高山と峡谷により隔絶されたニンフと牧人が住まうのどかな理想郷。オルフェオはテッサリアの谷間、アルカディアに住んでいます。
彼はアポロンと九人のミューズ(知的活動を司る女神)の中の一人、カリオペとの間に生まれた音楽の神でした。
オルフェオは毎日、金の竪琴を弾きます。
その音と彼の歌によって鳥や獣だけでなく、木々も頭をたれ耳をすましました。
空に漂う雲も、小川のせせらぎも、彼の歌に合わせ流れたといいます。
オルフェオの最愛の妻はエウリディーチェです。
ある日、彼女は川岸を散歩して、あやまって草の中の毒蛇を踏みつけてしまいます。
毒蛇は怒り、エウリディーチェに噛みつきました。
やがて、彼女はオルフェオとの別れをおしみつつ、草の上に顔をうずめ息たえました。
エウリディーチェを失ったオルフェオは、悲しみのあまり竪琴も手にせず、歌うことも止めてしまいます。
いつもの川岸に座り、ただただ涙を流すばかりの毎日。
ある日、彼はエウリディーチェを取り戻そうと心に決めます。
エウリディーチェを探しに出かけたオルフェオは、やがて大きな黒い門の前に出ました。
そこには頭が三つの化け物のような大きな犬が番をしています。
闇の中の六つの火のような眼と歯をむき出しにして、すさまじい声で吠える化け物を前にして、オルフェオは金の竪琴を肩から降ろし、静かに弾きはじめました。
すると犬はだんだんとおとなしくなり、足下で眠ってしまいます。
もう一度オルフェオが歌を歌いはじめると、門はひとりでに開きはじめました。
死の国に着いたオルフェオは宮殿の門に立ちました。
そこにはいかめしい番兵、しかし、彼もまた竪琴の音を聴くと、おとなしくオルフェオを見送ってくれました。
広間にはハデス王、冥界の王です。
生きたままこの国にやって来たオルフェオを烈火のごとく怒鳴りつけますが、オルフェオはだまって竪琴を取り、えもいえぬ音を響かせ静かな美しい歌を聞かせました。
王の怒りはおさまり「美しい音楽を聞き、こんなにいい気持ちになったのは生まれて初めてじゃ。死してもいないのに、こんな寂しく、悲しい国にやって来たのだから、そなたにはなにか願いがあるのであろう。どんな願いか申しなさい、一つだけは叶えよう。」
オルフェオはエウリディーチェを地上に戻してくれるようにお願いしました。
死したエウリディーチェを再びこの世に返す願いに、さすがに王は渋ります。
しかし、あんな美しい音楽を奏でるものの願い、聞き届けてあげようと、エウリディーチェを黄泉の国から地上に戻すことを許しました。
ただし、二人が地上に戻るまで、どんなことがあっても、後から付いてくるエウリディーチェを振り返ってはならぬぞと、王はオルフェオに約束させるのです。
何度もエウリデーチェを見たいと思ったオルフェオですが、必死に我慢して道を進みます。
しかし、地上に戻る寸前、ついに辛抱しきれずエウリディーチェをわずかひと目と、振り向いてしまいます。
そこにはただ、なつかしい妻の声が聞こえただけ。
すべては霧の中に消えて行ってしまいます。
以上が、山村静さんのギリシャ神話(文庫)から要約できるオルフェオとエウリディーチェの物語です。
ピッティ宮殿の「エウリディーチェ」を始めとしてモンテヴェルディの「オルフェオ」、グッルクの「エウリディーチェとオルフェオ」と、この物語こそ「音楽」の底流であり、二人の作曲家はオペラ史のターニングポイントとなっています。
さらに、そのテーマを「愛と救済の物語」と敷衍させますと、モーツアルトの「魔笛」、ベートゥヴェンの「フィデリオ」もまた同じ流れの中にあります。
詩と音楽による劇という世界では、このテーマは決して消えることなく、現代に引き継がれています。
「オルフェオ」は、なぜ、オペラの底流なのでしょうか、なぜ、オペラ作家を引きつけるのでしょうか。
そこには見て聴いて楽しむだけのオペラとは異なるもう一つの「オルフェオ」があります。
それは、フィレンツェ・オペラが、その始まりに提示していた大事なこと。
オルフェオの物語にはギリシャ以来、音楽でしか表現出来ない「人間への知的関心」という大事なテーマがあるのです。
(オルフェオ・人文主義者の理想像、オペラの誕生)
フィレンツェのオペラ「ダフネ」の制作コンビは詩人オッタビオ・リヌッチーニと作曲家ヤーコポ・ペーリです。
「エウリディーチェ」もまた同じ。
どちらもメディチ家の政治的装置には違いありません。
しかし、「エウリディーチェ」は「ダフネ」ほどメディチ家の求める神話と直接的関わりを持つものではありません。
共通するのは、一つは舞台はアルカディア、ドラマの形式は当時はやりの牧歌劇であったこと。
二つ目は失われた黄金時代の牧歌的な幸せを、アポロやオルフェオの持つ力により再生しようとする願いです。
当然、このテーマはメディチ家だけのものではありません。
「オルフェオの物語」はルネサンス期、キリストに変わる新しい神のイメージです。
十六世紀には、失なわれたアルカディア(イタリア)をいかに取り戻すかが、時代のあるいは社会のテーマであり、そのイメージが「オルフェオの物語」に架せられました。
オルフェオは音楽の神です。
物語はもともと牧歌ではなく神話です。
神話であるということは、人間の持つ普遍的な問題、に関わっているということです。
オルフェオは悲しみを乗り越え、音楽の力によって死者を救い出した神。
不可能を可能とする神の持つ力、それはまた音楽に与えられた役割をも意味しています。
音楽の持つ役割とは、混沌としたカオスである自然界、人間界に秩序(コスモス)を持ち込み、神の国の似姿に変えること。
オルフェオは抒情詩人でもあり、理想的な竪琴弾き、言葉と音楽の力により、人間の生活を秩序だった世界へ、と導く神とみなされていたのです。
一方、救い出した愛する妻エウリディーチェをひと目みたい。
ハデス王との固い約束にも関わらず、どうしても振り向かざるを得なかったオルフェオは、神というより人間の姿そのものでもあります。
ルネサンス期の人々にとって、オルフェオは徳に無関心な石のような人間、身体的快楽にのみ狂気した人間を、音楽によって文明生活へ導く人でもあったのです。
従って、人間性に溢れた市民へと教化するオルフェオは、まさに同時代の人文主義者(ユマニスト)の理想像でもありました。
音楽によって人々の獸的な状態から文明人へ変える教育者、神の言葉を伝える詩人、雄弁を備えるオルフェオはフィレンツェのカメラータたちにとって、その姿は自分たちの存在の証しでもありましょう。
十六世紀末のカメラータによるピッティ宮殿での上演は、その役割を失いつつあるアカデミヤの顕在化作業に他なりません。
オルフェオを最も必要としたのは、その制作を担当したカメラータ自身であったと言えるのではないでしょうか。
ピッティ宮殿でのオルフェオがどんなに多くの人を魅了したとは言え、そのままの音楽では現在のオペラのような発展はありません。
事実、その後のメディチ家での祝宴は相変わらず、オペラよりインテルメディオの方が盛んであったと言われています。
モノディ様式による話す代わりに歌うという音楽劇は言葉よりも音楽が重要です。
オペラは劇を動かすことが出来るドラマティックな音楽を得て、はじめてオペラの道を発見するのです。
その道はピッティ宮殿の「エウリディーチェ」の上演から7年後、マントヴァにおけるモンテヴェルディの「オルフェオ」が切り開いていきました。
マントヴァでは、タッソの牧歌劇「アミンタ」がフェラーラに登場する100年も前に、オルフェオが上演されていました。
1480年、アンジェロ・ポリッツィアーノ作の「オルフェオ寓話劇」です。
ウェルギリウスが生まれたマントヴァは、イタリアにおけるアルカディアであるといわれています。
つまり、ここはオルフェオの誕生の地としてはもっともふさわしい都市です。
牧歌劇の初期の例となった「オルフェオ寓話劇」の上演には、多少の独唱曲や合唱曲が使われていますが、歌が登場人物の台詞であることはなく、音楽は情景を表す道具の一つにすぎませんでした。
つまり、音楽によってドラマが動くということはまだまだ思いもつかぬこと。
しかし、この上演は大きな評判を得ることになりました。
ポリッツィアーノの「オルフェオ寓話劇」はマントヴァ以降、数々の都市で再演されておりますが、ミラノではレオナルド・ダ・ヴィンチがその舞台装置を作ったとも言われています。
(新しい音楽の可能性、モンテヴェルディのオルフェオ)
オルフェオがマントヴァ宮殿で、モンテヴェルディ以前に登場していたことはオペラ以前の「オルフェオ」を考える上でとても重要です。
世界の中央から片隅に追いやられつつあるイタリア半島、かっての理想郷を芸術の力によって再び取り戻そうという物語は本来、十五世紀にこそ必要とされたテーマなのです。
十六世紀後半のイタリアでは、もはや理想郷は彼岸のものとなってしまいました。
そこで必要とされたものはもはや、再生の為の理念ではなく、インテルメディオに見られるある種の享楽でしょう。
つまり、テアトロ・オリンピコの理想都市と同様に、フィレンツェのカメラータによる「エウリディチェ」(オルフェオの物語)の上演は、すでに時代遅れのテーマであったことは免れません。
しかし、すでにアナクロニックであった「オルフェオ」を同時代の音楽劇として再登場させ大評判となったのもまたマントヴァ、モンテヴェルディの力です。
彼はフィレンツェとは全く異なる「オペラ」を生み出したのです。
モンテヴェルディの「オルフェオ」は新様式のモノディであり、あるいは牧歌劇を越えたドラマであるということでしょうが、何よりも新しい音楽であったことが重要なのです。
モンテヴェルディの台本はアレッサンドロ・ストリッジョ、彼はマントヴァ宮殿の秘書官、人文主義者でもあった人です。
その台本をよく読みますと、その全体は音楽賛歌となっていることがよくわかります。
プロローグはインテルメディオ風であり舞台はアルカディアの情景です。
牧歌劇同様、寓喩としての「音楽」が登場し、そして歌います。
私は「音楽」、柔らかな調べで
どんな乱れた心も鎮めることができます。
そして、ときには高潔な怒りにより、またときには愛によって、
どんな冷たい心でも燃え上がらせることができます。
フィレンツェのオルフェオのプロローグは「悲劇」ですが、マントヴァのオルフェオは「音楽」によって語られ、ドラマが始まるのです。
そして、興味深いのは四幕のクライマックス。
黄泉の国からエウリディーチェを連れ帰ることを許されたオルフェオ、そこで歌われるのは愛する妻への愛情ではなく、竪琴への賛歌なのです。
どんな名誉がお前にふさわしいだろう、
私の全能のリラよ、
お前は黄泉の王国で
どんなかたくなな心をも靡かせたのだ。
お前は天上のもっとも美しいもののあいだに、座を占め、
お前の音に合わせて星くずが、
緩やかに、あるいは速く輪になって踊るだろう。
お前のお陰で私は幸せが一杯で、
愛する女の俤を見、妻の白く清らかな胸に
きょう抱かれるだろう。
フィレンツェのオルフェオはユマニスト(人文主義者)としての役割が託せられている、と書くのは「ドラマとしてのオペラ」のジョーゼス・カーマンです。
しかし、モンテヴェルディにとってのオルフェオはどこまでも音楽の神。
オルフェオを詩や劇の支配下に置くのではなく、どこまでも音楽として解放することがモンテヴェルディの試みです。
オルフェオは神であるからこそ、ドラマの中で語るよりも歌うことが許されています。
散文や詩よりも、音楽そのものが神の言葉としてもっとも正当であり納得のできるものであったからです。
モンテヴェルディはそのことに特に意を尽くし、後世の人もまねできない絶妙なレチタティーボをオルフェオに与えました。
一度失った愛する妻を音楽の力によって取り返すという、あり得ないことをあり得る現実として一挙に形式化してしまう劇の持つ力に慄然としたモンテヴェルディは、フィレンツェで始まった音楽形式の中に、今までの音楽では達成できない「音楽の力」を発見しています。
つまり「オルフェオ」は音楽であるとともに、音楽を救い、人々を救うものです。
モンテヴェルディにとって「オルフェオ」は作品であると同時に、自分自身の可能性そのものであったのかもしれません。
モンテヴェルディが示す新しい音楽の力はレチタティーボにあります。
後世に見られるアリアとアリアを繋ぐだけの叙唱ではなく、通奏低音に支えられ感情を持った生の朗唱。
あるいはアリオーソと呼ばれるアリアに近い独唱です。
マドリガーレに示されるように、音楽の役割が雰囲気や場のイメージを描くことであったこの時代、オルフェオは人間の声による感情表現をはじめて音楽によっておこなったのではないでしょうか。
「オルフェオ」ではまだ後世のオペラのようにドラマの中の登場人物が一人一人的確に描き出されてはいませんが、場面場面で示される感情の変化はコルネットやヴァイオリン、ハープによるリトルネッロで巧みに調整され叙情的な音楽となって表現されています。
牧歌劇が音楽劇として変容したのはこの時なのです。
悲劇、喜劇、そのどちらでもない第三の劇としての牧歌劇がここではじめて音楽の劇へと変容した、それが後世に引き継がれるオペラの誕生にほかなりません。
自らが持つ竪琴によって野獣をおとなしくさせ、岩や木を動かし、嵐を静めることが出来るギリシャ神話の中のオルフェオを、フィレンツェでは徳に無関心で現実的な凶器じみた快楽にのみ関心を抱く人々を、詩や音楽によって、文明生活へと導くこうとする、人文主義の理想像とみなしていました。
フィレンツェのオルフェオは人の生きる道を伝える人文主義者そのものの姿。オペラを生み出した人々にとっては、オルフェオは彼ら自身の鏡です。
世界の中央から片隅に追いやられつつあるイタリア半島、かっての理想郷を芸術の力によって再び取り戻そうという物語は本来、十五世紀にこそ必要とされたテーマなのです。
十六世紀後半のイタリアでは、もはや理想郷は彼岸のものとなってしまいました。
そこで必要とされたものはもはや、再生の為の理念ではなく、インテルメディオに見られるある種の享楽でしょう。
つまり、テアトロ・オリンピコの理想都市と同様に、フィレンツェのカメラータによる「エウリディチェ」(オルフェオの物語)の上演は、すでに時代遅れのテーマであったことは免れません。
しかし、すでにアナクロニックであった「オルフェオ」を同時代の音楽劇として再登場させ大評判となったのもまたマントヴァ、モンテヴェルディの力です。
彼はフィレンツェとは全く異なる「オペラ」を生み出したのです。
モンテヴェルディの「オルフェオ」は新様式のモノディであり、あるいは牧歌劇を越えたドラマであるということでしょうが、何よりも新しい音楽であったことが重要なのです。
モンテヴェルディの台本はアレッサンドロ・ストリッジョ、彼はマントヴァ宮殿の秘書官、人文主義者でもあった人です。
その台本をよく読みますと、その全体は音楽賛歌となっていることがよくわかります。
プロローグはインテルメディオ風であり舞台はアルカディアの情景です。
牧歌劇同様、寓喩としての「音楽」が登場し、そして歌います。
私は「音楽」、柔らかな調べで
どんな乱れた心も鎮めることができます。
そして、ときには高潔な怒りにより、またときには愛によって、
どんな冷たい心でも燃え上がらせることができます。
フィレンツェのオルフェオのプロローグは「悲劇」ですが、マントヴァのオルフェオは「音楽」によって語られ、ドラマが始まるのです。
そして、興味深いのは四幕のクライマックス。
黄泉の国からエウリディーチェを連れ帰ることを許されたオルフェオ、そこで歌われるのは愛する妻への愛情ではなく、竪琴への賛歌なのです。
どんな名誉がお前にふさわしいだろう、
私の全能のリラよ、
お前は黄泉の王国で
どんなかたくなな心をも靡かせたのだ。
お前は天上のもっとも美しいもののあいだに、座を占め、
お前の音に合わせて星くずが、
緩やかに、あるいは速く輪になって踊るだろう。
お前のお陰で私は幸せが一杯で、
愛する女の俤を見、妻の白く清らかな胸に
きょう抱かれるだろう。
フィレンツェのオルフェオはユマニスト(人文主義者)としての役割が託せられている、と書くのは「ドラマとしてのオペラ」のジョーゼス・カーマンです。
しかし、モンテヴェルディにとってのオルフェオはどこまでも音楽の神。
オルフェオを詩や劇の支配下に置くのではなく、どこまでも音楽として解放することがモンテヴェルディの試みです。
オルフェオは神であるからこそ、ドラマの中で語るよりも歌うことが許されています。
散文や詩よりも、音楽そのものが神の言葉としてもっとも正当であり納得のできるものであったからです。
モンテヴェルディはそのことに特に意を尽くし、後世の人もまねできない絶妙なレチタティーボをオルフェオに与えました。
一度失った愛する妻を音楽の力によって取り返すという、あり得ないことをあり得る現実として一挙に形式化してしまう劇の持つ力に慄然としたモンテヴェルディは、フィレンツェで始まった音楽形式の中に、今までの音楽では達成できない「音楽の力」を発見しています。
つまり「オルフェオ」は音楽であるとともに、音楽を救い、人々を救うものです。
モンテヴェルディにとって「オルフェオ」は作品であると同時に、自分自身の可能性そのものであったのかもしれません。
モンテヴェルディが示す新しい音楽の力はレチタティーボにあります。
後世に見られるアリアとアリアを繋ぐだけの叙唱ではなく、通奏低音に支えられ感情を持った生の朗唱。
あるいはアリオーソと呼ばれるアリアに近い独唱です。
マドリガーレに示されるように、音楽の役割が雰囲気や場のイメージを描くことであったこの時代、オルフェオは人間の声による感情表現をはじめて音楽によっておこなったのではないでしょうか。
「オルフェオ」ではまだ後世のオペラのようにドラマの中の登場人物が一人一人的確に描き出されてはいませんが、場面場面で示される感情の変化はコルネットやヴァイオリン、ハープによるリトルネッロで巧みに調整され叙情的な音楽となって表現されています。
牧歌劇が音楽劇として変容したのはこの時なのです。
悲劇、喜劇、そのどちらでもない第三の劇としての牧歌劇がここではじめて音楽の劇へと変容した、それが後世に引き継がれるオペラの誕生にほかなりません。
自らが持つ竪琴によって野獣をおとなしくさせ、岩や木を動かし、嵐を静めることが出来るギリシャ神話の中のオルフェオを、フィレンツェでは徳に無関心で現実的な凶器じみた快楽にのみ関心を抱く人々を、詩や音楽によって、文明生活へと導くこうとする、人文主義の理想像とみなしていました。
フィレンツェのオルフェオは人の生きる道を伝える人文主義者そのものの姿。オペラを生み出した人々にとっては、オルフェオは彼ら自身の鏡です。
マントヴァのオルフェオは、どこまでも音楽の神。語ることより歌うことが許されたオルフェオは、詩を吟じ竪琴を奏でることで、不可能を可能とした神 でた。
しかし、その神もまた最終的には、エウリディーチェを救い出すことには失敗します。
モンテヴェルディのオルフェオは主知主義的なフィレンツェとは異なり、生の情熱を持ち懇願し哀切に泣く人間の姿オルフェオでもあります。
そして音楽家オルフェオは芸術の上では成功しますが、エウリディーチェとの現世的な愛を取り戻すという人生の上では失敗したのです。
音楽家としては成功しますが、マントヴァ宮殿では妻子との生活もままならない、不遇なモンテヴェルディそのものです。
(グルックのオルフェオ、啓蒙的人間のためのオペラ)
十八世紀ウィーンに再び画期的なオルフェオが誕生します。
詩人ラニエロ・カルッツァピージの台本とクリストフ・ウィリバルド・グルックの作曲による「オルフェオとエウリディーチェ」です。
1762年10月、オーストリア女帝マリア・テレージャの夫君はトスカーナ大公フランツ一世と命名されることになり、その祝賀の祝典オペラとしてウィーン宮廷劇場で初演されました。
マントヴァにオルフェオが登場してすでに155年、新古典主義の真っただなかの時代です。
新古典主義では、前代のバロックに代わり、自由で、素朴、自然で、わざとらしくない人間感情の表現が大事にされます。
その表現ための形式は規律と秩序を原理とするルネサンス同様、再び静でバランスの良い古典古代の規範が求められました。
新古典主義の「オルフェオ」を作ったグルック。
彼はオペラ改革の人とも言われます。
音楽劇であることより歌唱中心、あるいは歌手が重視される歌の饗宴のようであった、当時のバロック・オペラに対し、グルックは再び演劇性を取り戻し、詩と音楽の有機的な結びつきによる音楽劇の制作をめざしました。
生み出されたオペラはいたって簡潔です。
グルックはフィレンツェやマントヴァと同じ「オルフェオの物語」を枠組みとしていますが、全く新たな人間像の構築を試みました。
グルックのオペラ「オルフェオとエウリディチェ」はもはや牧歌劇ではありません。
寓意によるプロローグ、「音楽」も「悲劇」も登場することなく、音楽が始まるとすぐにドラマの核心に入ります。
幕が上がると、エウリディーチェの死を嘆く合唱が流れます。
そして悲痛なオルフェオのアリアが続きます。
愛神アモールはオルフェオに冥界に行き、愛する妻を取り戻すよう勧めます。
冥府への入口では、復讐の女神たちの拒否の合唱、オルフェオはその合唱に対し静かな竪琴の調べと愛の歌声で呼び掛けます。
やがて、入場が許されとそこは、一転して輝かしく平和、やさしさと静かさで幸福な気分に満たされたワルツが奏でられる淨福の世界。
まるで天国かアルカディアに昇り着いたかの趣きの世界です。
ここまでの全体はつつましく、端正で、静かで、緩やか、バロックの狂騒とは程遠い優雅な新古典的世界が展開されます。
しかし、ドラマの核心は第三幕にあります。
そこからは一転して人間的葛藤が始まるのです。
オルフェオとエウリディーチェのレチタティーボがオペラの核心です。
振り向いてもくれないオルフェオへのエウリディーチェの嘆きと懇願。
神との約束と愛する妻の苦しみの板挟みに耐えかねるオルフェオ。
それはモンテヴェルディが示す情熱とは全く異なる十八世紀の、いや現代の私たち誰もが経験する人間的葛藤です。
エウリディーチェが歌います。
私を抱いてくださらないの?話して下さらないの?
せめて私を見て下さい!
言って下さい、私は以前のように
まだ美しいですか?
見てください、私の顔のバラ色はあせてしまったのじゃないかしら?
言って下さい、あなたが愛し、
そして優しく呼んだ
私のまなざしの輝きは
暗くなってしまったのじゃないかしら?
オルフェオが歌います。
行こう、私のいとしいエウリディーチェ!
今は愛撫をしている
時ではない、
遅れてしまうことはわれわれにとっては致命的なことだ!
(エウリディーチェ)
でも一目だけでも!
(オルフェオ)
君を見てしまうと運命の終わりなのだ。
(エウリディーチェ)
ああ、不実な方!
これがあなたの歓迎なのですね!
私を一目見ることも拒絶なさる、
いとしい恋人から
優しい花婿から
抱擁と接吻を
期待できるはずの時に。
(オルフェオ)
さあ、黙っておいで!
(エウリディーチェ)
黙っているんですって!もっと
苦しまなければならないのですか?
それではあなたは
思い出も、愛情も、
貞節も、忠誠もなくしてしまったのですか?
愛と神と結婚の神の
あのように優しい、つつましやかな灯りを
あなたは消してしまったからには、
なぜ私の快い眠りを覚ましたのですか!答えてください、裏切り者!
(グルック・リブレット対訳:名作オペラブックス:音楽之友社)
このエウリディーチェの懇願に抗せる人はどこにもいないでしょう。
「何という苦しさ!ああ、胸が引き裂かれるようだ!もはや耐えられない・・・・・・」と歌い激しい勢いで振り向き、ついにエウリディーチェを見てしまうオルフェオ。
そして終幕です。
愛神アモールの戒めを守れず、振り返ってしまったオルフェオはエウリディーチェを再び失い、自殺まで試みます。
しかし、愛神アモールは「愛は世界中を幸福にする」と歌い、エウリディーチェをオルフェオのもとに戻してオペラは終わります。
モンテヴェルディのオルフェオはエウリディーチェが本当に自分について来てくれるか不安になり、振り返ってしまいます。
つまり、芸術家としての理想像であったオルフェオですが、救い出した妻が黙って自分に付いてきてくれているかどうか、人間としての自分自身には自信がないオルフェオの姿です。
結果として、オルフェオはその自信のなさから妻を失ってしまいます。
グルックのオルフェオはもはや神話ではありません。
そこは日常の我々と同じ、人間の世界です。
グルックのオルフェオは「愛しているなら私を見て」という懇願に負け、振り向かざるを得なかったのです。
それは人間としての憐憫の情、徳を持つ人間なら、もはや振り向かざるを得ない、と思わせるのがグルックのオルフェオです。
ドラマの筋立てには無理はありません。
愛ある人間であるなら誰も同じです。
理知的、啓蒙的に成熟している人間であるなら当然の姿なのです。
つまり、グルックは感情を持った啓蒙的人間としてのオルフェオ、道徳的モデルとしてのオルフェオを表現したのです。
そういう人間であるオルフェオだからこそ、愛神アモールは彼の気高い愛を賛美し、「愛は世界中を幸せにする」と歌い、エウリディーチェを現世に戻す、というエンディングにも私たちな納得してしまうのです。
つまり、ドラマの結末もすこぶる合理的。
十八世紀のグルックは人間オルフェオに相応しい「愛の賛歌としてのオペラ」を完成させた、と言って良いのではないでしょうか。
十八世紀の新古典主義、それを支えたのは旧来の貴族ではなく、台頭しつつある市民たちです。
彼らのオルフェオは理知的で勇気と憐憫の情を持った道徳的人間に他なりません。
グルックの30年後、モーツアルトは「摩笛」に、50年後、ベートゥヴェンは「フィデリオ」に同じテーマ、愛と救出の物語をオペラ化し、音楽によって新しい市民像のモデルを示しています。
つまり近代市民社会を迎え、オルフェオは神話的アルカディアから人間的市民社会に降り立った、と言えるのではないでしょうか。
(「オルフェオの世界」の終焉)
「ドラマとしてのオペラ」の著者ジョーゼフ・カーマンは「バロック時代の本質をなす芸術形式、神々や英雄を題材にしたオペラは、モンテヴェルディがその形式の価値を突然示したときに始まった。この偉大な伝統は、グルックがそれを独自に変形したときに終わった。だからオルフェオは、いわば一つの時代を始め、また終えたのである。」(p71)と書いています。
「オルフェオの終焉」です。
当然のこと、オペラの世界が終わった訳ではありません。
人文主義者でもなければ、音楽家でもない、私たち自身が歌う妻への愛と哀れみ、そして悲しみ。
「悲劇」「音楽」という寓喩が歌う神話的世界のオペラは人間的世界のオペラへと変容しました。
そして、グルック以降のオペラは等身大の人間が折りなす音楽によるドラマとなります。
そこはもはや「オルフェオとエウリディーチェ」のような2人だけの世界ではなく、大勢の登場人物の情実や感情が折り重なって進行する世界です。
登場人物がたとえ神話や歴史物語から選びだされたとしても、彼らはここではもう普遍的な人間ではなく、個々の役割と感情を秘めた一人一人の人間たち。
音楽はその登場人物の持つ個々の役割と感情を的確に描き出し、重ね合わせドラマを動かす。
これがグリュック以降の近代市民社会のオペラなのです。
話をその後「オペラの世界」から「オルフェオの終焉」に戻しましょう。
オルフェオは貴族や上級階級の人々に育まれ、築き上げられたものと言えます。
市民革命を待つまでもなく、「オルフェオの終焉」は彼ら特権階級の解体を意味しています。
しかし、ここで重要なのは歴史ではなく文化の変容にあります。
集団に支えられていた「作品の世界」が個人による個性の表出の世界に変容した、という事実を確認することにあります。
精霊に導かれ神から授かった言葉や音楽が人間による作品に変わるのはルネサンス。
しかし、ここから始まる「作品の世界」はすべて社会あるいは時代の要請に結びついていました。
「オルフェオの終焉」とは、作品がその依頼者の装飾やプロパガンダであったとしても、その世界は集団的意味の顕現の場あって、個人的世界の表出ではなかった、という「作品の世界」の終焉です。
オルフェオの持つ神話性の解体とは、作品がライフスタイルのナビゲーターや社会秩序のシンボルであることより、個々人の人間性の高揚に、その役割が移ったことを意味しています。
つまり、十八世紀グルックは、「オペラ」を集団の為の構築物ではなく、個人的生き方、感情に関わる「構築物」に変容させたと言って良いでしょう。
(Gluck - Orfeo ed Euridice - Dance of the Blessed Spirits from BachnerTrpt on YouTube)