2020年5月11日月曜日

ウィーン分離派の都市と近代音楽

ロースにポチョムキン都市として批判された世紀末ウィーンが20世紀の「都市と建築」の始まり。国境の街ウィーンの城塞が19世紀後半に壊され、新たに建設された都市は結果として歴史的折衷主義による建築博物館となってしまった。そのカタストロフィは大都市建設における「美術と建築」の始まりだが、最近、気になっているのは「近代音楽」がその都市づくりとどう関わっているのかだ。

分離派そしてアールヌーボ、「美術と建築」の変容は「あるがままの自然あるいは風景」がテーマ。そのデザイン・モチーフは「植物」ということは、よく理解できる。歴史様式の折衷ではなく、自然こそ根源的。人工的偽物とは異なり、自然や植物が持つ真正さ、そのオネスティあるいはモラリティこそが近代デザイン(美術と建築)のテーマとなった。その後のデザインは自然より、より真正な機械主義そして機能主義こそモダン・デザイン。以降、60年代のモダニズム、ポストモダニズム、そしてエコロジー建築へと引き継がれた。

近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。「調性」は中世以来のクラシック音楽の原理。世界中の民謡や民族音楽とは異なり、神に変わる人間が作曲するためには不可欠な方法。14世紀のアルス・ノヴァ(新音楽)により、リズムに対する自由度が高まり、作曲される音楽は一気に拡大する。さらに、その後のバッハにより、長調および短調よる調性は厳格になり、人間に作曲される音楽として、ヨーロッパのクラシック音楽は、建築以上に不可欠なものとして啓蒙社会に必要とされる。人間により作曲される音楽(クラシック音楽)から「調性」が無くなることはあり得ないことだ。そして気になる「近代音楽」の変容。シェーンベルグ、ロース、アドルノ、ベンヤミン、さらにエーコは「近代音楽」にどう関わり、どう変わったのであろうか。