2020年4月15日水曜日

ロースの空間のシンフォニー

18世紀のヨーロッパ、台頭したブルジョワジーは長らく貴族に愛好された声楽音楽に代わって器楽音楽を好んだ。大がかりな劇場におけるオペラに代わり、サロンやコンサートホールで楽しめる器楽曲もまた、音楽を劇的に表現できるようなったからだ。音楽が連続したドラマとなったのはソナタ形式が果たした役割が大きい。この形式により音楽は調性により秩序付けられ、構築された建築のような世界を生み出している。

19世紀末そして20世紀、シェーンベルクをはじめとした近代音楽の作曲家たちは調性の持つ合理性を捨て、無調そして十二音音列により音楽を作曲した。新しい自由な音楽とは「ド」あるいは根音を中心とした調性で秩序化するのではなく、中心音を作品の内部にのみ設定したところにある。つまり作品の外部にある秩序、調性に関わることなく音楽を生み出す、無調あるいは十二音、セリー音楽へと変わっていく。そして、音の構成は自律し、内部にのみかかるその後の音楽の試みは、同時代の建築へと反映されていく。

世紀末以降、建築は外にある物語(意味)や象徴を持ち込むのではなく、建築の内部、建築自身が持つ空間の仕組みによって新しい作品を生み出す方法が検討された。「装飾は犯罪」を書き、ラウム・プランで住宅を設計したアドルフ・ロースは同時期、ウィーンにいたシェーンベルクやアドルノとは親しい間。ロースのラウムプランは構造的要素と非構造的要素は不可分であり、住宅建築では構造を露出させるより、内部空間の感覚を知覚させることに重点が置かれている。つまり、建築は「空間のシンフォニー」としてデザインされたのだ。

シェーンベルグの十二音音楽は美術のキュービズムや建築のピュリスムと呼応している。ポイントは全て作品を成り立たせる秩序や意味は、その作品内部にあるということ。それは外的要因に煩わされることのない、自律した音楽であり、外部の思想や感情・風景に煩わされることのない音楽や絵画・建築と言えるようだ。音楽が調性を捨てたように、建築もまたギリシャ・ローマ・ゴシック・ルネッサンスという美術様式を捨て、ルネサンス以来の新たな建築の自律、モダン建築をめざした。

「空間のシンフォニー」とは空間のみによって表現される音楽のような建築。建築は空間に空間を貫入させたり、空間と空間を対峙させたりすることで、外部的意味ではなく内部のみ、空間と空間の構成によって作ることを意味している。しかし、シンフォニーを生み出すものは何か、それはモダン建築あるいは新音楽の大きな問題だ。中心はない、いやいらない、それでは何を手がかりに作品を生み出すのか、建築に何が出来るのか、まさか制作者の恣意・主観ではあるまい。結果として、建築は外部からの抽象的イデオロギー(機能主義・機械主義・国際主義・マニエラ)によって展開されてしまった。音楽そして建築の自律、新たな道の模索は続いている。60年代以降は電脳術の時代、それは前代(ルネサンス)の建築の自律を模索した15世紀の印刷術時代に代わるメディアの変容、新たな音楽と建築の時代に他ならない。

参考:
1ー機能主義ー>ファンクショナリズム
形態は機能に従う
機能的なものは美しい
自然は不確か、人工こそ真正
2ー機械主義・工業主義ー>インダストリアリズム
合理的かつ経済的ー>非人間的
3ー国際主義ー>インターナショナル・スタイル
抽象的であり合理的であるが故に、地域性を超えた普遍性を持つ
4ー建築家の手法=マニエラと問題提起
手法は建築家がまず問題提起、提起した問題への解答という形で建築を作る