2013年8月13日火曜日

神奈川県立近代美術館・図書館・音楽堂

神奈川県立近代美術館
戦後のうつろな時代に失った文化を取り戻すための拠点となることを目的として、昭和26年、1951年開館した。 歴史と伝統に覆われた鶴岡八幡宮の境内に、忽然と浮かび上がるように建築された、真っ白な立方体の建築。 その姿は当時の人々の誰の目にも、古い伝統社会を飛び立って屹立しようとする、新しい文化そのものと見えたでありましょう。 しかも、その構成は内と外の境界を越えて、縦横に展開する見事なピロティ空間(柱だけで構成され る一階部分)によって、自然との一体感、環境との調和がもたらされている。
工業生産力の回復がまだ遠い、戦後間もない建設事情の中にあって、数少ない工業生産品であったアルミニウム材と漆喰や大谷石という伝統的建築材とのアンサンブル、この建築は自然環境のみならず、新旧という時代をも調和させようと意図されている。 自然環境という空間的広がり、時代という時間的流れ、そのどちらに対しても、おこたりなく配慮する日本文化の持つ力、そのような力の表現こそ、この建築が示す最も重要な意図であったと考えられる。

神奈川県立図書館・音楽堂
近代美術館に続いて、1954年に、横浜の紅葉ケ丘に、神奈川県立図書館・音楽堂が建設された。 当時、イギリスの戦災復興のシンボルとしてロンドンに建設された、ロイヤル・フェスティバル・ホールが、その手本となっている。 与えられた敷地の特性を上手に活かして、ふたつの建物は、前後にずらして配置され、その間をブリッジでつなぐ構成によって、音楽堂の前に広い前庭を、図書館の後ろには、静かな庭が生みだされている。 建物全体は、大きなガラスのサッシ、コンクリート製のパネル、陶器製の穴あきブロックといった、新しい工業化製品を用いて、明るく透明感あふれる表情に、統一された。
図書館は、建物の中央に書庫をまとめることによって、回りに明るく開放的な閲覧室を設る。 ことに、北側の閲覧室は、吹きぬけの大らかな空間になっていて、緑豊かな庭に面した、静かな心地好い、読書環境。
音楽堂は、日本でははじめての音楽専用のホールとして計画されたものであり、音響実験を繰かえし行いながら、手づくりに近い設計によって、あたかも楽器のような精巧な木材によるホールとして完成した。 竣工当時、その音の響きの良さは、東洋一とも言われ、多くの外国人の音楽家たちにも絶賛された。 現在でも多くの音楽家に高い評価を受けているこのホールの周囲は、図書館同様、余分な壁を配することなく、構造を素直に表すことによって、外と一体となった開放的な明るいロビー空間が作りだされた。
この二つの建物に、現在でもどこかすがすがしい雰囲気が感じられるのは、おそらく、厳しい戦後復興の時代に、新しい工業技術を用いて、戦前の重苦しさとは異なる、明るく親しみやすい建築を作りあげようとした、設計者の願いが、そのまま表現されたからに他ならない。