2011年11月22日火曜日

オペラ劇場、その建築的役割


















演技者や音楽家にとって、劇場は必ずしも必要なものではない。
現代のピーター・ブルックに示されるように、都市広場の一隅、聖なる山の裾野、いつの時代も演劇にとっては必要なのは舞台であって、劇場ではない。
劇場を必要としたのはむしろ建築家でした。
劇場をつくることで、建築家は建築家に与えられた社会的使命を果たさなければならなかった。

ペロポネソス半島のエピダウロス劇場は、アイスキュロス、ソポクレースというギリシャ悲劇の作者が活躍した100年も後の建設。
北イタリアのテアトロ・オリンピコはヴェネツィアでモンテヴェルディのオペラが人気を博す50年も前の建築です。
興味深い事に、ギリシャ劇場はむしろギリシャ悲劇の低迷期に作られている。
現代社会からはじめて言える事だが、たくさんの劇場が作られる時代、その時代は必ずしも演劇が盛んであったわけではない。
さらにまた、演劇が建築としての劇場の形式を決定したということはほとんどない。(ワーグナーだけは自分の音楽のために自分の劇場=バイロイト劇場を作った)。
演劇は劇場の形式に大きな影響を受け、その仕組みと形を変えて行った。その最も具体的な例がオペラ。

フィレンツェの貴族館の広間でのカメラータたちの試みは、透視図法に彩られたバロック劇場を得ることによって、視覚による知的興味と聴覚による感覚的喜びを相い和した画期的な芸術様式として花開いた。つまり、オペラはバロック劇場を得る事で音楽の形式を完成させたのです。














建築は、人間の生活のための安全で便利・快適な箱を作ることがその役割だが、必ずしもそれだけが役割の全てではない。
建築は人間と人間、人間と世界との関係を調整するという役割を持っている。
エピダウロス劇場やテアトロ・オリンピコは演劇や音楽のための建築という以前に、人間と世界の関係を示した実物模型としての役割を持っていた。
劇場空間は「世界のかたち」、世界とはこのような形であるという実感させる似姿(モデル)であったからだ。
つまり、建築家は世界模型としての劇場を作ることで、世界の中での人間のあるべき場所を示し、世界と人間との関係を明らかにしようとしたのだ。「世界」そのものを知り、自分自身が「世界」のどこにいるかを実感させる建築空間、そんな空間の創出がギリシャあるいはルネサンスの都市の衰退期に建築家が社会から要請された使命だったのだ。




演劇の上演にあたって音楽が用いられることは、古代よりどこの文化シーンでも常識化している。その目的が宗教的経験であったり、世俗的娯楽であったりすることも共通。中世の受難劇がオペラと異なるのは、題材の違いは当然としても、前者が場面、衣装、舞台装置を用いないだけで、音楽とせりふの関係はほとんど変わらない。むしろオペラの特色は演じられる場、劇場にある。近代の祝祭空間であるオペラは宗教改革に揺れるヨーロッパ社会にあって、教会とは異なる<劇場>を得たことで、その後に連なる大いなる展開の糸口をつかんだように思える。一方、ギリシャや中世の祝祭空間から見ると、劇場を必要としたのは音楽家や演奏者ではなく観客。見る・見られるという視線の分離が不必要な全員参加の古代の祝祭にあっては、まだ劇場空間が必要とされることは無かったのです。
オペラと近代劇場の誕生、各々は決して同時に同じ場所で生まれたものではない。発展の経緯は後述に譲り、その契機を見る限り、オペラはすでに存在している劇場の形式にあわせ、その形式を整えて行ったように思える。つまり全員参加の祝祭空間に<劇場>の持つ<見る・見られる>という装置を巧みに取り込むことにって、オペラと言う形式を整えていった。 

一般に劇場をめぐって建築家と音楽家はいつも争う、「この劇場は使いにくい、音楽のために作られていない」。現代社会ではオペラ劇場はオペラ上演のためにあるのだから、建築家はこの批判に対処しなければならなのは当然、しかし、契機から見る限り、かっての建築家には弁護の余地はある。何故なら建築家は祝祭から誕生した劇場を観客のために作ったのであって、音楽家の為ではない。

図版はロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」が1816年2月20日初演されたローマ・アルジェンティーナ歌劇場」http://www.and.or.tv/operaoperetta/1.htm