2021年6月4日金曜日

いま建築は

いま建築は
建築は現在、テクノロジーの一環。その形態には意味はなく、文字どうり与えられた役割を機械的に果たすだけ。もし、建築に語る言葉があるとしても、それはジャゴン、体験者が共有するものは何もない。建築は使用価値以外にはなにもなく、安全・便利・快適という、生活する個々人が必要とする役割のみを果たす。かっての建築が持っていた、カタチが表象する集団的意味を問うことはほとんど無い。

建築を含め現代の創作活動は作家個人の持つ知性・感性による制作。創作された作品に集団的意味が必要とされることはない。作品への関心は作家の持つ感性やコンセプト、あるいは知的活動であって、受容者の参加や批評は考慮されない。作品は主観的であって、作者の持つ観念的遊戯の世界に過ぎない。しかし、批評性や意味性を持って多くの人々の自由な感性をネットワークしてゆくような創作活動が本来の人間社会の作品の基盤。歴史はともかく我々は言葉のないクモの巣のような世界と今後どうか関わろうとするのか。問のみが残されている。

情報時代を迎え、プロダクトデザインにおいては機能の視覚化が意味を持たなくなった。プログラムが変容、またはデザインのアルゴリズムが変質することにより、作品の外側にその根拠を求めるようになる、つまり新たなシンボルやアレゴリーやストーリーという集団的意味が必要となったのだ。他のデザイン活動に比べ保守的な性格を持つ建築はもともと個人の問題ではなく、集団あるいは社会的感性の問題。加えて建築は他のデザインに比べ創作のためのプログラムが複雑である。現在の建築においては安全・便利・快適という内部的要請は、他のどんな外部的要請よりも圧倒的優位だが、しかし、もはや機能は可変であり、形態を生み出すものでは無くなった。情報時代を迎え建築もまた新たな外部的要請と関わらざるを得ない。では、建築を生み出すものはなんなのか。それは、かっての時代と同じものであるはずはない。ある種のメッセージ、その意味が必要となっても、今は一時的、個別的、ジャゴーンであることから抜け出すことはない。