当初の教会は雨風をしのぐ粗末な小屋や、ありきたりの民家さえあれば充分だった。
そこで必要だったものは音楽、ミサ典礼という音楽によってのみ、キリスト教が示す神の国を現出していた。
やがて、キリスト教典礼は初期中世の人々の日常生活にしっかりと組み込まれて行く。
そして、人々はミサのための恒久施設を必要とするようになり、教会堂建設が始まりまった。
ローマが誇った数々の建築群は敬虔なキリスト教徒にとっては異教であり、不必要な存在。
アルプスの北の人々は当初、自分たちの持っている技術、木造で教会堂を作り始める。
しかし、堅固で永遠の神の館、神の国を視覚化するには、木造より耐久性の優れた石の建築が必要。
堅固な建築なら天井は木材でも良かったのだが、教会堂には石の天井が設けられた。
ローマ建築にある重い石のトンネルヴォールトや交差ヴォールトの建築にする必要は何処にあったのだろうか。
彼らが必要としたのは堅固で恒久的という強度的理由だけではない、石へのこだわりは音響効果にあった。
ドームはその形状によって天空を象徴しているが、天井が石造であることから生れる反響と残響こそが彼らが求めたもの。
教会堂の内部空間に響く単旋律の歌声は悪戯に情感を高めることがなく、厳粛な静けさと繊細な均衡を持った気高い旋律に変化し、その歌声が持続的な音に満たされた神の国を現出する。
彼らは視覚・絵画的象徴より、聴覚・音楽的空間を神の国と見立て必要としていたのだ。
カロリング期に入り、様々な地域は見よう見まねで、石造の教会堂をつくり、建築史の中では最も多様な様式を持つロマネスク時代を迎える。
ミサ典礼という音楽からはじまったキリスト教的芸術感はやがて建築にも反映される。
異教のローマ建築をそのまま引き継ぐのではなく、グレゴリアンチャントの響きとその視覚化による空間の現出が教会堂の使命となった。
教会堂の内部空間を体験してみよう。
身廊のアーケード(アーチの連続)がゆったりとしたリズムを刻む。
その上のトリフォリウムはアーケードの倍音を構成する。
トリフォリウムのアーチから静かに差し込まれた光は身廊の床に反響し柱列が生む旋律に絡まる。
重力と空間全体を支える質量を持った石の厚み、その厚みが織り成す柱のリズム、
それらはすべて聞く人の内面に響くグレゴリアンチャントの体験とまったく同質であると理解される。
音楽と建築のあまりにもぴったりとした照応、この時代はまた音楽において、モノフォニーからポリフォニーへの展開の時期でもあった。
その音楽の展開に誘導されるようにロマネスクの空間もまた多種多様な展開を遂げてゆく。
つまり、ロマネスクは芸術史上唯一、建築と音楽の融合と調和の時代であったと言えるのです。
(Gregorian Chant (Advocatam) Llibre Vermell de Montserrat from quijote347 on YouTube)
カロリング期に入り、様々な地域は見よう見まねで、石造の教会堂をつくり、建築史の中では最も多様な様式を持つロマネスク時代を迎える。
ミサ典礼という音楽からはじまったキリスト教的芸術感はやがて建築にも反映される。
異教のローマ建築をそのまま引き継ぐのではなく、グレゴリアンチャントの響きとその視覚化による空間の現出が教会堂の使命となった。
教会堂の内部空間を体験してみよう。
身廊のアーケード(アーチの連続)がゆったりとしたリズムを刻む。
その上のトリフォリウムはアーケードの倍音を構成する。
トリフォリウムのアーチから静かに差し込まれた光は身廊の床に反響し柱列が生む旋律に絡まる。
重力と空間全体を支える質量を持った石の厚み、その厚みが織り成す柱のリズム、
それらはすべて聞く人の内面に響くグレゴリアンチャントの体験とまったく同質であると理解される。
音楽と建築のあまりにもぴったりとした照応、この時代はまた音楽において、モノフォニーからポリフォニーへの展開の時期でもあった。
その音楽の展開に誘導されるようにロマネスクの空間もまた多種多様な展開を遂げてゆく。
つまり、ロマネスクは芸術史上唯一、建築と音楽の融合と調和の時代であったと言えるのです。
(Gregorian Chant (Advocatam) Llibre Vermell de Montserrat from quijote347 on YouTube)