2023年1月8日日曜日

ヴェネツィアのレデントーレ教会


「・・・あの石の虚構を極限にまで押しすすめたような、レデントーレ教会のファサード・・・。これを設計した建築家パッラーディオは、もしかしたら、完璧なかたち以外に、人間の悲しみをいやすものはないと信じていたのではなかったか。 しかし、同時に、完璧な世界、すなわち、当時パッラーディオもふくめたこの島の知識人たちにもてはやされたユートピの思想さえ、虚構を守ってくれるはずの石を海底でひそかに浸食しつづける水のちからには、いつか敗退する運命にあるという意識が、どこかで彼らを脅かしていたからではなかったか」。 
 長い引用だが、この部分は須賀敦子さんの「時のかけらたち」。 パラーディオの建築は訪れる機会が度々あったが、しかし、彼女のヴェネツィアは美術書・建築書ではつかみきれない「マニエリスム」を「目から鱗」的に説明してくれている。

 

「地図のない道」ではそのヴェネツィアの広場と橋と島に的を絞って触れている。   そこは観光客はあまり関わらない、ユダヤ人のゲットとザッテレのデリ・インクラビリのこと。   特に引き込まれるのは、ジュディッカ運河をはさみデリ・インクラビリとレデントーレを対峙させ語っている部分。 
 デリ・インクラビリはかってのヴェネツィアの娼婦たちが病を得て不治のまま収容されていた施設があるところ。 須賀さんは書くべきこと、書かずにはいられないことのすべてをここに書き尽くしているように思えてならない。
  「・・・河岸に立つと、対岸のレデントーレ教会がほぼ真正面に望めた。私がヴェネツィアでもっとも愛している風景をまえにして、淡い、小さな泡のような安堵が、寒さにかじかんだ手足と朝から不安で硬くなった気持ちをいっぺんにほぐしてくれた。」  

 須賀さんのヴェネツィアは確か、愛するペッピーノを失ってからの体験がすべてであったはず。   
 そして、パッラーディオのレデントーレ教会、その対岸のデリ・インクラビリから、かっての不治の病の娼婦たちが毎日眺めたであろう理想世界。
 建築はやはり、いつの時代も多くの人が各々の物語を生み出す芸術なのだ。
 この「・・・いっぺんにほぐしてくれた」に触れ、彼女が残した著述の全貌と訪ね続けた人と建築への思いを強く実感した。

2022年7月28日木曜日

ポストアートセオリーズ

ここのところ北野氏の「ポストアートセオリーズ」を読んでいる。読みながら終始、気になるのはヴィクトル・ユーゴの「ノートル=ダム・ド・パリ」。なんとも場違いな話しだが、「現代芸術」は14・15世紀と同様のメディアの変容のなかにある。
かって、音楽と美術は建築と一体化し、神話やキリスト教の世界を顕現させていた。やがて、音楽はアルスノーヴァ、絵画は透視画法によりあるがままの世界に関わり自律する、そして作品は教会から各々自由に飛翔していく。ユーゴはそんなパリのノートルダム大聖堂を書いていた。
18世紀、建築はニュートラルな建物に変わり、誕生したのが「近代芸術」の鑑賞空間。文学・絵画・彫刻・音楽は教会とは異なるライブラリー・ギャラリー・コンサートホールという空間を獲得する。現在はニューメディア技術が一般化する21世紀、「現代芸術」はいかなる世界を必要とするのだろうか。

参考:ノートル=ダム・ド・パリ ヴィクトル・ユゴー文学館第五巻 辻とおる松下和則 潮出版
司教補佐はしばらく黙ってその巨大な建物をながめていたが、やがて溜息をひとつつくと、右手を、テーブルにひろげてあった書物のほうへ伸ばし、左手を、ノートル=ダム大聖堂のほうへ差し出して、悲しげな目を書物から建物へ移しながら言った。
「ああ!これがあれを滅ぼすだろう」
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現代における「芸術とは何か」という問い、現代芸術のはじまりはデュシャンの「小便器」であり、ウォーホールの「工業製品」にある。見るモノ聞くモノ、全てが溶解、それがモダニズム芸術の始まり。

「現代芸術」は理解の溶解のみならず「芸術対象」そのものの溶解でもあった。作家の意図と作品、その意図を読み取る受け手、この二者が構成する場、その全体が現在のアートワールドを構成している。
メディアが「建築術」「印刷術」から「映画術=電脳術」に変容するとき、その渦中にあるアートワールドはどんな様相を呈するのだろうか。

ポストモダニズムは美学の転換、それは文化現象への記号を巡る知の戯れによる芸術の拡張。しかし、1970年代以降、その転換に促がされ記号の戯れは市場主義に包摂されてしまう。
モダニズムの「フォルムの解体」から「記号の戯れ」によるシュミラークルはショッピングモールに包摂されるという歴史認識がポストモダニズムの美学ということになる。
しかし、そこにあるのは自律を失った現代芸術の状況に他ならない。そして、21世紀の今日、もはや批判的記号という知の戯れに興じるものは誰もいない。

リオタールに言うモダニズムの大きな物語はアヴァンギャルド的な小さな物語へと横滑りし、芸術を支える意味の世界はお祭りドクトリンとフェスティバル、市場化されたインターナショナル・アートワールドへと変容した。
同じポストモダニズムの「記号の戯れ」はアートと建築の複合態を加速する。精神より物体への問い、理論に疲れた風景の中で現実的なものに対峙する作品の群れが一斉にアートシーンに登場し、作品は同時代状況にいかに向き合うかが課題となった。
アートと建築が一体化しながら「デザイン」という名のもとに資本主義に飲み込まれていく、二十一世紀の光景を抉り出し、ハル・フォスターは2011年「アート建築複合態」を書いた。

工業技術化された抽象と装飾的な歴史主義の狭間に建つ建築は企業からのブランド化の要請に応え、抽象的なシンボリズム(記号操作)で彫刻的で巨大なアイコン建築によって「人間の都市」を覆っていく。
やがて世界は後期(金融)資本主義社会に飲み込まれ、結果として、芸術や都市の終焉まで、真実味を持って論じられるようになったのだ。

20世紀末から今世紀はじめにかけて、生活世界の多くの局面がデジタル技術によって再構築(再デザイン化)されるプロセスが進む。記号論的意味合いでの脱構築という言葉に酔いしれている間に新たな構築が進んでいた。
モノはデジタル技術が操作しやすいような水準で組み立てなおされていた。わたしたち人間が向き合うモノはもはや安定的な風景のなかには収まっていない。記号論的世界観にとらわれる身振りが、感覚の平面にある時代状況からかけ離れている。
美術史研究では「感覚」や「知覚」という言葉が多く見られるようになる。そして、「メディア」という言葉に浮かれだすという事態もあちこちにみられるようになった。

すべてを商品化しようするグローバルな資本主義が、暮らしのなかのモノの理解までをものみこんでいく。もはやフラット化する社会どころかリキッド化する社会。そうしたなかにあって、現代芸術に対するかたりかたもうねり、逡巡し、彷徨っている、と著者はみている。
「芸術の終焉」を書いたアーサー・ダントーは「芸術固有の意味はまったく別の次元で推移する、と期待されていた。言語的理解を越え、感覚器官の水準さえも越え、芸術作品は作品として屹立せねばならない」と言っている。

2022年7月27日水曜日

「世紀末の思想と建築」から

「フランス革命と芸術」は建築を含めルネサンス・バロックから近代への変容の解説。200年後の現在はその世紀末となる。
既に触れたC.ダントーの「芸術の終焉」、欧米では多くの反響を呼び、今や古典なっている。二人の対談であるこの書は現在の建築が持つ基本的な問題。消費社会という批判できない資本主義において建築を建築たらしめるものはなにか、というテーマでの二人の対談。
「アート建築複合態」でも触れているが、消費社会と芸術という問題をどんなかたちでとらえるか、というプロブレマティックを提出するのが建築家であり芸術家、何も言わなければ商業職人と言うことだ。

2021年12月28日火曜日

アドルフ・ロースとテオドール・アドルノ

1965年、19世紀末以降の現代建築が沈みつつあるこの年、アドルノはドイツ工作連盟大会に呼ばれ講演した。「今日の機能主義」はその時の記録であり、内容はロースの装飾批判と機能主義をテーマにアドルノ自身の美学と音楽を関連させ講演している。1921年ジョルジュ・クレ出版社からの「虚空へ向かって語る」がロース自身が語った闘いの記録であったとするならば、アドルノのこの講演は、その後のモダニズム建築の低迷を論じ、建物とは異なる建築の自律その内実に関わり呻吟している。この講演から早くも50年余り、それは丁度、ロースからは100年と言うことになるが、建築が相変わらず「虚空へ向けて」であることは全く変わらない、現代建築はどこへ行くのであろうか。

装飾批判とは装飾が持つ機能的、象徴的な意味を失い、ただ腐敗的組織、有毒なものとして存在するものを批判するもの。必要なものと余計なるものとの差異は作品に内在するものであって、かたちとして表れているかどうかの問題につきるものではないとアドルノは言う。つまりロースが主張した無装飾でザッハリッヒカイトな建築を良しとしているわけではないのだ。

ロースの言う建築の自律は非装飾とは直結しない、アドルノは言う。モダニズムを自律的芸術の時代とするなら、現代の音楽と建築は今、危機的状況にあると言える。アドルノはその状態を素材自体からは何ら意味あるものを引き出すことが出来ないことにあるとしているのだ。

機能と装飾
装飾批判とは、アドルノはそれはロースの選択ではなく、歴史的必然であったとしている。

純粋に表現と構造から組織だてられた音楽においては、建築においてと同じようにそうした装飾は容赦なく淘汰された。共に凋落したロマン主義的虚構性と無力であることを知りながらなお魔力を発揮させたいという願う装飾に対し、新しい芸術家は敵対したのだ。それがアーノルト・シェーンベルク、カール・クラウス、アドルフ・ロースに他ならない。

機能主義の問題と実用的な機能の問題とは別の問題であって、本来、目的に拘束されない純粋芸術と使用目的が決まっている芸術(建築)はロースが主張するようには極端に相反するものではない。必要なものか余計なものかの差異は作品に内在するものであって、ただ作品のかたちとして表れているかどうかの問題に尽きるものではないとアドルノは言う。

皮肉にもロースが評価するシェーンベルクの室内交響曲第一番は装飾的な性格を持つテーマが現れている。そこでは装飾は主要な楽想であって、新音楽における極端な構成主義的傾向の中で、むしろカノンの多様な対位法的展開のモデルとなっている。つまり、ここにある装飾的なカノンは余計なものではなく、作品に内在するもの。カノンを装飾・無装飾と安易に決めつけるのではなく、その音楽の内実に沿った楽想であるか否かがアドルノにとって問題なのだ。

全ての芸術が自律的なものとなりおおせたとしても、装飾的要素を完全に放棄することはできない。何故なら芸術自体がすでに実生活からすれば一つの装飾なのだから。そして、アドルノはロースのザッハリッヒカイトとならざるを得ないモダニズム建築は、素材とフォルムに対する内部的想像力を通じて、貧弱な合目的的建築を乗り越えなければならないと鼓舞している。

建築家の想像力、素材とフォルム
もう少し、講演の中身に踏み込んでみよう。始まりはロースの装飾批判における矛盾の指摘。想像力は実用の世界では無用というロース。しかし、想像力についてのベンヤミンの見解は「細々とした細部においてその間を補いつなげる作業」と言うことだ。造形に関わる創造的な仕事での想像力とは、むやみやたらに創意を膨らませる慾求、無からの創造の欲求とは異なるとアドルノは言う。彼の美学からは想像力とは、素材とフォルムに働きかけ、多くのものを引き出すことにあるのだ。

素材とフォルムに関わるのが自律した芸術の想像力。ロースが存在すると信じた自律的な芸術には想像力はない。素材とフォルムに関わるのが自律した芸術の想像力。自律的な芸術はそれをつくった芸術家による付加的な創意、素材とフォルムに本来以上の力を発揮させるもの、それは無限に小さく極限値である。他方、想像力という概念を素材あるいは目的への適合性の先取りという点に狭めて考えれば、今まで考えてきた想像力の概念とは相反する。素材とフォルムに関わる想像力とはこれに働きかけ、これより多くのものを引き出すことである、とアドルのは言う。

フォルムも素材も自然の所与のものではない。それには歴史と、歴史を通して精神もまた蓄積されている。素材とフォルムとがものの言語で語りかける沈黙の問いに、想像力は一歩一歩答えていく。そして、目的と内在するフォルムの法則が一体となり作品をつくりだす。目的と空間と素材は相互に内的に関わり合いを持っている。ひとへに全体の機能との関連の中でのみトーンは意味を有する。それなしではトーンは単なるフィジカルなものにすぎない。そこからは潜在した美の構造を引き出し得ることはない。ここでいうトーンはアドルノの音楽的発想、フィジカルな機能を超える建築はここからトーンを如何なるカタチ(意味ある言葉)にするかが問題なのだ。

目的と空間
建築の内部についてはどうかというと、内部空間の感覚は抽象的なもの、それ自体ではない。建築空間は目的と内的に関わりを持ちながら、その質を獲得する。建築においては内部空間が合目的性を乗り越えた時点において、それは同時に目的に内在する。目的と空間が一体となっているかどうかが、偉大な建築であるか否かを判断する中心的基準となる。

アドルノの言う機能主義はある特定の目的がいかにして空間となり得るか、いかなるフォルム、如何なる素材において可能か、と問うている。建築における想像力とは、目的を通して空間をイメージし表現する能力のこと、目的を空間たらしめる能力であり、目的にしたがってフォルムを形成する能力を意味しているのだ。

空間と空間の感覚とは、想像力が合目的性のなかに沈殿してしまったような貧弱な合目的的なものより、より豊かなものになり得る。想像力は自らの存在の拠りどころとなっている内在する目的との関連というものを吹き飛ばしてしまう。空間の感覚とは、抽象的な空間のイメージと相違して、視覚的な分野においては、音楽的なものに対応するに相違ないとアドルノは言う。音楽的なもの、音楽性とは抽象的な時間観念に帰するものではない。したがってメトロノームが音楽を生み出すのではない。

空間的イマジネーションというものは音楽家が楽譜を読むのと同じで、図面を読む建築家には不可欠な資質と言える。しかし、空間感覚はより以上のものを要求している、その空間から人が何かを想起してくれ、と。その何かとはその空間の中に身をおいて、その空間に無関係ではない何か、勝手気ままなもんではない特定の何か、それを想起しなければならない。

空間と機能
建築家が空間を形成するフォルムの構成に比して、はるかに大きく目的というものが、空間の内容の役割を担っている。建築とは、そのフォルムの構成と機能という両極が相互に、より内的に結びつけばつくほど、より高い質を獲得するのではあるまいか。

しかしながら、人間のための機能とは、人体によって規定された人間にとっての機能のことではない。その機能とは社会的に見た人間一般を対象としている。したがって、知性によってのみ、ものごとを把握する知的性格を機能的建築は持つものだ。それは人間の潜在能力であって、非常に進歩的意識を有するものだが、内面まで無力とされる人間の中では簡単に押しつぶされてしまうたぐいのもの。

ヒューマンな建築とは、人間を実際より美化するものなのだ。建築はイデオロギーを歴史に刻むことなく、単に「用」に奉仕するや否や、今ここで要求される用とは矛盾することになる。100年前、ロースが書いたように、建築はいまだ虚空に向かって語りかけているようで、人々からなんの反応もなく理解されていない。

そこには社会的対立に要因があるわけで、人類の生産力を想像もつかないほど発展させた同じ社会が、人類の生産力を上位の生産関係に縛りつけていること、人間である生産力が人間をその生産関係の尺度にしたがって歪めている、という事実が、建築への無理解を深めている、とアドルノは言う。社会のこうした根本的な矛盾が建築において現象しているのだ。建築は消費者とおなじで、建築は自身からその矛盾を取り除くことは殆ど不可能。
生身の人間の正当でない要求の中にさえも、何がしかの自由がある。生身の人間にとって、正統とされる建築は必然的に敵対するものと思われる。それは経済理論が、かって抽象的な交換価値に対して使用価値と名付けたものに他ならない。なぜならばそうした建築は、現実のあるがままの人間が欲し、また必要とさえするものを、充足させることはしないからである。

どうやら、ここらあたりがこの講演のポイントのようだ。商品の持つ交換価値と使用価値、アドルノはその二重性を彼の美学の中で鋭く考察しているが、それは別掲ブログで取り上げたい。

芸術の自律と技術
芸術は、完全に芸術たり得るには、自己固有のフォルムの法則に従って、自律的に作品として結晶せねばならない、とアドルノは言う。これこそが芸術の真のありようだが、そうでない場合、芸術は否定した当のものに従属することとなってしまう。芸術は、自己の中に自らが抵抗するものを内包している。芸術が固有の魔術的なそして神話的な始原とのつながりを断ち切ろうとすればするほど、芸術はそうした技術への適応には危険性が増す、芸術はこれに抗する確固たる術を有してはいないからだ。

人間は本来自分のためにある技術に追従するのではなく、技術が人間に従わなければならない。しかし今の時代では、人々は技術にどっぷり浸り、自分達のより良き部分を技術に遺伝として伝えた後、抜け殻のように取り残されてしまったかのようだ。人々の固有な意識は技術を前にして物質化されており、だからこそこの技術について物質化という点から批判する必要がある。技術は人々のために存在するのだ、と言った至極当然の言は、今や時代に取り残された陳腐なイディオロギーなのだろうか。

都市計画の問題
機能主義の問題は有用性への従属なのかという問題がある。不必要なものは捨て去られるので問題ないが、その機能主義の展開を見ると、それに内在する美的な不十分さが明らかになってきた。単に有用であることだけでは、あまり役にはたたず、世界を荒廃させる手段になるし、慰めのない絶望的な世界とする手段となってしまう。ものごとの核心に迫るには、そのザッハリヒカイトをものから離れて問題点を抽出する思考が必要とされる。

専門家は自分の仕事が社会においてどのような位置にあるのか、またいたるところで遭遇するであろう社会的障害について、自己の芸術家としての立場から説明しなければならない。このことは都市計画の問題において深刻かつあからさまだ。都市計画はカオスに陥るか、そして生産的な建築物の出現を阻む危険性を孕んでいるのだから。

建築は今まで断罪された美的省察をあらためて必要とする。芸術における有用性と有用でないことの概念や、自律的芸術と目的に拘束された芸術とに区分することが議論の対象となっていることが事実とすれば、美学は実際的必要性を持っている。今日、美に深さ以外の尺度はない。美とは力の平行四辺形の合力としてあるか、あるいはそんな美は全然存在しないのか、そのどちらかなのである。

2021年8月15日日曜日

シェーンベルクとルイジ・ノーノ

オペラ劇場の指揮者であるインゴ・メッツマッハーは「新しい音を恐れるな」という興味深い本を書いている。シェーンベルクの無調「三つのピアノ曲」を暗譜で演奏したことが、ピアニストの道に進むキッカケになったという。
時間、色彩、自然、ノイズ、静寂、告白、遊びという7項目から、11人の音楽家を平明に解説していく。従来のクラシック音楽を批判し、壮大な嵐の中から各々の音楽を発見していく20世紀の音の探求者たちの紹介といって良い。

「世界が調和に満ちているなんて、一度も感じたことが無い時代、音楽にあるのもまた軋轢と不協和音だ。」というシェーンベルク。彼は「モーゼとアロン」により、「見ることの悲劇」をオペラ化した。それは仮象を見ることではなく、現実を聴くことの意味をモーゼで表現したのだ。

「聴くことの悲劇」をオペラとし「プロメテオ」を作曲したのはヴェネツィアのルイジ・ノーノ。人類に火をもたらした彼は、言うならば現代の原子力に繋がる、人間の力ではどうにもならないリスクの大きい技術を手にしてしまった現代の象徴。シェーンベルクを引き継いだ彼は「聴くことの悲劇」によって群島状に分布する様々な人の声、矛盾と敵対を孕んだ歌や合唱を響かせる。そこでは、オペラを脳内のシナプス連繋のように響き渡る世界を聴く装置として作り上げた。

20世紀初頭のブゾーニにとって十二音平均律は代用品に過ぎず、無限の階調を求め三分音、六分音を使用していく。この動きはまさに音楽における最初の自然参加であったのかもしれない。
そして、シェーンベルクの十二音列、従来の協和音から離れ、自然から新たな秩序を引き出そうとする最初の方策と考えれば良い。もっとも、世紀末、音楽における不協和音に関心を持ったのは彼だけではない。始まりはワーグナー、ドビュッシーもまた興味深い作品を作曲している。

オクターブ内の十二の半音が相互に関連づけられる。他の全部の音が現れたあとでなければ、同じ音を繰り返してはならないという規則。
音の現れる順番は音列として定められ、その音列が曲全体を支配する。どんな音も調も、他に対して上位に立つことはなく、すべてが平等な価値を持つ、という一つの基準となるシステムを作り上げる。それはかなり人工的な作業だが、言うならば、シェーンベルクは嵐を表現しようとしてきたのだ。 現代音楽の世界はまさに事前が荒れ狂う壮大な規模の嵐の時代なのだ。

シェーンベルク音楽にあるもの、それは軋轢と不協和音。 緊張を否定し現実の和解をオブラートでくるんでしまおうとする音楽をどうしてつづけなければならないのだろうか、という疑問がまず始まりであったろう。音楽はしっかりとした土台の上にあったのだから。

ワーグナーのトリスタンとイゾルデに嵐の兆し、崩壊の始まりが感じられる。 マーラーの交響曲は前途の危うさを予感のなかにあった。 そして、永遠不変にみえた和声の組立を捨て、新しい音楽言語をつくろうとしたのがシェーンベルクの音楽だ。

彼はシュトラウスの交響詩からストーリーを語り、情景を描写する音楽(標題音楽)の原理を抽象的な形式による音楽芸術の聖域、つまり室内楽に応用しようと考え「浄められた夜 」を作曲している。そして、室内交響曲第一番。
四度音程に規定されたマーラーの第九交響曲で終わりゆく時代に別れをつげ、シュトラウスはエレクトラで既存のあらゆるものの基礎を揺るがし、ブラックとマティスは具象から抽象へ、キュビズムを興し最初の未来派が宣言された。
古い世界の崩壊というより、もはや世界がこれまでのように堅固なものでなくなったため、世界に対するわれわれの認識は大きく崩れさった。 そして、 長二度と短七度という不協和がシェーンベルグの新しい調性の柱となる。

歴史からの離脱、モダニズム建築との違いはここら辺りにあるようだ。
建築は世紀末からもはや100年、合理主義を弁証法的に繰り返し、過去の合理主義を継承するしか方法がない。しかし、これが建築の宿命なのかもしれない。
どの時代も建築は全体主義的なユートピアを希求してきた。
偉大な作曲家たちは、すべての人に語りかけてくいる。
心を開いてさえいれば、その音楽は誰でも迎えいれてくれる。
そしてぼくたちに向かって、つねに何かを語り続けかけている。そして、 ぼくは考え続けている、建築はもはや、なにも語ることができないのだろうかと。

2021年8月13日金曜日

音楽的建築体験

建築は絵画より音楽に近い、その経験は視覚的に明瞭であることより、感情的、触覚的蓋然的である。建築の面白さは何かと問えば、工学的にどう作るか、芸術的に美しいか、実用的で使いやすいか、精神的に居心地が良いか、だけではではないだろう。

それは、建築を経験することから生まれる、日常とは異なる異種の世界に入り込んだという感覚的な楽しみ。

ロマネスクの聖堂では、暗闇の中に据えられた柱頭飾りついての知識がなくとも、反響する音と呼応し、実際にはまったく目には見えないのだが、不可解な妖精に見張られているような体験をする。

そこでは音楽が無くとも、柱が刻むリズムや差し込む光に誘われて耳には聞こえないメロディーを聴く。この異次元の経験が建築の持つ面白味だ。その想像的世界はある種の物語性、音楽性を秘めたオペラなのかもしれない。

2021年6月5日土曜日

かって建築は

かっての建築は
人間の生きている世界は現実的世界と観念的世界、その二つの世界を建築は同時に視覚化してきた。しかし、前者のみを建築とするのがモダニズムあるいは唯物論的視点。ここでは、建築は存在せず、テクノロジーの産物としての建物のみが造り続けられる。かって建築は「建築の背後にある意味・メッセージを形象化する」というところにあった。建築は視覚化できない人間の観念をも外部化し、形にしてきたのだ。形にならないもの、見えないものをどう視覚化するか、その方法は古代のギリシャ以来ヨーロッパ建築を支えている。

ヨーロッパ社会ではまず、観念としてのイディア、我々はどこにいるかという世界観。世界はこんな形をしているという世界模型、そして神(キリスト)の世界、聖書の世界を具現化、その世界はどんなカタチかをしているかを示すことが、建築の役割だった。
16世紀の宗教改革、人間のもつ理知的な知性(美学)つまり新たな秩序がテーマとなり、建築は大きく変容した。
18世紀半ば、近代はモデルネ<新しさ>を探した。個人主義による個々人が持つ理性とか崇高が問題視され、その意味の外形化がテーマとなる。しかし、集団的人間が持つコスモロジーが消滅し、建築は何を手がかりにし、何を生み出したら良いか解らなくなってしまう。結果、この時代のモデルネは実体の建築より建築論の方が盛んになった。
そして19世紀、神の秩序から離れ、全ての芸術は人間の世界を模索する。しかし、近代人が自らの根拠と方法を見うしなう。彷徨を重ねたのは文学だけの問題ではない。美術も音楽も建築も、その後のヨーロッパの芸術分野に共通しているテーマは、ザイン(存在)とシャイン(仮象)の対立、あるいは観念論から唯物論への変容と言って良いようだ。
20世紀に入り、抽象的なイデオロギーに支えられた技術と経済が優先される。しかし、60年代以降の芸術はその解体と終末が実感された。
モダニズム建築は現実世界(リアリティ)の中の機械主義の美学をテーマとなり、その表現はシャイン(仮象)やミメーシス(模倣)であることが批判される。そして今は情報化時代、再びモデルネ<新しさ>が検討されている。しかし、機械には抽象的だが形はあるが、電子情報には形がない、インビジブルな時代、建築はカタチを見出すことは可能だろうか。
建築に何が可能か、視覚化は不要か、不可能か、今は全く見えない。手がかりはモデルネ。消費社会から情報社会、生産重視から生活重視を標榜するなら、建築は社会からの要請に応えるのではなく、社会を切り開く存在に立ち戻らなければならない。

参考:小説への序章 辻邦生
今世紀の芸術全般にわたる問題、それは存在と仮象の対立。小説が自由な散文を使用するためには芸術の自律性を失い、日常の事実性の中に拡散していく。しかし、単に現実をなぞるだけの小説はリアリズム。

自注:神の秩序から人間中心の秩序というモデルネは、自らの根拠と方法を見うしない、彷徨を重ねたのは19世紀文学だけの問題ではない。ヨーロッパの全ての芸術分野に共通しているテーマはザイン(存在)とシャイン(仮象)の対立、あるいは観念論から唯物論への変容と換言される。技術と経済が益々優先される現代、60年代以降はまさにその解体と終末が実感された。
ザインとシャイン
古来より、想像力を持った人間はフィジカルな空間とメタフィジカルな空間という二つの空間を持っている。人間は動物と同じように自然空間、現実的物理的空間に生きるが、もう一つ、観念的あるいは精神的空間をも住処としている。従って、構築される建築とは観念の空間と現実的世界が重ね合わされた想像の空間でなければならない。それはかっての人間が注目した「特別な場所」と言って良い。つまり、我々はどの時代も虚構の空間を必要としている。

ザイン ー>実体としての現実空間・地理的時間と空間・人間の外界にアプリオリに存在している。・自然空間・人工空間。
シャインー>虚構による仮象空間・観念的象徴的時間と空間・世界観としての想像の空間・神話的記号的時空・人間の体験によって想像的に産み出された空間。人間の集団に共有されている心的態度、世界と芸術の関係はいつもシャインを媒介として結びついてきた。




2021年6月4日金曜日

いま建築は

いま建築は
建築は現在、テクノロジーの一環。その形態には意味はなく、文字どうり与えられた役割を機械的に果たすだけ。もし、建築に語る言葉があるとしても、それはジャゴン、体験者が共有するものは何もない。建築は使用価値以外にはなにもなく、安全・便利・快適という、生活する個々人が必要とする役割のみを果たす。かっての建築が持っていた、カタチが表象する集団的意味を問うことはほとんど無い。

建築を含め現代の創作活動は作家個人の持つ知性・感性による制作。創作された作品に集団的意味が必要とされることはない。作品への関心は作家の持つ感性やコンセプト、あるいは知的活動であって、受容者の参加や批評は考慮されない。作品は主観的であって、作者の持つ観念的遊戯の世界に過ぎない。しかし、批評性や意味性を持って多くの人々の自由な感性をネットワークしてゆくような創作活動が本来の人間社会の作品の基盤。歴史はともかく我々は言葉のないクモの巣のような世界と今後どうか関わろうとするのか。問のみが残されている。

情報時代を迎え、プロダクトデザインにおいては機能の視覚化が意味を持たなくなった。プログラムが変容、またはデザインのアルゴリズムが変質することにより、作品の外側にその根拠を求めるようになる、つまり新たなシンボルやアレゴリーやストーリーという集団的意味が必要となったのだ。他のデザイン活動に比べ保守的な性格を持つ建築はもともと個人の問題ではなく、集団あるいは社会的感性の問題。加えて建築は他のデザインに比べ創作のためのプログラムが複雑である。現在の建築においては安全・便利・快適という内部的要請は、他のどんな外部的要請よりも圧倒的優位だが、しかし、もはや機能は可変であり、形態を生み出すものでは無くなった。情報時代を迎え建築もまた新たな外部的要請と関わらざるを得ない。では、建築を生み出すものはなんなのか。それは、かっての時代と同じものであるはずはない。ある種のメッセージ、その意味が必要となっても、今は一時的、個別的、ジャゴーンであることから抜け出すことはない。

2021年5月28日金曜日

情報の建築化




1−モダニズム建築再考
建築論は実在化した建築物を素材として論じられるもの、しかし、実在化のための手段(機能・技術)や、その背景(時代・自然)だけが西洋建築のテーマではない。モダニズム建築論が3人の住宅作家の建築を中心とし論じられているがしかし、かって住宅は建築ではなかったことからを論じなければならない、新たなテーマも浮上する。
現在の建築論では住宅建築の持つ特性(安全、便利、快適、個人的財産価値)が先にたち、建築の持つ意味、特に世界との関係、トポロジーとしての建築という観点が、見えにくくなっている。人間と世界との関係構造のデザインという、本来の建築論が組み立てにくくなっている。

2−工業時代から情報時代へ=テクノロジーからトポロジー
伝統的建築材に変って、工業製品による建物を支える美学は「機能」だった。そして民家も倉庫も工場も全てが美の対象となり、建築になった。伝統的建築群のなかに新たに咲いた初期のモダニズム建築(モデルナ)は光り輝いていた。しかし、その形態がどこにでも見られるようになると、建物はどれも工業生産に準じ、都市は単調・退屈な世界に変わった。私たちは営々とがらくたの山を築いて来たのだろうか。
今は見えない都市、形のない建築の時代と言われる。しかし、そこでは情報が建築であり、人間の経験が建築となるはずだ。景観との関わりが美術であり、街角での出会いが劇であり、コンサートなのだろう。
現代建築はその実態論への反省として、テクノロジーではなく、コスモロジー喪失こそ問題とすべきと考える。つまりザインとシャインの消滅だ。そんな建築への反省からイェーニッヒは芸術としての建築、「芸術の空間」を検討している。彼は書いている。芸術とはなにか、モノではない、それ自体の構造の中で経験されて始めて存在する、芸術は普遍的概念では把握できない、実例・具体・経験によってのみ語りうる、と。

3−情報化時代の建築
見えない都市、形のない建築の時代、情報が建築であり、人間の経験が建築となるのが情報化時代。
そこでは景観との関わりが美術であり、街角での出会いが劇であり、コンサートであるといえよう。
 
ー>建築そのものを情報に還元、身体的空間ではなく、マスメディアを通じ、建築の概念を言語化する
ー>プランニングや建築構造の問題ではなく、エクィップメント(設備)とパフォーマンス(性能)の問題=形より力
ー>実体的な建築空間より、可変的なイメージ空間の方がリアリティーを持つのだろうか
インスタントシティは工業時代と情報時代をまたぐ、優れた建築コンセプトであったと言えよう。そして30年、建築は今どこに行こうとしているのだろうか。

4−情報の建築化->建築は情報である
世界モデル、世界書物であり、そこのはコスモロジーが描かれ、その衰退から人間の自律とその限界、新たな世界との関係構造の構築へ
/情報としての建築・実体化しない建築・タブローとしての建築

参考
インスタントシティーとイエローサブマリーン/情報の建築化
1960年代は情報化社会の始まり/この時代は情報がこれまでになく人々の生活に浸透し始めた時代/平凡パンチの創刊
広告、量産品、写真、テレビなどのマスメディアのイコンが巷に氾濫->社会は産業化から情報化へ変換し始めた
ロンドンが全ての情報の発信源->カ-ナビ-街のミニスカ-ト
アーキグラムー>インスタントシティー
ビートルズー>イエローサブマリーン・リバプールとハンブルグを往復=1963、アメリカ上陸=1964
ー>建築そのものを情報に還元、身体的空間ではなくマスメディアを通じ、建築の概念を言語化するー>プランニングや建築構造の問題ではなく、エクィップメント(設備)とパフォーマンス(性能)の問題=形より力

2021年5月27日木曜日

オペラ(作品)としての建築

18世紀以降の音楽と建築に関心を集中すると、オペラが重要な役割を果たしていることに気がつく。同時代はカントに始まる美的モデルネ。美が自律し、芸術の誕生と多くの人が書いている。モデルネとは<新しさ>、そこでは「実体より認識」「美とはなにか」「世界はどんなカタチか」「批判精神」等々が再検討された。オペラと建築の検討に共通する関心は「虚構の空間」。

「虚構の空間」とはエリオットの言う「現実の外にもう一つの世界を作る」試み。初期のオペラはその誕生の経緯を含め、虚構空間に現実批評あるいは知的教育的メッセージを発っしていた。そんなオペラの目的と変容を概観しつつ、同時代の建築を眺めてきたのが「音楽と建築、そのデザイン」(kindle出版)、そしてこのブログ(Commedia)。10年を経過し、同じテーマを今、モデルネに集中し検討しようと考えている。

パッラーディオ以降の近代劇場が示したプロセニアムアーチの役割。そのアーチを手がかりに、様々な虚構世界が生み出されてきたが、このアーチの崩壊により18世紀のモデルネは20世紀のモデルネに引き継がれた。しかし、関心はまさにカストリアディスが言う「自律からの後退:一般化された順応主義の時代」にある。彼は自治の企ては中世末期に始まると書き、最初の契機は西洋思想の再構築、次に批評の時代といわれる近代(1750年〜1960年)、そして今は「順応主義」。資本主義的合理性に対する体系的な批判がすっかりなくなり、代議制民主主義が消極的に受容されている、と書いている。つまり、我々は現実逃避の策略に堕した半真実の一群にあり、「ポストモダニズムの価値を盲従的に反映しているにすぎない。多元論・差異の尊重に関する流行の駄弁を混ぜ合わせ、折衷主義を賛美して、不毛なことを蒸し返して無方向な原理を一般化している」のだ。

19世紀末、オペラのみならず、調性が批判され音楽は大きく変わった。建築もまた同じ。無装飾に始まるモダニズム建築だが、いまやそれは環境の中の単なる箱。箱を表面的に飾るというパッケージデザインによるイリュージュン作り、それはまさにテーマパーク化現象。建築はもはや人間の持つ想像力に寄与できないのだろうか。あるいは現代人の想像力は新たな「オペラ」を生み出す力を失ってしまったのだろうか。