モーツアルトの父親レオポルトは1764年、ロンドンからザルツブルクの友人に次のような手紙を書いている。
「ラニラ庭園は決して大きなものではないが芸術的に作られている。毎週月、水、金曜に照明が灯される。ここにびっくりするほど大きな一階建ての円形ホールがあり、その中は数えきれないほどたくさんの吊りさげ灯、ランプ、壁かけ灯などで照らされている。一方の側で音楽が階段状にならんだ席から演奏され、最上部にオルガンがある。7時から10時まで3時間音楽は続く。それから1時間かしばしばそれ以上、つまり11時から12時まで、ヴァルトホルン、クラリネット、ファゴットなどの四重奏が行われる。」(人間と音楽の歴史・音楽之友社)
テームズ河畔チェルシーは土地が肥沃であり眺望も良く、16世紀トマス・モアが屋敷を構えるころから上流の人々の人気となる。
そしていくつかのマナーハウス、果樹園、庭園が作られてきた。
ロンドンからは陸路の馬車より、船によるテムズ河の往き来の方がはるかに安全で快適な小旅行。
そんな場所に18世紀には飲食と娯楽の為の遊園(プレジャー・ガーデン)がこの地域に沢山作られた。
1741年、建築家ウィリアム・ジョーンズの設計によるロトンダ(円形劇場)が建つ。
このラニラ遊園は、朝食と朝のコンサートが毎朝行われ、ロールパンと紅茶がロンドンの最高の演奏家のコンサート共に楽しめる、ということでこの地域でも最も人気となっている。
現在ではナショナル・ギャラリーが所有しているカナレットの絵画を見ると、レオポルトが手紙に書いたラニラ庭園のロトンダの内部の状況と雰囲気がとても良くわかる。
ホールの中央はファイアープレス。
当初はここが舞台でオーケストラの演奏はこの中央部分で行われ、観客は周辺をそぞろ歩きしながら楽しんだ。しかし、やがてオルガンの設置とともに右手の階段状の演奏台にうつされ、観客は中央のファイアープレスからの暖をとりながらの散歩となった。
周辺は劇場の桟敷席のような観客席。
ロンドンからの市民たちは庭園を散歩するばかりでなく、ここで音楽をききながら朝食をとり談笑を楽しんだ。
レオポルトはさらにこんなことも書き送っている。
「常に100人、200人、そして4〜500人の人々が周囲をそぞろあるきしており、お互いに挨拶をしている。床には全面麦藁を細かに編んだ敷物とか絨毯が敷かれていて、気持ちよく歩き回れて、かつ歩くことで雑音がでないようになっている。庭園とホールには、少なくとも6000人の人の座る席があった。ホールだけでも3000人の人たちがゆったりすわることができた。」
予約会員制によらない自由な公開コンサートで音楽を商業化することに成功したプレジャーガーデンだが、19世紀に入り閉鎖されて行った。
それは、「音楽は音楽を聞くためだけの空間」を必要とし始めたからです。
現在ではナショナル・ギャラリーが所有しているカナレットの絵画を見ると、レオポルトが手紙に書いたラニラ庭園のロトンダの内部の状況と雰囲気がとても良くわかる。
ホールの中央はファイアープレス。
当初はここが舞台でオーケストラの演奏はこの中央部分で行われ、観客は周辺をそぞろ歩きしながら楽しんだ。しかし、やがてオルガンの設置とともに右手の階段状の演奏台にうつされ、観客は中央のファイアープレスからの暖をとりながらの散歩となった。
周辺は劇場の桟敷席のような観客席。
ロンドンからの市民たちは庭園を散歩するばかりでなく、ここで音楽をききながら朝食をとり談笑を楽しんだ。
レオポルトはさらにこんなことも書き送っている。
「常に100人、200人、そして4〜500人の人々が周囲をそぞろあるきしており、お互いに挨拶をしている。床には全面麦藁を細かに編んだ敷物とか絨毯が敷かれていて、気持ちよく歩き回れて、かつ歩くことで雑音がでないようになっている。庭園とホールには、少なくとも6000人の人の座る席があった。ホールだけでも3000人の人たちがゆったりすわることができた。」
予約会員制によらない自由な公開コンサートで音楽を商業化することに成功したプレジャーガーデンだが、19世紀に入り閉鎖されて行った。
それは、「音楽は音楽を聞くためだけの空間」を必要とし始めたからです。