2014年12月2日火曜日

『音楽と建築、そのデザイン』kindle版








メディアとしての都市・建築・音楽をテーマとしたkindle版を2013年10月に出版した。内容は古代ギリシャからバロックまで、西ヨーロッパの「都市」を支えてきた「音楽と建築」についてのアンソロジー。Part1~Part3は神話、風景としての「音楽と建築」、Part4~Part5はオペラを生み出すイタリア諸都市の「音楽と建築」。国立音楽大学での「講義ノート」から書き下ろしている。

https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%AE%8F%E4%B9%8B-ebook/dp/B00FK0RM6A/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1544424355&sr=8-1&keywords=%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3

2014年11月30日日曜日

メディアとしての音楽と建築=Commedia

20世紀の建築はモラリティが強くて面白くない。しかし、その反動だろうか、最近の雑誌を飾る建築は意味不明で形がゆがみ、不安定で不快ですらある。
ギリシャ以来、建築は集団に属するもの、そこで優先されるのは、合理であって個人的な趣味や経験ではない。
合理は「すべての事柄は理論理性で説明できる」という集団的意志に支えられている。
現在の合理はプラグマティックで経済的、あるいは個人的ご都合主義、言い訳に過ぎないこともある。
建築形象は本来は誰にでも理解出来るカタチ、しかし、現実はジャゴーン、集団的理解にはほど遠いものとなってしまった。

古来より建築を生み出すものは人間の言葉。言葉は集団の中にあって、人間と人間、人間と世界との関係づくりに関わっている。現在の建築形象は場当たり的な個人(稟議・政治・経済)に関わる散文であり、集団的な詩文とはほど遠い。
建築が発する言葉は約束ごとを持ちレトリカル(説明が必要)、と同時に、誰にでも理解でき、美しく感じられるものであったはず。そして、そこには詩行としての方法があった。

現在のイタリアデザイン、スカルパやロッシの建築にはその伝統が残されている。
集団的な詩文詩行といっても、確かに今や容易に理解され、感心が持たれるものではない。
しかし、建築が建築のうえにある限り、オブセッションするカタチに関わる詩文詩行があるはずだ。

ソネットやカンツォネッタの詩行詩形はかっての音楽の形式、しかし、現在もなお生きている。
現代建築にはどんな形式があり、その形式はどのように変容しているのか。
我々はそこにどんな世界、どんな関係、どんな意味を読もうとしているのか。
odysseyは個人的な感情や嗜好を超え、モラリティに関わらない、たとえオブセッションだけであっても物語のある建築を探そうとする旅なのだ。

 

2014年11月10日月曜日

ルネサンス建築はモダンだった

建築とは意味の無いところに意味を生み出す装置を作り出すこと。 
装置が複雑になればなるほど、意味にたどり着くための扉の数も多くなる。
 ドーム=天空を象徴する架構、天空のミニチュア 
技術がなくても空間(意味)を作り出したいとなれば、見かけだけのフェイクと言える架構技術が必要となる。
技術は価値観を伴わない知識。 
技術は交換可能、意味がないからこそ技術は普遍的であり、人から人へと流通し、流通の過程で汎用性を獲得する。

 タイプとの関連で考えてみよう、
タイプは空間に意味を作り出すものであるから、架構技術には関わらない、フェイクでも良い。
 生み出された意味は汎用性も持ち普遍的ではあるが、一元的である必要はなく、読み取りが難しい、読み取りは自由。 

壁でも柱でもない構築的要素は何を意味するか、あるいは意味は無いのか。

ルチェライの壁の端部は理想都市を想像させるフェイクいやメッセージ。 
この建築はルネサンス、透視画法が意味する方法で世界を描いている。
この壁面が延々と続く都市、そのフィレンツェの持つ意味、その世界は何をメッセージしているか。
それはフェイクとして描かれているが、アルベルティの描く、あるべき都市の現実の姿なのだ。
村野建築の柱はフェイク、しかし、どれも意味深い。
=日生劇場、樹木苑、ルーテル教会等々。
彼のみメッセージはもはや、読み解く人が居ない。

 建築タイプの原型 、その意味する言葉は?
1-屋根 
2-壁 
3-柱 
4-エディキュラ 
5-アーチ、アーケード 
6-コリドール 
7-タワー 
 そして現在、建築は空間のシンフォニー。
音楽の方法は現代建築に何をもたらすか。

2014年11月3日月曜日

ピアノの時代


十八世紀は視覚革命の時代。タブローに描かれる世界は最早、中世の神の世界でもなければ、ルネサンスの人間中心主義を支えた透視画法でもない。
それはルドゥの建築に示される平行図像、気球から見たようなアイソメトリックな世界だ。

神の目に変わり、人間の目で世界を見ることが可能となった十五世紀以来、我々は透視画法を利用し、部分と全体を調和させた建築的世界を作ってきた。
しかし、十八世紀、建築家は人間中心の目を捨て、再び古代ギリシャの天使の目を希求している。
それは全てを等角投影、等距離におき、何処にも絶対的中心を置かない世界像。

ルドゥとモーツアルトは同時代人。
モーツアルトは人間の歌を楽器演奏の音楽へと導き、すべての世界をを楽音によって表現して行く。
ルドゥは人間の視線を解放し器械的記号化により世界を描いて行く。
十八世紀は「ピアノの時代」だ。
その初頭、フィレンツェで生まれたピアノはモーツアルト、ベートゥヴェンによって全く新しい音楽の世界を開いて行った。
ピアノの時代は、現代のコンピュータの時代に似ている。
アナログメディアをデジタル化していく現代のコンピューター技術者に似て、モーツアルトは開発時代のピアノ(コンピューター)を操り、あらゆる歌を軽快な機械音と同調させ、ウィーン中の居酒屋(ゲームセンター)を沸かせている。
彼はまさに現代社会におけるゲームやアニメづくりの天才と全く同じだ。

「ベートーヴェンの32曲のピアノソナタは新しいテクノロジーを貪欲に取り入れ、それと格闘してきた歴史でもある」と渡辺裕氏は書かれている。
ベートーヴェンの最新式ピアノとの格闘は、コンピューターを手にして、未だプリントメディアを超える新発想を見いだし得ていない、我々の姿に近いかもしれない。

ギリシャの時代は「天上の館」が建ち、「天体の音楽」が響いた時代。
巨大な楽器であつた宇宙、そこでは固有のメロディーが奏でられ、そのメロディーの中には世界を解きあかす法則が秘められていた。
芸術が、すなわち技術であった彼らの時代、宇宙はある種のスーパーコンピューター、数学的法則はそのためのソフトウェアーと言って良い。

しかし、十七世紀後半、ニュートンがプリンキピアによって、スーパーコンピュータとしての「宇宙=世界」を解体した。結果、天体は音楽を奏でる場ではなくなった。
十八世紀後半の「ピアノの時代」、建築家はルドゥは気球に乗り新しい理想世界を想像し、モーツアルトとベートゥヴェンは新しいピアノを駆使し、再び「天上の館、天体の音楽」を奏でようとしていた。
そして現在の我々はバームの中のスマホを駆使し、懸命に新しい世界を想像しようとしている。


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2014年9月30日火曜日

オルフェオの終焉、以降

このブログCommediaでは7年前、「三つのオルフェオ」の最終項に「オルフェオの終焉」をアップしている。モンテヴェルディのオルフェオからグルックのオルフェオまでの150年間はまさに美術史に言うバロック時代。その終焉は「ヨーロッパの音楽と建築」の大きな変曲点を意味していた。
Commediaの最近のテーマは近・現代の音楽と建築の変容。「オルフェオの終焉」はまさに現代の我々の時代の始まりと言えるようだ。18世紀以降の市民社会は旧世界のコスモロジーの崩壊とともに、音楽と建築は「理想都市とアルカディア」に変わる均質で無味乾燥な「空間」の中に、新たな世界を描きださなければならなくなった。
そして、今、「作品的世界」からミメーシスが消え、無調音楽がセリー化していくなか、それはまさに「オルフェオの終焉」に続く「空間の喪失」を意味している。20世紀初頭、シェーンベルクの音楽とロースの建築だけが鋭く見抜いていた現代の音楽と建築の世界。そこにはその後の理論・抽象では決して届くことのなかった、創作者としてのメッセージ(意味)を支えるミメーシス(形=空間)がある。たびたび触れている事柄だが、優れた音楽と建築には「目利き」である人によって生み出される「批評」があり「作品」があるからだ。
同じテーマをイーフー・トゥアンは「個人主義空間の誕生」に書いている。
その内容は「劇場」をキーワードとした、ヨーロッパの空間の変容にある。あるいは西洋における個人主義の発生と空間の分節化と重なり合い。アナクロニックにかっての共同体に依存することなく、何を新たに「作品化」するか。かれは最終頁で次のように書いている。
「伝統的な共同体では、客観的な価値が昔のまま残っている。物事や人々の活動の意味は明白である。意味はひとつの観点でも、個人的な情熱を傾けた結果でもないのだ。人はある役割を受け持つ。なぜならそれはそこにあるからである。そして、気まぐれなものではない、単に自明と思われる意見を述べるのだ。逆説的ではあるが、必要性は生活にやすらぎを与える。必要性は、単に心によって認識された事実というだけではなく、心とからだが十分に感じている重荷でもあり、それが世界の客観性を支えているのである。」(個人主義空間の誕生/p279)

2014年9月21日日曜日

ヒュプネロトマキア・ポリフィリ 

15世紀イタリアの奇書「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」については数年前、Quovadisで取り上げたことがある。
当時、「ダヴィンチ・コード」がブームだったが、ボクは小説なら同時期出版された「フランチェスコの暗号」のほうがはるかに面白いと言いたかったからだ。

しかし「ヒュプネロトマキア」は「暗号」の一部であって、「フランチェスコの暗号」でもその周辺情報しか触れていない。
ボク自身は奇書そのものにも興味が惹かれ、その後調べても見たのだが、全く情報もなくお手上げ、すべて????で終わっていた。

ヴェネツィア建築大学ジョルジョ・アガンベン教授の「イタリア的カテゴリー」の中に「言語の夢」という章がある。偶々見つけたことだが、ここになんと「ヒュプネロトマキア」について30ページに渡って論述がなされていた。

「イタリア的カテゴリー」とは何かと言えば、「詩は何故必要か」という問いかけ、ポイエーシス(制作すること)とプラクシス(実践すること)の関係を問うことで「人間」の中味に言及しようとしている。
「人間」についてそれほど自覚的ではない我々にとっては「中味のない人間」を問うことは意味のないことかもしれないが、「イタリア的カテゴリー」はイタリアをテーマとしたのではなく古代から現代にいたる「人間の中味」「詩学に於ける言語と言葉」が問題となっている。

どうやら「ヒュプネロトマキア」はラテン語の幹に生きた俗語(母語としてのイタリア語)を接木した二重言語主義がテーマのようだ。
この奇書はルネサンス・イタリアの知的遊戯と言ってしまえばそれまでだが、アガンベン教授は「言語の夢」の中でこんな解説をしている。

この物語のポリフィロとポリアはダンテとベアトリーチェ、あるいはポリアはラテン語、ポリフィロは俗語に置き換えられる。
15世紀イタリアは都市や家族どころか人間にとって最も基本的な言語そのものの危機、知識人にとっては俗語も絶え間ない死にさらされていた。
そして「ヒュプネロトマキア」は14世紀のダンテの詩における諸テーマに類似させ作られている。
詩における愛の経験は生の出来事に対する言葉の根源的絶対性、生きられたものに対する詩作されたものの絶対性に支えられている。
しかし、今やその関係は転倒。
そんな詩作上の危機感から「ヒュプネロトマキア」がつくられた。
ということのようだ。

考えてみればボクの知るダンテ、ペトラルカ、アルベルティ、後年はラテン語だが初作はみな俗語、現在に言うフィレンツェ語が中心となるイタリア語だった。
「神曲」はイタリア語で書かれているからこそ、現代イタリアで小中高校と勉学中の全員が学ばなければならない教科書となっている。
しかし、ボクはラテン語は古代からのヨーロッパ公用語であるから、普遍的な論を立てる時の必要上の言語とかってに思い込んでいたのだが、それは余りにも浅はか、まさに人間の中味が全く理解できていないようだ。
ダンテが組み立てた清新体派の抒情詩の意味を理解しなければ、ボクは永遠に転倒に転倒を繰り返さざるを得ないかもしれない。

先の「言語の夢」はさておき「イタリア的カテゴリー」にもうすこし留まっていることにした。
序文に戻ると70年代にアガンベンはイタロ・カルヴィーノとクラウディオ・ルガーフィオーレとの三人で雑誌の発行を計画していたと言う。
目的はイタリア文化のカテゴリー的構造を究明しようとするもの。
発刊にはいたらなかったそうだが、この時ルガーフィオーレは「建築/優美」という対概念を提示していたと言う。
つまり、数学的かつ建築的な秩序によっての支配と移ろいゆくものとしての美の知覚。
このカテゴリーこそ、ボクの関心があるところ。
検索したが、残念ながらまだルガーフィオーレの「建築/優美」は見つからない。
しかし、松岡正剛がアガンティを解説する記事を千夜千冊(2009年10月14日)に書いていたのを思い出した。
久しぶりに読んでみて、そうか、やっぱりこの辺りだったんだ、ボクの関心。
その後、前に進むことは出来なかったが、イタリアに関わってみようという気持ちだけは今も変わらない。

2014年9月5日金曜日

幻影の書 ポール・オースター

名作映画「ルル・オン・ザ・ブリッジ」の監督であり、脚本家、そして現代アメリカ最高の小説家ポール・オースターの「幻影の書」を先週末、図書館から借り出し、ナイトキャップ代わりナイトブックとして楽しんだ。

アメリカの映画と小説はTVやネット、新聞以上に21世紀を最もポピュラーに表現する媒体といって良いのではないだろうか。
映画と小説どちらにも秀でているオースターは、こともあろうに今度はこの「幻影の書」によって、まさに映画と小説による「20世紀の鎮魂歌」を生み出した。

すべてが真実、すべてがあり得ない話。そして、すべてが消えさる壮大な虚構あるいは幻影。「わたしが月を見なかったなら、月はそこにはなかったのだ。」
やはり、彼は面白い、明日はまたオースター漁りだ。

この書は読みやすいから蛇足だが、若干内容に触れると、忽然と姿を消した無声映画時代の俳優の話。そして映画づくりでも良くあるように、オースターはこの物語の中に、「ガラスの街」のピーターや「リヴァイアサン」のサックスを登場させている。つまりフィクションの中に既に知られているフィクションを重ね合わせることでオースターは通俗的ではあるが、ある種の現代の世界観を描き出している。

日本の私小説のような私とアナタの物語ではなく、どこまでも彼(三人称の普遍的人間)を描こうとする姿勢。このスタイルこそ、エンターテイメントではあっても芸術的と呼べる古来からの方法と言って良いのではないだろうか。

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2014年8月27日水曜日

藤村の散文をめぐって

藤村は若菜集からスタートした詩人、やがて破戒、春、家、夜明け前等の長編作家と目されるが、実は沢山の短編・中編も書いている。
早くから英語もフランス語もマスターし、漢籍にも関心が高く、五七調の詩を書き、散文の世界にも関わっている。
その経緯はふるいものを壊し、新しい言葉を新たに作っていく。その時全てを壊すのではなく、いいものは残す。
藤村の方法はまさに、言葉の「継立て」と言えるようだ。

継立てとは 「夜明け前」にも度々登場する言葉。
街道において「宿」から「宿」へと「ひと」「もの」「情報」を 継立てていく。
この日、堀江敏幸氏の講演は「継立て」に視点を置いての藤村文学の話しと言ってよい。

藤村の故郷は美濃と木曾の境界にあり、中山道の宿、馬籠。そこは文字通り継立ての場。その文学もまた明治と大正の狭間、同時代、表現された言葉も文語と口語を継立てている。
藤村は言葉を「継立て」ることで、自らの文学を留まらせることなく、新たな表現を模索し、人間世界への洞察を深めていく。
藤村がもつ文章を書き続けていくことのしぶとさはこの「継立て」にあったようだ。

講演の後半で具体的に触れた作品は「柳橋スケッチ」の中の「海岸」。
「柳橋スケッチ」自体が5つの短編で作られているが、その中の一つの短編「海岸」は4部に分かれている。
内容は一文一文、時間が行ったり来たりする複雑な構成。
それは時間のズレを読者と共有しようとするもので、まさに柳橋の下を流れる水のように、絶えず揺れ動いている文章だ。
藤村は小さな短編を書いているのだが、それは大きな長編小説と全く変わることはない。
だからこそ、彼はその全体を「スケッチ」と呼んだのであろう。

「柳橋スケッチ」を一度も読んだことの無いボクにとって、堀江氏の言わんとするところを百パーセント理解できたわけではない。
しかし、メモ帳に残された走り書きはどれもこれも興味ある事柄ばかり。
すでに講演から1週間も経ってしまったが、幸い 「柳橋スケッチ」を電子ブックで見つけることが出来たのでメモ帳を片手に読んでみた。

「柳橋スケッチ」は柳並木、柳橋、神田川の岸、日光、海岸という5つの短編の一群とした中編小説。
明治から大正という狭間の時代に書かれている。
それは藤村自身が3人の子を失い、妻を失い、こま子との関係に懊悩している時。
そして彼がまさに自らの「新生」に向かおうとする象徴となる作品と言える。

特徴的なのは前半3部が川、藤村の日常生活の場である柳橋、神田川での考察、そして後半は海への思考。
この川から海への展開の「継立て」になるのがワイルドの「獄中記」であり、藤村を「新生」に導く。

川と海は死と再生のイメージを喚起し、生きる上での新たな活力を感じさせる。
その各々はバラバラなアンソロジーだが、全体は一つの長編のような構成。
事実、川部分の3部は長編小説の「新生」そのものと言える。
私とK君の川岸での出会いに始まり、静思、自省、停滞、澱み、理由のない寂寥感が描かれている。

転機を描く「日光」の編。
「私」という人間を規定している肉体的苦痛から旅行へを導くもの、それは獄中記への親近感と苦痛から遊離した虚構の持つ霊的な力と言えるようだ。

「彼(ワイルド)の「新生」とは人生を持って芸術の形式となすにあった。かくして始まる芸術的生活は結局一種の作り物語であろうと思うけれど、彼のいわゆる知力的勇桿には動かされる。」そして、「心がかわいてきたーどれ、日光を浴びようか」 (「日光」から引用) と藤村自身の「新生」への継立てを宣言する。

最後の編、「海岸」は今日の講演の堀江氏自身の継立てでもあるようだ。
藤村の特別な研究者でもない堀江氏が坪内祐三氏に請われ「明治の文学」の編集に関わったことからこの「海岸」に出会っている。
この短編は明治期に書かれ大正期に出版された。
文体には時代の気風が反映されるので、よくあることだが、書かれた時と校正し出版された時とのタイムラグはそのままズレとなって文章にはあらわれる。

「上総の海、とうとうこの海岸の漁村へ来た」 (「海岸」から引用) 、
今までの文体と異なり、まるで前代の雅文のような調子で藤村は「海岸」を書き始める。
つまり古い文体だが新しい精神を表現する。

中盤では海を写生する画学生の絵に現実の海にはない船が描かれていることから、無為、空虚、平凡な日常を引き吊り旅に出た自分だが、ごくわずかな間、 画学生の考えによって日常の海を「永遠」そのものとして見る海に、「なめらかな波の背、波のしわ、うず、日光の反射、透きとおるような海の色、それらのものが集まって自分のほうへはいってくる印象はあざやかに生き生きと感ぜられる。」海に、変わると藤村は書く。 (「海岸」から引用)
つまりここもまた、ワイルドが言う虚構が持つ霊的な力の再確認。

時制を含み、この短編の複雑な構成はすでに触れたが、藤村は最終節で70歳に近い、目の見えない老婦を登場させ、彼女の子供の頃、やがて大人になり、そして今はその人の最後を見る思いを感じさせる文章だと堀江氏は語っている。

「この宿に一人のおばあさんがある。七十近い、目の見えない老婦だ。その年まで生き延びたら、食うという欲よりほかに残らない人で、あてがわれたわんを大事にしては、食事の時間でなくともガツガツ震えている。暗い部屋《へや》にひとりで引きこもっていて、かみさんの足音を聞きつけるたびに、例のわんをさしつけて拝むようにする。
「おばあさん、朝の御飯がすんだばかりだよ……そんなに食べたがって、また腹下しするよ……。」かみさんにしかられては、おばあさんは、子供のようにわんを引きこます。わたしは思いがけない所で、人の一生の最後を見る気がした。
 わたしはよく年ごろな婦人やかわいらしい娘などを見るたびに、その人たちの子供の時の容貌《ようぼう》や、それから年をとっての、姿などを思い比べることがある。
「わたしたちがずっと年をとったら、どんなふうになるんでしょうねえ。」とある娘が言ったが、わたしは今、あの娘の言ったことを思い出した。おそらくわたしが東京へ帰って、この漁村で見たおばあさんの話をしたら、どうかしてそんなになりたくないものだと、あの娘などは言うかもしれない。」(「海岸」から引用)

それはあの娘、新生の節子、実の姪のこま子へと引き継がれる想像的世界、この小さな短編は壮大な長編をその内に秘めていると堀江氏は読み取っている。

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島崎藤村展

「小諸なる古城のほとり」や「まだあげ初めし前髪の」は歌曲としても知られた藤村の詩。
その歌には思い出がある。
高校時代の友人、と言ってももはや他界してしまった、男ともだちだが。古今和歌集や山家集に被れたふたりは共に伊豆や信州の旅をし、演奏会にも出かけた。
本とクラシックが好き、お互い島崎藤村を読んでいたことは間違いない。
しかし、話は「惜別の歌」を含め、多少の若菜集や落梅集と歌曲のことばかり。
藤村のことやその作品に深くふれ、話し合うことははほとんどなかった。

ボク自身から友人に藤村の話をできなかったのには理由がある。
「新生」だ。


ある時、この友人とは別の友人から芥川の「ある阿呆の一生」の話しを聞かされ、そのませた情報に唖然とさせられた。

「新生」は藤村の実話、それも兄の娘に子を産ませた近親相関というスキャンダルをそのまま描いた物語。
小説は様々の局面が舞台となる様々な人間の物語。実話であるか否かに関わらず、当時、まだウブなボクはこの小説もまた近代の浪漫派小説の一つとして気楽に読んでいた。

しかし、友人の言う「ある阿呆の一生」の中の、(「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。)という芥川のくだりが、それ以降、ボク自身から藤村に触れることを奪ってしまった。

高校卒業近くになって、偶然、藤村のこんな文章に触れた。
……ここに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思われる。私はこれを読んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った。
 知己は逢いがたい。『ある阿呆の一生』を読んで私の胸に残ることは、私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろうということである。私の『新生』は最早十年も前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかったであろうかと思う。しかし私がここで何を言って見たところで、芥川君は最早答えることのない人だ。唯私としてはこんなさみしい心持を書きつけて見るにとどまる。でも、ああいう遺稿の中の言葉が気に掛って、もっと芥川君をよく知ろうと思うようになった。

 島崎藤村 「芥川龍之介君のこと」

以来、ボクは芥川龍之介を読むことはなかった。と同時に、藤村の言う「新生」で書こうとしたことと、その意図を正確に知りたいと思い、藤村を読み続けた。
「新生」は確かに、スキャンダルには違いない。しかし、ボクは文人として生きることを自分自身に科した藤村自身の決意と覚悟の物語として読みとっている。
大学は文学部ではなく、工学部建築科だが小説はかなり読んでいる。多くはフランス、ドイツ、ロシアだっただろうか。リリカルだが、古典の叙事詩のような人間の物語がボクの好みだ。日本の私小説はボクには不向き、しかし、藤村は好きだった。多分、書店にある藤村の大半は読んだだろう。

「新生」は藤村自身がようやっと文人として世に出た頃、描かれたもの。物語のなか岸本捨吉は東京に移住するが家族の生活は貧困のどん底。そんな中、妻は子どもを残し、早々に他界してしまう。
必死に書き続ける捨吉は節子に助けられる。彼と彼の幼い息子たちの世話と生活を支える健気な節子。いつか岸本は、そんな節子を愛するようになる。

やがて、身ごもってしまった節子を残し、フランスに行く捨吉。しかし、パリは第一次大戦によるドイツの侵攻。捨吉は友人の画家と共にパリを脱出、フランス中を逃げ回り、這々の体で阿修羅のようだが日本に戻る。

物語は確かに、このフランス前後の藤村自身の世界だ。節子は兄の次女、実在のこま子のこと。そして、藤村はこの前後の事情を懺悔として描くと物語の中で語っている。と同時に標題は「新生」、人間は生まれ変わることはできないが、新たに生きることはできる。そんな、物語の核心は、阿修羅の中で取り交わされるふたりの手紙の中に垣間見える。特に節子の手紙、もちろんそれは作者である藤村自身の言葉だが。切々と語るその文は、もはやふたりだけの恋文とは大きく隔たる、人間としての新たに生れ出る新しい世界のことなのだ。

藤村は小さな私小説家ではない、大きなフィクションを書いているのです。
ギリシャ神話にあるような普遍的な人間の持つ虚構の世界を。
そんなかってな解答を秘め、芥川を嫌っていたが、さらに後年のある日、ネットの千夜千冊で松岡正剛さんの「夜明け前」を読んで「目から鱗」だ。

「夜明け前」は「新生」のすぐあと、フランスから帰国後、こま子と別れ完成させている。
その内容は藤村の実父、島崎正樹の半生を画いたもの。
つまり、「新生」と同様、藤村にとっての生の体験が大きな小説を生み出している。

そして松岡さんが書かれているのは以下のくだり。
(藤村は王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかと、問うた。しかもその王政復古は維新ののちに、歪みきったのだ。ただの西欧主義だったのである。むろんそれが悪いというわけではない。福沢諭吉が主張したように、「脱亜入欧」は国の悲願でもあった。しかしそれを推進した連中は、その直前までは「王政復古」を唱えていたわけである。何が歪んで、大政奉還が文明開化になったのか。
 藤村はそのことを描いてみせた。それはわれわれが見捨ててきたか、それともギブアップしてしまった問題の正面きっての受容というものだった。)
千夜千冊「夜明け前」から引用

そうだよ藤村の物語はいつも大きなフィクションなんだよ、単なる木曽山中の本陣の息子の話しではない、当時の日本人が誰も書けなかった本来の「ご一新」と挫折を藤村は実父正樹の半生を青山半蔵に託して浮き彫りにした。
「ご一新」の本来的な意味、それはまだまだ問うべきであろう、永井荷風や幸田露伴、さらに漱石や・・・・文化的範疇で近代日本に疑問を持つ作家は数知れないのだから。

藤村好きのボクには藤村について考えて見たいことがまだまだ沢山ある。そして、いつも気に掛かり、手放せず、ことあるごとに振り返って読みたくなるのが「夜明け前」なのだ。


現代の我々が日に日に失っているもの、それを短絡的に現代の西欧主義・日本主義、右主義・左主義、工業主義・自然主義、民族主義、宗教主義で語って腑に落ちてしまっているのが大半だ。しかし、そういうわれわれ自身の問題を藤村は90年も前、すべてを文章にし、かたちにした、それが「夜明け前」なのだ。

「親ゆづりの憂鬱」をもって自己を「歴史の本質」に投入させるという作業、 と松岡さん前述の彼の「夜明け前」に書かれているが、まさに、インフラストラクチャーの瓦解に関わる人間の生き様をこれほど実感を持って書かれた小説は日本では見当たらない。
ボクの関心はいつもこのインフラストラクチャーの瓦解に関わる「狭間の人間」にあり、それが相も変わらず「イタリア・ルネサンスの音楽と建築」から抜け出せない理由でもあるのだが、この「狭間」は決して単なる経過ではない、
人間の意志つまりフィクションだ、だからこそ、詩や小説が必要とされ、音楽と建築も必然なのだ、といつも思っている。

松岡さんは千夜千冊の「夜明け前」の締めを以下のように書いている。
(どうも「千夜千冊」にしては、長くなってしまったようだ。その理由は、おそらくぼくがこれを綴っているのが20世紀の最後の年末だというためだろう。ぼくは20世紀を不満をもって終えようとしている。とくに日本の20世紀について、誰も何にも議論しないですまそうとしていることに、ひどく疑問をもっている。われわれこそ、真の「夜明け前」にいるのではないか、そんな怒りのようなものさえこみあげるのだ。)
どうやら、狭間にあるボクたちは現在、意志あるいはフィクションを表現しえていない。
やはり、古代に習い叙事詩を語り、音楽と建築を生み出す毎日であらねばならないようだ。

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2014年8月24日日曜日

時は老いをいそぐ アントニオ・タブッキ

時は老いをいそぐ アントニオ・タブッキ
アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」を読んだのは昨年の10月、その後、思い出し図書館で「時は老いをいそぐ」の貸し出し手続きを取ると、なんと6人待ちと言われた。買えば、とも考えたが、まぁ急ぐ理由もないので、とお願いした。
そんなタブッキがこの月初め、ようやっとやって来た、すっかり忘れていた今になって。長らく待たされたのには理由があるようだ。
あのころ、タブッキが亡くなり、一気に関心が高まったのだろう。
しかし、借りだした本は以外に綺麗、多くの人に借り出された割には栞紐も使われておらず頁を繰ったあとも薄い。
どうでもよいことだが、読みだしてみると「インド夜想曲」同様とても読みやすい。
読み終わるのは明け方になったが、たった一日の一気読みで読了した。
綺麗な原因はこの辺りだろうか。
イタリアの現代文学といえばイタロ・カルヴィーノが有名だ。
彼の「蜘蛛の巣小道」は内容の割には明るくユーモラスで清々しかった。
そんな経験から「まっぷたつ男爵」「見えない都市」等はボクのお気に入りは多い。
もう一人は誰もがよく知るエーコ。
映画にもなった「薔薇の名前」はともかく、「フーコの振り子」「前日島」と評判になった作品はすべて積読状態、10年以上もボクの書棚の肥やしとなっている。
そんな経験からタブッキにはなかなか手が出なかった。
たまたま、須賀敦子訳が目に入り読み始めてみたら、これはいい。
その感想はすでにブログに書いた。それは今思うと彼が亡くなる5ヶ月前のこと。
「時は老いをいそぐ」は2009年の出版、(日本では2012年3月)タブッキが67歳の時の作品。
詩人でもある彼は自らの記憶と感情をわかりやすい言葉で素直に綴っている短編集。
全体はまるでバルトークの音楽のよう。
実際にその音楽が登場する「将軍たちの再会」はこの書の中央、使われた形跡のない栞紐が掛かった頁に書かれていた。
読書中のボクにとっても、インド夜想曲に引き継きタブッキの物語の全体が音楽となって歌われ、もっとも豊かに響いていた時間、もっとも印象深い掌編だ。
そう、9つの短編集はまた前作同様、今度も音楽なのだ。
思い出してみるとカズオ・イシグロの短編集「夜想曲」も音楽だった。
どうやら最近のボクの好みは明白、堀江敏幸、カズオ・イシグロ、アントニオ・タブッキ、表現と内容は全く異なる3人だが、その印象は皆、音楽のようなアンソロジーといえそうだ。
「時を老いをいそぐ」とはクリティアスのエピグラムだそうだ。
「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」、追いかければ失うという繰り返しの中にしか「時」は貌をあらわさない。
しかし、その「時」をいやはっきり「記憶」と言っていいのではないかと思うが、内在化した感情は影を追うことで初めて本来の貌を描くのではなかろうか。
ボクはタブッキの短編をそう読んでみた。
9編はすべてイタリアからは東方の物語。
ザンクト・ガレンからはじまり、ブカレスト、ブダベスト、ワルシャワ、テル・アヴィブ、クロアチア、イラクリオン・・・・。大好きな映画監督ギリシャのアンゲロプロスに似て東方は静かな弦楽カルテットがふさわしい。
先ほどこの書をブックポストに返したが、この書の中の印象的ないくつかのフレーズをメモっておいたので、このブログに残しておきたい。

「無から、その感情がやってきたのは無からだ、それは自分の記憶と同じ、ほんとうの記憶ではなく人から聞いた記憶と同じで、まだ感情といえるほどのものではなく、むしろ感情の動き、実際には感情の動きですらなく、幼いころから耳にしてきた他人の記憶をたよりに想像で作り上げたイメージでしかないのだったが」

「遊びはいいことだなんて決していわなかった。遊びはすごくいいことだと言っていた。カラーの本を買ってくれないが、とてもカラフルな本を買ってくれるのだ。そして空が真っ青の日となれば散歩に行くのが当たり前だった。」

「ポタ、ポト、ポッタン、ポットン、ポタ、ポト、ポッタン、ポットン。音は頭骸骨の中まで届いたが響くことはなかった。脳にぶつかってはくるが、こだましないのだ。一つ一つがそっくりで、ピチョンとはじけて消えて次のピチョンのためにすぐに場所を空けるているとき、一見前のピチョンと同じ音だが、実は違う音色をしているみたいだ、ちょうど湖の岸に雨が降りはじめたときに耳を傾ける雨粒一つ一つに様々な音の種類があることに気がつくように。・・・」

「もしもホメロスがオデュッセウスに出会っていたりしたら、さぞつまらない男に見えたにちがいない。・・・」

「風に恋したわたし、ひとりの女の風に、女が風であるならば、わたしはたたずむ、かぜとともに。男は地面に滑り降りて仰向けに壁によりかかると、上をみつめた。空の碧が一角にのぞいた隙間を埋めていた。男は口を開けると、その碧を水根で呑み込むみたいにしてから、両手で抱きかかえるようにして胸に引き寄せた。口からは歌声が。風が風を運び去り、風が風を運び去り、その足の運びの速さに、娘と話すことさえかなわなかった、スカート上を巻き上げるようにして、風が娘を抱きしめる」このフレイズはこの書のffフォルテです。
フェスティバルはタブッキがカンヌ映画祭の審査員をつとめた経験からということだが、ちょっと毛色が異なり人を喰った物語。「今夜眠らずのいればいつもと違った魚が釣れる」

「その記憶はあくまでもおまえの記憶だし、おまえの記憶でしかあり得ない。他人に語り伝えたからと言って、おまえの記憶が他人の記憶になることはない。思い出を語ることはできても、その思い出を他人に移すことはできない。・・・」

「夢というのは、人生にあったことではなくて、人生にあったことを体験するなかで感じたものを表しているのだから。・・・それは感情というものが説明し得ないものだからだ。説明を可能にするためには、感情は意識に変化する必要がある、・・・・感情を意識に変えるのに夢は都合のよい環境ではない。」

と、まぁ切りがなくなってきた。
いま、アマゾンからの写真をリンクしたが、やはり、手元の書棚にこの書キープすことにし、ぽちっておいた。
よく見ると表紙のもなかなか良いではないか、画像はマグナムからだろう、三人の群れない男の貌が何ともかっこ良い、いや、右はじはもっと美しい、そう、群れない馬だ!