2012年1月5日木曜日

古代ギリシャの合理主義

盲目の吟遊詩人ホメーロスがキターラ(竪琴)を奏でながらトロイヤ戦争の叙事詩を歌ったのは紀元前八世紀。アテネのペリクレスとフェイディアスによってパルテノン神殿が作られる300年も前のことだ。ギリシャの陶器を飾る壷絵が人物像ではなく、幾何学紋様に終始している頃、ホメーロスは吟唱によって英雄たちの世界を詩った。

人々は詩を聴くことで世界を知ろうとした。

世界は絵や文字が「見る」ことによってではなく、言葉あるいは音を「聴く」ことによって理解されたのだ。それは聴覚から生まれる想像世界。世界は音楽から始まったと言って良い。

古代ギリシャの人々にとって耳で聴く想像世界のほうが、目でみる現実世界よりリアリティを持っていた。何故なら、いつも神々と共にある彼らの生活において、山々や木々や川や水や雲の流れ、天変地異、季節の到来、天体の運行など、すべては神々のなせる技。人々はその技を目で見ることより、想像することによって理解したのだ。

ギリシャの人々は何故、想像世界に強いリアリティを感じていたのか、そこには古来からの彼ら特有の考え方がある。天体はいつも規則正しく秩序立っている。生きるべき世界もまた同じ、世界は決して混沌としたものではなく、規則正しいある法則が支配している。

人が五感で知る世界はいつも不完全、捕らえどころなくバラバラ。現実の世界は不完全だが、その表面にではな く、背後にある世界には天体と同じ美しい秩序(ハーモニー)があり、そのハーモニーが完全なる世界を支えている。

人間が生きるべき本来の世界とは、自然や動物と共にある目の前の現実ではなく、その背後にある想像世界と考えていた、と考えて良い。

「プラトン主義に特有でおそらく東洋にその例を見ないのは、この転変常なき非現実の感覚界の背後に、二番目の、恒久不変の真理の世界が存在するという確信である」(シンボリック・イメージ・日本語版への序:平凡社)と書いたのはE・H・ゴンブリッジ。

ヨーロッパの音楽・美術・建築を理解する上で欠かせない言葉だ。古代ギリシャにおいては、人間が五感で把握する世界は不完全だが、イディアが人間が生きるべき本来の世界を支えている。

中世においては、唯一の創造主がいて、世界は神により支えられ、理性で理解できる教義により成り立っている。

目には見えないが、世界は秩序だっているのだ、という観念とその事への信頼は、ヨーロッパの芸術を支える土台と言って良い。その土台は古来からの合理主義。

「人間が関わる事柄の全ては理論理性で説明がつく」という強い信念が生きるべき世界を支えている。

ゴンブリッジが東洋にその例を見ないということもよく理解できる。私たちは合理主義より経験主義「事柄の理解はすべて経験の結果」と考えている。

従って、「理性によって組み立てられた世界」より「経験的現実の世界」が生きるべく総てであって、 感覚界の背後の世界には関心が無い。 仮に「もうひとつの世界」はと問えば、それは夢か彼岸、死後の世界となってしまう。

ゴンブリッジは同じ日本語版への序で次のようなことも付け加えている。
「プラトンの学園、つまりアカデミアの入口の上には、幾何学に通ぜざる者ここを潜ることなかれ、という銘文が記されてあったという。それは何故か。奇妙に響くかもしれないが、幾何学上の真理は我々の転変常なき感覚界には適用されないのである。」

幾何学という数と形の学問は建築を支える基盤。
しかし、その基盤もまた現実ではなく、現実を理性的に認識するための根拠にすぎないと言っている。つまり、確かなことはどこまでも目に見える現実ではなく、観念あるいは理性的認識だけなのだ。

人間が描く三角形はいかなる三角形も真実ではないし、また真実である必要もない。現実の紙の上に書かれた直線は、真なる直線であることは決してない。真なる直線とは理性的なあるいは観念的な認識の世界に存在するもの、という認識。

プラトン主義は感覚で知る現実の背後に、本来の世界が存在すると考え、真の理性的客観的知識とは、その世界にあるものと考えている。現実的感覚界にあるのは主観的意見に過ぎない、従って、誰もが共有する「合理」は現実の背後の想像世界のみの存在となる。