鳴り響いた音が次々に消えていく音楽の世界では、建築とは異なり、全体を一瞬に見渡すことはできない。常に演奏している一部分だけが存在し、音楽の全体は終わった後の余音に過ぎないからだ。しかし、楽譜に書き留めることで音楽は、始まりから終わりまでという時間の中に、ある区切りを獲得し、全体を見渡すことが可能となった。つまり、楽譜の誕生により音楽は建築と同じように「空間性」を獲得し、「思考の空間」となったのだ。
水のように切れ間なく流れる音楽の世界は、ネウマ譜という記号に書き記るされることで全体は形を持った一個の独立した作品となる。楽譜の誕生は作品の始まりだった。作品の始まりは生み出す作家の誕生をも意味する。ここに来て音楽は、神の創造から人間による創作物として道を歩むことになる。
音を記録するだけの方法なら、世界中どこにも存在する。しかし、ネウマが開いたもう一つの大きな道はポリフォニックな音の広がりを生み出し、音楽が表現できるそのものの世界を変えたことにある。ポリフォニックな音の広がりという多声への道は、体験や偶然から生まれるものではなく、楽譜の上の思考の結果に他ならない。
教会堂での音の重なりや広がりの体験は多声へのきっかけではあるが、単旋律歌声であった音楽がネウマ譜によって記録され、初めて多声音楽という新しい大きな道が開かれた。そして大事なことは、多声もまた経験の結果ではなく、思考空間での創作によって生み出されるものであったことだ。生み出された音の広がりは、現在に至るヨーロッパ独自の音楽、作曲家によるクラシック・オーケストラの原点となる。
ネウマによる記譜から始まる楽譜の誕生は、ヨーロッパ音楽を思考の空間へと導き、多声への道、そして作曲の道を開き大きな人間の文化として花開いていく。楽譜の成立は、聖なるものを讃えるための音楽が、聖なるものを表現し、聖なる力を広める役割へと転化したのだ。ネウマ譜が生まれたザンクト・ガレン修道院は、この転化を促す最初の場所であり、人間による作品の誕生の最初の地と位置づけられる。