明王院は福山市の南西、国道2号線が芦田川を西に渡るとすぐの左手の山、川沿いの小さな山の中腹に建つ古いお寺だ。
この辺りを草戸千軒という。
そこは芦田川沿いに鎌倉から室町時代にかけ日本には珍しい一大都市(大規模集落)があったところ。
度々の洪水で消滅し、江戸時代の文献にのみに遺された今や幻の場所。
1930年代の川の付け替え工事の際、多量の古銭や中国陶磁器が発掘され、その存在は現実となった。
しかし、川の中州部分が「草戸千軒」と確認されたにとどまり、発掘調査が本格化する以前に遺跡は新しい川の流れの中に水没、幻の町となって消えてしまった。
(復元模型は福山駅前、広島県立歴史博物館)
見学した明王院五重塔は1348年の建立、本堂もまた1321年と書かれているから、まさに南北朝、後醍醐と尊氏の時代。
草戸千軒の家並みが塔の眼下に幾重にも重なり合っていたのではなかろうか。
寺伝では807年空海が開基したと言われるが、石段を登りきった境内は山地の割には広々とし、古刹の院というより、かっては多くの信仰を集めた力のある寺院ではなかったかと思われる。
その塔の美しさは驚くばかりだ。
本瓦葺の五重の屋根は全てが緩やかに大きく羽を広げ、その全体は「あおによし」、複雑にしかし、規則正しく自信ありげに支え持つ赤い組み物と緑の連子が色あせることなく陽に輝いている。
そのイメージは間違いなく幻の町と言われるこの町に住む庶民たちの富と安寧と栄光が作り上げたもの。
そんな建築がいまや忘れられたかのように深く覆われた木々の間から、子供たちが野球やサッカーで走り回る河川敷や整備された芦田川の水の流れを眺めている。
この塔の特徴は五層全てに丹念に回された擬宝珠高欄にある。
水平な高欄の流れを間斗束と三手先が垂直に三拍子を刻む、その上に正確に枝割りされ配られた六連音符のような垂木が天に終わるところで反りの強い軒先となり力強く斜めに切りあがっている。
そして、いつも思うんだ、日本の塔を見ていると音楽が聴こえる。
この塔もまた、ボクの好むハイドンのカルテット、その秩序とメロディーが感覚的に全く同じように感じられる。