2012年1月18日水曜日

多声音楽と計量的時間

西ヨーロッパの主流となる科学的思考の始まりは中世になりギリシャの哲学や科学を知るようになってからのこと。ギリシャの思考が広まったのは西暦八百年から千二百頃に栄えたイスラム文明によるところが大きいと言われている。アラブ人やペルシャ人がギリシャ人の哲学、数学、科学を見いだし、その価値を認め、写本を保存し、翻訳し、注釈を加え、さらに自分たちの重要な発見を加えていった。 
アリストテレスやユークリッドやアルキメデスを知ったのはザンクト・ガレンにおけるイスラム文明の接触を通じてのこと。十二世紀、ザンクト・ガレンに始まった研究活動は三・四世紀後にはギリシャの学問を完全消化吸収し、新たな科学的合理思考を形成する。その典型がコペルニクスやケプラーの開いた世界。
しかし、彼らの考え方とてギリシャ流の思考の枠内、つまり依然として、静止した絵のような空間にかかわる概念に支配されていて、時間的変化、空間上の位置変化、天体の運動に関する記述という問題には全く踏み込んではいない。

 運動を数学的に記述する方法をつかんだのはガリレオ・ガリレイ。彼は時間を記述し計量化することで物体の自由落下の法則を発見した。 運動を記述するには移動距離、速度、速度の変化が必要だが、彼は速度や速度の変化は経過した時間との関係で表されるということに気がついた。さらに時間の経過は環境にあるナニモノにも左右されない独立したもの(計量的時間)と考えた。
時間は運動によって記述されるのではなく、その流れを一様とし、数学的に独立した変数としたことで計量化が出来、運動を記述することが可能となったのだ。 自分自身の主観的時間「経験」「自分が感じる時間」は計量的時間とは食い違うが、この「計量的時間」という抽象的な構造物は、実は十三世紀の初め パリ・のノートル・ダム大聖堂の多声音楽と記譜法の理論において最初に現れている。

 多声という楽曲は二つ以上の旋律を持っている。音の高低が異なる男女が一オクターブあるいは五度ずれて歌うのは良くあることだ。しかし異なる旋律を意識的に構造化し同時に歌ったり演奏したりという音楽を作ったのはヨーロッパの十一世紀以降が初めてだ。多声の変遷は平行多声、自由多声という展開にはじまる。十二世紀リモージュにある修道院サン・マルシアルでは旋律が全く別であっても、同時に発声される音の長さは両方の声部とも同じという規則がなくなって行く。 
このことから定旋律に対して付け加えられる第二の旋律はより自由に歌うことが可能となった。そのかわり、定旋律を歌う人は第二旋律を歌う人が独立したパートを歌い終わるまで自分の音を引き伸ばし、待たなければならないのだが。 パリのノートル・ダム大聖堂では、それはちょうどこの大聖堂が建築中でもあったのだが、同時に進行する三つから四つの声部を持つ多声曲が作曲された。 何故、そんな複雑な時間の構造体の記譜が可能となったのか。それは各旋律の時間的あり方が同じ時間の単位で調整されていたからだ。ガリレイの言う「計量的時間」についての概念なくしても、各声部は声部ごとのまとまりが与えられ、全体としては一つの記号体系を創りだすことが可能となった。

 このノートル・ダムの体系をリズミック・モードという。時間の持続の標準を短い音に決め、その二倍長い音、三倍長い音を表す型をあらかじめ決めておき、その型をギリシャの韻にちなみ、「長短格」「長短短格」というようにモード設定し、その繰り返しを表記、調整し作曲していった。 この時間の構造体は科学でも哲学でもない。当時まだ大聖堂を創る建築家の名前は記録されなかった時代、この表記法を編み出したノートル・ダム大聖堂のレオナンとペロタンは歴史上最初の作曲家として賞賛されている。

2012年1月15日日曜日

アルプスの北と南の音楽と建築


ロマネスク期イタリア半島の聖堂は木造小屋組による天井構成とバジリカ式(長方形)平面という単純な形式。 石造のヴォールト天井は古代ローマ時代の技術、当然、イタリア半島の聖堂で普及してしかるべき建築。 
しかし、その形式はイタリア半島ではなく、もともと石造建築には不慣れであったアルプスの北の人々が採用している。(ロマネスクはローマ風という意味、イタリア人ではなく、北の人々が石造建築をロマネスクと呼んだようだ) 彼らは 作り慣れた木造ではなく、あえて石造で天井をヴォールトで建設しようとする真意は一体どこのあったのかだろうか。

 確かに、火災にも強く、より堅牢な耐久性のある聖堂を求めたことは理解できる。 しかし、それだけが不慣れな石造天井を必要とした理由では無い。 
北の人々が新しい聖堂に求めたこと、それは石造であることから生まれる音の反響と残響にあったようだ。 つまり、彼らにとって聖堂は音の空間、音楽重視の聖堂と言って良い。
 一方、イタリア半島は視覚の空間。イタリア人にとっては音以上に、祭壇に向かって集中する視線のパースペクティブこそ聖堂にはもっとも重要なものと考えていたようだ。

 北の人々が好んだ音の反響とは後世で言えば和声のこと。 単声歌あるいはユニゾンを音楽とする半島の人々と早くから和声あるいは音の協和に関心を示す北の人々。 イタリアとフランスの音楽の特性はすでにこのロマネスク期の建築に明解に示されていたと考えて良い。
 付け加えると、古代ギリシャ人にとっての音の調和は継起的なもの、複数の音が同時に鳴る和声とは全く異なるもの。 何人かの演奏者が同時的に奏でる形態はこのフランスロマネスク以降の中世的発想と言って良い。 
さらに中世以降、多声音楽を一般化したフランドルのポリフォニーに対し、ルネサンス以降、イタリアでは多声であるがホモフォニーに拘り、やがてオペラの基となるモノディー(単旋律の歌唱声部を低声部と和音の伴奏で支える独唱歌曲)を生み出している。

2012年1月8日日曜日

エギナ島のアパイヤー神殿

ギリシャの3つの神殿と言えば、アテネのパルテノンとスニオンのポセイドン、

そして、エギナ島のアパイヤー神殿。

クレタの乙女アパイヤー(プリトマルティス)はミノス王の執拗な恋に追い回される。

もうまさに、追いつめられ捕らわれそうになったその時、

彼女はとうとう断崖から海に身を投じてしまい、ミノスから逃れた。

しかし幸いにも、漁師の網にかかって助けられ、

このエギナにやって来たと伝えられ、やがてクレタではなくギリシャの神となった。

ギリシャ神話の女神はアテネ同様、みなたくましい女性ばかり。

アパイヤーも弓矢に長け、鹿を倒すのが得意だったと言われている。

サロニコス湾の中央にあるエギナ島、

その東端に建つこの神殿はちょうどパルテノン神殿と向かい合う形に建築されている。

この湾は逞しい女神二人によって守られているということになるようだ。

エギナを訪れたこの日は天気が良く、

エーゲ海は11月ですが穏やかな陽光に包まれ波は静かだ。

ピレウスからフェリーで1時間半、

この島は一人旅でも気安くエーゲ海を楽しめる格好な位置にあった。

この神殿は当初、パルテノン同様女神アテネに捧げられた神殿と考えられていたが、

音楽指揮者フルトヴェングラーの父、古典考古学者アドルフ・フルトヴェングラーによって発見された銘文から、アパイヤーに捧げられたものであることがわかる。

(パウサニウスの紀元2世紀のギリシャ案内記にも叙述されている)

アパイヤー神殿はアテネのパルテノンよりも古く、紀元前6世紀から5世紀にかけての建設。

一部分だが神殿の内側の二重列柱も保存され、外側のドーリア式列柱もほとんど原型を留めている。

使用された凝灰岩あるいは貝殻入り石灰岩にはスッタコ仕上げが施されていて、

赤く塗られた柱頭、トリグラフやメトープには青赤交互に塗られた形跡までが残されていた。

アテネを訪れたのであれば、パルテノン、ポセイドンとともに決して見逃してはならない建築、エーゲ海の船旅と共に欠かせることはできない。

見学の後、フェリー待ちでエギナ・タウン、文字通りこの島の小さな港町を散歩した。

波止場の先端の街はずれ、小さな土産物屋で銀の鎖に連ねられたひときわ大きな首飾りを見つけた。

首飾りといっても、豊満なアパイヤーな胸にこそふさわしいもので、

とても土産になるものではない。

鎖はともかく、石は当然宝石とはいえず、どこにでもある奇石ばかり。

しかし、衝動買いの癖からか、一度手にしたその瞬間、もう手離すことができなかった。

ブルーや赤、緑の小石の組み合わせは、まるでエーゲ海の難破船に隠されていた宝物のように思えたからだ。

英語も話せない店の老婆とのやり取り、なんとかこの宝物を手に入れ、持ち帰ることができた。

どこのどんな石であるかは、まったくどうでも良いこと。

幸い、エギナのアパイヤーで手に入れたこの宝物、この神殿の記憶と共に我が家の何処かに転がっているはずです。

2012年1月7日土曜日

古代ギリシャの音楽世界

世界の美しい秩序の根本にあるのは「数」、和音はそこから得られるものとし、天体は音階(調和)であり「数」であると考えたのはピタゴラス。ギリシャ人にとって科学は実利的なものではなく、審美的あるいは形而上学的営みだ。

ギリシャ科学では宇宙の生成は美しく秩序だったもの、ヘシオドスの宇宙の誕生は詩であるとともに科学でもあった。

その根本となる「数と比例」、紀元前六世紀ピタゴラスは協和音程と数の比例との間に密接な関係があることを発見し合理化した。ピタゴラスは鍛冶屋のハンマーが奏でる様々な音の良く響き合う瞬間があることに気付き、世界の美しい秩序の元にあるものは「数」であり、和音はそこから得られると確信したのだ。

音程とは二つの音の高さの隔たりを言う。一度はユニゾンつまり隔たりがない。ドレミファ・・・ではドとレの隔たりは二度、四度はドとミ、五度はドとファの隔たりを言う。伝説ではピタゴラスはキターラの開放弦を使って、ということになっているが、二点間に単弦を張り、開放弦の音と単弦の中央を押さえた時の音、つまり弦の長さの比が2対1の時、2つの音は互いに良く響きあうことを確かめた。

次に弦の長さを2対3、3対4に分割し弦を弾き、同じく開放弦と良く響き合うことを確認する。弦の長さを2対3に分割して弾くと開放弦とは五度の隔たり音、3対4の分割では四度の隔たり音、どちらもお互い良く響きあう。このことから1対2はオクターブ、2対3は完全五度、3対4は完全四度の音程を持ち、協和音程は「数の比例」と密接な関係にあることを発見している。

その後アリストテレスはピタゴラスの考えを強調し「数」をすべての存在の構成要素であるとした。天体は数であり音楽であると紀元前四世紀、彼の「形而上学」で定義づけている。一方、アリストテレスより早くプラトンは「国家」の中で算術と幾何、つまり数と形に関する学問こそ、現実を理性的に認識するための根拠なのだと言っている。

彼らの仕事はヨーロッパにおける合理主義、視覚や経験では捉えられない現実を、理性(ロゴス)と思考によって捉えるものとしたことにあり、その原理は「数」の「美しき秩序=ハーモニー」そして「天体の音楽」にあったと考えられている。

さらに古代ギリシャおいて音楽は現実の響きではなく、世界全体が照らし出される場となるもの、それは官能をくすぐるものではなく、理念に導かれる人工的世界とみなしている。笑いにさんざめく父神ゼウスの館、雷 轟かす雪を戴くオリンポスの高嶺と不死の神々の館、神々が住まう天上の館もまた「数と比例」による人工的世界なのだ。

構成された建築や音楽の中に数比関係が見いだされたからといって、それが感覚的な美しさを証拠だてる根拠はどこにもないが、感覚ではなく合理への信頼、理性的認識としての「音楽と建築」は全く同相にある。ともに「数」から生まれた兄弟。天(コスモス)に鳴り響く天体の音楽と天上の館はギリシャ神殿が石造建築として誕生するまぎわの時代、すでに確固たるイメージを持って地中海世界に広まっていた。

2012年1月5日木曜日

古代ギリシャの合理主義

盲目の吟遊詩人ホメーロスがキターラ(竪琴)を奏でながらトロイヤ戦争の叙事詩を歌ったのは紀元前八世紀。アテネのペリクレスとフェイディアスによってパルテノン神殿が作られる300年も前のことだ。ギリシャの陶器を飾る壷絵が人物像ではなく、幾何学紋様に終始している頃、ホメーロスは吟唱によって英雄たちの世界を詩った。

人々は詩を聴くことで世界を知ろうとした。

世界は絵や文字が「見る」ことによってではなく、言葉あるいは音を「聴く」ことによって理解されたのだ。それは聴覚から生まれる想像世界。世界は音楽から始まったと言って良い。

古代ギリシャの人々にとって耳で聴く想像世界のほうが、目でみる現実世界よりリアリティを持っていた。何故なら、いつも神々と共にある彼らの生活において、山々や木々や川や水や雲の流れ、天変地異、季節の到来、天体の運行など、すべては神々のなせる技。人々はその技を目で見ることより、想像することによって理解したのだ。

ギリシャの人々は何故、想像世界に強いリアリティを感じていたのか、そこには古来からの彼ら特有の考え方がある。天体はいつも規則正しく秩序立っている。生きるべき世界もまた同じ、世界は決して混沌としたものではなく、規則正しいある法則が支配している。

人が五感で知る世界はいつも不完全、捕らえどころなくバラバラ。現実の世界は不完全だが、その表面にではな く、背後にある世界には天体と同じ美しい秩序(ハーモニー)があり、そのハーモニーが完全なる世界を支えている。

人間が生きるべき本来の世界とは、自然や動物と共にある目の前の現実ではなく、その背後にある想像世界と考えていた、と考えて良い。

「プラトン主義に特有でおそらく東洋にその例を見ないのは、この転変常なき非現実の感覚界の背後に、二番目の、恒久不変の真理の世界が存在するという確信である」(シンボリック・イメージ・日本語版への序:平凡社)と書いたのはE・H・ゴンブリッジ。

ヨーロッパの音楽・美術・建築を理解する上で欠かせない言葉だ。古代ギリシャにおいては、人間が五感で把握する世界は不完全だが、イディアが人間が生きるべき本来の世界を支えている。

中世においては、唯一の創造主がいて、世界は神により支えられ、理性で理解できる教義により成り立っている。

目には見えないが、世界は秩序だっているのだ、という観念とその事への信頼は、ヨーロッパの芸術を支える土台と言って良い。その土台は古来からの合理主義。

「人間が関わる事柄の全ては理論理性で説明がつく」という強い信念が生きるべき世界を支えている。

ゴンブリッジが東洋にその例を見ないということもよく理解できる。私たちは合理主義より経験主義「事柄の理解はすべて経験の結果」と考えている。

従って、「理性によって組み立てられた世界」より「経験的現実の世界」が生きるべく総てであって、 感覚界の背後の世界には関心が無い。 仮に「もうひとつの世界」はと問えば、それは夢か彼岸、死後の世界となってしまう。

ゴンブリッジは同じ日本語版への序で次のようなことも付け加えている。
「プラトンの学園、つまりアカデミアの入口の上には、幾何学に通ぜざる者ここを潜ることなかれ、という銘文が記されてあったという。それは何故か。奇妙に響くかもしれないが、幾何学上の真理は我々の転変常なき感覚界には適用されないのである。」

幾何学という数と形の学問は建築を支える基盤。
しかし、その基盤もまた現実ではなく、現実を理性的に認識するための根拠にすぎないと言っている。つまり、確かなことはどこまでも目に見える現実ではなく、観念あるいは理性的認識だけなのだ。

人間が描く三角形はいかなる三角形も真実ではないし、また真実である必要もない。現実の紙の上に書かれた直線は、真なる直線であることは決してない。真なる直線とは理性的なあるいは観念的な認識の世界に存在するもの、という認識。

プラトン主義は感覚で知る現実の背後に、本来の世界が存在すると考え、真の理性的客観的知識とは、その世界にあるものと考えている。現実的感覚界にあるのは主観的意見に過ぎない、従って、誰もが共有する「合理」は現実の背後の想像世界のみの存在となる。

2012年1月4日水曜日

天体の音楽と天上の館





「プラトン主義に特有でおそらく東洋にその例を見ないのは、この転変常なき非現実の感覚界の背後に、二番目の、恒久不変の真理の世界が存在するという確信である」と書いたのはE・H・ゴンブリッジ。(シンボリック・イメージ/日本語版へのまえがき)

この言葉はルネサンス以前のヨーロッパの音楽・美術・建築を理解する上で欠かせない。
五感による世界は不完全だが、完全なるイデアが世界を支えている。
宇宙は決して混沌としたものではなく、ある法則が支配している。
ヨーロッパ中世においては、世界は唯一の創造主がいて、
理性で理解できる教義により成り立っている。

目には見えないが、世界は秩序だっているのだ、という観念とその事への信頼は、ヨーロッパの芸術をを支える土台です。
その土台を合理主義と呼んで良いと思います。
「人間が関わる事柄の全ては理論理性で説明がつく」という強い信念。
一方、「事柄の理解はすべて経験の結果」という考え方があります。
当然、経験主義はヨーロッパにおいても登場します。
しかし、いつも合理主義が先行し、経験主義はそのアンチテーゼあるいは非合理主義、神秘主義として登場するのがヨーロッパでの特徴です。
プラトンに対するアリストテレス、デカルトに対するパスカルがその例とされます。

ゴンブリッジが東洋にその例を見ないというのも良く理解できます。
ヨーロッパ的神秘主義とは異なりますが、ボクたちの事柄の理解の大半は経験の結果に他なりません。
そしてルネサンス以降のヨーロッパもまた「あるはずの世界」ではなく「あるがままの世界」。
音楽は聴くべき世界であり、絵画は眺める世界となっています。
現代建築では特に実利と経験がすべてです。
建築は説明されるべきではなく、経験されねばならないからです。

ヨーロッパの音楽と建築はギリシャ・ローマさらに中世キリスト教社会において、経験より合理への強い信頼によって支えられていたと考えて良いでしょう。
古代ギリシャから近代の始まりまで、ヨーロッパの人々は天体は音楽で満たされている、という楽しい確固とした観念を持っていました。
ギリシャ人の合理を支えるもの、現実の背後にある確かなるもの、それは秩序つまりコスモス(天体)です。(ギリシャ語のkosmosの意味は秩序)。
人間に知覚されるか否かは重要ではなく、目には見えないが、しかし見いだすことのできる秩序。
ギリシャ人にとって科学は実利的なものではなく、審美的あるいは形而上的営みです。
ギリシャ科学では宇宙の生成は美しく秩序だったものと考えられていました。
そんな宇宙の誕生をヘシオドスは紀元前7世紀の神統記の中で、
宇宙はムネモシュネの娘である9人の「ムーサ=ミューズ」の音楽に満ちたものと見なしています。

麗しい歌声が疲れも知らず
ムーサたちの口から流れ
彼女たちの百合にも似た歌声が
広がりゆくとき
雷 轟かす父神ゼウスの館は笑いにさんざめき
雪を戴くオリンポスの高嶺と不死の神々の館は木霊を返す
(廣川洋一訳)

紀元前6世紀ピタゴラスは、協和音程と数の比例との間密接な関係があることを発見しました。
この発見により彼は世界の美しい秩序の根本にあるのは「数」と考え、その後アリストテレスはその考え方を強調し「数」をすべての存在の構成要素、天体は数であり音楽であると定義づけます。(形而上学/BC335)
一方、アリストテレスより早くプラトンは「国家」(BC380)の中で算術と幾何、つまり数と形に関する学問こそ、現実を理性的に認識するための根拠と言っています。
ヨーロッパにおける合理主義を視覚や経験では捉えられない現実を理性(ロゴス)と思考によって捉えるものとしたのであり、その原理は「数」の「美しき秩序=ハーモニー」そして「天体の音楽」であったのです。
さらに古代ギリシャおいて音楽は現実の響きではなく、世界全体が照らし出される場となるもの、それは官能をくすぐるものではなく、理念に導かれる人工的世界と考えられました。
ここにきて建築と音楽は全く同相なものであることが理解できます。
ともに「数」から生まれた兄弟であり、天上の館に鳴り響く天体の音楽はギリシャ神殿が建築として誕生するまぎわの時代(紀元前7世紀)、すでに確固たるイメージとして地中海世界に広まっておりました。




2012年1月1日日曜日

スニオン岬のポセイドン神殿



エーゲ海に突き出たアッティカ半島の最南端のスニオン岬、
ここに海の神を祭る建築、ポセイドン神殿が建つ。
岬の先端に建つこの神殿は神そのもののようにみえる。
沖を行き来する船から岬を眺めると、
海の神ポセイドンがむんずと起きあがるかのようだ。
船上のギリシャの人々にとって、
建築を特に朝日夕陽の斜めの光りで眺めることは、
まさに神の降臨に立ち会うような経験を実感していたに違いない。

この神殿はボクたちに建築の有様を教えてくれる。
小さな写真ではむずかしいが、ポセイドン神殿をじっと眺めていると、
なにか新しい空間が立ち上がってくるように感じられないだろうか。
音楽を聴いたとき、
体の中に日常とは別の新しい空間がわき上がってくるように、
建築を体験することから、全く新たな空間が想像される。

この神殿が建っていないスニオン岬の風景を想像して見ると良い。
そこは世界中のどこにでもある、
美しい岬の一つにすぎない。
しかし、神殿が建つこの岬は、
もはや「人間のための特別な場所」だ。
建築は「人間の空間」を作ろうとする行為。
スニオン岬のポセイドン神殿は
建築の持つ意味と役割をボクたちに教えてくれる。