「小諸なる古城のほとり」や「まだあげ初めし前髪の」は歌曲としても知られた藤村の詩。
その歌には思い出がある。
高校時代の友人、と言ってももはや他界してしまった、男ともだちだが。古今和歌集や山家集に被れたふたりは共に伊豆や信州の旅をし、演奏会にも出かけた。
本とクラシックが好き、お互い島崎藤村を読んでいたことは間違いない。
しかし、話は「惜別の歌」を含め、多少の若菜集や落梅集と歌曲のことばかり。
藤村のことやその作品に深くふれ、話し合うことははほとんどなかった。
ボク自身から友人に藤村の話をできなかったのには理由がある。
「新生」だ。
ある時、この友人とは別の友人から芥川の「ある阿呆の一生」の話しを聞かされ、そのませた情報に唖然とさせられた。
「新生」は藤村の実話、それも兄の娘に子を産ませた近親相関というスキャンダルをそのまま描いた物語。
小説は様々の局面が舞台となる様々な人間の物語。実話であるか否かに関わらず、当時、まだウブなボクはこの小説もまた近代の浪漫派小説の一つとして気楽に読んでいた。
しかし、友人の言う「ある阿呆の一生」の中の、(「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。)という芥川のくだりが、それ以降、ボク自身から藤村に触れることを奪ってしまった。
高校卒業近くになって、偶然、藤村のこんな文章に触れた。
……ここに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思われる。私はこれを読んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った。
知己は逢いがたい。『ある阿呆の一生』を読んで私の胸に残ることは、私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろうということである。私の『新生』は最早十年も前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかったであろうかと思う。しかし私がここで何を言って見たところで、芥川君は最早答えることのない人だ。唯私としてはこんなさみしい心持を書きつけて見るにとどまる。でも、ああいう遺稿の中の言葉が気に掛って、もっと芥川君をよく知ろうと思うようになった。
島崎藤村 「芥川龍之介君のこと」
以来、ボクは芥川龍之介を読むことはなかった。と同時に、藤村の言う「新生」で書こうとしたことと、その意図を正確に知りたいと思い、藤村を読み続けた。
「新生」は確かに、スキャンダルには違いない。しかし、ボクは文人として生きることを自分自身に科した藤村自身の決意と覚悟の物語として読みとっている。
大学は文学部ではなく、工学部建築科だが小説はかなり読んでいる。多くはフランス、ドイツ、ロシアだっただろうか。リリカルだが、古典の叙事詩のような人間の物語がボクの好みだ。日本の私小説はボクには不向き、しかし、藤村は好きだった。多分、書店にある藤村の大半は読んだだろう。
「新生」は藤村自身がようやっと文人として世に出た頃、描かれたもの。物語のなか岸本捨吉は東京に移住するが家族の生活は貧困のどん底。そんな中、妻は子どもを残し、早々に他界してしまう。
必死に書き続ける捨吉は節子に助けられる。彼と彼の幼い息子たちの世話と生活を支える健気な節子。いつか岸本は、そんな節子を愛するようになる。
やがて、身ごもってしまった節子を残し、フランスに行く捨吉。しかし、パリは第一次大戦によるドイツの侵攻。捨吉は友人の画家と共にパリを脱出、フランス中を逃げ回り、這々の体で阿修羅のようだが日本に戻る。
物語は確かに、このフランス前後の藤村自身の世界だ。節子は兄の次女、実在のこま子のこと。そして、藤村はこの前後の事情を懺悔として描くと物語の中で語っている。と同時に標題は「新生」、人間は生まれ変わることはできないが、新たに生きることはできる。そんな、物語の核心は、阿修羅の中で取り交わされるふたりの手紙の中に垣間見える。特に節子の手紙、もちろんそれは作者である藤村自身の言葉だが。切々と語るその文は、もはやふたりだけの恋文とは大きく隔たる、人間としての新たに生れ出る新しい世界のことなのだ。
藤村は小さな私小説家ではない、大きなフィクションを書いているのです。
ギリシャ神話にあるような普遍的な人間の持つ虚構の世界を。
そんなかってな解答を秘め、芥川を嫌っていたが、さらに後年のある日、ネットの千夜千冊で松岡正剛さんの「夜明け前」を読んで「目から鱗」だ。
「夜明け前」は「新生」のすぐあと、フランスから帰国後、こま子と別れ完成させている。
その内容は藤村の実父、島崎正樹の半生を画いたもの。
つまり、「新生」と同様、藤村にとっての生の体験が大きな小説を生み出している。
そして松岡さんが書かれているのは以下のくだり。
(藤村は王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかと、問うた。しかもその王政復古は維新ののちに、歪みきったのだ。ただの西欧主義だったのである。むろんそれが悪いというわけではない。福沢諭吉が主張したように、「脱亜入欧」は国の悲願でもあった。しかしそれを推進した連中は、その直前までは「王政復古」を唱えていたわけである。何が歪んで、大政奉還が文明開化になったのか。
藤村はそのことを描いてみせた。それはわれわれが見捨ててきたか、それともギブアップしてしまった問題の正面きっての受容というものだった。)
千夜千冊「夜明け前」から引用
そうだよ藤村の物語はいつも大きなフィクションなんだよ、単なる木曽山中の本陣の息子の話しではない、当時の日本人が誰も書けなかった本来の「ご一新」と挫折を藤村は実父正樹の半生を青山半蔵に託して浮き彫りにした。
「ご一新」の本来的な意味、それはまだまだ問うべきであろう、永井荷風や幸田露伴、さらに漱石や・・・・文化的範疇で近代日本に疑問を持つ作家は数知れないのだから。
藤村好きのボクには藤村について考えて見たいことがまだまだ沢山ある。そして、いつも気に掛かり、手放せず、ことあるごとに振り返って読みたくなるのが「夜明け前」なのだ。
現代の我々が日に日に失っているもの、それを短絡的に現代の西欧主義・日本主義、右主義・左主義、工業主義・自然主義、民族主義、宗教主義で語って腑に落ちてしまっているのが大半だ。しかし、そういうわれわれ自身の問題を藤村は90年も前、すべてを文章にし、かたちにした、それが「夜明け前」なのだ。
「親ゆづりの憂鬱」をもって自己を「歴史の本質」に投入させるという作業、 と松岡さん前述の彼の「夜明け前」に書かれているが、まさに、インフラストラクチャーの瓦解に関わる人間の生き様をこれほど実感を持って書かれた小説は日本では見当たらない。
ボクの関心はいつもこのインフラストラクチャーの瓦解に関わる「狭間の人間」にあり、それが相も変わらず「イタリア・ルネサンスの音楽と建築」から抜け出せない理由でもあるのだが、この「狭間」は決して単なる経過ではない、
人間の意志つまりフィクションだ、だからこそ、詩や小説が必要とされ、音楽と建築も必然なのだ、といつも思っている。
松岡さんは千夜千冊の「夜明け前」の締めを以下のように書いている。
(どうも「千夜千冊」にしては、長くなってしまったようだ。その理由は、おそらくぼくがこれを綴っているのが20世紀の最後の年末だというためだろう。ぼくは20世紀を不満をもって終えようとしている。とくに日本の20世紀について、誰も何にも議論しないですまそうとしていることに、ひどく疑問をもっている。われわれこそ、真の「夜明け前」にいるのではないか、そんな怒りのようなものさえこみあげるのだ。)
どうやら、狭間にあるボクたちは現在、意志あるいはフィクションを表現しえていない。
やはり、古代に習い叙事詩を語り、音楽と建築を生み出す毎日であらねばならないようだ。
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