2010年2月21日日曜日

ネウマとトロープス、作曲の始まり

(グレゴリウスと聖霊の鳩)
ルネサンスは個人による、想像力に満ちた「作品」が高く評価され、創作者への賞賛は「神」に例えられた時代。優れた「作品」を創造する人が尊ばれることは当たり前のこと、しかし、中世ヨーロッパ社会には「作品」もなければ、「創作者」も存在しない。

五世紀、西方教会(カトリック)の確立に貢献したアウグスティヌスによれば、無から有を創造するのは神のみぞなせる技、「作品」を創造することが可能であったのは「神」だけであって人間ではなかった。
神のみが唯一の創造者であった中世社会、音のシークエンスとしての音楽はとても総合的、かつ大変複雑なもの。そのようなものはとても人間が創りえるものではなく、神のみが生み出しえること。
神の創作物が啓示を受けた人間に与えられ、与えられた人間がただひたすら演奏した結果が音楽。つまり音楽は、人間の「作品」というより、神が創造した自然物の一つと考えられていた。
ドイツの図書館に残された十二世紀の写本の口絵の一枚。精霊の象徴である鳩が聖グレゴリウスの肩の上に止まり、聖歌を啓示している場面が音楽を意味している。中世音楽の世界では音楽を奏でる職人のような演奏者がいても、創作者としての音楽家は存在しなかった。

この考え方は、建築もまた同じ。神が支配する中世社会、そこで大事であったことは、誰が作るどんな「作品」にあるかではなく、社会あるいは集団の為の、ひたすらの演奏あるいは建設にあった。
聖歌は典礼に参加する人々の祈りの声、教会堂建築はそのための舞台。そして、その各々に関わる人々はともに神に仕える聖職者たち。彼らにとって、音楽そして建築は「作品」ではなく、集団としての神への祈り、神への捧げものに他ならない。

(典礼と聖歌の統一)
聖グレゴリウスが受けた啓示はグレゴリウス聖歌としてまとめられた。しかし、これは一つの説にすぎない。聖グレゴリウスが即位した六世紀のローマは都市としてはまだ貧弱。疫病、飢饉、テヴェレ川の洪水にさらされていた。グレゴリウス一世は少しでもこの混乱に秩序をもたらすべく、教会と典礼の整備を積極的に行った。しかし、実際に聖歌がまとまりつつあったのは八世紀になってからのこと。それも地域ごとに異なった別々の典礼の中での出来事に過ぎない。
現在の統一されたグレゴリウス聖歌の誕生はさらに五百年もあと。各地の修道院に散在していた何百という聖歌の写本は、グレゴリウスが定めた典礼との関わりから一つ聖歌としてのまとまりを示していく。

(ネウマ符)
音として奏でられれば、すぐに消えてしまう音楽だが、音のシークエンスを歴史に残すためには記譜することが必要となる。ヨーロッパ音楽の記譜もまたザンクト・ガレン修道院が始まり。 修道院の理想平面図が作られたと同じ頃、それはちょうどカロリング朝フランク王カール大帝の時代(八世紀)。大帝のヨーロッパ進出に合わせ、グレゴリア聖歌は様々の地域に拡がって行く。そして、その拡がりの為のメディアとして、聖歌の中の歌詞だけを記した沢山の写本が作られた。

やがて十世紀、今度は歌詞だけの写本ではなく、楽譜付きの聖歌集が登場する。それはちょうど、聖歌の多声化(ポリフォニー)への試みが始まるのと同時期のこと。多声化への試みと楽譜付きの聖歌集もまたザンクト・ガレンが始まり。最初の理想的平面図が描かれた修道院は西ヨーロッパ最古の楽譜に関わった場所でもあったのだ。

修道士たちは毎日、夜明けから深夜に至るまで1日に8回の聖務日課(定時化された勤行)とミサ典礼(最後の晩餐を再現した典礼)を行う。その内容は聖書朗読と祈り、そして聖歌の朗唱。歌を伴わない祈りはない。福音書朗読もまた、ある特定の音の高さを持って歌われるのが一般的。従って、教会堂はいつも音楽に満たされ、聖歌集は写本の中に継続的に記録されて行く。

典礼のための福音書や聖歌集は教会では最も重要なものの一つとなるのは当然のこと。それは聖具であり神への捧げものであったからだ。しかし、その大事な聖具である写本の中に、九世紀になると、朗読する為の記号が書きこまれるようになる。ネウマという折れ釘のような記号、これが音符の始まり。ネウマ符の登場は各地でバラバラであった典礼を統一したい、という動きがその根拠となっている。

しかし、もっとも重要なことは符の登場によって、口で伝え、耳のみで受け継がれてきた聖歌の旋律は、楽譜として記載され伝承されることが可能となったことだ。当初は伝承の方法を統一し簡略化することだけが役割であったネウマ符は、やがて音楽そのものを大きく変えていく。

(トロープス)

音符の登場は楽譜の誕生を意味する。それは音楽にとって全く新たな道を開いた。ヨーロッパ音楽の展開に不可決な大きな二つの道、人間による作曲と秩序ある多声音楽の誕生だ。

聖歌集は写本であっても聖具。聖職者といえども勝手に手を入れることは許されない。しかし、ネウマ符が書き込まれた写本には、新たな歌詞や旋律を挿入することが許された。

挿入部分はトロープスと呼ばれる装飾部分。このトロープスが神からの授かりものであった音楽を人間的思考の結果としての音楽に導く、つまり作曲の始まりとなる。

当初トロープスは神の栄光を人為的に隠喩したもの。したがって、それはまだ作曲とは言えず、礼拝における歌唱の道具にすぎない。道具であるが故にトロープスは当初、記譜することや音楽的に意味があることではなく、ネウマ符により美しく飾られた図版、神への捧げ物の一つとみなされていた。

捧げ物、美術品であったとしても、ザンクト・ガレンの写本の中のトロープスは確実に音楽を変えて行く。ネウマ符で旋律が記号化され、装飾部分が加味されたことにより、単旋律の音の流れは幾条もの重なりをもった複雑な音楽に変わって行った。トロープスは神の啓示であった音楽を、人間が創作可能な音楽への道、作曲の道を確実に示していた。

(作曲という思考の空間)
鳴り響いた音が次々に消えていく音楽の世界では、建築とは異なり、全体を一瞬に見渡すことはできない。常に演奏している一部分だけが存在し、音楽の全体は終わった後の余音に過ぎないのだから。しかし、楽譜に書き留めることで音楽は始まりから終わりまでという時間の中に、ある区切りを獲得し、全体を見渡すことが可能となった。つまり、楽譜の誕生により音楽は建築と同じように「空間性」を獲得し、「思考の空間」となったのだ。

水のように切れ間なく流れる音楽の世界は、ネウマ符という記号に書き記るされれば、全体は形を持った一個の独立した作品となる。楽譜の誕生は作品の始まり。作品の始まりは生み出す作家の誕生をも意味する。ここに来て初めて音楽は、神の創造から人間による創作物として道を歩むことになる。

音を記録するだけの方法なら、世界中どこにも存在する、しかし、ネウマが開いたもう一つの大きな道はポリフォニックな音の広がりを生み出し、音楽の形そのものを変えたことにある。

ポリフォニックな音の広がりを生み出す多声への道は体験や偶然から生まれたものではなく、楽譜の上の思考の結果と言える。教会堂での音の重なりや広がりの体験は多声へのきっかけではあるが、単旋律歌声であった音楽がネウマ符によって記録され初めて多声への道が開かれたのだ。

多声もまた経験ではなく、思考空間での創作にほかならない。そこから生まれ出た音の広がりは、現在に至るヨーロッパ独自のオーケストラ音楽の原点。ネウマによる記譜から始まる楽譜の誕生はヨーロッパ音楽を思考の空間へと導き、多声への道、そして作曲の道を開いた。
楽譜の成立は、聖なるものを讃えるための音楽が、聖なるものを表現し、聖なる力を広める役割へと転化した。ザンクト・ガレン修道院はこの転化を促す最初の場所であり、人間による作品の誕生の地と位置づけて良い。