2012年9月14日金曜日

アルベルティの理想都市

具体的に都市を計画する、ということはどの地域でもどの時代でもなされている。
碁盤目状の道路割等を導入し、実利的にも観念的にも選択された一地域に、何らかの秩序を導こうという手法は、ヨーロッパ・古代中国、平安京日本もまた同じ。
しかし、アルベルティの「建築論」の特徴は物理的な計画以上に人間が在るべき「理想的(アイデアル)社会」という考えを示したことにある。
そして、つぎにその考えを一つの町の計画に具体的に当てはめていく。
街路、広場、建物という都市の構成要素は機能的であると同時に、都市全体は威厳を持ち、秩序だつように計画する、その為には具体的にどう配置するか。
アルベルティは部分としての個の充実と全体としての集団の秩序だった調和を重視するコンキンニタスという言葉を採用した。
彼は「絵画論」で絵画の技法を実践から論理化を示したように、「建築論」では都市と建築の構成方法を論理化したのだ。

都市のための敷地の選び方、防御のための城砦のかたち、そして人々が秩序だって共存できるための都市の様々な構成要素の配置の仕方。
都市はゾーニングし性格付けられたいくつかの町の集合であり、町の威厳を持たせる為には、道路は広くて真っ直ぐが良いが、もし蛇行しているならば川の流れのように大きく曲がらなければならない。
あるいは建物の高さも統一し、規則正しく並べるべきであり、道路の交差するところには広場や重要な建築を置き、その装飾要素としてアーチを設けるようにと書いている。
川の流れのような道路を作ろうとか、子どもと広場の関係を克明に触れようとするこの書の記述はかなり具体的。
アイデアルな建築論であるがその論述は「家族論」に似て、きわめて人間的。
アルベルティの人となりをも見えてくるので、いささか長いが以下に引用する。

「都市の中に入れば、道は直進せず川の流れのように緩い湾曲を描いて、ここかしこ繰り返し部分的に曲がるのが良い。
というのは、このような道は実際よりも長く見え、大きいという印象を町に与えるが、この点以外に、確かに優美と使用上の便宜および折々の出来事や必要に非常に役に立つからである。
さらに理由をあげれば、湾曲路に沿って歩くと、一歩ごと徐々に新しい建物正面が現れてくること、および家の出現なり遠望は道幅の中央に位置すること、また、ある所では道が広大にすぎ不快なだけでなく、不健康であることを思うと、実に道の空きそのものが効果をもたらすこと、これらの諸点かはいかにも貴重ではないか。」(第四書第五章)
「交差点と広場はただ、広さが違うだけである。
無論ごく小さい広場が交差点である。
プラトーは交差点に余分な空間があるべき、といった。
そこには昼間、子供をつれて子守たちが集まったし、一緒ににもなったのである。
私は実際つぎのように信じる。
自由な外気の中で子供たちは一層強健になったであろう。一方子守たちはすべてのことにも、また自分たち仲間のことにも観察を怠らず、少しでも立派であると賞賛されれば喜んだであろうし、少しでも見劣りし無視されることに、落ちつかぬ思いをしたであろう。
たしかに交差点でも広場でも、装飾に優雅さを増すのは柱廊であろう。
その中で長老たちは<・・・・・・>また腰をおろして、あるいはまどろみ、あるいはお互いの間の用事を心待ちにする。
これに加えて、ゆとりのある戸外で遊び競いあう若者たちも、その場に老人が居合わすことで、若年の傲慢から、行き過ぎや悪ふざけに走らないですむ。」(第八書第六章)
すでに触れたが「建築論」の特徴は理想的社会という観念を示していること。
アルベルティは資本主義の発達は多層階級社会ではなく、人間平等主義に導くものと考えている。
しかし、決して無階層社会が良いと言っているわけではない。
社会はむしろ階級区分を明確にすべきであり、ゾーニングや市壁、さらに建築という都市構造を政治構造と明確に対応させることで、都市と社会の秩序化が計れると考えている。
つまり、彼の考えは悪戯に平等主義を貫く以前に、集団としての社会を如何に秩序づけるかに主眼が置かれているのだ。

人間の社会生活の基盤の一つとして秩序を重視する観念は、ギリシャ・ローマ以来ヨーロッパ社会の伝統である。十五・六世紀、絶対的キリストへの信頼が揺らいだ中にあってはますます厳格な階層構造こそ、社会的秩序を維持する正当なシステムとみなしていた。
ここからは余談だが、オペラもまた厳格な社会構造を維持しようとする意識が生み出したものと考えるべきであろう。
何故なら、ルネサンス期は厳格な社会階層に応じ、人々の生き方が別々であり、その別々の生き方に合わせて、いくつもの音楽が存在していたのが当時の実状。
そのような中、貴族館での教養主義的な試みの結果のみがオペラを生み出したのであって、当時の教会音楽あるいは流行していた闇雲な世俗音楽からは生まれ得ることはなかったからだ。
オペラの誕生は「瓢箪から駒」と言われる所以もこの当たりだが、しかし、ひとたび誕生してみると、その新しい音楽形式は、今度は別々の階層で別々に生きてきた様々の音楽をオペラ自身の中に積極的に取り込んでいく。そして、十八世紀末の社会変革(アンシャンレジーム)、それは旧態の社会構造を徹底的に破壊した出来事だが、その時代のオペラは、今度は全ての階層の音楽がその音楽形式の中ではすべてがきちんと秩序づけられていく。
十七世紀の誕生から十八世紀末の変革の時代まで、その歴史はまさにオペラこそ、この大きな社会変革を準備して来たものに思えてくる。
秩序感覚とその後の社会変革、アルベルティを深読みすれば、オペラこそがヨーロッパのその後の社会を先取ったものと思えてならない。

話が外れたが、アルベルティに戻ると、「建築論」で論じられた「人間にとっての理想的な都市」、それは十六世紀のトマス・モアのユートピアとは異なるものと理解できる。
この「建築論」は現実の教会や社会への不満から生まれた夢でも願望でも非現実でもない。
アルベルティは「観念による理想都市」を現実世界に構築しようとしている、そしてその役割を担うのが建築なのだ。
このアイデアルな世界がその後のオペラと都市を育むのであって、トマス・モアのユートピアからはオペラは決して生まれない。
アルベルティの十五世紀はしかし、まだ新しい都市を作る経済的余裕はなかった。
さらに、一つの都市建設を一人の建築家に任せることが出来るような絶対的権力者も存在しない。
アルベルティの理想都市は都市の一部分、あるいは絵画やルネサンス劇の背景画としてしか残されることはなかった。

アルベルティの家族論・絵画論・建築論

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Leon_Battista_Alberti_1.jpg

ブルネレスキの透視画法の発見を理論化したのはレオン・バッティスタ・アルベルティ。それは今でいう光学理論(perspective)への貢献でもあったのだが、むしろアルバルティの業績は実践的な絵画技法を開示したことにある。その理論は彼の「絵画論」の中に表され、1435年ブルネレスキに献呈された。

ブルネレスキは金銀細工師として職人社会の徒弟として修行を重ね彫刻家兼建築家として大成したが、アルベルティはパドヴァ大学で学んだ人文学者。没落したといえもとはフィレンツェの有数な貴族であった父を持つ彼は、ジュノバで生まれ、ヴェネツィアで育ち、パドヴァで人文主義を、ボローニャで法律を学んでいる。
彼はまた乗馬の達人、機知に富んだ会話の名手、劇も作り作曲もし、物理と数学を学び、法律にも通じ、法王や君主たちの良き相談相手でもあり、まさにルネサンスが生んだ新しいタイプの人。
建築家、芸術家でもなければ職人でもない、ディレッタント・タイプの最初の建築家と言って良い。

 アルベルティはローマ教皇庁からの依頼で1430年頃フィレンツェ近郊の修道院院長の代理を勤める。マサッチョやドナテルロとも親しくなるのはこの頃のこと、花の聖母大聖堂のクーポラの建設も真っ最中、ブルネレスキは造営局の古い工匠たちと戦っていた頃だ。
アルベルティは書いている。
「ここに、かくも壮大な、天にも聳え、その影でトスカナの人たちすべてを覆うほどの広さをもち、飛梁も大量の木材も付加せずに造られた、確固たる技量による構造の建造物を目のあたりにしても、どうしようもなく愚鈍でこの上なく嫉妬深い輩は建築家ピッポを讃えなかった。仮に私がもちろんとした評価を下すとすれば、当代にあって彼が信じられぬほどの職能の持ち主であるのに同時代の人々の無理解にさらされているように、古代人の評でも彼は理解も認められもしなかった。」(ルネサンスの文化史p257)

ブルネレスキによる花の聖母大聖堂のクーポラはアルベルティに新時代を感じさせる大きなの感動を与えた。その感動がブルネレスキが発見した透視画法の理論的基礎の明確化に駆り立て、「絵画論」を、それもラテン語で書かせることに繋がった。  

アルベルティは沢山の本を書く。
没落したとはいえ、アルベルティ家はイタリアでも屈指の家系、そんな一族がどのように生きるべきか、彼は20代に「家族論」をまとめている。
老いた父と兄弟、さらにアルベルティ家の叔父・従兄弟たちとの長い真摯な議論の経過を事細かに気負うことなく記録した「家族論」は最近になって読んだのだが、大きな驚きだった。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは有名だが、レオン・バッティスタ・アルベルティこそルネサンスの代表する真の万能人と言うべきだ。
「家族論」はどんな苦難に会おうとも、新しい時代をいかに生きるかを自分自身の家族のために書いている。内容は当然、後世の個人主義とは異なり真の集団としての人間の生き方、それも決して抽象に陥ることなく、判りやすく、具体的に書かている。
そんなアルベルティが40代にまとめたのが「建築論」。
それは文字通り都市と建築についての論だが、後に触れる「オルフェオの世界」の為のもっとも貴重な論考書と言って良い。

 
アルベルティの時代、社会秩序の確立には、法の執行や行政での実現以上に、実体としての都市や建築がきわめて有効に機能すると考えらていた。建築することは社会秩序を構築することを意味しいていたのだ。人々は法律の文章ではなく都市を作り、そのあり様を眺めることで、共に生きる人間の在るべき秩序を理解した。
つまり、都市とはもともと文化的基盤の上に建つものだが、アルベルティの「建築論」は同時代の文化的指導者、都市経営に関わる支配者、諸侯、君主さらに教皇にとっての座右の書と位置づけられていた。
事実、この書は時の教皇ニコラウス五世に献呈されている。そして、教皇は、この書に基づきローマ再建する最初の教皇として画策する。

一方、この書を読んだ各都市の諸侯、君主たち、彼らは実際上の都市建設にまでは及べ無いとき、この書に基づき都市図を制作し、その支配化の都市の理想化を表明した。
著名な画家・建築家たちによって描かれた数々のルネサンスの都市図、それは間違っても今で言う眺めるだけの美しい風景画ではなく、都市の支配者が示したい法律書、アイデアル(理想的)な都市建設のメッセージとして読まなければならない。  

アルベルティの「建築論」(1452年)はローマ時代の建築家「ヴィトルヴィウスの建築書」がモデルとなっている。
ヴィトルヴィウスは紀元前一世紀の建築家。彼は建築のみならず、音楽、天文学、機械、土木、都市計画というあらゆる分野を網羅した最先端の技術を「十書」としてまとめ、時のローマ皇帝アウグストゥスに捧げた。
この「建築書」はアラビヤを経由しザンクト・ガレン修道院に納められ、14世紀になって発見される。
その発見は時宜を得たもの、新時代をイメージするイタリアの研究者たちにその書の評判は一気に伝わり、やがて、ルネサンスの人文主義者たちの必読の書として、都市や建築はもちろん、音楽や天文学、数学とあらゆる分野に波及していく。

アルベルティは1432年、最初にローマを訪れた時「都市ローマ記」を書く、しかし、この時はまだ、ヴィトルヴィウスの研究の成果が表れていない。彼自身の「建築論」の執筆は1443年頃、アルベルティはこの「建築書」と実際のローマの遺跡を相合わせ研究し、両者の関係から都市のあるべき姿、彼の「建築論」の構想を整えていく。

マントヴァのアルベルティ/©

(アルベルティのマントヴァの二つの聖堂)

ウルビーノ公に数々の助言を与えていたアルベルティ、彼は同時期、理想都市の一部をマントヴァ公ルドヴィーコ・ゴンザーガのもとで実現する。「道路の交差するところには広場や重要な建築を置き、その装飾要素としてアーチを設けるように」と「建築論」に書いたように、マントヴァの中心に二つのユニークな聖堂を建築する。

ひとつは円形の神殿とはいかなかったが、円形と同じコンセプトを持つ、ギリシャ十字の平面形、サン・セバスティアーノ聖堂、もうひとつは大きな都市の凱旋門のようなアーチを持ったサン・タンドレア聖堂。どちらも古代ローマのイメージが聖堂のファサード(正面の外観)に色濃く反映されている。

 (fig30)

サン・セバスティアーノのアイディアは古代ローマの廟墓や初期キリスト教の殉教者記念堂から引き継いだものであって、ビザンチン様式(東ローマ帝国の様式)の平面形の復活でもある。アルベルティはファサードに古代建築のオーダーを直接壁面に取り込んだ。彫りの深いペディメント(古代神殿の正面の壁の三角形部分)や極端な厚みを持ったエンターブラチャー(三層の柱上帯)、しかもそのエンタブラチャーは中央で分断されペディメントと一体化し、堂々としたアーチを構成する。

サン・タンドレア聖堂はサン・ロレンツォ聖堂と同じように、従来からのラテン十字の平面形。しかし、その内部空間は主廊が側廊を持つこともなくそのまま聖堂の内部を縦貫している。主廊の両サイドの壁面側は幅の広い祭室とサービス用の小さなスペースが繰り返す形で連なる。中央の主廊、壁面側の祭室、どちらも天井には大きなトンネルヴォールトが架せられていて、そこはまるで古代のバシリカか、大浴場のように見えてくる。つまりアルベルティは壮大なローマの大空間を取り込んでマントヴァの聖堂全体を支配しているのだ。

 (fig31)

ファサードもまたはローマ時代の凱旋門そのものの形態。入り口部分前面のナルテックと称するところ。そこは教会における玄関ポーチのような場所だが、この部分の天井も内部の祭室と全く同様、両袖に幅の狭い壁を従え、大きなトンネルボールが架けられていて、その頂部はエンタブラチャに接する。正面から見ると壁面全体が一段と大きなアーチによってくり貫かれ、それはまさに都市の門、ローマ時代の凱旋門が聖堂のファサードとなって登場した。

アルベルティはマントヴァ以前、すでに、リミニでとてもユニークな聖堂の建築に関わった。それはキリスト教聖堂をリミニ公シジスモンドのための記念建築物に改装しようという仕事、テンピオ・マラスティアーノの建設だ。

異教であるはずのローマの神殿のデザインをキリスト教聖堂に持ち込んだり、あるいはその逆であったり、アルベルティの建築は従来のキリスト教建築のセオリーに縛られることがなく、余りにも斬新にして大胆な展開。ブルネレスキ同様、まさに初期ルネサンスの典型、古典復興の精神を文字通り目に見える形で表現しているのだ。

2012年5月30日水曜日

秩父セメント工場 谷口吉郎

子供の頃、父親の写生旅行の共をしよく出かけていたので、この地の特徴ある二本煙突は懐かしい。 しかし、この工場がかの谷口吉郎氏の設計であることを知ったのは建築学生になってからのこと。 その後建築設計を仕事としたが、工場内に入り詳しく見学するのは今回が初めてだ。 武甲山での石灰岩の採掘はともかく、この工場でのセメント原料の生産はすでに最盛期は終えている。 幸い、ドコモモ(近代建築遺産)20選に選ばれたことでもあり、工場は60年あまりほとんどその形を変えていない。 その全体は巨大でありメカニカル、日常的なオフィスビルやマンション建築と比べれば、ものづくりの機能がそのまま露出しドラマティックであり、スペクタクルな魅力が一杯。
工業時代の日本を象徴する建築、しかし、その姿は何とも優しく女性的でもあり、決して冷たくない。 屋根は山並みをなぞるかのような曲線、外壁は錆色のスティールと石綿スレートの組み合わせによる繊細な格子模様を描いている。 操業は一部リサイクル燃料製造を取り入れはじめたことでもありまだまだ続く。 山での採掘から製品の生産まで、全てを操業のままの世界遺産として推薦される日も遠くはない。 とすれば、設計者谷口さんが描いていた、「中庭に緑の芝生をつくり、花壇には四季の花を咲かせて・・・・気持ちのいい生産環境」が実現され、多くの観光客を楽しませるに違いない。

2012年5月18日金曜日

ピラネージ

西洋美術館のユベール・ロベール展はこの20日で終わりのようだ。 
まだ寒かった3月の始め、芸大の帰りにたまたま寄ったのが最初だが、その後、気になり併設のピラネージ「牢獄」展を含め結局、3回も見学してしまった。 
もっとも、3回も観たとは言え、気になることが解決したわけではない。 
この時代の絵画や建築の特徴、カプリッチ(気まぐれ)、その真意はどこにあるのか。 
ピラネージの「幻想の牢獄」から始まり、ユベール・ロベールの古代憧憬画。 
ブーレ、ルドゥ、ルクーの「幻想の建築」をみると、同世紀の後半、建築にもカプリッチは引き継がれた。 
共通しているのはルネサンスからバロックの統一的透視画法は歪められ、スケールは巨大化し、人間は朱儒となり矮小化されて描かれていること。 
ピラネージの版画の持つ現実と虚構が一体となった作品群。 
それはグランドツァー客向けの土産物として出版され、北ヨーロッパの多くの人が共有した理想都市でありアルカディア。 
しかし、その最初の出版は「幻想の牢獄」に表現されたサディスティックな静寂世界、そこはもう人間の共生の場としての建築の意味とはほど遠く、孤独な個人的な世界だ。 
その後、パリよりローマを訪れ、古代憧憬として描かれたユベール・ロベールのサンギーヌによるスケッチ。 
それはピクチャレスな風景画ということだろうが、もはや神話も建築的カノン(規範)も失ったバラバラな人間社会にすぎない。 
描かれた世界はアルカディア・ローマだがすでにリアリティを失った幻想舞台と言えるのではないだろうか。 

18世紀後半、ルドゥは牢獄ではなく理想世界を描いている。
「ショウの製塩工場」や「ブザンソン劇場」は彼の師匠ブレに始まる球体や立体をテーマとした一連の新古典主義的建築に関わるもの、しかし、そこもまた巨大な人間不在なカプリッチであることは代わらない。 
そして見えてくる、この一連のカプリッチは現代の建築世界そのもの。 
意味もないバラバラな世界、美しいかもしれないが、感情を持った生の人間が不在の個人的世界。 
もっとも、18世紀のカプリッチは多くの観客を惹き付けたが、現代建築の100年後の廃墟がこの展覧会のように後世の人々に憧憬されるという保証はどこにもないのだが。 
つまり、ここには近代の始まりと現代の終焉、そのすべて展示されているような気がしてならない。

今回の展覧会には登場しないが、ヴェネツィアの風景を28枚の連作に仕上げたカナレット、さらにティエポロの版画集「空想のたわむれ」もまた同時代の作品。 
そんな一連の版画集を観ながら思うことは「夢と現実が入り交じった世界」とは何か、それは現代建築そのものに酷似しているが、その始まりは18世紀のオペラの舞台の中に描かれていた世界ではなかったか。
18世紀の劇場建築家はパルマのビビエーナ一族だが、同時代フェルディナン・ビビエーナは「市民建築」の中で、舞台装飾の一部として牢獄の光景を版画で表している。 
ピラネージの牢獄は間違いなくこの劇場装飾を引き継ぐもの。 
ピラネージのエッチングは全て、グランドツァー客が持ち帰る土産物として制作されている。 
同時代のプルチナーニやビビエーナのオペラ舞台画は宮廷の権威の印、その記録として残されていた。 

しかし、これらの先駆はすべて舞台の中の幻想世界であったことに留意しなければならない。 
その世界はフィクションだが意味のある世界、物語としての人間世界がプロセニアム・アーチの中に完結している。 
さらに、その世界はあくまでもフィクションであり、虚構の世界であることを少なくとも観客は理解していた。 
気になることはこの辺り。 
夢と現実をプロセニアム・アーチで切り分ける手法を失った現代の我々は日常的人間世界をオペラの世界と混同視していないか。 
オペラの中に描かれた文学と音楽と建築の世界、それはあくまでアーチの中の別世界、虚構の世界であるからこそ、虚構と幻想、巨大スケールとバラバラな空間を物語として眺め、古代を憧憬出来たのだ。
20世紀以来、プロセニアムアーチは存在せず、虚構と現実の額縁を失い、個人主義的欲望の中に人間的感情を求めている。 
そして本来、虚構であった建築は虚構であることを止め、合理的経済の道具と化す。 
21世紀、帝国化したグローバリゼンションの中、建築は虚構化した巨大スケールが前提となり、朱儒たる人間を阻害する。 
しかし、アーチを失った我々は虚構と現実の区別もつかず、その場限りの日常世界に一喜一憂している。

2012年3月24日土曜日

長期微量被爆はどれぐらい危険か/2011年4〜5月の日経から

長期微量被曝はどれくらい危険か/2011年4〜5月の日経から
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110428/219677/?P=3

長期微量被曝はどれくらい危険か
正しく怖がる放射能【4】
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5月に入りました。福島第一原発の状態はいずれも予断は許さないものの、一定の安定をみており、メディアの関心も事故直後とは様変わりしてきました。

この連載の内容を基に書籍を編むという相談を版元としているのですが、3月4月時点の記載をそのまま活字にしても、多くの方に長期的に役立つ情報になるとは限りません。最初から「想定の範囲内」ではありましたが、実際にメディアの空気感や日経ビジネスオンラインにいただくコメントや、ツイッターでのやり取りなどを通じて、皮膚感覚の変化を感じています。

長期的に続くことがほぼ分かっている問題として、前回は原子炉の冷却の問題を扱いましたが、今回は「微量被曝」について考えたいと思います。

最初に結論を言いますと、微量被曝について不用意に確定的なことを言うと、多くの場合、ウソになってしまう、ということです。

なぜか? それは、人によって放射線への感受性に個体差が大きくあるからです。例えばたばこで考えてみましょう。ストラヴィンスキーという作曲家はヘビースモーカーでしたが88歳の長寿を保ちました。一方、私の父もハイライトを1日2箱くらい吸う喫煙者でしたが46歳で亡くなりました。父の場合はシベリア抑留中に罹患した結核・脊椎カリエスなど、若い時に手ひどく健康を痛めつけられたことが深く関係していますが、そんなことも含めて「個体差」に違いありません。

今のはたばこの例でしたが、同じ放射線量を浴びても、深刻な病気を引き起こすか、そうでないかは個体差が大きく、あらゆる長期的な見通しは確率的にしか言うことができません。

確定的影響と確率的影響

幾度も記していますが、被曝の影響は2つの異なる種類に分けられます。1つは被曝後直ちに現れる急性障害で、「確定的影響」と呼ばれます。

確定的影響は被曝量によっていろいろ異なり、また個体差もありますが

*目の水晶体:総線量2シーベルト程度で混濁、5シーベルトで白内障

*骨髄:高感受性で総計0.5~1シーベルトで白血病などの懸念
(ただし強い再生能力があるので、自己脊髄造血肝細胞保存療法などが有効となる)

*腎臓:低感受性。1カ月以上にわたって20シーベルト以上被曝しても耐えた例がある

*卵巣:総線量3シーベルト以上で不妊の原因に

*睾丸:1回0.1シーベルトの被曝で一時的不妊。総線量2シーベルト以上で永久不妊
といった具合で、一つひとつ症状を見ると、恐ろしいものだと改めて思います。

期間はさまざまとして、浴びた総量で大まかに考えて0.1シーベルト(100ミリシーベルト)から1シーベルト(1000ミリシーベルト)に達すると、健康への影響が懸念され、1~3シーベルト(1000ミリ~3000ミリシーベルト)の被曝量は直ちに適切な治療が必要、3シーベルト以上の被曝量は生命に危険があると考え、正しく恐れることが必要だと思います。

低線量被曝と晩発的影響

今挙げた、被曝直後から現れる急性の症状、つまり、より少線量の被曝による、確定的な症状以外の影響は、すぐには目に見えないので「晩発的影響」と呼ばれています。

同じ線量を被曝しても、発症する人もいれば、そうでない人もいる。そこで「確率的影響」とも呼ばれます。あくまで目安にしか過ぎませんが、一定以上の線量被曝すると、数年程度の間に癌が発生する可能性が指摘されています。

臓器によって放射線への耐性、感受性が違っており、

総線量0.3シーベルト→乳癌など

総線量0.4~0.5シーベルト→白血病、リンパ組織系の癌

総線量0.6シーベルト→すい臓癌など

総線量0.7シーベルト→肺癌など

総線量0.9シーベルト→胃癌、骨癌など

総線量1シーベルト→甲状腺癌
などとなっています。

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しきい値説と比例説

さて、この晩発的影響について

「一定以下の線量なら、被曝による影響はない」と考えるのを「しきい値説」と呼び、
「どんなに少量の被曝でも健康に影響がある」と考えるのを「比例説」と呼ぶようです。

どちらが正しいのか――。という議論がお医者からメディアまで、いろいろあるようで、私もツイッター上で「どちらが正しいのですか」と質問を受けるのですが、私の判断は、この問い自体が無意味で、考慮に値しない「偽問題」だと思っています。

よく目を開いて見直してみましょう。「しきい値説」は「総被曝量がある一定以上の線量に達すると、かならず癌が発生する」と言っているわけではありません。

「総被曝量が一定値以上になると、癌の発生する確率が高くなる…、かも」という、疫学的な統計の話であって、実際には被曝状況の差や個体差など、臨床統計に表れない部分のブラックボックスでいくらでも左右されるものに過ぎません。要するに「確率的」にしか予測がつかない。

ここで「分からないもの」は「ない」と言いたい、という、大本営発表的な思惑(「ただちに健康に影響があるというわけではない」)が介在するから、そこから先で、意味のない日常日本語によるやり取りがなされるのだと私はみています。

また逆に「比例説」を誤解してそちらに傾きすぎるのも愚かしい。

「どんなに微量でも癌になる」などと恐れるのは変で、比例説も「被曝線量が少しずつでもアップしてゆけば、その分、癌になる『可能性』が高くなる」という、当たり前のことを言っているに過ぎません。自然界には最初から微量の放射線が存在して私たちは生まれる前から常時被曝し続けていることには幾度も触れました。それに神経質になっても仕方がない。

比例説が言っているのは「たとえ1円ずつでも貯金してゆけば、必ず残高は増えて行く」という内容以上のものではない。だからといって1日1円ずつためて1年で1万円になることも絶対にない。

浴びたら浴びた分だけ発癌「リスク」が上がりますよ、という話をしているのであって、考えるべきは要するに被曝の「頻度」と「総量」、そこから先は状況と個体差次第、という部分は、何一つ変化しません。

私も登録している医用のメーリングリストで、比例説を取り違えて「どんなに微量でも発癌」のように取ったメールを送ってきたのがいました。東京大学の学部学生です。風評被害とは違いますが、そんな情報でも「東大生が」と反応する人があり、訂正を送っておきました。物事は慎重確実に考えたいものです。

転ばぬ先の杖、被曝はせぬに越したことなし

被曝の話では、しばしば医用のX線が引き合いに出されます。胸の写真を撮ればその分「外部」被曝します。当然、ごく少しですが、発癌などのリスクは上昇します。が、それと同時に、その検査をすることで、肺癌などの早期発見が可能になれば、治癒の可能性が大幅に高まって、結果的にメリットのほうが大きい。検査というのはそういう性質をもっています。

小さなリスクとより大きなリスクのトレードオフ。そういう大人の分別を持ちましょう。

「絶対安全って言えるんですか。え? どうなんですか!!!」

と詰め寄るようなことをしても、確率的な対象に誰も不用意なことは言えないし、それを何か煮え切らない態度のように誤解する浅いジャーナリズムも目にするわけですが、何一つ役に立っていません。

報道なのだったら、売ることではなく社会の役に立つことを考え、実行しましょう。この2カ月ほどで、日本の報道に対する私の考え方はかなり大きく変わりました。きちんとした情報を選んで検討しないと時間の無駄になります。

>>次ページ国際放射線防護委員会の見積もりの式

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長期微量被曝はどれくらい危険か
正しく怖がる放射能【4】
伊東 乾  【プロフィール】


短期間に一定以上の頻度で被曝すれば、少しであっても確実に「リスク」つまり病気になる可能性、危険性は上がる、そう考えることにする、という、これは正しく怖がるための知恵なのです。転ばぬ先の杖、と言いますね。身を守るための知恵を言っているのであって、それを文字面でああだこうだ言う以前に、しっかり判断、沈着に行動するか、しないか、で結果が変わってきます。要するに「しきい値説」も「比例説」も疫学統計を解釈する学説に過ぎず、どちらがより妥当であろうと、私達の被曝予防は慎重であるに越したことはない、この1点に髪の毛ほどの揺るぎもないものと思う次第です。

国際放射線防護委員会の見積もりの式

低線量被曝について、国際放射線防護委員会(ICRP)の見積もりの式をご紹介しておきましょう。

癌死亡推定人数 = 0.05×総被曝線量×被曝人数

例えば、毎時10マイクロシーベルトでこれからの1年間、人口10万人の都市が被曝し続けるなら、

0. 05×0.00001×24(時間)×365(日)×100000(人)
=438(人)

10万人当たり438人、つまり0.44%弱の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる可能性がある、という見積もりです。

あるいは、毎時0.1マイクロシーベルトで1年間、人口1000万人の年が被曝したとすれば、

0.05×0.0000001×24(時間)×365(日)×10000000(人)
=438(人)

1000万人あたり438人、つまり0.004%程度の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる、やはり可能性がある、という以上のことを、この式は言っていません。

また、この式の適用範囲は明らかに「低線量」かつ「一定以上の人数」に対する、あくまで見積もりであって、仮に1人の人が毎時1シーベルトで24時間浴びるとすれば、

0.05×1×24(時間)×1(日)=1.2(人)

という変な答えが出てしまいます。現実には致死量の被曝があれば1人確実に亡くなるという確定的な結果があるわけで、大人数に対する微量被曝の中長期的効果の参考に、やはり転ばぬ先の杖として、正しく怖がる参考にするのが重要でしょう。

トイレットペーパーでも9割除去

空気中に放射性の塵が舞っているような状況では、マスクの着用をお勧めします。

手元に国際原子力機関(IAEA)の資料があり、「木綿のハンカチーフ1枚で口を覆うと、放射性微粒子を28%除去できる」というデータがあります。さらに、

8つ折にすると除去効率は89%
16折にすると除去効率は94%

というデータもありました。また、水に濡らすと1枚でも64%の除去効率になったケースがあるそうです。

もっと興味深いのは、トイレットペーパーです。ハンカチより脆そうに見えますが、実は目が詰まっており

3つ折のトイレットペーパーでの除去効率は91%

という数字が出ています。無論、きちんと口や鼻にあてがってやる必要がありますが、こんな方法でもずいぶん、自分の身を守る工夫はできるわけです。

正しく怖がることと表裏して、身の回りの小さなことから、正しく防御する工夫を身につけることも大切と思います。

しきい値説と比例説
さて、この晩発的影響について

「一定以下の線量なら、被曝による影響はない」と考えるのを「しきい値説」と呼び、
「どんなに少量の被曝でも健康に影響がある」と考えるのを「比例説」と呼ぶようです。

どちらが正しいのか――。という議論がお医者からメディアまで、いろいろあるようで、私もツイッター上で「どちらが正しいのですか」と質問を受けるのですが、私の判断は、この問い自体が無意味で、考慮に値しない「偽問題」だと思っています。

よく目を開いて見直してみましょう。「しきい値説」は「総被曝量がある一定以上の線量に達すると、かならず癌が発生する」と言っているわけではありません。

「総被曝量が一定値以上になると、癌の発生する確率が高くなる…、かも」という、疫学的な統計の話であって、実際には被曝状況の差や個体差など、臨床統計に表れない部分のブラックボックスでいくらでも左右されるものに過ぎません。要するに「確率的」にしか予測がつかない。

ここで「分からないもの」は「ない」と言いたい、という、大本営発表的な思惑(「ただちに健康に影響があるというわけではない」)が介在するから、そこから先で、意味のない日常日本語によるやり取りがなされるのだと私はみています。

また逆に「比例説」を誤解してそちらに傾きすぎるのも愚かしい。

「どんなに微量でも癌になる」などと恐れるのは変で、比例説も「被曝線量が少しずつでもアップしてゆけば、その分、癌になる『可能性』が高くなる」という、当たり前のことを言っているに過ぎません。自然界には最初から微量の放射線が存在して私たちは生まれる前から常時被曝し続けていることには幾度も触れました。それに神経質になっても仕方がない。

比例説が言っているのは「たとえ1円ずつでも貯金してゆけば、必ず残高は増えて行く」という内容以上のものではない。だからといって1日1円ずつためて1年で1万円になることも絶対にない。

浴びたら浴びた分だけ発癌「リスク」が上がりますよ、という話をしているのであって、考えるべきは要するに被曝の「頻度」と「総量」、そこから先は状況と個体差次第、という部分は、何一つ変化しません。

私も登録している医用のメーリングリストで、比例説を取り違えて「どんなに微量でも発癌」のように取ったメールを送ってきたのがいました。東京大学の学部学生です。風評被害とは違いますが、そんな情報でも「東大生が」と反応する人があり、訂正を送っておきました。物事は慎重確実に考えたいものです。

転ばぬ先の杖、被曝はせぬに越したことなし
被曝の話では、しばしば医用のX線が引き合いに出されます。胸の写真を撮ればその分「外部」被曝します。当然、ごく少しですが、発癌などのリスクは上昇します。が、それと同時に、その検査をすることで、肺癌などの早期発見が可能になれば、治癒の可能性が大幅に高まって、結果的にメリットのほうが大きい。検査というのはそういう性質をもっています。

小さなリスクとより大きなリスクのトレードオフ。そういう大人の分別を持ちましょう。

「絶対安全って言えるんですか。え? どうなんですか!!!」

と詰め寄るようなことをしても、確率的な対象に誰も不用意なことは言えないし、それを何か煮え切らない態度のように誤解する浅いジャーナリズムも目にするわけですが、何一つ役に立っていません。

報道なのだったら、売ることではなく社会の役に立つことを考え、実行しましょう。この2カ月ほどで、日本の報道に対する私の考え方はかなり大きく変わりました。きちんとした情報を選んで検討しないと時間の無駄になります。

(つづく)

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カステロベッキオ美術館

ヴェローナのカステロヴェッキオ、スカルパが改装した美術館。
ヴェネツィアに生まれ、ヴェネト一円で仕事をし、松島で客死した彼は想像としての「水と東洋」を快楽的とも言えるデザインで空間とディテールに置き換えた、まさに20世紀の巨匠。

フランスでコルに学んだ丹下・前川の機能的でモラリティ高い建築が手本であった学生時代、建築雑誌の中のスカルパのデザインは禁断の貴族的世界に踏み込むような感覚だった。 
やがて、建築修行に見切りをつけ、独立という名の失業を得た20代後半、持つ物は金ではなく時間、片言の英語のみで一人、イタリアのヴェローナとヴィチェンツァを目指した。  


Youtubeにアップされていたこの映像は、その時の印象そのもの。 
制作はElena Mariottiとあるが、これは「建築紹介」ではなく文字通り写真家の「見る快楽」。
ボクも体験したカステロヴェッキオが、ものの見事に音と映像となって表現されている。
そう、「建築は詩」と実感したのもこの体験。
詩人スカルパがボクにまったく新しい建築を開示したその瞬間だ。

2012年3月18日日曜日

音と光の建築 メキシコシティーの視覚障害者センター

メキシコシティーの視覚障害者センター。
 床面だけを平らにすれば良いと考える安易なユニバーサルではなく、 ここでは空間における音のリズム、その変化をどう感知させるかが考えられている。  
建築計画にあって、健常者のみならず視覚障害者にとって最も大事なことは音と光。 http://www.archdaily.com/158301/center-for-the-blind-and-visually-impaired-taller-de-arquitectura-mauricio-rocha/?utm_source

ブルース・ガフのプライス邸

たしか、ライトの弟子であったブルース・ガフ。 
 オクラホマにあるプライス邸。 
 「雨は漏るものだ、漏っても支障のない住まいを造れば良い」 作品集にはそんなガフの言葉が記されていた。  
ボクが知る世界最初のエコロジー(グリーン)・ハウス。
 http://www.archdaily.com/171574/ad-classics-bavinger-house-bruce-goff/?utm_source

2012年2月24日金曜日

家族・都市・オペラ・イタリア



イタリアは都市と家族、そのイデオロギーに支えられている、と考えている。 ダンテより100年後、ダ・ヴィンチより50年早い万能人アルベルティは15世紀半ばユニークな都市論(建築論)、家族論を書いている。 そんな彼はフィレンツェを追放された父親と亡命先ジェノヴァの寡婦ビアンカ・フィエスキとの間に生まれた次男。 しかし、アルベルティは若くして父と死別したため苦学し、家族も持たず都市を転々としている。 
そういえば、先日観たヴェルディのシモン・ボッカネグラも都市と家族、その持続をテーマとした悲劇だ。 何故、いつもこのオペラがボクを惹き付けて止まないのかわかったような気がする。


オペラの中のシモンとフィエスコ、三幕での彼ら二人、バリトンとバスの重唱は圧巻だが、まさに二人は都市と家族を失いかねない悲劇を朗々と歌い上げる。 そして、面白いことに気がついた。
 アルベルティの母ビアンカはフィエスコ家の寡婦と言うことだろうか。 調べてみなければ判らないが、ここまで来るともう一言いたくなる。 オペラを支えるのは音楽とドラマと劇場だ。 そしてイタリアの音楽とドラマと劇場を支えているのもまた都市と家族にほかならない。