日本の都市計画においても「風」は重要でした。
平城京、平安京はともに条坊制と言って、東西4.5km、南北5.3kmほどの長方形を直交する大路、小路によって区画し構成していました。
幅85mの朱雀大路は南北にまっすぐに長方形の中央を貫き、北の端に宮殿、南の端に羅城門を設置し、その大路の両側を右京・左京と呼んでいます。
この都市計画の方法は中国の洛陽や長安にならったものですが、条坊制であることは風と直接関係はありません。
しかし、京都は中国の古代技術「風水」が色濃く反映され計画されていました。
中国には古来から日常の私たちには目にすることが出来ない、もう一つの現実世界が存在しています。
それは現在の西洋的三次元あるいは四次元という観点からでは容易に理解することが出来ませんが、
「風水」と呼ばれる、地形や「風」や「水」の「流れ」を読み取ることから生まれた貴重な技術です。
なんだ、易や家相、迷信的占いではないかとおっしゃるかもしれません。
確かに、その一端は家相術として喜ばれたり、TVや雑誌で人気になったり、馬鹿にされたりしています。
しかし、本来の「風水」は西洋の技術思想では決して到達できないものであり、
環境を調律し、自然と人間が共生する技術の集体制であることが最近わかりと注目されれいます。
「風水」は長い歴史や風土、気候も異なる広い大陸の様々の地域や民族によって育まれ熟成された環境技術です。
従って、その論は多用多種、方法や考え方が微妙に異なる別種の考え方が様々に共存し容易に理解出来ません。
日本では隠陽道と結びついた「風水論」が江戸時代かなり重視されましたが、明治期、西洋技術の輸入とともに下火となりました。
しかし、鬼門が悪くて辰巳が良いというような言葉だけが残ってしまい、その全体も長らく、単なる迷信と打ち捨てられてしまいました。
本来、「風水」は技術論のみならず地理学でもありましたので、韓国、沖縄、台湾、香港ではかなり重視され、さらにフィリピンやインドネシアにも存在しました。
特にインドネシアではパマヒイン、プリンボンと言われ、現在でも、街づくり、建物づくりに多いに役立てていると聞いています。
「風」を読み「水」を読み、「地形」を読む、いわゆる環境の「相」を読み、人間の生活と自然との調和をめざす「風水」は平安京の計画には色濃く反映されていました。
「風水」の採用により、当時の加茂川の流れを大工事の末に付け替え、現在の流れに修正したと記録されています。
「風水」の上の必要なら川の流れを変え、山がなければ作ってしまう、ということを実施したのです。
従って、この環境技術はひ弱な自然保護論者やエコロジストにはとてもついていけない技術論でもあるのです。
しかし、周到に地形や風、水を読んだからこそ、川の付け替えを実行し、地底に流れる豊かな伏流水を有効に利用することに成功しました。
京都の街は大内裏の雄大な神仙苑を含み、あちこちの庭園と池泉に恵まれています。
この豊かな池泉を支え、市民の生活を1000年余り守ったのは「風水」技術の結果であると考えなければなりません。
京都もその典型ですが、背後に山を背負い、左右に丘陵を控え、前方のみ開いている地形を「蔵風得水」の相と呼んでいます。
「一般に理論思想が形づくられ、それが現実に受け入れられていくためには、それ相当の現実的な裏付けがなければならない。蔵風得水型の地形の型が理論化された背景には、このような地形の型が棲息地として好ましいものであるという心理的事実があるに違いない。」(日本の景観・樋口忠彦)
日当たりもよく、風が一方的に吹き抜けず、前方に眺望が広がり、ゆったりとした落ち着きを持った雰囲気の景観は、風水を適用するしないにかかわらず、日本各地の集落に数多く見出すことができる、と樋口氏は指摘しています。
母の膝に抱かれたようなゆったりとした居心地の良さ、それを風水では「蔵風得水」の相と呼んでいるのです。
この環境の持つ実感としての快適さのようなものを理論化しようということが、風水の基盤ということでありましょうが、風水の面白さは地形の型を読むことだけではありません、環境の「相」を読むことにあるのです。
その読み方のポイントは人体の「経絡理論」同様、「気」(気=風=魂)の流れを読むことにあります。
ボクたちの体内を流れる「気」は地中にも流れているという理論です。
「気」はミクロコスモスとしての「人体」とマクロコスモスとしての「地球」を大きく循環しています。
その地中の「気」をいかに読み、いかにうまく流れるようにするかが「風水」の技術と考えられています。
つまり「風水」では「自然」も人体同様に生きたものとして扱うことに基本があるのです。
渡邊欣雄氏は「風水思想」(現代思想91年11月)で以下のように書かれています。
「生きている自然に対し、人間の側から絶えず働きかけて行かなければならない、人間の側から働きかけないところには、自然というものは成り立たない。何にも作用しないかぎり、自然環境は死んでしまうけれど、作用すればそれに応じて自然自体も変わってくる。自然環境は人間の働きかけで、どんどん変わっていくもの。かと言って、人間の主体性だけではない、自然の中にある「気」の流れのリズムは無視できない。あらかじめ与えられている環境への「適応」ということではなく、自然との互いの働き掛けによる「調和」が大事である。」
生きた自然とどうのような関わりを持ち、どのような働きかけを行うのか、それはギリシャ人が見えない「風」を擬人化した神々として捉え、その神々と語り合うことで、都市を計画し建築したこととどこか似ています。
風の相を読む計画手法はどの時代も、どの地域にも必要とされています。
そして現代もまた同様です。
風水に関連した現代建築を二つ紹介しましょう。
釧路のフィッシャーマンズワーフ(設計/毛綱毅)香港上海銀行(設計/ノーマン・フォスター)です。
釧路はその地形全体を読み取ると3つの丘の連なる「風水」でいう「竜車牽引型」の相を持っていると毛綱氏は説明します。
この相をフィッシャーマンズワーフの全体計画に反映させ、3つの丘と2つの坂道を空間構成の中心に据え、様々の領域を計画して行きました。
この建築は「風水」によって建築したというより、「風水術」を手掛かりにとして読み取った地形を建築に投影し、建築環境全体の調和を計った、と考えればよいと思います。
つまり、「風水による記憶の再生」と言うことなのですが、この建築の中に入るとそこは館内というより、屋外、自然、街中にいるような体験を与えてくれます。
釧路の地形を知らない私にとっても、ある種の親近感が感じられ、無味乾燥した人工環境ではなく、生き生きとした屋外環境を、冬長いこの町にもたらしたとするならば、「風水」は有効であったと言えるのではないでしょうか。
次に紹介したい香港上海銀行(設計はフォスター)は、その立地は商売に最適な背山臨水の相を持つ地ということです。
小さな島、香港ならばどこでもこの相を持つことになるのではないかとボクは思いますが、この計画には香港の専門の風水師が登場するのです。
風水判断には「環境の相」を判断する形勢学派と方位盤によって「気」の運動を読み取る方位盤派がありますが、この建築は後者「方位盤派」の風水師に相談したと記されていました。
地上47階、高さ180m、吊り構造のユニークな超高層ビルが、それもなんとイギリス人建築家が風水師のアドバイスを受け設計されました。
もうこれだけで話題沸騰、1986年完成のこの建築はその後、週刊誌やグラビア誌に取り上げ続けられました。
しかし、残念ながら私はまだ香港に行ったことがありません。
現代の最高度の建築技術は中国古来の環境技術とどう折り合いを付けているのか、そこではまた「風」という目に見えぬ神の御手とどう関わったのか、一度見学したいと思っています。
ps。
「風水」は5年ほど前、日本建築学会編「集住の知恵ー美しく住むかたち」の中の一項として、ボク自身が執筆しています。詳細はこちらをご覧下さい。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%8FW%8FZ%82%CC%92m%8Cb&x=0&y=0