(アルベルティのマントヴァの二つの聖堂)
ウルビーノ公に数々の助言を与えていたアルベルティ、彼は同時期、理想都市の一部をマントヴァ公ルドヴィーコ・ゴンザーガのもとで実現する。「道路の交差するところには広場や重要な建築を置き、その装飾要素としてアーチを設けるように」と「建築論」に書いたように、マントヴァの中心に二つのユニークな聖堂を建築する。
ひとつは円形の神殿とはいかなかったが、円形と同じコンセプトを持つ、ギリシャ十字の平面形、サン・セバスティアーノ聖堂、もうひとつは大きな都市の凱旋門のようなアーチを持ったサン・タンドレア聖堂。どちらも古代ローマのイメージが聖堂のファサード(正面の外観)に色濃く反映されている。
(fig30)
サン・セバスティアーノのアイディアは古代ローマの廟墓や初期キリスト教の殉教者記念堂から引き継いだものであって、ビザンチン様式(東ローマ帝国の様式)の平面形の復活でもある。アルベルティはファサードに古代建築のオーダーを直接壁面に取り込んだ。彫りの深いペディメント(古代神殿の正面の壁の三角形部分)や極端な厚みを持ったエンターブラチャー(三層の柱上帯)、しかもそのエンタブラチャーは中央で分断されペディメントと一体化し、堂々としたアーチを構成する。
サン・タンドレア聖堂はサン・ロレンツォ聖堂と同じように、従来からのラテン十字の平面形。しかし、その内部空間は主廊が側廊を持つこともなくそのまま聖堂の内部を縦貫している。主廊の両サイドの壁面側は幅の広い祭室とサービス用の小さなスペースが繰り返す形で連なる。中央の主廊、壁面側の祭室、どちらも天井には大きなトンネルヴォールトが架せられていて、そこはまるで古代のバシリカか、大浴場のように見えてくる。つまりアルベルティは壮大なローマの大空間を取り込んでマントヴァの聖堂全体を支配しているのだ。
(fig31)
ファサードもまたはローマ時代の凱旋門そのものの形態。入り口部分前面のナルテックと称するところ。そこは教会における玄関ポーチのような場所だが、この部分の天井も内部の祭室と全く同様、両袖に幅の狭い壁を従え、大きなトンネルボールが架けられていて、その頂部はエンタブラチャに接する。正面から見ると壁面全体が一段と大きなアーチによってくり貫かれ、それはまさに都市の門、ローマ時代の凱旋門が聖堂のファサードとなって登場した。
アルベルティはマントヴァ以前、すでに、リミニでとてもユニークな聖堂の建築に関わった。それはキリスト教聖堂をリミニ公シジスモンドのための記念建築物に改装しようという仕事、テンピオ・マラスティアーノの建設だ。
異教であるはずのローマの神殿のデザインをキリスト教聖堂に持ち込んだり、あるいはその逆であったり、アルベルティの建築は従来のキリスト教建築のセオリーに縛られることがなく、余りにも斬新にして大胆な展開。ブルネレスキ同様、まさに初期ルネサンスの典型、古典復興の精神を文字通り目に見える形で表現しているのだ。