ヨーロッパでは古代から合理主義への信頼が高い。それは「全ての事柄は理論理性で説明がつく」と硬く信じているからだ。ギリシャのイディアや中世の神に対する信頼は彼らの理性への信頼が生み出したもの。合理主義では現実的経験より、理性による思考が重視されている。逆に、現実的世界への信頼が高い場合はその思考は経験主義となる。「事柄の理解は全て経験の結果」という考え方であり、理性より経験が先行する我々東洋人は世界の有り様をこのように考えてきた。
人間の五感は不完全なものであり、そこでの経験は信頼できるものではない、と考えるヨーロッパの人々にとって、現実世界はどこまでも不確かなもの。むしろその背後にこそ確かな世界があり、その世界だけが信頼するに足るもの。だからこそ芸術は模倣(ミメーシス)であり現実とはみなしていない。 つまり、合理主義とは現実にではなく、現実の背後に存在するものへの信頼が、ヨーロッパの人々が考える世界の有り様だったのだ。
このような観点から見れば、世界は「あるがまま」のモノではなく、このように見える「はず」のモノに他ならない。中世の教会の中の絵画や音楽には、この「はず」の世界が表現されている。中世絵画では現実世界をそのままリアルに描くのではなく、現実の背後の世界を理性的思考あるいは想像の結果として、観念的に描くことが必要だった。「あるはずの世界」を「あるがままの世界」に変えたのは透視画法。透視画法の発見は「人間の視野を哲学者の偏見からの解放」であったと書いたのはゲーザ・サモシ(時間と空間の誕生:青土社)。しかし、今やこの偏見の方が貴重かもしれない。何故なら、あるがままの世界を「あるがまま」見ようとしなかった古代そして中世という時代の音楽と建築、そこには我々が読み取れない、音楽・建築・絵画があったからだ。
十五世紀のブルネレスキの発明、アルベルティの理論化でルネサンスの画家たちを魅了した透視画法は世界を観念ではなく、実際に見ることが出来るモノとして描く方法を開いてきた。しかし、透視画法の発見以前に「あるはずの世界」を「あるがままの世界」に変えたのは 中世音楽における アルス・ノヴァ。 (アルスとは技法のことであり、ウーススが意味する習慣とは異なる)それは観念や理念先行であった世界を実在の道に導いた音楽運動でもある。アルス・ノヴァはキリスト教会がもつ原則や正当性という理論に従わざるを得なかった音楽を、新鮮な現実の世界の響きへと開いていった。
十四世紀、アルスの開発により、自由なリズムを表記する試みが活発化し、音楽のスタイルは大きく変化していく。その先駆けは 1322年頃の音楽の理論書、フィリップ・ド・ヴィトリの「アルス・ノヴァ」(新技法)の登場にある。ヴィトリは詩人であり、数学者、音楽の理論家であり作曲家。ペトラルカの友人でもあった彼はまさにルネサンス人の先駆けと考えられる人。この理論書によって、音符の持つ時間の長さが多様化されたことが重要。多様化とは、本来は一対三という完全分割しか許されていないキリスト教音楽の記譜法に、一対二という不完全分割をも認められるようにしたことにある。
今までは、教会が持つ正当性により三拍子系のリズムでしか表記できなかった音楽が、二拍子系でも表現が可能となった。 教会の中では「三位一体」という理念から、許されなかった二拍子系のリズムの応用がアルス・ノヴァという運動により、論理的に許されることになる。二拍子系のリズムとは、人間のあるがままの歩行のリズムである。結果、音楽はやがて、現在の我々にとっても聞きやすい、滑らかで自由なリズムと旋律の道を開いていくことが可能となった。
時代が代わり十五世紀になると、イタリアでは新しい価値観とキリストに変わる新しい神が求められた。そんな彼らが新たな「人間と世界、人間と人間」の関係の構築に役立てようと生み出したモノ、それがアルス・ノヴァと透視画法なのだ。二つは新しい生き方、新しい神に関わるためのメディアと言える。 そのメディアに期待された役割は神の啓示による中世的「あるはずの世界」をルネサンス的現実、人間が眺める「あるがままの世界」に変容することにあった。
超越的な神が君臨する中世キリスト教社会とは異なる、現実的、快楽的、人間的社会を賛美する神を描くこと。 透視画法の役割は、神の介入無くしても存在しうる、秩序ある統一世界を生み出すことにあった。画面の中に描かれる平行線は全て一点(焦点)に集まる。この一点を中心として描かれた世界には秩序ある統一が存在するとみなし、建築家や画家たちは、哲学者のイディアや神学者の神に関わらなくとも「生きるに足る確かな世界」を描けることを発見したのだ。
ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの描く世界は美しい絵画である以前にまず「あるがままという理念」として見なければならない。 ルネサンスの人々を魅了した透視画法は神に変わる秩序を人間によって生み出し得ることを可能とした。その世界は神のいる世界ではなく、神のいる世界を眺めた世界。そしてルネサンス以降「音楽と建築」は「神話」や「聖書」に変わる「風景の世界」に関わることで、新たなデザインの道を開いていく。