2011年4月6日水曜日

イタリアはそれでも原発を作らなかった


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イタリアはそれでも原発は作らなかった。
イタリアはそれでも原発を作らなかった。かって以下のような論評でイタリア経済が紹介された。「原発なき先進国イタリアの悩み」。しかし、今再び、この論評を読む必要がある。8年前の自分自身を知るために、人間中心社会を取り戻すために。

http://www.iti.or.jp/flash47.htm

2003年7月25日
原発なき先進国イタリアの悩み
(財)国際貿易投資研究所
欧州研究会委員
(元北海学園北見大学教授)
長手 喜典
去る6月末から7月初めにかけて、イタリアの主要誌紙には、"Blackout"という英字が踊ったが、 かつて(1977年7月)のニューヨークの大停電を思わせるタイトルに目をひかれた。
実際には、ローマで一時間とか一時間半程度の停電、ボローニャあたりでは皆無、 ミラノでもそう大きな被害は伝えられていない。 しかし、なかには、冷凍庫のものがとけだしたり、エレベーターに閉じこめられて、大騒ぎした市民も出た。 これは、普通の年ならまだ電力に余裕のある6月に、イタリア半島が何百年ぶりとも言われる猛暑に襲われたため、 電力需要が急増し、最大供給能力 5万5,250メガワットの限界まで需要が近づいたためである。
イタリアでは、国民投票の結果、1988年末をもって原発は中止されており、 その後、15年近く慢性的な電力不足を抱えながら、フランス、スイス、スロベニアなどアルプスの向こうの隣国からの輸入で、 かろうじて電力需要をまかなってきた。

表1 イタリアのエネルギー源
公称発電能力(Mw)国産供給能力(Mw)
水力 
火力 
地熱 
風力 20,439
55,100
665
74613,450
34,750
550
200
合計76,95048,950

最大供給能力
国産供給能力
最大輸入量55,250 Mw
48,950 Mw
6,300 Mw
最大需要電力
(2002.12.2現在)52,950 Mw
限界供給可能量2,660 Mw
(出所:2003年6月28日 La Repubblica)
イタリアは原発先進国フランスが主要輸入相手国で、同国に輸出余力がない場合は致命的事態となる。 今回も予定されていたフランスからの買電800メ ガワットをカットされたのが、直接的原因と言われる。
もちろん、この辺の危機的意識がイタリアにないわけではない。 主要紙の論調なども、イタリア半島は電力マーケットという観点からすると、 EU市場から切り離されており、安全保障上はまさに孤島並と警鐘を鳴らしている。 欧州も大陸諸国は火力か水力か地熱か風力か、さらには原子力かと各国の自由な選択に任せているが、 イタリアには原子力という選択肢がない(表2参照)。 せいぜい議論されているのは、イタリア南部に大規模な火力発電所を建設するという、 まだ具体化されていない計画があるだけだ。

表2 種類別電力生産と電力消費(%)

(出所:2003年7月10日 Le'spresso)

もう一つの問題は、イタリアの発電所は稼働停止状態のところが多い点である。 最近のL'espresso誌によると、発電能力のうち30%は休止しているし、 本格稼働は16ステーション中、わずか3ステーションとみられている。 また、ほとんどの施設がコスト高に陥っており、発電コストが優良と目されるのは、 ポルト・トッレ(サルジニア島)とブリンディジ(南伊プーリア州)だけと指摘している。
ENEL(イタリア電力公社)のパオロ・スカトローニ社長は、12カ月以内に、 1,200メガワットを再稼働し、また、2年以内に1,600メガワットを 追加できると明言、 さらに、2004年中には、新たに5,000メガワットの供給を約束しているが、需要側は従来の実績から、 それをそのままには受け取っていない。
そして、常にイタリア電力業界に潜在しているのは、原子力発電回帰へのノスタルジーである。 保守系の現ベルルスコーニ政権と、かつて、「オリーブの木」を率いた現EU委員長プローディとの間の原子力に対する考え方は、 明らかに相違している。原発の是非を蒸し返すことは、あたかもわが国の憲法9条をめぐる与野党の対立のように、 聖域を前にして足踏みしているようにも見える。 いずれにせよ、冷夏と原発再開のニュースで、電力不足がやや遠のいた感のあるわが国ではあるが、 先進国の中で東の日本と西のイタリアは、電力不足を抱える、まさに、列島と半島の2国であろう。

2003年11月21日
原発なき先進国イタリアの悩み(その2)
(財)国際貿易投資研究所
欧州研究会委員
(元北海学園北見大学教授)
長手 喜典

フラッシュ47(7月25日付)に、同上のタイトルの一文が掲載されてから約2ヵ月後、 去る9月28日の朝まだき、イタリアでは再び大停電が発生した。 ローマで発刊されているラ・レップブリカ紙などは、この大停電はベルルスコーニ率いる中道右派政権のもと、 急速に傾きだした国の前途(欧州主要国中、直近のGDP伸び率は最も低い)を暗示しており、 2年数カ月前に同政権が公約した経済回復はおろか、再び始まったイタリア経済衰退の予兆であると手きびしい。
他紙の論調もおしなべて国の危機管理を鋭く追求しているものが多く、短期間に2度も発生し、 しかも、1回目に比べ被害がサルデーニャ島を除く全土に及んだことでさすが、 のんびりしたラテン気質のイタリア人にも大きな打撃を与えたようだ。

被害概況

首都ローマでは、9月28日はちょうど白夜祭(La festa della nottebianca)で町中に繰り出した150万人の若者達で、 中心街は夜明けまでにぎわっていた。しかし、皮肉にも白夜の最中の午前3時半に突然ブラックアウトし、 それから夜明けまでの数時間、家に帰りそびれた50万人は、真っ暗闇の白夜を路上で過ごさざるを得なかった。 だが、待ちかねた朝はおろか、昼も過ぎ、夕方の5時になってやっと電気が戻る有様で、 13時間半の大停電は、戦後最長という不名誉な記録を残した。
イタリア20州中、前述のサルデーニャ州は、島全体をカバーする独自の発電、配電網を持っていたため難を免れたが、 他の19州にはすべて被害が及んだ。午前3時30分から午後10時26分まで19時間の停電を続けたシチリア州が最悪で、 日頃、カオスを代表するような町、ナポリを州都とするカンパーニャ州が、昼過ぎの13時30分には通電、 最短の10時間で回復したのもお手柄であった。
全体として、ミラノ、トリーノなどを中心とする北部は相対的に停電時間は短く、 南部が明け方から夜まで電気なしの一日を強いられた。そんな中にあっても例外はあるもので、 イタリア北東部のトリエステ市だけは、あかあかと電気がともっていた。理由は報じられていない。
計算根拠は明らかではないが、冷蔵庫の中の物が融け出したり、牛乳がいたんだりの食品の被害が、 一家庭当たり平均20ユーロ、一般商店の被害総額はおよそ1億ユーロとConfucommercio(イタリア商業連盟)は発表している。 いずれ、さまざまの電力消費者からの被害請求が起こるだろうが、電力会社や行政がこれにどう応え得るか頭の痛いところだ。

大停電は何故起きたのか?

隣国スイスのドイツ語圏の山中で、折からの嵐により古い大きなモミの樹が倒れて高圧電線に接触した。 それが災難の始まりであったと言う。が、燃え上がった木は雨が消火して、山火事などに至らなかったのは幸いであった。 しかし、問題は国境のこちら側、イタリア・アルプスの山系には、数多くの水力発電所があり、どうしてすぐ補完的対応ができなかったのか。 レップブリカ紙の説明によると、事故の起こった真夜中は、電力コストの最も安い時間帯で、 イタリアは外国からの買電にもっぱらこの時間帯を利用していた。したがって、イタリア側からの供給は休止中、 ぐっすりとした眠りから覚めるには、時間がかかるというわけである。
だが、自然の災害を責めても仕方のないことで、これら緊急事態に備えたしっかりしたディストリビューション・システムが、 日頃から確立されていなかったのが、今回の問題と衆目は一致している。
いずれにせよ、戦後、イタリアの危機の中でも、今回のような出来事は初めてである。 「カオス」という数学理論の中では、日本で蝶の羽根が一振りされると、世界のどこかで台風やハリケーンが起こるという。 スイスで一本の樹木が倒れたというあり得る小さな出来事が、シチリアの島全体に圧倒的な暗闇をもたらした。
このような思いもかけない関連性の中で生きている現代工業化社会は、IT革命でさらにその相互緊密性を増しており、 このままでは、人間レベルの対応が後手に回って、取り返しのつかないところに来ているのだ。 次項にあげたような出来事は、対岸の火事ではなく、現代文明社会にいつ起こってもおかしくない現実である。

他山の石

ミラノの北60キロ、深夜のマルペンサ空港へ着陸態勢に入ったアリタリア機のパイロットは、 眼下の大地が忽然として消えてしまい、思わずわが目をこすった。これでは砂漠に着陸せよと言うに等しい。 迷わず機種をミラノ市郊外のリナーテ空港へと向ける。 9分後、下界に見える筈のミラノの燈火は、どちらを向いても見あたらず、ラゴスのような真っ暗な町に、 自動車のヘッドライトの動きが、僅かに散見されるだけだ。なにしろ夜中の3時過ぎである。 しかし、幸い滑走路には自家発電の誘導灯が灯っており、パイロットはほっと胸をなでおろす。
ローマの終着駅は、この夜、若者達の野営地(ビバーク)のための格好の場所と変わり、 1万2,000人の人々が国鉄と地下鉄双方の構内にあふれかえった。 終着駅というかっての名画では、構内の引き込み線に止まっている無人の車両の中で、アメリカへ帰る年上の恋人を追って、 イタリア青年の恋心が綿々と語られるが、今回の白夜の夜には、どんなロミオとジュリエットが、真っ暗な終着駅から生まれたろうか。
イタリア南部の小さな町の小さな病院には、自家発電の設備はなかった。深夜にかつぎ込まれた交通事故の被害者は、 オペの最中に今度は大停電による生命にかかわる被害者となった。 そこはランプや懐中電灯をともした何世紀も前の手術場に逆戻りしたが、なんとか患者の一命はとりとめられたと報じている。
こんなことを紹介しだしたら切りはないが、ローマだけで、深夜のエレベータの中に閉じこめられ、 呼べど叫べど答えのない恐怖の中に過ごした人が、120人もいたという事実が、大停電の怖さを如実に物語っている。

イタリアの電力消費量の推移

(出所:2003年9月29日 La Pepubblica)

イタリアの特殊性と世界の大停電

通常の電力危機は、おおむね電力消費量の最大期、夏期に先進国を見舞う。前回のイタリアもそうであった。 ただ、今回は秋、しかも、最も電力消費が下降する真夜中に起こった。 これはイタリアが総需要の16.6%も輸入電力に依存しているからであるが(フラッシュ47参照)、 通常なら国内発電による供給不足分-15.9%を十分上回る買電で、 理論的には足りている計算である(2003.9.29 レップブリカ紙)。
しかし、16本の隣接する諸国からの送電ケーブルは、そのうちの1本の通電時間帯の事故で、 家庭用も産業用も一緒くたの大停電を引き起こし、人口5,700万人、世界第7位の工業国を一夜にして、第三世界以下の状況下においた。
大停電ではアメリカもあまり自慢できない。 2000年と2001年の夏、カルフォルニアで、2003年8月14日東部(ニューヨーク、デトロイト、クリーブランド等)と続いている。 一方、欧州では2003年8月28日にロンドンで、続いて、9月23日にはデンマークでも発生、大停電の皮肉なボルテージは上がってきている。

世界の大停電リスト
米国5大停電(1965、77、96、01年。2003年8月14日には北西部の5,000万人が被害を受けた)
英国2003年8月28日に34分間の停電、列車、地下鉄が止まり、15万人が被害を受けた。
仏いつも12月に大停電発生。1978年は電線故障、99年は嵐の中、360万人が暗闇で数時間を過ごした。
カナダ1998年1月、300万人が1週間以上明かりなしの状態。どしゃぶりの雨の中、電線が凍結したため。
インド2001年1月、インド北部の2億人以上の住民が、ウッター・プラデシュ州の発電所の機能不全で暗黒の世界に。
ナイジェリア2001年6月、約5,000万人が送電停止の状況下におかれた。国の東部地域で高圧線用の鉄塔が損壊したためという。
(出所:2003年9月29日付 La Repubburica より作成)
イタリア電力問題の変遷

第2次世界大戦後のイタリア電力業界の動きの中で、以下のような、大きく5回の転換点が認められる。

戦後:電力業界は10社あまりの私企業が支配していたが、そのうち最大手がエジソン社であった。
国営化:1962年、2位から7位までの電力会社を吸収合併して、国営のENEL(イタリア電力公社)が誕生した。
原発推進:国は原子力発電の強化を目指し、既設4施設の完成・増強をはかる議会決定を1973年12月に行った。
原発廃止:1987年、レフェレンダム(国民投票)により、カオルソ、トリノ、ラティーナ、モンタルトの全原子力発電所を閉鎖した(注)。
電力自由化:1999年4月、ENELの独占状態を止め、電力の生産、輸入、販売のすべてを自由化することを決定、現在に至る。
イタリアの電力業界は60年代から80年代の半ばまで、国営化ならびに原発を推進していた時期には、電力危機とは無縁であった。 しかし、1987年の原発廃止後、エネルギー産業に群がる利権目的のビジネスや政界へのロビー活動などが、 エネルギー分野の健全な育成発展を妨げたと言われる。第2次世界大戦後のイタリア電力業界は、私企業による一種の地域独占が形成された。 すなわち、北部ではミラノで最初の施設を建設したのは、Edison社であり、ベネト州とエミリア・ロマーニャ州の一部にはSade社、 ピエモンテ州にはSip社、トスカーナ、ラツイオ、サルデーニャ州にはCentrale社、南部とシチリアにはSme社が立地した。
戦後、イタリア産業の復興は、これらのエネルギー企業の飛躍に負うところ大であり、 10年足らずで国の産業は金の卵を生む鶏へと成長した。その間、60年代の中道左派政権は烈しい政策論争を経て、 遂に、62年に電力の国有化に踏み切る。すなわち、1、500社以上の民間企業が、新生ENELという国営企業に一本化された。 経済ブームにあと押しされたり、石油危機に足をすくわれたりしながらも、1960年と84年の24年間にエネルギー生産は10倍に拡大した。
その間、1973年に最初の方向転換がなされる。ENELによる原発2基の建設で、さらに、2基が追加される。 しかし、14年後の1987年、イタリアの民意はすべての原発廃止を選択する。このような政策のぶれの中で、 1999年には37年間続いた国有化の歴史は幕を閉じ、再び民営化が動き出したが、 ENELの68%の株式はいまだ国が所有しているのが現状である。

政府・産業界と民意の対立

現中道右派政権と産業界は公然と原発再開の必要性を訴えている。だから、今度のような出来事は、起こるべくして起こった。 つまり、ベルルスコーニ首相はあえて放置しているという、うがった見方まで出てくるが、真偽のほどは分からない、 ジャーナリスティックな見方であろう。Confindustria(イタリア経団連)のアントニオ・ダマート会長は、 「過去20年間の政策の誤りのつけが、いま露呈している。電力不足を解決するには、原子力発電を再開し、 石炭による火力発電も再考すべし」と、産業界を代表して発言している。イタリア産業は欧州の競争相手国に比べ、 40%コスト高の電力料を支払い、家庭用電気やガスでも20%は高くついている。 このような劣悪な競争条件では、イタリア産業の再生などおぼつかないというのが、産業界の本音だ。 ENELのパオロ・スカローニ社長は、すべては電力のディストリビューションの問題に帰結するとしながらも、 過度の外国依存を是正しなければ、抜本的な解決はないと断言する。 前回はフランスでの落雷、今回はスイスの立木の倒木などと、自然災害を言う前に、イタリア電力消費の17%という、 欧州でも最大の輸入依存率を引き下げることが肝要だと主張している。 ちなみに、欧州第2の電力輸入国、スペインにしても、その依存率は3%と低い。
また、イタリア電力の50%を生産し、消費電力の38%を取り扱う前記ENELのスカローニ社長は、 結論として新しい発電施設(火力であれ原発であれ)の建設や立地に地元が反対すれば、問題は先送りされるだけ、 地域住民の理解と協力がなにより大切と力説している。

今後の課題

エネルギー問題のエキスパートたちの意見も、「イタリア最大の誤りは原発廃止にある。 当時は総選挙への対策のため、選挙民への配慮が優先して、反対論の口を封じてしまった」と指摘している。 他国の先例をあげれば、英国国鉄の鉄道網が、民営化後にかえって劣化したこと、カルフォルニアでは電力供給者間の競争が、 停電騒ぎに結びついたこともある。これら僅かの例からも、民営化を呪文のように唱えることが、 産業の活性化や再生に必ずしも繋がらないことを知らされる。 施策に民意をどう盛り込めるか、イタリアはまさに難問を突きつけられている。
前イタリア産業大臣、アルベルト・クロ氏は新聞のインタビューに答えて、次のように述べている。 在来型の発電施設でも、プラント建設・稼働までに最低2年位かかる。原発の場合は10年はかかるかも知れない。 電力自由化後の4年余りを総括すれば、電力業界にとりネガティブであったと判断せざるを得ない。 電気料は30%上がり、電力は先細り傾向を辿っている。次のブラックアウトを避けるには、電力需用者である企業が、 自前で準備するのが、当面の解決策であると。
最後にEU(欧州連合)レベルの問題に簡単に触れる。イタリア出身のマリオ・モンティ州委員は、 EUの電力産業単一市場化が完全に実現すれば、今回のようなブラックアウトは回避できるし、 少なくとも大きな助けとなろうと発言している(2003年10月7日ラ・レップブリカ紙)。
今回、イタリアが直面した問題をきっかけに、エネルギー生産に伴う重大な欠陥として、 各国間の送電の流動性に大きな不備のあったことに気づかされた。 エネルギー・システムの安全の問題は、EUでも大きなテーマの一つである。 議長国イタリアは自国民に対してはもとより、スイスを含む欧州市民の前にも、今度の事件を総点検して、 その実体を明らかにする必要があろう。そして、電力の安定供給、国の危機管理のために、 内外の生産拠点からの電力の、機に応ずる集約化や多角化を再構築することが、喫緊の課題である。

(注)イタリア原発問題は、拙著「イタリア経済の再発見」東洋書店に詳しい。