2020年8月18日火曜日

建築家アルド・ロッシ

都市と建築は古代、野蛮を克服した人間が生み出した。 古代社会は建築が都市を創るのだが、現代社会は都市が建築を生み出していく。 
しかし、モダニズムは当初より歓迎されていたわけではなく、一般的な人々には不人気だった。モダニストの冷厳な形態は1920年代、ドイツでは特に評判が悪く、その作品が30年代に英国に届くと、その不人気は一層あおられている。
アメリカでは鉄鋼とガラスによる新しい科学技術(カーテンウォールによる高層ビル)による経済的長所が受容された。その近代的都市デザインに対抗する勢力がなかったわけではない。しかし、多くのアメリカの都市の基本構造はブルドーザーで破壊され、政治的仕組みによって押しつけられた高速道路が社会分断を招き、それが1960年代の急速な都市荒廃を招く原因になっている。
この荒廃はその後のアメリカでは反省されたが、高度成長を目論む日本ではオリンピックによる都市と経済の繁栄をチャンスとして、1964年から2020年、高速道路と高層建築による都市開発は継続されている。
現代の都市社会、そこは「人間の都市と建築」ではなく、政治と経済主導の後期資本主義社会のグローバルシティが必要とするテクノロジー主導の合理的な建物が造られる。 従って現代都市、そこからは「建築の自律」といったテーマは全く失われてしまった。 しかし、すでに亡くなられたが、イタリアの建築家アルド・ロッシは、そのテーマを継続し建築を創造し続けていた。

2020年7月23日木曜日

住まいは人になじみ、人は住まいになじむ  アドルフ・ロース

ウィーンのアドルフ・ロース「他なるもの」(1903年10月)の記事。 ロースは近代のもっとも注目すべき建築家、彼は建築家ではあるが、同時代の美術芸術建築家を徹底的に批判し、 私を建築家と呼んでほしくない、ただアドルフ・ロースとだけ呼んでいただきたい、と書いている。
 彼は音楽・美術・文学の世界に多くの友人を持つだけでなく、服飾や家具はては馬の鞍にまで言及する、まさに近代の達人、 いや当代の本物の目利きの人といって良い。 そんなかれが何処かに書いた、意味も味もあるコラム。 住まいは人になじみ、人は住まいになじむ。
 趣味の悪い住居になることを恐れてはならない、趣味はそれぞれ。 これは正しくてあれは間違いだ、と誰が決められよう。 自分がつくった住居であれば君たちの選択はいつも正しいのだ。 
現代芸術のスポークスマンは言うだろう。 われわれはその人の個性に合わせて住居のすべてをしつらえてみせましょうと。 それは嘘だ。

 芸術家は自分のやり方でしか家をしつらえられない。 自分の住居は自分でしかしつらえられない。 自分自身が手掛けることではじめて自分のいえになる。 画家であれ壁貼り職人であれ、他人がやるとそこは自分の住まいではなくなる。 せいぜい無個性きわまるホテルのへやになるか、住まいのカリカチャーになるだけ。 そんな部屋に一歩足を踏み入れると、私はそこで人生を過ごさなければならない哀れな住人をいつも気の毒に思う。 ここに、人々が家という存在によって大きな悲劇を背負いこむ本当の事情がある。 こんな無味乾燥な家に住むなんて、まるで貸し衣装屋で借りてきたピエロの格好を着込んでいるようなものだ!

2020年7月5日日曜日

装飾と犯罪 アドルフ・ロース


装飾家達はこう主張する。
「ある消費者が家具を買ったとする。そしてその家具がイヤになってしまうとする。となると、十年毎に家具を買い替えなければいけないわけで、こういう人の存在自体、古いものの寿命がつきてもう使えなくなった状態になって、はじめて新しいものに買い替える人の存在より、ずっと好ましいことだ。ものを作る産業界がそれを望んでいるのである。人がつぎつぎとものを買い替えることによって、多勢の人達が仕事にありつくことになるのだ」こうした言い分に、オーストリアの国民経済の秘密があるようにも思える。というのは、火災がおこる度に、「やれやれ、有り難い。これでまた人々に仕事ができた」といった言葉を幾度となく耳にしたことか。それ私しにもいい考えがある。都市に火をつけて燃やしてしまう、そして国中に火を付けて燃やしてしまえばいい。そうすれば沢山、金儲けができ、楽な生活ができて、国中、わきかえるだろう。そして買って二、三年もすればオークション会場にもっていっても労賃と材料費の一割の金にもならないのだから、暖房用の焚き木にでもしたほうがいいような家具を作ればいい。金具類にしても、四年もしたらもとの金属溶かして地金にしてしまうような金具を作ればいい。そうすれば我々はますます金持ちになるだろう。冗談はこのくらいにして、話を元に戻そう。・・・・・近代人とは、自分の創意・工夫のみ才を他のものに集中するものである。」

ロースは平明な文章で、世紀末の金持ちの「装飾」を「犯罪」として批判しているのだが、よく読むと、安物の物質環境に踊る、現在の我々の消費者主義が「犯罪」なのだ。
アドルフ・ロース「装飾と犯罪」中央公論美術出版p99。

2020年7月1日水曜日

コーラ・ル・ワークス(建築)とコーラル・ワークス(音楽)


「建築におけるフォルマリスト的アプローチ」を模索するピーター・アイゼンマンと「反ー形態の提唱者」デリダとの協働を画策したのはベルナール・チュミ。二人は協働し「ラ・ヴィレット公園」プロジェクトの別セクションでチームを組むことになる。
ピーター・アイゼンマンは1984年「古典的なものの終焉ー始まりの終わり、終わりの始まり」を書き、この時デリダの著作に言及している。デリダはまたアイゼンマンの設計した住宅を気に入っていた。「それは見えはするが決して中には入ることができない屋根のついたもの。」デリダはこの住宅を「コーラ」のアナロジーとみなしていたのだ。
「コーラ」はアイゼンマンと出会う前からすでに着手していた論文、デリダはこの時のアイゼンマンとの協働を通じて完成させている。
「コーラ・ル・ワークス  ジャック・デリダとピーター・アイゼンマン」と題された本が1997年に刊行されている。それは1985年9月に始まるデリダとアイゼンマンほか、何人かの編集会議議事録である。

コーラは空間として理解されると同時に、物質的なものと非物質的なもののあいだにある第三の空間のようなもの。デリダはプラトンの「ティマイオス」のなかの「コーラ」の概念に触れる。不可思議なイデア界とわれわれが生きている感性界の間の第三の空間。イデア界は永遠不変の形態や理念が住まうところ、感性界はイデアの多くの不完全な複製物のみの人間の経験による不完全な世界。知性界と感性界という二つの空間は対置されるが、この両方の世界の起源となる第三の世界としてプラトンは「コーラ」を導入している。
コーラは空虚な場所ではなく、製作者であるデミウルゴスが範型となる形相を眺めながら、それをモデルとして感覚的似像を創り出すが、そうしたかたち作られたり、刻み込まれたりする「場」のこと、デリダの解釈は、この「場」を矛盾をはらんだ受け入れる存在であり、イデア界、感情界に先行しており、それらに還元することができないと考えている。

「コーラ」の概念が説明されたとき、アイゼンマンは「では、このプログラムを具体化するに物理的に取り組んでみるのはどうだろうか」。アイゼンマンは「コーラの不在」の現前化を構築する可能性を目指したが、デリダはかたちにすることは人間中心主義の極みではないかと反論した。
デリダは「コーラ」根源的な書き込みのできないアポリアとしている。そこは、一方はさまざまな形相が書き込まれる受容者だが、それ自身は決して現前しない。あらゆるものを受け入れながら、白紙のままであり続ける。つまり、「根源的な書き込みのアポリア」。
世界の起源は痕跡であり、それは決して現前しなかった出来事の痕跡。現前と不在の二者択一では説明出来ない痕跡の場。デリダはこの場を「間隔」と呼び、起源という点から始まる線状的な時間を攪乱する時間錯誤の場としているのだ。

デリダは自身の「ティマイオス」の読解から引き出されたオブジェクトの図面を書いている。グランド・ピアノの輪郭が平面的に大まかに描かれている。「ハープのように見えるが、弦はグリッドのように張られているので楽器として使用されるものではない」。そして「垂直でも水平でもなく太陽のほうへ傾くように設置されたひとつのソリッド・フレーム、それはフレームワーク(機織り)と同時に篩い、あるいは格子のようにも見えるし、さらに弦楽器(ピアノ、ハープ、リラ)のようにも見える。弦、弦楽器、声帯などなど・・・それは多声コーラスのコンサートを、つまり、「コーラル・ワークス」のコーラを指示する記号を作ろうとするのである」。

プラトンの「ティマイオス」には宇宙の起源であるような一種のカオスの考え方が書かれている。プラトンが提示しているのが、カオスのなかで要素同士の混合、篩い分け、定着という概念。この概念がインスピレーションとなり、デリダは「コーラ・ル・ワークス」プロジェクトへの参加要請に答えている。コーラには空間、場所、カオス、受容者、誕生、複雑性、矛盾、差し引き、表現不可能性という概念が群がっている。
つまりコーラ・ル・ワークスは「リラとライアーを踏まえたコーラル・ワークス(合唱曲集)」。
アイゼンマンとデリダのプロジェクトについてのタイトル(コーラ・ル・ワークス)が議論された時、コーラル・ワークス(Choral Works)という案は出ていた。アイゼンマンは賛成している。「われわれはあらゆるものを手にしている。ーーわれわれはあなたを、私を、ストーリーを、そしてタイトルを手にしている」。しかし、デリダは反論している。「まだその作品をつくることが残っている」。「明瞭かつ手で触れられる表現を与えるのが建築。この表現はモニュメンタルな物質性や建物の永続性をとおして与えられる。物質性・永続性によって文化的基礎は保存・伝達され・脱構築に抵抗する。デリダにはとっては、この手で触れられるゆえに、「建築が形而上学の最後の砦」に変えることが企図されているのである。

2020年6月29日月曜日

チュミとデリダ


言葉の意味する世界をラディカルに捉えるポスト構造主義のジャック・デリダ。建築もまた言葉による構築物であるところから、建築の方法論として構造主義、ポスト構造主義は現在も継続されている。しかし、デリダの「脱構築」はいわゆる「デコン建築」で表現された形態や空間とは全く別物だった。

構築物という観点では、建築でも形から生み出される世界像が問題となるが、デリダはそこに一貫性・統一性・完全性という形而上学的観点を持ち込むことを徹底的に批判する。彼は「全く共通点のない要素同士を連続的なものへと融合したもの、より大きな組み合わせのなかで断片であり続ける要素同士が生み出す全体」という構造を主張し、永続的構築物である建築は「形而上学の最後の砦」であると語っている。

デリダの哲学では絶対的なもの、確かなるもの、自然の法則、倫理の原則、美の基準、理想的なもの、超越あるいは常識さえも懐疑の対象となる。そして、西洋世界を支えてきた形而上学を崩壊させることから生まれる新たな世界像(脱構築)が彼のテーマだが、そこからは、実体的建築による形態的世界像に関わる糸口は見えてこない。
ラディカリズムの哲学者デリダは60年代のアメリカ、すでにその知的風土を揺るがす人として知られていた。彼は1967年に「グラマとロジーについて」を書き、フォルマリズムや空間化に言及している。しかし、デリダは文学研究分野の人であり、当時の建築理論家はほとんど関心を示していない。

建築理論は19世紀のロマン主義を引き継いだモダニズムの歴史主義とポスト・モダニズムの現象学と構造主義。80年代になってようやっと、デリダの「脱構築」を建築界に紹介したのはポスト構造主義の建築家ベルナール・チュミ。
チュミは「ラ・ヴィレット公園」の設計者であり、1982年パリの広大な歴史的エリアを復興させるための国際建築コンペに勝利している。スイス出身の教育者でもある彼は1975年に建築論文集「建築と断絶」を書いている。チュミは対置、曖昧性、崩壊、断絶、攪乱といった概念を援用する。そして、建築・空間とその機能・プログラム・イベントには何ら関係性がないという観点から、建築は断絶していると語っているのだ。

「ラ・ヴィレット公園」に勝利したチュミは「芸術家や作家も設計者と同じように一緒に文化交流に参加させたい」という見解を示している。彼は学際的なチームが公園内の個々の庭をデザインし、その上に全体構造としてのポイント・グリッドを覆い被せるという構想を持っていた。つまり、さまざまな学問分野をとりまとめて交差させることがこの公園のコンセプト。要請された哲学者・文学者の一人がデリダ。彼は「脱構築は反ー形態であり、反ーヒエラルキー、反ー構造、何から何まで建築が拠って立つものに対置されるものであるのに、なぜ、建築家が自分の仕事に興味を持つのか」と質問した。チュミは答えている。「まさにそれが理由です」と。

2020年6月16日火曜日

シェンベルクの「見ることの悲劇」とノーノの「聴くことの悲劇」


20世紀前半、「見ることの悲劇」をオペラにしたのは 「モーゼとアロン」の シェーンベルク。
20世紀後半、「聴くことの悲劇」をオペラにしたのは「プロメテオ」のルイジ・ノーノ。
もっとも、 「モーゼとアロン」「プロメテオ」がオペラであるか否か、識者の見解は様々と言って良い。

16世紀の貴族社会はギリシャ以来の「悲劇・喜劇」とは異なる、より娯楽性の高い第三の劇「牧歌劇」を生み出したことが、オペラの誕生に繋がる。
ギリシャ悲劇の復活を目指していたフィレンツェの人文主義者達は牧歌劇を話す代わりに歌う音楽劇に仕立て、結婚式の催し物として上演した。
メディチ宮廷での上演は「エゥリディーチェ 」、このオペラは竪琴を弾くことで世界を和ませる音楽の神「オルフェオ」を題材としていることから、合い争う当時の北イタリアの宮廷では格好の外交的催し物となり人気となる。
結婚式の祝典でのオペラの上演は、貴族の権威の保護装置、しかし、人文主義者にとって、彼らが時代に関わるための理念や批評の機会でもあり、ルネサンスの人々の生き方の再確認の場であったことも留意すべきだ。
それは当時の建築の持つ役割にも言えることだが、貴族が必要とする視覚装置は、権力の誇示ばかりではなく、より良く生きねばならないというノーブル・オブリージ宣言でもあったのだ。

貴族社会から市民社会へ移行していく18・19世紀、動く絵画としてのオペラは社交と娯楽の道具であり、都市における市民生活の基盤となっていた。
しかし、20世紀になると、ヨーロッパの絵画・建築・音楽が大きく変容する。
その変容は、芸術は日常生活のお飾りでも贅沢品でもなく、生きていくため不可欠なものとすること。
従って、虚構と現実を二分化するプロセニアム・アーチ(額縁舞台)は新しい市民生活のモラリティやリアリティを損なうものと批判され、オペラはその意味と役割を大きく変えなければならなかった。

アーノルド・シェーンベルクは音楽の自立を妨げ装飾的と見なしかねない形式的な調性を疑い、無調そして十二音音列を模索し 「モーゼとアロン」を作曲する 。
旧約聖書の出エジプト記にある「偶像崇拝の禁止」をテーマとしたこのオペラではモーゼは語ることはあっても歌う事はない。
神の指示により、その姿を描く事を禁じられたモーゼは歌い上げることで神の姿を視覚化する彼の兄アロンと大きく対立する。
自立した近代市民の音楽の意味に関わるシェーンベルクは、その対立場面ではアロンの歌により、オペラの持つルネサンス以来の視覚装置を顕在化することで、「見ることの悲劇」としてのオペラを生み出した。



しかし、「モーゼとアロン」は対立場面の第二幕まで、第三幕以降は作曲されていない。
現代世界、果たしてオペラは可能なのだろうか。
ルイジ・ノーノはその答えとして「プロメテオ」を作曲した。
プロメテオは神々のみが天界で所有する「火」を人間にもたらし神。
不死のプロメテウスはゼウスにカウカーソスの山頂に張り付けにされ、3万年に渡り肝臓を鷲に啄めばられる責め苦を負う。
言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった人間世界の象徴。
ノーノはしかし、この物語を直接的には描いてはいない。

シェーンベルクの「モーゼとアロン=見ることの悲劇」は「神は見るものではなく信じるもの」、それは視覚的な「形を見る」ことではなく、個々人の中に響く「音楽」を聴くことにある、とメッセージしている。
ノーノのシェーンベルクを引き継ぐ「プロメテオ=聴くことの悲劇」は、プロメテウスの火に苦しめらる群島状に分布する様々な人の声、それは矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱となり鳴り響く。オペラは脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を「音楽」として聴くことを試みている。
つまり、ルネサンスに生まれた視覚装置としてのオペラはプロセニアム・アーチが解体された現代世界においても「音楽」として本来の意味と役割を発揮続けているのだ。

2020年5月25日月曜日

開かれの詩学


開かれた作品は美学理論というより、文化史であり、詩学の歴史について論じている。詩学とはもともと文学作品の言語構造の究明を意味するが、エーコはその究明をヴァレリーの詩学講義にならい、すべての芸術ジャンルに拡充し、検討している。目的は芸術に関する一連の定義と美的諸価値とを推定しようとするもの。詩学の企図を明らかにし、それによって文化史の一局面を解明していく。
文化史ないし詩学の歴史と言っても、現代の作品はおしなべて動的なもの(開かれた作品)。そこでは「なんらかの作品において完成する」創作行為あるいは創作する活動という構造が問題となる。さらに現代芸術におけるテーマは共通していて、芸術と芸術家の、形式的構造やそれを司る詩学のプログラムには「偶然・不確定・慨然・曖昧・多値性による挑発」が目論まれていて、それに対し、解釈者がどう反応するかが詳細に語られている。
結論から言えば、<開かれた作品の構造>とは、様々な作品の個別的構造ではなく、受け手とのある一定の享受関係の中で設定されたもの。動的作品とは、多様な個人的参与の可能性ではあるけれども、無差別な参与への無定形な誘いではない。ある世界に自由に参入することへの、必然的でも一義的でもない誘いだが、この世界は常に作者によって意図されたもの。動的作品の詩学は芸術家受容者の間に新しいタイプの関係を創設し、美的知覚の新たな仕組み、社会における芸術所産の別様の位置付けを確立する。
つまり、詩学は開かれを享受者と芸術家との基本的可能性として告知するものに他ならない。


2020年5月19日火曜日

無調音楽とエーコの作品世界


エーコの「開かれた作品」を、世紀末以降、音楽家が調性組織を放棄したのは建築のポスト・ポストモダンの問題かもしれない、と感じながら読んでいる。つまり、ここにはアドルノと同じように近代建築への批判が読み取れる。中世以来の調性組織からウィーン世紀末、創作者である多くの音楽家が離れたのは、建築に関わるテーマと考えていたが、音楽における「現実参加」に注目するエーコは終章で興味深い検討を加えた。
エーコは音楽家の調性組織に対する反逆は、慣習の硬直化とか創造的可能性の枯渇とか言うことでも、類型化し暗示能力が消えアイロニカルな形でしか表現できなくなってしまったことでもない、としている。放棄したのは調性組織が世界観や世界における在り様全体を、構造的関係性の問題にすり替えてしまったからなのである、と書くのだ。

これは、作品の創作者の問題であって享受者の問題ではない。演奏者でも、工事者でもなく、創作者という観点に立てば、調性音楽の実践は理論面においても、社会的関係の面においても、あらゆる教化をその目的とする、という根底的な信念をひたすら反復してきたにすぎない、と感じられたことに関わっている。

調性音楽は現代においては、演奏会という儀式に補強された一つの一時的な共同体のための音楽である。固定された時間に、ふさわしい衣装を着て各人が美的感受性を働かせる。しかるべき心のカタルシスと緊張の解消を果たしている寺院を後にするように、危機と心の安らぎとを享受するために客は入場券に金を払う。これは確かなこと。音楽家が調性組織に危機を感じるとき、それを介して感じることはなんであろうか。

「楽音間の関係があまりにも長い間、特定の精神的関係やある特定の現実の見方と一致してきた結果、聴き手の心がある一つの音響的関係群に出会うと必ず、その関係系が長い間繰り返してきた道徳的・イデオロギー的・社会的世界に本能的に依存するということが起きているのではないか、と感ずるのである」。(p297)
そして創作者は調性組織において表わされる理論的世界観、社会的倫理や道徳といったものすべてに疎外されているのではないかと感じてしまう。この伝達体系を解体した瞬間「音楽は通常の伝達状況を逃れ、反人間的意味で行動しているように見える。しかしそうすることでしか、聴き手を偽り欺くことを逃れる道はないのである。」(p298)

今現在、調性に何が起こっているのか。リズムにおいて目新しさはまったくない。歌詞の最後が<心>という言葉なら、<愛>にふれたその心の歓びが悲しみに変わることがわかったところで別に驚きはしない。調性の世界が繰り返し提示する人間関係の世界、秩序立って安定した世界と我々が習慣的に考えてきた世界とは、それはやはり我々が生きている世界なのであろうか。とエーコは問う。

体系を破壊するのではなく、体系の内部で行動すること。その体系を離れ、それに修正を加えるために、体系において敢えて疎外されながら、その兆しを受け止めること。今生きている世界をまさにあるがままの危機的世界として受け入れること。 現在の状況の混乱を収拾しようとすれば、欺瞞者と言われるだろう。そのような人は共同体とは無関係だと言われ、伝統的世界こそが維持するものとみなされるが、しかし、現実はまったく逆の事態なのだ。
新しい作品、それが本当のものである限りにおいて、伝達性にしっかりと根ざしながら、現在の世界と意味作用の関係を維持してゆく唯一のものとなるのである。

2020年5月13日水曜日

ウィーン世紀末とワーグナー


「シェーンベルク音楽論選」の訳者序文の「アーノルト・シェーンベルクの調性感について」によると、
世紀末のシェーンベルグの無調への変化は、美術・建築にみるドラスティックな変化ではないとのこと。拡大された調性のなかにあって主題の新たな展開を求めることは、中世以来、連綿と続いてきた音楽表現上の変容の一端にすぎない。無調音楽は古い時代の最期ではなく、音楽の世界では絶えず新しい時代が始まっている、と書かれている。
なるほど、ということであるならば、先日のブログの「近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。」は愚問かもしれない。しかし、「無調」はひとまず置き、「音楽」は美術・建築とどう関わってきたかも大事なテーマ。今日は海野弘氏の「世紀末の音楽」のウィーンに触れてみる。

最大の関心はシェーンベルクの「無調」とロースの「ポチョムキン都市」批判との関連。しかし、今日は「世紀末ウィーンその第一期」、マーラーやクリムト等によるゼツェッション展(分離派展=1902年)。海野氏の「世紀末の音楽」から読みとれることは、ロースや、シェーンベルクは第二期だが、その第一期、マーラー・クリムトの世紀末ウィーンはベートーヴェンとワーグナーとともにあったというところ。

マーラーは分離派の画家たちとは知り合うが、音楽は造形芸術とは無縁と考えている人。しかし、愛妻であるアルマはクリムト等とは親しい間がら。一方、ゼツェッション展のベートーヴェン像やフリーズを作ったクリンガーやクリムトもベートーヴェンとは遠く隔たっていたと言われている。しかし、マーラーは分離派の人々の要望で、展覧会でベートーヴェンの「第九」を演奏、その演奏が切っ掛けとなり、宮廷オペラ監督に就任、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を1903年に上演する。

大事なのはここからなのだが、1902年のゼツェッション展は旧体制から分離しようとした新しい芸術、それ古い時代を超える、文化的総合運動であったということ。音楽、文学、演劇、美術などの中世以来ばらばらであった芸術を統一し、総合的な空間を作り出し、古い社会の危機を救済することが分離派運動のポイントだ。
なるほどだからこそベートーヴェン=ワーグナー、それは19世紀オーストリア=ハンガリー帝国の階級的・民族的対立の危機に直面した帝国を文化政策によって統一をつなぎとめようとするものだった。1902年はつかの間の安定期、社会的な対立・分裂の危機を救い、まとめるために文化=総合芸術が不可欠として呼び出された。
1898年にオルブリッヒが設計したゼツェッション館はその代表。そのモチーフはテンプルクンスト=神殿芸術、それはキリスト教とは異なる芸術のみの神殿による救済。神殿建設は世紀末の特徴である、と海野氏は書いている。

神殿芸術は世紀末の特徴というところで、もう一つ大事なことを思い出した。それはバルセロナのガウディ=ワーグナー。総合芸術としてのサグラダファミリアとワーグナーはかって「ガウディ・オペラ」として、ある雑誌に書かせてもらった。しかし、ここにきてまた一つわかった。新都市に建つサグラダファミリアは産業革命で疲弊したバルセロナの救済、世紀末の「自然=真正」のモチーフはワーグナーの神殿=総合芸術にも重なっていたのだ。




2020年5月11日月曜日

ウィーン分離派の都市と近代音楽

ロースにポチョムキン都市として批判された世紀末ウィーンが20世紀の「都市と建築」の始まり。国境の街ウィーンの城塞が19世紀後半に壊され、新たに建設された都市は結果として歴史的折衷主義による建築博物館となってしまった。そのカタストロフィは大都市建設における「美術と建築」の始まりだが、最近、気になっているのは「近代音楽」がその都市づくりとどう関わっているのかだ。

分離派そしてアールヌーボ、「美術と建築」の変容は「あるがままの自然あるいは風景」がテーマ。そのデザイン・モチーフは「植物」ということは、よく理解できる。歴史様式の折衷ではなく、自然こそ根源的。人工的偽物とは異なり、自然や植物が持つ真正さ、そのオネスティあるいはモラリティこそが近代デザイン(美術と建築)のテーマとなった。その後のデザインは自然より、より真正な機械主義そして機能主義こそモダン・デザイン。以降、60年代のモダニズム、ポストモダニズム、そしてエコロジー建築へと引き継がれた。

近代音楽では、何故、「調性」を棄てなければならなかったのか。「調性」は中世以来のクラシック音楽の原理。世界中の民謡や民族音楽とは異なり、神に変わる人間が作曲するためには不可欠な方法。14世紀のアルス・ノヴァ(新音楽)により、リズムに対する自由度が高まり、作曲される音楽は一気に拡大する。さらに、その後のバッハにより、長調および短調よる調性は厳格になり、人間に作曲される音楽として、ヨーロッパのクラシック音楽は、建築以上に不可欠なものとして啓蒙社会に必要とされる。人間により作曲される音楽(クラシック音楽)から「調性」が無くなることはあり得ないことだ。そして気になる「近代音楽」の変容。シェーンベルグ、ロース、アドルノ、ベンヤミン、さらにエーコは「近代音楽」にどう関わり、どう変わったのであろうか。