2011年11月24日木曜日

フィレンツェのカメラータの音楽

オペラの誕生は瓢箪から駒と言われる。
生み出されたきっかけと生まれでた結果が著しく異なるからだ。16世紀後半、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会の近くのジョバンニ・バルディ伯の館ではユマニストの集まりがあった。彼らの集まりをアカデミーと言うが、集まった仲間たちをカメラータという。テーマはギリシャ悲劇の上演、音楽を古代ギリシャの理想に則し再発見することにあった。

ギリシャの音楽は言葉と旋律が一致している。
言葉が全体を支配し音楽がそれに従う、バルディのカメラータが考えたギリシャ悲劇。テキストがはっきりと理解できるように、音楽は簡単な伴奏の上に載ったソロの形が望ましい。当時流行のポリフォニー音楽は知性に対し訴えるものがなく、感覚的な耳の刺激にすぎない。当時流行のフランドルの多声は複雑な音の綾織りに過ぎないと嫌悪されている。
そして和声的感覚の上になり立つソロの歌にこだわった。
建築デザインにおいて、ゴシックがイタリア人に嫌われ、明快なルネッサンス建築を生み出したことに通じるものがある。彼らは曖昧さのない知的構築物を求めていたのだ。

カメラータは1594年田園劇「ダフネ」を完成させる。
さらに1600年10月6日、トスカーナ大公の娘の婚儀には「エウリディーチェ」をパラッツォ・ピッティで上演した。レスタティーボだけの音楽劇は今の私たちには、結婚式用の華やかなイメージとはほど遠いもののように思える。しかし、演奏された「エウリディーチェ」は結婚式の催しものとはいえ、美しいメロディや華々しい音響効果とは異なるもの。詩の意味、言葉の中身をいかに的確に伝えるかが大事だったのだ。

誕生期のオペラは現在の娯楽とはほど遠く、恐ろしく教養主義的な趣を持っていたことがわかる。しかし、その後のオペラにとって重要なことは、ソロの確立や音の綾織りの嫌悪ではない。音楽によってドラマが進行するという(モノディ)形式、ドラマ的な音楽を生み出すための基礎がはじめて作られたことにあった。
この形式はブルネレスキやアルベルティの建築から遅れること100年あまり、しかし同じフィレンツェの地で誕生したことは重要だ。