2017年7月25日火曜日

プラハの墓地 ウンベルト・エーコ


偽文書づくりのシモニーニ(ユダヤ人嫌いの偽造遺言書公証人)とダッラ・ピッコラ神父(イエズス会)は同一人物なのか別人なのか。 
偽書と陰謀は歴史的事実の中に周到に紛れ混み、物語全体は巧みに重層化・多層化された19世紀を舞台にした壮大なサスペンス。
 かってル・カレのエスピオナージに膨大な読書時間を占領されたが、エーコはそれを凌駕する、画期的な知的エンターテイメントを描いてくれた。 
著者であるウンベルト・エーコはこの物語を2010年に発表している。  

ヴィクトル・ユーゴもジュリエット・ラメッシーヌ(後のアダン夫人)のサロンに登場する。
 もう高齢の彼は古代ローマ風の白衣を身にまとい、今や自分自身の記念碑と化している。 
19世紀末が現代の始まりとするならば、それはユダヤ人・フリーメイスン・イエズス会のおぞまし陰謀合戦により生み出されたと言えるようだ。 

本書でエーコが挑んだのは、いかにフィクションが危険なものとして在ったのかをフィクションの形式で書くという試みでもあった。 
それはあるはずのものだから、もしこの世に存在しないのであれば、あるようにしなければならない。 
そうした理念によって修正される歴史、そして成立してしまった偽の歴史を否定することの困難さを、まざまざと読者に見せつけてくれる。 

プラハのラビたちは、人文主義、フランス革命、アメリカ独立戦争が、キリスト教原理と諸国王の尊厳を損ない、ユダヤ人の世界征服を準備したことを指摘した。 
もちろんその計画実現のために、ユダヤ人は立派な看板すなわちフリーメイソンを作り上げなければならなかった。しかし!

あるがままの世界にあって、あるはずの世界を視覚化しなければならない近現代の建築家、その苦難は歴史的発展主義の中に消滅していく。

2017年7月23日日曜日

ユーパリノス=建築はだまり、語り、歌う



「建築はだまり、語り、歌う」はヴァレリーの「ユーパリノス」に書かれている言葉です。冥府にいるソクラテスはパイドロスとの対話の中で建築家ユーパリノスのつぎの言葉を聞き、「再び生きるなら建築家として生きたかった」と語っている。
「私の神殿は愛する対象が人を動かすように人を動かさねばならない」。
「町のむらがる建物の中で、あるものは黙し、あるものは語り、あるものは歌うということに気づきはしなかったか?」
「精神と肉体が見事に調和したときには、単に作品が出来上がるだけではなく私自身の建築が出来上がる」。
感覚的世界、形や外界という物質的世界、あるいは地上的美の世界を必要としなかったソクラテスにとってユーパリノスの言葉は大いなる驚きだった。
そこにはソクラテス自身が果たせなかった「観念と行為の応答」を成し得た人がいたからである。
「歌う建築」はヴァレリーが冥府にいる哲学者ソクラテスに生前成すべきことを、「ユーパリノス」を通じて伝えた。
そして、ソクラテスは言う「アンチ・ソクラテス、私の中には、周囲の事情からとうものにならなかった一人の建築家がいたのだ」と。

講義録をまとめるに当たっては「ユーパリノス」のこの言葉を表題にしたいと考えていた。誇大妄想、アナクロニックな試みではあるが、「建築の中の意味の世界」の散策、「建築を科学や芸術とは異なる視点からの面白さ」として講義してみたいと考えていたからだ。
優れた建築は、見る人に感覚的喜びだけではなく、想像的な楽しみを与えてくれる。
建築家の生み出す形態は動的役割や美しさを表現するばかりか、形態に付された表象は建築の体験者に、物語の世界に入り込むような楽しさを与えてくれる。

建築に物語のような意味を与えることはヨーロッパでは当たり前のことだった。
しかし、現在では建築は黙して語らない。
ヴァレリーが「ユーパリノス」を書いたのは1921年、第一次世界大戦直後のこと。
それはまさに西欧の精神の崩壊の時、建築は歌うどころか、科学と芸術の乖離のなか、建築はその集団的意味を失い、一言も発することがなくなった。
ヴァレリーは「ユーパリノス」を大図録「建築」の序文として書いている。
彼は「建築的調和は音楽的調和、建築は精神と肉体の調和から生み出されるもの」とみなし「建築はだまり、語り、歌う」と書いたのだ。

2017年7月6日木曜日

フーコーの振り子 ウンベルト・エーコ

陰謀(猟奇魔)に捕らわれることなく、カバラ(神秘主義)世界の歴史書を完成させようとするのはミラノ・ガラモン社の三人、ベルボ、ディオレッタレーヴィ、ガゾボン。
テンプル騎士団の研究者ガゾボンが語る物語は、編集部長ベルボがワードプロセッサ、アブラフィアに記録した多時間・多空間的世界と交錯し、多彩な想像的世界として展開される。

物語の始まりと終わりは、パリの国立工芸院(サン・マルタン・デ・シャン修道院)のフーコーの振り子にあるのだが、その全体は虚構を真実とし、真実を虚構化する壮大なミステリーと言って良いだろう。
テンプル騎士団、薔薇十字、フリーメーソン、聖杯伝説、ドルイド教、ケルト神話、さらに旧約聖書からキリスト教、ユダヤ教、イスラム教とヨーロッパのすべての精神世界が舞台となりミステリーは謎に謎が重なり迷宮へと入り込む。

唯心論が否定され、全ての思考あるいは想像を理性的唯物論にのみ帰結させなければならない近代にあっては、神話やオカルトはもはや感情の表出、ファンタジックなエンターテイメントとしてしか見なされていない。
しかし、近代社会の脆弱性、歴史認識の薄氷性が気になり始めたポストモダンの現代にあって、ヨーロッパの知性はかっての、あるいは別角度からの人間の思考・想像世界に大きく目を開こうとしている。

日常、全く触れることのないカバラ世界、前回は読み通す事が出来なかったが、今回はヨーロッパ最大の知性と言われるエーコが残してくれた、近現代への貴重な批評の書として読み続けせていただいた。

2017年6月16日金曜日

永遠のファシズム ウンベルト・エーコ

昨年の2月に亡くなったエーコを読み続けている。薔薇の名前は読みやすかったが、フーコーの振り子や前日島は途中で挫折していた。
最近になって、プラハの墓地が面白く、岩波がバウドリーノを文庫化していたので、今は虜になっている。
長らく気がつかなかったが、彼の本の面白さは人間の間のミステリーではなく、個人の中に巣くう陰謀にあるのかもしれない。
そして一昨日、共謀罪を強行裁決する国会を眼にし、「永遠のファシズム」の真実味をまのあたりにした。
何時の時代、何処にでも生きる、人間が持つファシズムの原形を永遠のファシズムとエーコは捉え、その形を次のように原ファシズムとして列記している。

1ー>伝統崇拝=知の発展はありえない、私たちのできることは解釈し続けることだけ。
2ー>伝統主義はモダニズムの拒絶を意味のうちに含む。
原ファシズムは非合理主義。
3ー>文化は批判的態度と同一視されるいかがわしいものとされる。
知的世界に対する猜疑心は、原ファシズムの兆候。
4ー>原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為。
5ー>原ファシズムは人種差別主義。
6ー>原ファシズムは個人もしくは社会の欲求不満から発生する。
7ー>原ファシズムはその心性の根源に陰謀の妄想力を抱え込んでいる。
8ー>敵の力を客観的に把握する能力の欠如。
9ー>生のための闘争は存在せず、あるのは闘争の為の生。
平和主義は悪であって、敵とのなれ合いと見なされる。
10ー>原ファシズムは大衆エリート主義を標榜する。
11ー>原ファシズムは死(英雄)にあこがれ、死に急ぐ。
12ー>原ファシズムはマチズモの起源、英雄視は武器と戯れる。
13ー>原ファシズムは質的ポピュリスムに根ざしたもの。
個人は個人としての権利を持たない。
人間存在は量としては共通意志を持つことなどありえないのだが、原ファシズムは個人的意志を認めない。
14ー>原ファシズムは虚構を話す。

2017年6月12日月曜日

バウドリーノ ウンベルト・エーコ

自分は嘘つきだ、という男が話す12世紀の歴史物語。
歴史は現実なのか、見たものなのか、人の話しなのか。

聴き手は十字軍の巡礼者に蹂躙された都市、コンスタンチノープルの高官ニキタウス。
語り手はイタリア中部、ロンバルデイアに生まれたバウドリーノ。

彼は13歳で街を出て、ケルン、パリで学び、コンスタンチノープルからアルメニア、キリキアへ、そして聖地エルサレムではなく、今では空爆が絶えることのない砂漠を越える。

12人の旅の仲間とともにたどり着いたのは不可思議な言葉と体型を持つキリスト教者の地でもあり、一角獣とヒュパティアの住まう古代ギリシャ。

しかし、バウドリーノの旅は終わらない。
ロック鳥に救われ一度はコンスタンチノープルに戻るが、今度はたったひとりヒュパティアの地を目指す。

信じるべきは、歴史かもしれない!

学ぶべきは、宗教かもしれない!

夢みるものは、旅かもしれない!

2017年6月7日水曜日

北大路紫野の大徳寺

新緑が終わり、梅雨を迎える前の一時は京都は思いの外、花は少ない。
しかし名所と繁華街、駅は修学旅行生と外国から訪れた人々で大賑わいだ。
昨日までの友人たちと別れ、久し振りに大徳寺の塔頭を訪ねることにした。

記憶では、ここではトップクラスの歴史と文化が展開されている寺院。
時間的には公家と武家の交代期を色濃く刻み、空間的には多彩な禅宗庭園と茶室建築の集積地となっている。
この日、思ったより観光客は少なかったがしかし、もっとも京都らしいところと言って良いのかもしれない。

大徳寺は14世紀の初め、赤松則村の援助で開山した臨済宗(禅宗)の小寺院から始まっている。
半ばには後醍醐天皇により五山筆頭の南禅寺と同格に列せられるなど、重要な寺院として隆盛した。
しかし、建武新政崩落後は時の足利権力に翻弄され沈滞する。
同じ臨済宗でも無窓疎石の関わる足利政権下の寺院群とは異なり、ここは公家に愛された大徳寺、その寺勢は思うようには伸ばせない。
15世紀半ばには、かの応仁の乱とそれに続く戦乱に巻き込まれ、歴史ある伽藍の大半は廃墟のような体となってしまった。

時代は動き、庶民の台頭が始まると、鎌倉仏教は農民の浄土宗、商人の法華宗として隆盛し、京都のみならず日本中に沢山の寺院が作られる。
そんな時代、禅宗寺院大徳寺は一休和尚により復興され、武家社会に広まって行く。

大徳寺の見学は南から東に連なるふたつ大きな方丈庭園に始まるが、楽しみは、人のいない縁側からのんびりと時間を忘れ、小さな石庭を、砂の海と石の島々を、見立てられた蓬莱の世界を体験するところにある。幾つもの塔頭で展開される絵画的世界は、まさに此処でしか体験出来ない禅曼荼羅の世界なのだ。

塔頭は桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために建立した総見院が有名だが、戦国時代の京都に関わる家々の多くはこの寺の僧侶を開祖とし菩提寺としている。
まずは一休宗純の搭所真珠庵、能登畠山氏の龍源院、九州大友氏の瑞峰院と大慈院、加賀前田家の興臨院、前田利家夫人のまつが建立した芳春院、小早川家と毛利一族の黄梅院、三好家の聚光院、細川家の高桐院、ここにはガラシャ夫人の墓標もある。その数は22ヶ寺、しかし、一般公開は数ヶ寺にすぎない。

なかなか見学できないが最も有名なのは弧蓬庵だろう。小堀遠州の小庵を大徳寺に持ち込み彼の隠居所としている。その庭と茶室忘筌は国史跡・重文だが、19世紀日本の最高の建築空間と言って良いのではないだろうか。

2017年4月25日火曜日

内面からの報告書 ポール・オースター

「冬の日誌」に引き続き翻訳・出版されたこの書は題名どうりオースターの内面を綴った日誌。しかし、この書は決して、一作家の内面を描いたものではなく、21世紀の現代に生きる我々の苦悩に通底する、作家自身の経験のリポートと言ってよい。
構成は「冬の日誌」のように時系列に合わせ一連に描かれるものではなく、「オースター」という素材を4面から眺めリポートした報告書。彼の少年期の経験、彼の人生感を象徴する二つの映画、そして彼の青春期の苦悩の中のラブレターとフォト・アルバム。バラバラ4面はしかし、周到に重ね合わされた一つの世界、彼の小説の常道とも言えるポリフォニー形式の報告書だ。
特に興味深いのは「脳天に二発」。その内容はオースターが少年期に観た二つの映画の解説。しかし、「縮みゆく人間」と「仮面の米国」という映画こそオースターが描きたかった彼の内面世界を象徴するもの。彼はこのパートを主旋律として中世ロマネスク期の音楽をこの報告書で奏でている。
4面構成の全体は確かにオースターの青少年期の報告書だが、それを対位法音楽の方法で捉えようとする本意はどこに有るのだろうか。もう、読み終わって一週間、しかし、まだ見えてはこないのだが、彼は1968年を起点としたポストモダニズム、後期資本主義、欲望の民主主義と言われる現代世界の始まりを描いているのではないだろうか。その年は間違いなく、同世代のボク自身の起点でもあり、苦悩な現代世界の通奏低音旋律なのだ。