2010年3月10日水曜日

風の建築誌/3−風のかたち/©

香港の超高層ビルが「風の相」による建築であるとするならば、関西国際空港は「風のかたち」の建築です。
その建築家はハイテク建築の創始者と呼ばれている、パリ・ポンピドーセンターで世界を驚かせたイタリア人レンゾ・ピアノです。
ポンピドーセンターが完成した当時、彼自身はハイテク建築家と呼ばれることを、頑強に拒否していました。
「ポンピドーセンターは既製の文化センター、あるいは固定観念化した建築に対するアイロニー」と彼は語っています。
その建築は技術の勝利でもないし、工業技術を生かした建築でもない、中世の建築同様、少しづつ人間の手で作られた工芸品なのだと、説明しているのです。
一般に美術館あるいは文化センターにあるものは過去の時代の遺物、あるいは同時代とは一線を画した洗練された芸術品。
しかし、ピアノはそんな形骸化した価値に縛られた美術館、固定化した文化都市パリに対するアンチ・メセージとして、この建築を芸術ではなく職人の技、歴史的文化都市パリではなく日常的等身大の都市パリ、にあるものと位置づけたかったのです。
ジュノバで建設業を営む家族の元に生まれたレンゾ・ピアノは小さい時から工事現場で働く父親を見て成長しました。
ジェノバ職人の技術を身を持って体験してきた彼は船が様々な部品の集積であるように、ポンピドーセンターも一つ一つが丹念にデザインされ造られた部品の集積として作り上げています。
つまり、高度の洗練された工業技術の成果であることより、中世的職人技術の集積と主張しているのです。
「文化センターは名も無き人々(職人)の生きた証(工芸品)の集積であることが重要であって、制度的で、深遠かつ恐れ多い場であってはならない。そこは形式ばらず、解放的で、一般市民に馴染めるものでなければならない。」
その建築は当時の傲慢で畏怖させるような建築およびパリの既製の文化観への強烈なオブジェクション、それがポンピドーセンターの持つ意味です。


父親の仕事場で、建物が部品と部品の組み合わせから形作られることを観察したピアノは、同時に建物は部品と部品とに解体されるという、その可逆性をも理解したハズです。
しかし、建築は空間的にはともかく、時間的には可逆的ではあり得ません。
建築という行為は「都市の歴史」という絶え間ない層への参加。
そして「建築は歴史的コンテクストの中への一時的な挿入物」であると彼は明言します。
ここが彼の建築のポイントです。
そして、ようやっと関西国際空港のデザイン・コンセプトにたどり着いたのですが、
この観点はまた「建築は同時に、自然の中への一時的挿入物」を導きだしました。
「一時的挿入物としての建築は周囲の自然状況に、いかに適用するかを言明しなければならない」。
これが彼の設計姿勢であり「風のかたち」の根拠です。
「彼の建築は自然の形態からの抽象ではなく、自然の形態なのであり、適応性の結果なのである。」(建築と都市・1989年)

自然への適応、これは建築の永続的テーマであり、古来からの形態バリエーションの源泉でもありました。
インド・ジャイプールに建つ「風の宮殿」、18世紀ハーレムとしても使われたこの建物の薄い透かし彫りの窓は、風は通してくれますが、捕らわれの女性たちには永遠の鉄格子です。
「風のかたち」は時と場合によっては、人間の特別な心理への増幅装置ともなっている。
そんな観点から建築を眺めることも、非人道的かもしれませんが、建築もまたひとつの虚構、「作品」であるかぎり許されことボクは思っています。


自然とみごとに適応したもうひとつの「風のかたち」を見てみましょう。
アメリカ・カリフォルニア海岸、と言っても不動産屋が見離していた、岩のゴツゴツとした荒涼とした海岸線の一角に、チャールズ・ムーアによって10戸のコンドミニアムが作れました。(シーランチ)
岩場にへばりつく貝のようなその建築は、屋根も壁もレッドウッド、それもシングルスタイルという、かってのアメリカで最もポピュラーな材と方法によって作られています。
強い海からの風を配置と屋根の形態でしっかりガードし、バラバラでは対抗できない自然の驚異に集落のように寄りあつまり、へばりついている建築。
この建築も「風のかたち」により生み出されたデザインです。
その庇のない造形と素朴な板壁を飾る大胆なスーパーグラフィックはとても新鮮でした。
シーランチはボクの若い頃のあこがれの建築の一つ。
シーランチに刺激され、庇のない木造建築を沢山デザインし、多くの方々から叱責をうけたのは懐かしい思い出です。
しかし、その建築のポスターはいつまでも自室の壁を飾り、「風のかたち」シーランチはボク自身の建築の実質的な「窓=風の道」でもあったのもまた事実です。

カリフォルニアのシーランチに熱中していたころ、イギリスの建築評論家が「クリップ止めの建築」という論文を発表しました。
「アーキグラム」の全作品を紹介した本の中に掲載されています。(アーキテクチュアル・デザイン1965年)
アーキグラムはビートルスやミニスカートが登場したのと同じ時期、同じイギリスに生まれた建築家グループです。
彼らは建築を実際に、具体的に作るチャンスに恵まれなくとも、メディアを通じて、建築の考え方を言葉やグラフィカルな映像によって表現し、次々と発表していきました。
土着性、固定性、不可動性から解放された建築を軽妙でファッショナブルな、それもメディアの中にのみ存在させる、つまり建築を情報的世界に還元してしまったのです。
(建築デザインを情報として扱い、実在の土地から遊離し多くのメッセージを発信したのは16世紀の建築家パッラーディオの「建築四書」が有名)
ちょうどビートルズの「イエローサブマリン」が歌というより、情報空間そのものであったように。
アーキグラムの建築イメージは実際の建築以上にメッセージを持ち世界中に広がっていきました。

アーキグラムのメンバーの一人ピーター・クックは「ロンドン・エクスプレス1968年」誌上に「インスタント・シティ」を発表しました。
「ほとんどの文明国では、いわゆる地方やローカルな文化文化は停滞しがちで、ときにしばしば貧弱であり、それよりも条件のいいメトロポリタン地域(例えばニューヨーク、ウエストコースト、ロンドン、パリ)に羨望をいだく。文化の環とか世界の窓としてのテレビの効果が云々されることが多いのだが、人々はなお、満たされない空しさを感じている。若い連中の懸念は、ひょっとして自分たちが自らの地平をひろげてくれるものを受けそこなっているのではないかということだ。彼らは、自らの経験が、そのまま現在進行中の生活の位相に巻き込まれることを願う」磯崎新の著作の中の説明です。

そのような願いに答えるかのように、風に乗ってプカプカとやって来た都市、「旅するメトロポリタン」、それがインスタント・シティ計画です。
プカプカとやって来て、メトロポリタンの持つダイナミックな活気を与え、しばらく滞在している間にやがて、コミュニティーは停滞に加えられた衝撃から立ち直り、そのコミュニティ自らが全国にメッセージを発信するようになる。

インスタント・シティ計画は、風が作り出す建築というより、「風そのものが建築」になったということを意味します。
「風」が「建築」、素晴らしい発想です。
60年代のインスタント・シティ計画は地方を活気づけることが、そのメインコンセプトでありましょうが、21世紀の現在、大都市でも地方都市でも必要なのは、固定観念化した「建築」ではなく、生きている「風」という建築を作ることにあるのではないでしょうか。
その建築により人々は、形骸化した建築の世界から抜け出て、生身で自然と関わり、じかに自然と対話し、そして再び、神々のメッセージを物語ることが出来るようになる。
今、ボクたちはそのような「風のかたち」を必要としているのです。