初期の教会の音楽には全音階を用いなければならいという不文律がある。半音階は悪魔の音階と考えられ教会の中では許されていないからだ。
十三世紀になるとこの音楽上の制約から、いかに表現の可能性を汲み尽くすかがポイントとなり技法の開発がなされた。
その技法をアルスという。
アルスの対語がウースス、一般的慣習を意味する。
ウーススが支配する民族音楽、世俗音楽には半音階が多用されていたが、これらの音楽とは別個に、楽譜の上でアルスの開発を進めたことが、その後のヨーロッパ音楽を大きな発展に導いた。
ヨーロッパの音楽はウーススから離れアルスの開発に向かうことにより、教会の音楽のみならず世俗の音楽もまた、単なる感情の表現媒体として捉えたのではなく、人間による思考や学問の一形態として位置づけられるようになった。
音楽は多くの知識人や貴族たちにより、人間の思考の結果としての産物、作品として認められたことが重要だ。
ギリシャ・ローマの世界では作品を生み出すことが可能なのは詩神(ムーサ)、あるいは詩学を学んだ詩人のみ。
十三世紀、アルスの開発により、音楽は詩学とみなされ、音楽家は詩学を学んだ詩人と同列に位置づけられた。
つまり、人間による作品の誕生は、同時に音楽家あるいは作曲家の誕生を意味していた。
十四世紀になり音楽の状況は大きく変わった。
教会に仕える聖職者であり「捧げものの職人」たちは、世俗にあっては娯楽を提供する役割をも担うようになっていく。
司教座聖堂参事会員という肩書きを持つギョーム・ド・マショーは様々な世俗音楽を生みだすと同時に、アルス(技法)にのった自由な音楽作品を作曲する。
「楽譜」の上での作曲はヨーロッパ音楽を途方もない大きな世界に導くことになる。
もともと音楽は絵画や建築とは異なり、全体が見渡すことが不可能な分野。
常に演奏している一部分だけが存在し、作品の全体は終わった後の余韻としてしか残らないもの。
しかし、楽譜に書き留めることで、全体を見渡し思考することが可能となった。
つまり、建築と同じように音楽に空間性を与えることが出来たのだ。
空間性を与えられた音楽は始まりから終わりまでという時間の中に、あるくぎりを獲得することが可能となる。
ひと区切りの全体を一つの「作品」として捉えることで、音楽は職人による演奏ではなく、全く新たな道を歩き始める。
古代ギリシャ以来、人間が生きる「自然の世界」以上に、人間が住まう「観念の世界」に対し揺るぎない信頼を与えてきたヨーロッパの人々は、神様が絶対の中世から、人間が中心となるルネッサンスの時代をむかえると、音楽を作ることは神の世界と同じように、信頼に足る確かな世界を生み出すことみなされている。そして、その創作にあたっては人間の持つ主知・主情のみがなせることであると強く意識していたのだ。
ヨーロッパ音楽はここにきてはじめて、経験と感情による音楽(世俗・民族音楽)を観念・想像による音楽(作品としての音楽)と同一視する事が可能。
この強い意識が複雑・多岐な想像的人工物の総体である音楽を、オペラ(=作品)として積極的に生み出していくことに繋がっていく。
(詩学としての作曲)
ネウマ符による記譜が楽譜を誕生させ作曲への道を開いたことはすでに触れた。しかし、ヨーロッパの音楽をさらに大きな世界へ導いたものはアルスによる自由な作曲にある。
人間による作曲という観点で重要な事なので、再度、音楽の持つ「空間性」について触れておきたい。音楽という世界は絵画や建築とは異なり、全体が見渡すことが不可能、カタチを保って留まることがない。
楽譜に書き留めることで、はじめて「空間性」をもち、全体を見渡し、思考することが可能となる。空間性を与えられた音楽は始まりから終わりまでという時間の中に、ある区切りを獲得する。ひと区切りの全体を一つの「作品」として捉えることで、音楽は職人による演奏ではなく、理性的表現の為の思考の空間、つまり「作品」を生み出すことが可能となった。
音楽が多くの知識人や貴族たちに「作品」として認められたということはきわめて重要。ギリシャ・ローマの世界では作品を生み出すことが可能なのは詩神(ムーサ)だけ。あるいは詩学を学んだ詩人のみだった。
音楽はもはや神の啓示ではなく、アルスの開発により詩学とみなされる。音楽家は詩学を学んだ詩人と同列に位置づけられた。思考の空間を得た音楽家は詩学としての作品を生み出し自らは作曲家となった。
現代の私たちは当たり前のようにヨーロッパのたくさんの音楽作品を楽しんでいる。しかし、自国の音楽以上に何故、ヨーロッパの音楽を楽しむことが出来るのだろうか。それはヨーロッパの人々が作品に対し、より自覚的であるからだ。どんな物事に対しても自覚的に関わろうとする彼らは理性的に客観的に、誰にでもわかるようなやり方で作品を生み出している。
古代ギリシャ以来、人間が生きる「自然の世界」以上に、人間が住まう「観念の世界」に対し揺るぎない信頼を与えてきた彼らは、神が絶対の中世から、人間が中心となるルネッサンスの時代をむかえても、決して個人的、現実的感情に走ることはない。アルスによる「作品」を作ることは神の啓示と同じように「信頼に足る確かな世界」を人間自らが生み出していること意味しているからだ。そして、その創作にあたっては人間の持つ主知・主情のみがなせることと強く意識している。この強い意識が次の時代、複雑・多岐な想像的人工物の総体である音楽を作品(=オペラ)として積極的に生み出していく。