の十二音音列の持つ機械的な合理性を批判している。しかし、新音楽は「無調」から「十二音音列」へ、さらに「不確定性音楽」へと向かうのだが、それはまたその後のモダン建築と同じように、外部からの「同一性」あるいは「合理性」を徐々に採用していく方向。結果として新音楽の創作もまた不活発な状況に置かれる。

ウンベルト・エーコは「開かれた作品」で「不確定性音楽」について触れている。彼は作者と受容者とのコミュニケーションレヴェルにおける同定の保証、作者から受容者への透明な通路といううロマン主義的な概念を無効なものとした。「単一のシニファインにおける多様なシニフィエ」としてのテクストは、事象レヴェルにおいては完成している「閉ざされた作品」でありながらも、コミュニケーションレヴェルにおいて「未完の作品」である、と書いている。

不確定性音楽において、「その作品がどのように仕上げられうるのか、正確には知らない」というエーコだが、彼は作品において隠れた存在として機能する、そうした未完結性はカオスではなく、諸関係の組織化を可能とする糸口があるのなら、これもまた作品と書いている。完成されていなくとも、作品は作者のもの。エーコの「開かれた作品」を読みながら、現在の音楽と建築の置かれている状況、その困難さを切り開く道に直接触れているような気がする。

エーコは芸術作品にあって「解釈関係」が成熟し「批判的自覚」に到達したのは現代美学に至ってからとし、開かれた作品という概念には歴史的展開と文化的諸要因があると強調する。中世において聖書に書かれている内容を解読するには「寓意解釈作業」が必要とされた。バロックはルネサンスの古典的形式の持つ静的で明確な確定性に対し、動的であり現代的意味での<開かれ>のはっきりした様相を見出すことができる、としている。
ルネサンスは中心軸をめぐって展開され、中心と共謀する相称線と閉じた視点によって限定され、運動というよりむしろ<本質的>永遠性の観念を暗示すべき空間の確定性があるのだが、バロックでは充実と空虚との、明と暗との戯れにおいて、その曲線と折れ線、より多様な角度からの視点によって効果の不確定性へと向かい、空間の漸次的膨張を暗示する。
動きとイリュージュンを追求する結果、バロックの造形群は、一定の特権的な正面視を許容せず、観者が絶えず動いて、あたかも作品が絶えず変貌するかのように、作品を常に新たな相の下に見るよう誘うことになる。

動的なものとしての「開かれた」作品は作者とともに作品の作ることへの誘いによって特徴づけられる。刺激の総体を知覚する行為において受容者が発見し、その発見における展望、趣味、演奏に応じて作品を甦らせる受容者は自由に散策する創造主となるのだ。
作曲家、演奏者、聴衆に作品制作を要請する不確定な作品。しかし、それは創作レベルでは「開かれ」であり、感受レべルでは操作の及ばない「開かれ」ではない。外的な開かれ=内的な開かれ、エーコの「開かれた作品」は感受レベルの持つ能動性、操作の介在しない「内的な開かれ」の方に力点がおかれている。

ヨーロッパ社会における作品と作家の誕生はイタリア・ルネサンス期、中世キリスト教社会から人間中心社会への変容期にあった。そこでは表現メディアとして透視画法とグーテンベルグの印刷術の発見が大きな役割を果たしている。そして現代、我々の情報環境は印刷術から電脳術へと変容しつつある。
印刷術時代を主導するのはブロード・キャスト、つまり作者であるが、電脳術の時代にあってはスキャニング、受容者(リセプター)こそ、その情報環境の主役。エーコの「開かれた作品」への関心が高いのはまさに、この電脳術の時代の表現、作者=受容者の関係を明確にし、新たな作品制作の方法を見いだすことではないだろうか。







2020年4月15日水曜日

ロースの空間のシンフォニー

18世紀のヨーロッパ、台頭したブルジョワジーは長らく貴族に愛好された声楽音楽に代わって器楽音楽を好んだ。大がかりな劇場におけるオペラに代わり、サロンやコンサートホールで楽しめる器楽曲もまた、音楽を劇的に表現できるようなったからだ。音楽が連続したドラマとなったのはソナタ形式が果たした役割が大きい。この形式により音楽は調性により秩序付けられ、構築された建築のような世界を生み出している。

19世紀末そして20世紀、シェーンベルクをはじめとした近代音楽の作曲家たちは調性の持つ合理性を捨て、無調そして十二音音列により音楽を作曲した。新しい自由な音楽とは「ド」あるいは根音を中心とした調性で秩序化するのではなく、中心音を作品の内部にのみ設定したところにある。つまり作品の外部にある秩序、調性に関わることなく音楽を生み出す、無調あるいは十二音、セリー音楽へと変わっていく。そして、音の構成は自律し、内部にのみかかるその後の音楽の試みは、同時代の建築へと反映されていく。

世紀末以降、建築は外にある物語(意味)や象徴を持ち込むのではなく、建築の内部、建築自身が持つ空間の仕組みによって新しい作品を生み出す方法が検討された。「装飾は犯罪」を書き、ラウム・プランで住宅を設計したアドルフ・ロースは同時期、ウィーンにいたシェーンベルクやアドルノとは親しい間。ロースのラウムプランは構造的要素と非構造的要素は不可分であり、住宅建築では構造を露出させるより、内部空間の感覚を知覚させることに重点が置かれている。つまり、建築は「空間のシンフォニー」としてデザインされたのだ。

シェーンベルグの十二音音楽は美術のキュービズムや建築のピュリスムと呼応している。ポイントは全て作品を成り立たせる秩序や意味は、その作品内部にあるということ。それは外的要因に煩わされることのない、自律した音楽であり、外部の思想や感情・風景に煩わされることのない音楽や絵画・建築と言えるようだ。音楽が調性を捨てたように、建築もまたギリシャ・ローマ・ゴシック・ルネッサンスという美術様式を捨て、ルネサンス以来の新たな建築の自律、モダン建築をめざした。

「空間のシンフォニー」とは空間のみによって表現される音楽のような建築。建築は空間に空間を貫入させたり、空間と空間を対峙させたりすることで、外部的意味ではなく内部のみ、空間と空間の構成によって作ることを意味している。しかし、シンフォニーを生み出すものは何か、それはモダン建築あるいは新音楽の大きな問題だ。中心はない、いやいらない、それでは何を手がかりに作品を生み出すのか、建築に何が出来るのか、まさか制作者の恣意・主観ではあるまい。結果として、建築は外部からの抽象的イデオロギー(機能主義・機械主義・国際主義・マニエラ)によって展開されてしまった。音楽そして建築の自律、新たな道の模索は続いている。60年代以降は電脳術の時代、それは前代(ルネサンス)の建築の自律を模索した15世紀の印刷術時代に代わるメディアの変容、新たな音楽と建築の時代に他ならない。

参考:
1ー機能主義ー>ファンクショナリズム
形態は機能に従う
機能的なものは美しい
自然は不確か、人工こそ真正
2ー機械主義・工業主義ー>インダストリアリズム
合理的かつ経済的ー>非人間的
3ー国際主義ー>インターナショナル・スタイル
抽象的であり合理的であるが故に、地域性を超えた普遍性を持つ
4ー建築家の手法=マニエラと問題提起
手法は建築家がまず問題提起、提起した問題への解答という形で建築を作る


2020年4月13日月曜日

調性による空間構築、ソナタ形式


ソナタ形式とは提示部・展開部・再現部という三つパートで構築された建築のようなもの。始まりの提示部では第一・第二主題等、いくつかのメロディーやリズムが奏でられるが、聞き取らなければならないのは和声。
和声とはルネサンス期の対位法という幾つかのメロディの横の連なりとは異なる、音が縦に重なる和音により進行する音楽。その連なりには根音と調(しらべ)を生み出す主音が連結され、調性が生まれる。
ソナタ形式で一番重要となることは、この和音の継続で生み出された調性をいかに聞き取るかということです。
提示部で奏でられる一番主要な調は何か、主音と属音という構成の長調、それはへ長調かニ長調か。その調はやがてどのように移行し、悲しげな短調にかわるか。
展開部では提示部のメロディーやリズムを発展させ、様々な調性を連続させていく。そしてこの形式で構築されつつある音楽はまさに建築と同様、独特な色合い、空間を生み出していくのだ。
音楽を完結させる再現部。
ソナタ形式という建築の完成は、提示・展開された調性を安定、納得した形として認識させなければならない。
どのような形かは聴き手次第だが、展開された世界は再現部において簡略化され、記憶され、はじめに提示された和声と同じようなペースで連なり終曲される。