2012年1月4日水曜日

天体の音楽と天上の館





「プラトン主義に特有でおそらく東洋にその例を見ないのは、この転変常なき非現実の感覚界の背後に、二番目の、恒久不変の真理の世界が存在するという確信である」と書いたのはE・H・ゴンブリッジ。(シンボリック・イメージ/日本語版へのまえがき)

この言葉はルネサンス以前のヨーロッパの音楽・美術・建築を理解する上で欠かせない。
五感による世界は不完全だが、完全なるイデアが世界を支えている。
宇宙は決して混沌としたものではなく、ある法則が支配している。
ヨーロッパ中世においては、世界は唯一の創造主がいて、
理性で理解できる教義により成り立っている。

目には見えないが、世界は秩序だっているのだ、という観念とその事への信頼は、ヨーロッパの芸術をを支える土台です。
その土台を合理主義と呼んで良いと思います。
「人間が関わる事柄の全ては理論理性で説明がつく」という強い信念。
一方、「事柄の理解はすべて経験の結果」という考え方があります。
当然、経験主義はヨーロッパにおいても登場します。
しかし、いつも合理主義が先行し、経験主義はそのアンチテーゼあるいは非合理主義、神秘主義として登場するのがヨーロッパでの特徴です。
プラトンに対するアリストテレス、デカルトに対するパスカルがその例とされます。

ゴンブリッジが東洋にその例を見ないというのも良く理解できます。
ヨーロッパ的神秘主義とは異なりますが、ボクたちの事柄の理解の大半は経験の結果に他なりません。
そしてルネサンス以降のヨーロッパもまた「あるはずの世界」ではなく「あるがままの世界」。
音楽は聴くべき世界であり、絵画は眺める世界となっています。
現代建築では特に実利と経験がすべてです。
建築は説明されるべきではなく、経験されねばならないからです。

ヨーロッパの音楽と建築はギリシャ・ローマさらに中世キリスト教社会において、経験より合理への強い信頼によって支えられていたと考えて良いでしょう。
古代ギリシャから近代の始まりまで、ヨーロッパの人々は天体は音楽で満たされている、という楽しい確固とした観念を持っていました。
ギリシャ人の合理を支えるもの、現実の背後にある確かなるもの、それは秩序つまりコスモス(天体)です。(ギリシャ語のkosmosの意味は秩序)。
人間に知覚されるか否かは重要ではなく、目には見えないが、しかし見いだすことのできる秩序。
ギリシャ人にとって科学は実利的なものではなく、審美的あるいは形而上的営みです。
ギリシャ科学では宇宙の生成は美しく秩序だったものと考えられていました。
そんな宇宙の誕生をヘシオドスは紀元前7世紀の神統記の中で、
宇宙はムネモシュネの娘である9人の「ムーサ=ミューズ」の音楽に満ちたものと見なしています。

麗しい歌声が疲れも知らず
ムーサたちの口から流れ
彼女たちの百合にも似た歌声が
広がりゆくとき
雷 轟かす父神ゼウスの館は笑いにさんざめき
雪を戴くオリンポスの高嶺と不死の神々の館は木霊を返す
(廣川洋一訳)

紀元前6世紀ピタゴラスは、協和音程と数の比例との間密接な関係があることを発見しました。
この発見により彼は世界の美しい秩序の根本にあるのは「数」と考え、その後アリストテレスはその考え方を強調し「数」をすべての存在の構成要素、天体は数であり音楽であると定義づけます。(形而上学/BC335)
一方、アリストテレスより早くプラトンは「国家」(BC380)の中で算術と幾何、つまり数と形に関する学問こそ、現実を理性的に認識するための根拠と言っています。
ヨーロッパにおける合理主義を視覚や経験では捉えられない現実を理性(ロゴス)と思考によって捉えるものとしたのであり、その原理は「数」の「美しき秩序=ハーモニー」そして「天体の音楽」であったのです。
さらに古代ギリシャおいて音楽は現実の響きではなく、世界全体が照らし出される場となるもの、それは官能をくすぐるものではなく、理念に導かれる人工的世界と考えられました。
ここにきて建築と音楽は全く同相なものであることが理解できます。
ともに「数」から生まれた兄弟であり、天上の館に鳴り響く天体の音楽はギリシャ神殿が建築として誕生するまぎわの時代(紀元前7世紀)、すでに確固たるイメージとして地中海世界に広まっておりました。