2010年6月16日水曜日

ラファエロとユリウス二世/©


(ラファエロのアテネの学堂)

ローマのバチカンの署名の間に「アテネの学堂」と呼ばれる壁画がある、盛期ルネサンスの名作。

ラファエロ・サンティは1510年、ユリウス二世の命によりこの絵を完成させた。

大きな半円形の画面のなかに、古代的建物を背景とした哲学者、科学者というギリシャの賢人たちの群像。その絵画の中に描かれた人々は現実のルネサンスの賢人たち。

古代の哲人の衣をまとい光の中を悠然と歩く画面の中の彼らの姿から、ルネサンスの人々の持つ理想的人間像が劇場的感覚をもって迫ってくる。

舞台背景となるのは厳正な左右対称、壁龕には神話的人物の彫刻像、ヴォールト天井は角型のピラスター(半柱)で支えられ、高貴な輝きに充ち、ゆるぎない安定感を放っている、屋根のない古代建築。

この絵画はルネサンスの舞台構成とまったく同質です。

透視画法の画面の中のシンボルは、この場合画面を彩る様々な人物だが、序列なく等質・等方に配置され、空間には入れ子あるいは代替可能の原則が貫かれている。

舞台とは変幻自在性を持った仮構による虚構の場、その中の役者は一時的な役割を演じるシンボルにすぎない。

「アテネの学堂」はまさに透視画法により構成された、ルネサンスの賢人たちが演じる舞台空間なのです。 

透視画法による序列なく等質・等方に配置されたシンボルの空間は、観客にとっては自由に想像的(イマージナル)に関われる虚構の世界、しかし、この想像的自由な虚構の場であることがとても重要。

やがて見るバロックの舞台空間、そこでの透視画法は観客の想像的自由を生み出す装置ではなく、特定の人間の操作による幻想的(イリュージュナル)な空間に変容する。

オペラはこのイリュージュナルな空間が基盤となって生み出された作品的世界と言えます。

しかし、「アテネの学堂」は幻想ではなく想像的世界。幻想的に透視画法を操作したのは権力の顕現をもくろむバロックの君主たち、彼らが必要とする恣意的な空間がやがてオペラを生み出して行く。

 話を「アテネの学堂」に戻そう。画面の中央はプラトンとアリストテラス。左側を歩くプラトンは「ティマイオス」を小脇に抱え、右手で天を差し、イデアの在り方を示す。

「エティカ」を持つアリストテラス、天と地の間に右掌を広げ、イデアはそれ自身だけでは存在せず、個々の事物の姿となって存在することを示している。

そして演じるのは、レオナルド・ダヴィンチがプラトン、ニコマコス倫理学書を持つアリストテレスは不明だが、前方中央の階段下で書き物をするヘラクレイトスはミケランジェロ。

上手(右)床の上の黒板にコンパスをあてるのはブラマンテが演じるユークリッド、その他ソクラテス、ピュタゴラス、ディオゲネス、ゾロアスター、プトレマイオス、アルキメデス、エピクロス、パルメニデス、アルキピアデスと各々が様々なポーズを取っての総勢53人もの人物、右袖の柱の陰からわずかに顔を出すラファエロ自身も登場する。 絵画は虚構の空間による一遍のドラマ。

建築の壁面にあって空間の形成に参加していた絵画は、建築とは無関係に、建築の壁面に関わることなく、一個の独立した存在として、自らのうちに独自の空間を形成し始めた。

それは絵画の自立、と同時に建築の解体。絵画のみで世界を表現することが可能となった。透視画法によるアナザーワールドの発見により建築は従来の役割を終え、新しい役割を課せられるようになる。

空間が絵画で表現できるのなら、建築は実用的な箱、つまり、近代建築の始まり。

建築は表現の場から実体的空間としての役割を重視しなければならなくなったのです。

しかし、建築家はすべて実体に関わる技術者のみの道を歩めば良い、という訳ではない。

世界を生み出す役割とそのコンセプトを表現する役割は画家の役割だが、画家と同時に建築家自身も新たなテーマを発見し、自らがその問題に答えていく、という役割も浮上した。

神に変わり人間自らが問題を発見し、その問題に答えていく、という近代建築の持つプログレマティズムは、透視画法の開いた新たな使命、生まれたばかりの建築家が果たなければらない重要な役割となった。 

透視画法が生み出すアナザーワールドは近代の建築家を誕生させ、その彼に新たな役割を課す一方、画家と彫刻家の役割をもまた明確にした。

透視画法は彫刻によらなくとも三次元の像を作り出すことも可能となった。

従って、彫刻家の仕事は立体を作り出すこと、画家の仕事は空間全体を描きだすこと。

画家は人物像の周りに、建築を描くことで空間を生み出すことが役割。

一方、画家は空間を生み出すと共に、部屋を取り囲む建築の持つ壁体をも解体する、そしてついには、平な天井にドーム天井を描くことで、重たい危険なドームを実際に作ることなくして、天上の世界を表現した。

(図版いくつか)つまり、画家は実際の建築を超え、自由に建築空間を想像することが出来たのです。

(ラファエロのパルナッソス)

マンティーニャの「パルナッソス」に比べればラファエロの「パルナッソス」は判りやすい。「アテネの学堂」と同じ、バチカン宮殿の署名の間の壁画だ。山上の月桂樹の下に座り九人のミューズに囲まれ、リラ・ダ・ブラッチョを弾くアポロン。

画面は左から右へと壁画の円弧に合わせるように流れ詩人たちが配列される。ここでも描かれた人々はまるで舞台を飾る俳優たちのようだ。「アテネの学堂」と同じように登場人物は寓意ではなく実在の人たち、すべてギリシャ・ローマそして同時代に活躍した詩人たちが舞台を飾る。

彼らは桂冠をかぶりアポロンに敬意を表すためにパルナッソスに集まった。左下で巻物を持ち座っている女性がギリシャの抒情詩人サッフォー、その前に立つ三人目の詩人がペトラルカ。山上で詩を吟じる盲目のホメロスとその左手に座り耳を傾けメモを取るラテン詩の父エンニウス。ホメロスの背後ではダンテとウェルギリウスが「神曲」の場面のように視線を交わし話し合っている。右下でサッフォーに対応するかのように腰掛けているのがウェルギリウスと同時代の抒情詩人ホラティウス。その他アリオスト、ボッカチオ、サンナローザに変身物語を書いたオウディウスという詩人たちが舞台を飾る。

 (fig49)

アルカディアの情景のなかで芸術の擬人化であるミューズに囲まれた古今の詩人たち。この絵画のテーマは古今の「詩学」、あるいは「美」の象徴であることがよく解る。興味深いのはアポロンの持つ楽器、彼がいつも持つアトリビュート(象徴的持ち物)の竪琴を隣に座る青衣のミューズが持ち、アポロンはルネサンス時代のリラ・ダ・ブラッチョを持っている。ラファエロは詩を永遠の価値のシンボルとして、あえてルネサンス時代の楽器をアポロンに持たせたのだと言われている。ラファエロらしいユーモアだ。

(ユリウス二世のメッセージ)

ラファエロの絵画の読み取りは面白いが、「パルナッソス」と「アテネの学堂」を壁画とした「署名の間」全体の意味付けもまたとても興味深い。ユリウス二世はミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁画・天井画を任せ、聖なる空間の創出を計った。

ミケランジェロの聖に対し、ラファエロには俗。「署名の間」は教皇の俗権の行使の場に見合うもの、つまり聖を象徴するシスティーナ礼拝堂に対し「署名の間」は世俗の人々のためのより調和ある世界の象徴として位置づけた。

教皇はミケランジェロとラファエロの力を借り、全世界に対する権力を与えられ、聖と俗、どちらの権威をも仲介する教会そのものの役割を強調しようとしているのだ。

「署名の間」は従って、当時の人文主義とキリスト教を統合した装飾計画により俗権の強調がテーマとなるが、具体的には啓示による真理としての神、そして理性による真理としての真・善・美、つまり、神学・哲学・詩学・法学という四つの徳と精神活動を壁画と天井画によって表現している。

そして「アテネの学堂」は哲学であり真、「パルナッソス」は詩学であり美がテーマ。すでに触れたように、ラファエロは寓意ではなく、実在の人物によって、それも舞台構成のような堂々とした建築や自然空間のなかに表現していく。その構成は大変解りやすく、完成されるや否やローマ中を熱狂させ、あらゆる人たちがその壮大さの前に立ち尽くし賛同したと言われている。