2010年6月14日月曜日

理想都市とアルカディア

(理想都市とアルカディア)

十五世紀以降のイタリアにあって、建築・絵画・庭園・音楽等が透視画法に描いた世界は理想都市(ユートピア)と アルカディア( 理想郷)。この二つの世界は同時代の人文主義に支えられた人間が想像的に生きる理想世界を意味する。そこはまた神の国とは異なり現実世界でもあるのだ。「理想都市」とは社会的秩序、規範を体現する装置とみなされている。つまり、集団として生きる人間にとっての規範を表現するのが「理想都市」の役割。

「アルカディア」は生活の規範だ。ひと一人がこの世界をいかに生きるか。生きて行くための方法、約束ごとを表現するのが「アルカディア」の役割。

イタリア・ルネサンスの透視画法による「作品的世界」は絶対的な神の力から離れ、人間自身の力によって、あるいは個々人の自由と自立がメッセージされている。それは近代社会の始まり。さらにまた、作品の誕生は作家の登場、諸芸術の「自立」をも意味し、各々は神の力無くして、各々の役割を果たさなければならない。

やがて、教会という建築の中で一体化されていた絵画・彫刻と音楽は、同時代に発明されたタブロー化した印刷物同様、教会を離れ自由に飛び立って行く。そして音楽や絵画・建築は作品的世界、風景の世界、オペラの世界を生み出していく。

(マンティーニャの天井画)

ラファエロの「アテネの学堂」よりも四十年も前、マンティーニャはマントヴァのパラッツォ・ドッカーレの「夫婦の間の天井画」を完成させた。

従来、建築では主要室の天井はドームで構成される。建築は自然界から人間的世界を切取る、あるいは人間のための特別の空間を生み出す装置だ。さらに、その建築の中でも特別重要な場所にはドームが架けられ、そこはあたかも神のいる天上、あるいは宇宙そのもの、神そして宇宙の持つ秩序と一体的に調和した場所と見なされた。

実例としてはローマのパンテオン。そのメッセージは「全宇宙」。さらには大聖堂のアプス(内陣)の上のドーム天井、そこは天上に繋がる神の世界と考えればよい。そして「アテネの学堂」の屋根のないフレームだけの古代建築を描いたが、マンティーニャの「夫婦の間の天井画」は建築としては平たい天井だが、透視画法によるドームを描くことで虚構の建築を生みだし、天上に繋がる世界を表現した。

建築の外観はともかく、マンティーニャは寝室に天井に絵を描くことで、この部屋は特別な空間、建築のなかの特別な場所であることを示している。つまり、建築空間の意味は外観と内観、バラバラに二重の意味をも表現可能となったのだ。

(虚実の空間という新たな虚構の世界)

建築が重たいドームを作らなくとも、透視画法を使うこと特別な空間を生み出すことが可能。平らな天井に描かれた建築空間では屋根が切り開かれ、雲がたなびき、鳥が舞い、天使や天上の人々が親しげに現実の世界に入り込んで来る。実際に建築空間を構築することなく、絵画によって天に繋がる特別な空間を生み出している。

建築空間に透視画法による絵画を描くことで、建築と絵画を一体化した全く別種の空間が生まれる。透視画法が開いた空間は実なる空間と呼応し、また新たなる虚構の空間をも生み出している。

その手法は様々に展開され、応用される。一般にはだまし絵と言われるが、そこに展開される絵画空間と実なる空間の交歓は、私たちの日常をもう一つの世界へと導いていく。その空間は人間により生み出されたもう一つの虚構の世界。その世界を通しての、出たり入ったりという想像上の自由は、自身の持つ現実世界やイメージを舞台上の世界のように客観視し、距離をおいて眺めることを可能としている。つまり、虚実相交わった建築空間は、日常世界の持つ演劇的側面を強調し、その後のオペラの舞台のように、その幻想的世界をより自由に構成することが可能となった。

(マントヴァのマンティーニャ)

パドヴァ、ヴェローナで活躍していたアンドレア・マンティーニャは1459年、ルドヴィーコ・ゴンザーガから生活費だけでなく住まいと食事も用意され、宮廷画家として招かれた。

その年はマントヴァ公会議の開催の年。前節で触れたコルシニャーノの丘の上で教皇ピウス二世に理想都市の建設を決意させたのは、このマントヴァ公会議出席の為の旅。あるいは、ローマ、ウルビーノと忙しいアルベルティがサン・タンドレア聖堂の建設を急いでいたのもこの公会議の為だった。

この年、招かれた宮廷画家マンティーニャには小国マントヴァの文化政策、その威信の全てが懸けられていた。マンティーニャの作品の題材にはパドヴァ時代の学者たちとの親交の成果、宗教画以上に古典古代の理想郷が数多く取り上げられていた。つまり、この画家は画家であるばかりか古典学者でもあったのだ。

彼は早速、夫婦の間の壁画・天井画の制作に取りかかった。そして、ゴンザーガ家の別荘や宮殿、教会の壁画、さらに額縁画、祭壇画等、次から次へと宮廷からの注文に明け暮れこなしていく。イザベラの肖像画を残したことでも有名なレオナルドがこの宮廷に招かれたのもこの頃のこと。マンティーニャは小都市マントヴァを支えるのみならず、この都市の美術の最盛期を支えた最も重要な画家なのだ。

(ルネサンスのアルカディア)

西のアルプスから東のアドリア海まで、北イタリアを滔々と横断するポー河、その流域は全て肥沃な平野。豊かな農産物に恵まれ、音楽と建築に満たされた都市が連なる。マントヴァはその中央に位置する、古代ローマの最大の詩人ウェルギリウスが生まれたところとしても有名。

ルネサンスの人々をアルカディアに誘った長閑で甘美な牧歌や農耕詩は間違いなく、このマントヴァの風景が生み出したものだ。しかし、もともとの、あるいは現実のギリシャのアルカディアは急峻なパルナッソス山域に囲まれた荒涼地、長閑な田園とはほど遠い所。

アルカディアは古代ローマあるいはルネサンスの人々が生み出した想像上の理想郷。ギリシャの人々にとっての、「人間の生きるための規範のための舞台」としてのアルカディアは、苦難の続くルネサンス・イタリアの人々にとっては長閑な田園地帯、理想郷に変容した。

アルカディアはローマ時代の詩人テオクリストやウェルギリウスによる農耕詩や牧歌の中の世界として描かれる。ホイジンガの「中世の秋」によれば、あまりにも厳しすぎた中世末期の現実が、より美しい生活にあこがれ、理想の愛を追い求めるルネサンスを開いたとある。

凶作がつづき、二度に渡る壊滅的なペストの流行、加えて教会勢力の分裂という多難を体験したイタリアでは、十四世紀に入り、ウェルギリウスが描いたアルカディアはペトラルカ等により良い世界の象徴、理想世界、黄金郷として登場した。

列強との狭間で苦難に揺れる十五世紀末イタリア、フェラーラからマントヴァに嫁いだイザベラ・デステの同時代。アルカディアはナポリの詩人ヤコーポ・サンナローザの田園詩「アルカディア」によって、あるいはフィレンツェの詩人アンジェロ・ポリッツィアーノの牧歌劇「オルフェオ」によって再登場する。

やがて「アルカディア」は誕生期のオペラにも引き継がれる。そして十八世紀、その世界は台頭した市民社会の器楽演奏、交響曲や室内楽に取り込まれ、ヨーロッパ音楽の主要テーマとして展開されていく。

(マンティーニャのパルナッソス)

マンティーニャはこのアルカディアのようなマントヴァで十五世紀末、興味深い絵画を完成させた。「パルナッソス」、現在ルーブル美術館に展示されている。マンティーニャの「パルナッソス」は古代ギリシャのアルカディアの聖山、詩と音楽の神アポロンと九人のミューズの住むところとして描かれる。

この絵は后妃イザベラの注文により制作され、長らく彼女の書斎を飾っていた。ルドビーコ公亡き後、マントヴァ国家元首となった彼女は自分自身のための瞑想の場を必要とした。この絵はその為の主要な装置。イザベラの死後、五枚のカンバス画が書斎に残されたが、「パルナッソス」はその中の一つ。しかし、十七世紀にはルイ十四世の所有となり、以降、ルーブル美術館に保管される。

 (fig48)

この頃すでにフィレンツェでは新プラトン主義者たちの思想を反映したボッティチェリの「プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」が完成していた。人文主義的教養も深いイザベラ、フィレンツェへの対抗心を充分に秘め、この部屋の構想を練ったに違いない。

ルネサンスの作品は、どの分野でも、個性の表出が目的となることはない。作品が作家の個性に結びつけられ解釈されたのは十九世紀以降のことだ。この時代の作品は全て、使用目的に合わせ、あるいは集団的要請に従い制作された。題材は画家が自由に選ぶのではなく注文主が決める。画家は題材に従い作品の持つ意味を的確に表現することが求められた。

イザベラはマンティーニャの「パルナッソス」に何を要求していたのだろうか。美術史家によれば、この絵は様々な解釈があるようだ。以下は長いが、当時の人々の「アルカディア」が垣間見えとても面白いので引用する。

「踊っている女性たちがミューズの神々であることは、その数が九人であることや、画面左上に崩れ落ちる山が描かれていることから、確かである。というのは伝承によれば、芸術の創造における霊感の女神たちの歌は火山の噴火や天変地異を引き起こし、ペガサスがひづめで大地をふみならしてこれらの天災を終わらせるからである。実際画面右手には宝石で飾られた有翼の馬がいて、神意によってしきりに地面をひずめで何度も掻いている。そのそばにメリクリウスがいるのは、彼がウェヌスス(ヴィーナス)とマルスの愛人関係に介入し、画面左端のアポロとともに不義のウェヌススをかばうことになっているからである。二人の愛人はベッドに置かれたパルナッソスの山頂から見下ろすように立っている。左に裏切られた夫、ウェウカヌスが仕事場である鍛冶場の洞穴から出て、不貞を働いた二人(ヴィーナスとマルス)に向かって怒鳴っている。彼の背後にかかっているブドウはたぶん力と不節制の象徴であろう。アポロはその下の方に座り、手にリラ(竪琴)を持っている。1542年に作成されたマントヴァのパラッツォ・ドゥカーレの財産目録では、このアポロがオルフェウスと記されており、またアポロは普通ミューズたちの間に交じっているものなのだが、これをオルフェウスと見なしたところで、その絵の内容をいたずらに混乱させてしまうだけだろう。・・・連作全体が教訓を目的としたものであったことは疑いないことである。それゆえ、パルナッソスにはマルスとウェヌススの不貞な結びつきに対するミューズたちの強い非難をはっきりと読みとることができるのである。とはいうもののマントヴァ宮廷の知識人たちがその裏切りを非難したとは思われない。」(マンティーニャ:東京書籍)