浄瑠璃寺
久しぶり春の奈良を歩きたいと思い、1人で出かけることにした。 まずは浄瑠璃寺。
東京を8時前に経ち、近鉄奈良駅から路線バスで30分。 なんともスムーズ、昼前には浄瑠璃寺門前に着いた。 ここを訪れるのは三度目、しかし、前回からはなんとウン10年は経過している。
最初の訪問で秘仏の吉祥天にお目にかかり、その色彩豊かな、
ふくよかで親しみやすい仏の姿に魅せられた。
毎回、奈良を訪れると、いつも思い出し、寄ってみたいとおもいつつ時間がない。
二回目は大枚はたき、タクシーで出かけたが、残念、その時は、秘仏は厨子の中。 小さな華奢な扉は硬く閉じられていて、待たしておいたクルマで急ぎ奈良に戻り、東京に帰った。
そして今回はフリーの旅。 公開日に合わせ、わざわざ出かけたのだから今回は間違いない。
それほど拝観したい、と思っているのには理由がある。
それはライフスタイルのリストラだ。 この3月、音大での講義を終えた。建築学生とは異なる、音楽デザイン学科での「建築」は建築の面白さ、そのデザインの持つ意味を探す旅と位置付け講義を続けた。
そして、講義を終えた今、今度は身近なデザインの旅に関わろうと思っている。それは、意味あるものに身を置き、眺め、聴くことに心がけること。余計なことには煩わさず、不用なものに関わらない。そんなスタイルだ。
浄瑠璃寺は九体寺とも言われ、9体の阿弥陀仏が鎮座する西方浄土体現の寺。
平安末期建立のこの寺は池を囲んだ寺域すべてが、ヨーロッパで言えば桃源郷(アルカディア)と言って良いようだ。
静寂な池に小さなお堂を写し、仰ぎ見れば金色の三重塔。 しかし、訪れたこの日、残念ながら、塔は工事中。 そうか、今日は現世はお休み、全山極楽ということのようだ。
何故なら、この寺の池を囲んだ配置は変わっている。宇治の平等院は池の反対側から極楽を眺めるだけの構成だが、浄瑠璃寺は本堂と塔が池を挟み合い対峙している。
平等院の塔(墓)は寺域には配置されず、対岸におかれたのは小御堂と呼ばれる休憩所。浄瑠璃寺は九体の阿弥陀様と彩色美天女がおわす西は彼岸であり、美しき塔の建つ東は此岸という見立て。
つまり、この寺は眺めるのではなく、彼岸此岸を体現する寺域。そして、今日だけは此岸の塔がお休なのだから、全山極楽。塔を仰げなかったのは残念だが、我が身はすべて極楽にありと考えれば、
最もいい時間、いい空間に出くわせた、と言って良いのかもしれない。
岩船寺
岩船寺は浄瑠璃寺からバスで10分足らず、初めて訪れた。
バス路線の周辺は鎌倉時代からの石仏・石塔が沢山つくられた所。
京都・奈良からほどよく離れた場所であることから、多くの修行僧が移り住む格好な場所であったようだ。
岩船寺は729年聖武天皇の発願により行基が建立したと言うから歴史は浄瑠璃寺より古い。
小さな池を囲む土佐水木や三つ又等の豊かな花々、そして朱に塗られた三重塔。
本堂には3メートル近い大きな阿弥陀様座像。
おおらかでふっくらした平安初期の木像はここもまた来世の浄福を体現する桃源郷ですよと伝えてくれる。
大遣唐使展 奈良国立博物館
岩船寺からバスで再び浄瑠璃寺へ、そして近鉄奈良駅へ戻る。
今回はフリー切符を持っての旅なので近鉄、奈良交通は全部フリー。
さらに、こんな遠隔地だが季節がばっちり、 いままでは行きも帰りもタクシー以外は考えられなかった浄瑠璃寺拝観も、 今日はバス・スケジュールも頻繁、待たされることなくあっという間に奈良公園に到着した。
ホテルに立ち寄ることもなく、そのまま国立博物館の「大遣唐使展」を見学する。
この展覧会の目玉は薬師寺東院堂の聖観音菩薩立像とアメリカ・ペンシルバニア大学博物館が持つ観音菩薩立像のそろい踏み。 エントランスの正面はなんとこの二体が堂々と、 ガラス囲いや防御の柵もなく、観客を出迎えてている。 一瞬、その呆気無さに息を飲む。
いいの、むき出しで大丈夫! 薬師寺の聖観音立像は中学生以上の誰もが知る、日本の最も美しい観音様。 人気がある分、東京にも度々出張されるが、 しかし、こんな身近で拝観出来ることはほとんどない。今日は東院堂以上に身近で、さらに遠いペンシルバニアから来訪の貴重な観音様とともにお目にかかれる絶好の機会というわけだ。
この二体を並び立たせる意味は素人ながら理解出来る。
素材は異なるが日本と中国、同時代につくられた同寸法の全く良く似た観音立像。
この二体を奈良で邂ごうさせることこそ、まさに1300年前の遣唐使そのものの再現なのだ。
しかし、時間をかけじっくりと二つの観音様を眺めていて、気になった。
やはり、違う、いや、まったく違う。
寸法はともかく、お顔も身につけているもののデザインも。
どう見ても親しんだ聖観音立像は日本のデザイン。
白鳳か天平かは専門家の関心だが、ペンシルバニアつまり中国の観音立像は間違いなく薬師寺の聖観音とは異なるメッセージを持っている。
まぁ、どうでも良いことなのだが、奈良に来て遣唐使を実感するまたとない機会。
長い長い時間、観客が消え閉館と言われてもまだ踏みとどまり二体の邂ゴウにお付き合いさせていただいた。
そして、夕方になれば誰もが行く、二月堂の舞台に立った。
ここで見る夕景は間違いなく日本の空、と言うことだろう。