2014年9月27日土曜日

幽霊たち ポール・オースター 

ブルーはマンハッタンに行く、東26丁目。
誰あろう、「かっての未来のミセス・ブルー」が目の前に飛び込んで来る。
突然亡霊でも現われたかのように、「かっての未来のミセス・ブルー」は、その亡霊が誰なのかも気づかぬまま、はっと息を呑む。
ブルーは彼女の名を呼ぶ。
人でなし!と彼女はブルーにいう。
人でなし!

ニューヨークは幽霊たちの住処。
人は自分自身が書いた物語を生きている。
いつも物語りを書いている作家には人生がない、作家は幽霊だ。
そこにいるときはそこにいない、デスクに向かって物語を書いているのだから。

探偵であるブルーはホワイトにブラックを終始見張り、彼の行動を毎日報告するという仕事を依頼される。
ブルーは毎日、ブラックの行動を見張り、デスクに向かい報告書を書く。
奇妙なことに見張られているブラックもまたいつもデスクに向かって何かモノをかいている。
ブラックはブルーを見張り、報告書を書いているのだろうか。
お互いにデスクに向かい何かを書いているだとしたら、ブルーにとっての本当の人生はどこにあるのか。
ブルーは自分自身の人生(物語)を書こうとして街に出た。

春のうららかな陽気のなか、オレンジ・ストリートを往復しながらブルーは生きていることをつくづく嬉しく思う。
通りの一方の端からは川が見え、波止場が見える。
マンハッタンの摩天楼が見え、橋がいくつも見える。
ブルーの目にはその何もかもが美しい。

ブルーはマンハッタン、東26丁目を歩く。
最初に書いたように、そこで「かっての未来のミセス・ブルー」に出くわし、「 人でなし!」と叫ばれる。
探偵(作家?)であるブルーは自分自身が幽霊であることを自覚する。

1947年生まれのポール・オースターが1947年のオレンジ・ストリートを小説にしている、それが「幽霊たち」。
この小説はオースターのニューヨーク三部作の一つ。
ガラスの街、鍵のかかった部屋、そしてこの幽霊たち。
往年のエスピオナージやハード・ボイルドではいつも都市が舞台となり、スパイやディテクティブが活躍する。
ボクはそんな物語が大好き。
しかし、オースターには暴力は似合わない。
どこまでもエレガントでクール、映画・文学好みの我々を魅了する。

オースターが自分自身が生まれた年、1947年にこだわるのは何故だろうか。
野球好きのオースターは「その年に史上初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビンソンがドジャースに入団している。五月のある天気の良い火曜日、ブルーはエベッツ・フィールドまで出かけ、7回にロビンソンが左翼フェンスに届く二塁打を打つのを見る。」と書いている。

映画好き、いやプロでもあるオースター自身がこの時代の映画を書き落とすこともない。
それは都市に生きる作家であるポースター自身の物語でもあるからだ。
「幽霊たち」の探偵であるブルーはビールを一杯やりに酒場に行くこともあるが、たいていは何ブロックか離れた映画館まで足を運ぶ。
「湖中の女」「堕ちた天使」「ピンクの馬に乗れ」、とくにお気に入りは「過去からの脱出」。
「その映画はありふれた人生に戻ろうとするが戻れなかった男の話。一方、ありふれた人生から逃げ出そうとする男もいる。どちらにしろ自分の人生を決めるのは自分なのだ。物語はいつまでも立ちどまってはくれない。」
全くオースタらしい洒落た語り口だ。

大都市は幽霊たちの住処。
オースターがなぜ、1947年の「幽霊たち」を書いたのか少し判るような気もする。
オースターの描いた「幽霊たち」はどこまでもエレガントでクールでスマートだ。
現代都市のニューヨーク、そして東京。
そこはもはや「幽霊たち」ではなく、「ゾンビたち」の住処になってしまったのかもしれない。

Google Keepから共有

2014年9月23日火曜日

われらが背きし者 ジョン・ル・カレ

映画にもなったというので薦められ、図書館から借り出し、立て続けに読んでいたのが次の三作。
松林図屏風、火天の城、のぼうの城。
だめだ、ボクにはちっとも面白くない。

良く知られた人物の名前ばかりが羅列される16・7世紀の物語。
武将と絵師・職人たち・・・、「のぼう様」はともかく、どの小説からもさっぱり人間像が見えてこない。
映画を見ているのではない、今は本を読んでいるのだ、と思わず言いたくなった。

この時代のイタリアは大好きだが、日本の人間文化状況も全く同じ、もっとも面白い時代と言って良い。
そんな時代だ、読みごたえがある小説は沢山ある。
大好きな辻邦生をだけでもあげてみると。
嵯峨野名月記・安土往還記・天草の雅歌・・・・。

先週末、暫くぶりに神保町の本屋街を歩いてみたが、出版状況は大きく様変わりしたというのがボクの印象、驚いている。
都心だけというわけではないだろう、大型店の書棚は電子書籍で見るような、売れ筋ばかりがぎっしりと並んでいる。
二十世紀の作家は最早古典扱い、紙媒体を新刊で読むなら全集の中を探すしかないのかもしれない。

一冊だけ購入した。
ル・カレの最新作「われらが背きし者」だ。
彼もまた二十世紀の作家。
かって新刊の発売に合わせ、神保町に通ったが、今や紙媒体もアマゾンの時代。
しかし、久しぶり書店で見つけたこの本はお薦めだ。
21世紀になってもル・カレそしてスマイリーは健在だった。

ル・カレは数年前に映画化された「裏切りのサーカス」 http://leporello.exblog.jp/18291985/ (ティンカー・ティラー ・ソルジャー・スパイ)を書いた人。
冷戦時代のスマイリー(ル・カレ作品の諜報員)のサーカスはもう無いが、現代社会を生きつづけるイギリス諜報部(M6)はいまも健在。
例によってヒーローは登場せず、物語は複雑。
と同時に現実の社会や世界から決して離れることはない。
ボンドを超える本格的エスピオナージが久しぶりに復活した。

今回のル・カレはオックスフォード大学で教えるスポーツマン・テューターとその恋人弁護士をロシアのマネーロンダラーとその家族に絡ませ、現代世界の内奥を日々新聞で読む時事世界と連動させ描いていく。
そして、新たにネットで知ったことだが、「裏切りのサーカス」  に引き続き映画としての製作も決まったようだ。

「われらが背きし者」はサーカスの男の物語というより、様々な恋人、家族、人間たちのドラマ。
舞台もカリブ海リゾート、パリ、ベルン、そしてグリンデルワルド。
映像化すればボンド並みに華やかになるのは間違い無し。
今からどんな映像になるのか、大いなる楽しみというところ。

Google Keepから共有

2014年9月21日日曜日

ヒュプネロトマキア・ポリフィリ 

15世紀イタリアの奇書「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」http://leporello.exblog.jp/1527068/については数年前、Quovadisで取り上げたことがある。
当時、「ダヴィンチ・コード」がブームだったが、ボクは小説なら同時期出版された「フランチェスコの暗号」のほうがはるかに面白いと言いたかったからだ。

しかし「ヒュプネロトマキア」は「暗号」の一部であって、「フランチェスコの暗号」でもその周辺情報しか触れていない。
ボク自身は奇書そのものにも興味が惹かれ、その後調べても見たのだが、全く情報もなくお手上げ、すべて????で終わっていた。

ヴェネツィア建築大学ジョルジョ・アガンベン教授の「イタリア的カテゴリー」の中に「言語の夢」という章がある。偶々見つけたことだが、ここになんと「ヒュプネロトマキア」について30ページに渡って論述がなされていた。

「イタリア的カテゴリー」とは何かと言えば、「詩は何故必要か」という問いかけ、ポイエーシス(制作すること)とプラクシス(実践すること)の関係を問うことで「人間」の中味に言及しようとしている。
「人間」についてそれほど自覚的ではない我々にとっては「中味のない人間」を問うことは意味のないことかもしれないが、「イタリア的カテゴリー」はイタリアをテーマとしたのではなく古代から現代にいたる「人間の中味」「詩学に於ける言語と言葉」が問題となっている。

どうやら「ヒュプネロトマキア」はラテン語の幹に生きた俗語(母語としてのイタリア語)を接木した二重言語主義がテーマのようだ。
この奇書はルネサンス・イタリアの知的遊戯と言ってしまえばそれまでだが、アガンベン教授は「言語の夢」の中でこんな解説をしている。

この物語のポリフィロとポリアはダンテとベアトリーチェ、あるいはポリアはラテン語、ポリフィロは俗語に置き換えられる。
15世紀イタリアは都市や家族どころか人間にとって最も基本的な言語そのものの危機、知識人にとっては俗語も絶え間ない死にさらされていた。
そして「ヒュプネロトマキア」は14世紀のダンテの詩における諸テーマに類似させ作られている。
詩における愛の経験は生の出来事に対する言葉の根源的絶対性、生きられたものに対する詩作されたものの絶対性に支えられている。
しかし、今やその関係は転倒。
そんな詩作上の危機感から「ヒュプネロトマキア」がつくられた。
ということのようだ。

考えてみればボクの知るダンテ、ペトラルカ、アルベルティ、後年はラテン語だが初作はみな俗語、現在に言うフィレンツェ語が中心となるイタリア語だった。
「神曲」はイタリア語で書かれているからこそ、現代イタリアで小中高校と勉学中の全員が学ばなければならない教科書となっている。
しかし、ボクはラテン語は古代からのヨーロッパ公用語であるから、普遍的な論を立てる時の必要上の言語とかってに思い込んでいたのだが、それは余りにも浅はか、まさに人間の中味が全く理解できていないようだ。
ダンテが組み立てた清新体派の抒情詩の意味を理解しなければ、ボクは永遠に転倒に転倒を繰り返さざるを得ないかもしれない。

先の「言語の夢」はさておき「イタリア的カテゴリー」にもうすこし留まっていることにした。
序文に戻ると70年代にアガンベンはイタロ・カルヴィーノとクラウディオ・ルガーフィオーレとの三人で雑誌の発行を計画していたと言う。
目的はイタリア文化のカテゴリー的構造を究明しようとするもの。
発刊にはいたらなかったそうだが、この時ルガーフィオーレは「建築/優美」という対概念を提示していたと言う。
つまり、数学的かつ建築的な秩序によっての支配と移ろいゆくものとしての美の知覚。
このカテゴリーこそ、ボクの関心があるところ。
検索したが、残念ながらまだルガーフィオーレの「建築/優美」は見つからない。
しかし、松岡正剛がアガンティを解説する記事を千夜千冊(2009年10月14日)に書いていたのを思い出した。
久しぶりに読んでみて、そうか、やっぱりこの辺りだったんだ、ボクの関心。
その後、前に進むことは出来なかったが、イタリアに関わってみようという気持ちだけは今も変わらない。

2014年9月15日月曜日

伊豆の旅 島崎藤村 

百年前の下田街道の旅は馬車と汽船、石廊崎沖には帆船が浮かんでいた。
三十路の坂を大きく越えた四人の男たちが大仁から修善寺、湯が島、湯が野へと早春の天城峠を三日がかりで超えて行く。
今なら、一時間余りのドライブだろうが、彼らは椿が咲き、蜜柑が黄色く、黒い山毛欅と白い欅の山道を馬車に揺られ揺られていく。

「此処には山芋はありませんかね。」と私は内儀さんに尋ねて見た。
「ハイ、見にやりませう。生憎只今は何物もございません時でしてーー野菜も御座いませんし、河魚も穫れませんし。」内儀さんは気の毒そうに言ふ。「芋汁(とろろ)が出来るならご馳走して呉れませんか。」斯う頼んで置いて、それから山を一廻りした。我儕のために酒を買ひに行った子供は、丁度我儕が散歩しての帰った頃、谷の上の方から降りて来た。
夕方から村の人は温泉に集まった。この人たちはタダで入りに来ると言ふ。夕飯まえに我儕が温まりに行くと、湯層の周囲には大人や子供が居て、多少我儕に遠慮をする気味だった。我儕は寧ろ山家の人達と一緒に入浴するのを楽しんだ。不相変、湯は温かった。容易に出ることが出来なかった。我儕の眼には種々なものが映った。ーー激しく労働する手、荒い茶色の髪、僅かにふくらんだばかりの處女らしい乳房。腫物の出来た痛そうな男の口唇ーー
夕飯には我儕の所望した芋汁は出来なかった。

僅か一時間足らずの別世界のような休日の午後の旅。
藤村の伊豆の旅は一人ニ圓余りだったようだが、
ボクの旅はKindlepaperwhite利用で零圓だった。



Google Keepから共有

2014年9月13日土曜日

ムーン・パレス ポール・オースター

「 ポール・オースターのムーン・パレスを読んでいる。こんな小説を読みながら月を観ると、天空に穴が空いたのかと思ってしまう。その穴からを覗いているの誰だろうか。」
一昨日の十六夜、こんな感想をnoteにしていた。

いま、読み終わって見ると、まんざら外れていたとは思えない。
覗いているのは作者であるポール・オースターだ。
頁を繰り終わり、目を瞑ると、ボクにはこんな言葉が聞こえる。
生きるということはかくも悲しい。
しかし、その悲しみに涙はいらない。
人は自分自身が生み出す物語を生きるのだ。

今回のオースターもまた素晴らしかった。
この小説はストレートに人間の生き様をカタチにしている。
この小説は決して青春小説ではない。もちろん、流行りの自分探しというものでもない。
世代の異なる男三人と彼らに関わる人間たちの話だ。
それも、奇妙で不細工な男ばかり、決して群れない、迎合しない、不器用でイイネなんて絶対に言わない男たち。
いや最も徹底しているのはマーコ・フォッグのチャーミングな恋人、中国人のキティ。
彼女にイイネをすればコメント漬けでボコボコにされる。

27才のマーコ(作者であるポール・オースターと同年生まれ)もまたほかの二人同様、ニューヨークからユタ砂漠を越え、カリフォルニアへ行く。
そして彼だけがラグーナ・ビーチの浜辺に立ち、上っていく月をじっと見るのだ。
「ムーン・パレス」という表題が示すようにこの小説は月が象徴となる。
巻末の解説によれば「ムーン・パレス」はコロンビア大学の近くに実在した学生食堂よりちょっとましな中華料理屋こと。
そこでのコンパでマーコが引き当てたフォーチュン・クッキーは「太陽は過去、地球は現在、そして月は未来だ」。
ボクが3日前すでに予測していたように、巻末で満月を見上げ続けるマーコ・フォッグは、作者ポール・オースターに、この小説が終わってしまう「明日」は、どうするのだと問いかけている。

物語のキーとなるのはユタ砂漠、そこは月面着陸のシュミレーションの場としても有名、地球上につくるられた月なのだ。
さらにこの地に孤立して住むようになったインディアンにとっては、こここそが祖先であるポグとウーマが旱魃で住めなくなった月から逃げ出し降り立った地球の上の「原初の森」。
「人間」と名付けられたインディアンは自分たちの霊は肉体の死後、月に住む、と歴史学者である肉が何層にも積み重なった大伽藍のようなソロモン・バーバーは語っている。

物語はラルフ・アルバート・ブレイクロックの絵画「月光」に触れる。この絵画こそ間違いなくこの小説「ムーン・パレス」の中心となるもの。
目の見えない車椅子の奇妙な偏屈老人エフィングはマーコとの人間関係を生み出すため、彼にブルックリン美術館に実在する「月光」を見てくるように命令する。
「口をきくんじゃないぞ。何もかも黙ってことを進めるんだ。アメリカ絵画の常設展をやっている階をさがして、ギャラリーに入りたまえ。なるべくどの絵も見ないようにして歩け。二番目だか三番目の部屋に、ブレイクロックの「月光」があるはずだ。そこで止まって、絵を見なさい。まる一時間のあいだ、ほかの絵はいっさい無視して、「月光」だけを見るんだ。精神を集中してな。見る距離もいろいろ変えてみなさい。三メートル、五十センチ、二センチ。全体の構図を考えたり、細部を吟味したり、見方もいろいろ変えるんだ。メモを取ってはならん。その絵のあらゆる要素を記憶するようにしろ。人影や自然の事物の位置を正確に覚えて、カンバスのありとあらゆる地点の色を頭に入れるんだ。目を閉ざして、自分でテストしてみたまえ。それから目を開けろ。目の前の風景のなかに入っていこうとしたまえ。目の前の風景を描いた画家の心のなかに入っていこうとしたまえ。ブレイクロックのつもりになってみろ。自分がこの絵を描いているつもりになってみろ。これを一時間続けたら、少し休憩だ。何ならギャラリーの中を歩き回って、ほかの絵を眺めても構わん。それからブレイクロックの絵に戻れ。世界じゅうにこの絵しか存在しないつもりになって、絵に心を委ねるんだ。十五分そうやったら、その場を離れろ。」

さらに、小説でポール・オースターは月から見たボストン、ニューヨーク、ユタ砂漠、サンフランシスコでの出来事をこと細かく語っていく。
その細かさはすでにエフィングが命ずる「月光」の見方に詳述されている。
簡約すれば、何事も一般化し、物同士の差異よりも類似のほうに目が行きがちだが、無数の個別性からなる世界を五感で捉え、直接受けるデータを言葉によって再現している。

加えれば、展開されるのは三世代の男たち自身の命名も半端ではない。
主人公フォグはM.S.Fogg(fog霧、fogel渡り鳥)。
エフィング=F-ing(Dounting=Fukking Tomas疑り深いトマス 、糞ったれトマス)。
ソロモン・バーバーのソロはソリ、つまり太陽そして大地のこと。

「人はみな自分の人生の作者だからね」とビクター伯父さんはまだ幼いマーコ・フォッグに語る場面がある。
ビクターは幼くして母をなくしたマーコの育て親。
母の兄でありクリーブランド交響楽団のクラリネット奏者だが、マーコに様々な名前を付けることで、彼に意味ある人生を生き抜けるように励まし送り出す。
フォッグ=下っ端、フロッグ=蛙、霧(フォッグ)からの連想でスノーボール・ベッド、スラッシュ・マン、ドリズル・マウス。
Marcoはダンボ、ジャーコ(あほんだら)、マンボ・ジャンボ(ちちんぷいぷい)、マルコ・ポーロにポロ・シャツ。

つまり物語全体は満月の月の光が地球を嘗めるように、じっくり這い回り、大樹の木の葉、大地の草の葉、水辺の煌めきはもちろん大都市の屑かご、商店のウィンドウや戸口、ごくあたりまえの街灯、なんの変哲もないマンフォールのふた等を人間が目に見えるように浮かびあがらせていく。
それをどう意味づけ、カタチにし、物語にするかは各々の人間が生きなければならない、個々人の生き様にほかならない、ということだろう。





Google Keepから共有

2014年9月11日木曜日

日記にすることで文章を簡潔にしたかった。雨が降ったら「雨」と書けばいい。

「日記にすることで文章を簡潔にしたかった。雨が降ったら「雨」と書けばいい。・・・・・。ぶっきらぼうなほど文章を簡潔にそぎ落としていったとき、人間が浮かび上がる。」 
作家小川洋子サンのインタヴュー記事はまだ続く。 
「「博士の愛した数式」「猫を抱いて像と泳ぐ」も同じ思い。「本来感情のないはずの数式が、人間関係にかかわってくる。チェスをさす人もお互いの内面を出さないのに、盤上に何かが現れる。人間の感情から遠い場所に行っても、小説が成り立つかどうか。ずっと追いかけているテーマなんです。」

そうか、日記か。 
日記ならフィクションを意識する必要はない。 
書き手は日常世界と等身大でリアルに関わっている。 
しかし、ポイントはその中に一切の感情に関わらない「装置」をいかに仕込むか。 
その装置が「境界」となり、リアルな日常世界と非日常が分離しまた通低する、そしてそこにはじめて物語が生まれる。 

しかし、ここからは書き手の能力だ。 
読み手の感情を「境界」を行ったり来たりさせることで、語るべき物語をいかに読み手に想像させるか。 
この「境界」は従来の「額縁」あるいはプロセニアムアーチに似ているが、 フレームとして物語全体を囲い込み、日常世界とは分離した非日常な時間世界を生み出すのではなく、日常世界に仕掛けれた「装置」によって物語が生まれる。 

これはボクの「建築」の方法と同じだ。 
読み手は日常世界の中にあって、「建築」に出会うことで、初めて新たな物語を想起させられる。 
フレームにより静止空間を作りその空間を視覚的に捉え、かっこいいか、美しいかを押し付ける従来の方法に対し、絶えず動的時間の中にあって、読み手が望んだ時いつでも物語が想起される空間をデザインする。 
まぁ、「建築」もまた読み手の想像力次第ということなんだが、むしろ最近は作り手の想像力不足が気になってしょうがない。


Google Keepから共有

2014年9月10日水曜日

やさしい人

試写会場はシネマート六本木、50席余りの会場は開始30分前というのにほぼ満席。 ギョーム・ブラック監督の長編第一作とあって人気は上々だ。 映画は冬を迎えるブルゴーニュの静かな街、トーネルを舞台として淡々と始まる。 中世の以来の小さな街と街を取り巻く石造りの家々。 その内部空間は簡素だが、古びて落ち着いた光を放つ椅子とテーブルとベッドと書棚。 赤々と薪を燃やす暖炉の焔はこのドラマの通奏低音かもしれない。 街の外側は雪に閉じ込められる山道と湖と山小屋。 どの場面も生の世界がそのままスクリーンに写し撮られる。 そしてドラマでは何処までも、時に退屈するほど淡々と静かな小さな冬がつづく。 しかし、そのドラマを今ここで触れるわけにはいかない。青春をとっくにやり過ごしたミュージシャンであるマクシムと十代を終えたばかりのこの街の情報誌のレポーターメロディの恋。 恋はいつでもどこでも、年の差に関わらず、なんの前ぶれなく、突然始まる。その恋は暖炉の焔に似て烈しく燃えるが、しかし、いつか必ず静かに消える。と、書いてしまうと書き過ぎかな。いや違う。それは監督であるギョーム・ブラックの意図ではなく、例によってボク個人の思い込みであり、恋は哲学ではなく気まぐれ。 しかし、ギョーム・ブラックは周到にトーネルの冬の終わりの春を描いた。 それは「やさしい人」はマクシムとメロディという二人だけの物語ではなく、「人が人を本当に愛する」ということの物語としてメッセージしている。(本当にあるのかなぁ!)

2014年9月6日土曜日

ペトラルカー生涯と文学 近藤恒一 

キリスト教徒の王子様とイスラム教徒のお姫様、はたまた水を売り歩く貧困だが善良な小男ガリュゴと狡猾な官吏たちの騙しあい等々。
イスラム建築を調べるつもりが、思いのほか楽しい千夜一夜に迷い込んだ「アルハンブラ物語」。
さらにそれならばとジュネの「泥棒日記」の再読。結局、ここのところアンダルシアばかりさまよってしまった。それはそれで楽しかったのだが、今日は久しぶり、本題のイタリアに戻ることにした。

ダンテにアルベルティ、彼らは100年の隔たりがあるが、イタリアの個人主義・ロマン主義の始まりが気になるボクにとって決して、離れることはない二人だ。しかし、今日はさらにもう一人、重要な詩人を調べることにした。ペトラルカだ。
彼の存在は世の識者、あるいはルネサンスの研究者なら決して外すことはないのだろう、しかし、「音楽と建築」というテーマから彼に直接触れるチャンスはなかった。いや、それは大いなる間違いで、抒情詩の詩人という先入観がボクからペトラルカを遠ざけていたのかもしれない。とはいえ、考えて見れば、かのイザベラ・デステがフロットラに飽き、マドリガーレを作らせたのはペトラルカの詩に打たれたから、と音楽史にはある。ここは抒情詩の何たるかを考えて見る必要がありそうだ。

ペトラルカは「都市」と「家族」を失った詩人。しかし、その「孤独生活」は凡人が考える孤独とは全く異なる詩的世界。それが彼の抒情詩。考えてみれば、ダンテもアルベルティも ペトラルカ同様、フィレンツェから追放された人であり、あるいはそんな家族の一員。イタリア人にとって「都市」と「家族 」を喪うことはどんなに辛いことだったのだろうか。ペトラルカはその苦難を直接詩にしている。ユルスナールが書いたゼノンは最初から「都市」と「家族」に 触れる事すら許されなかった近代人だった。

ペトラルカの街、プロバンスのヴォークリューズ
La vie en Provence - Sault, Vaucluse | by © . SantiMB .

ヒューマニズムの形成にはロマンチシズムは不可欠と言って良い。今、そんな予感に捉まえられている。近代は「都市」と「家族」を失った。したがって、ヒューマニズムを支えるロマンチシズムが意味を持つ。19世紀をそう理解するコトができそうだ。
一方、近代にいう「集団」と「個人」の間にはイタリアでは現在でもいつも彼ら特有の「家族」が存在し続ける。ヴェルディのオペラはそれを感じさせるし、イギリス、フランスに比べ近代化が遅れた理由も理解できる気がする。

ダンテやペトラルカから100年後のアルベルティが20代で家族論を書き、30代で古典を読み変え「建築論」を書き、何故、イタリア中の都市の宮廷に招かれ想像としての「理想都市」を説いたのか。それがボクの「音楽と建築」の目的の一つであり、イタリア文化を検討する上で最も重要なこと。

20世紀、トマス・マンが語る芸術としての都市は解体した。したがって、新しい「都市」を想像しようするならば、この三人は当分マーク、と同時にその想像に関わろうとするならば、もはや現在の工学的建築では不可能、文学と音楽という分野の役割に違いない。この「ペトラルカー生涯と文学」は「都市と家族」、「音楽と建築」というテーマにとって不可欠、そんなことが感じられる貴重な読書時間だった。


Google Keepから共有

2014年9月5日金曜日

幻影の書 ポール・オースター

名作映画「ルル・オン・ザ・ブリッジ」の監督であり、脚本家、そして現代アメリカ最高の小説家ポール・オースターの「幻影の書」を先週末、図書館から借り出し、ナイトキャップ代わりナイトブックとして楽しんだ。

アメリカの映画と小説はTVやネット、新聞以上に21世紀を最もポピュラーに表現する媒体といって良いのではないだろうか。
映画と小説どちらにも秀でているオースターは、こともあろうに今度はこの「幻影の書」によって、まさに映画と小説による「20世紀の鎮魂歌」を生み出した。

すべてが真実、すべてがあり得ない話。そして、すべてが消えさる壮大な虚構あるいは幻影。「わたしが月を見なかったなら、月はそこにはなかったのだ。」
やはり、彼は面白い、明日はまたオースター漁りだ。

この書は読みやすいから蛇足だが、若干内容に触れると、忽然と姿を消した無声映画時代の俳優の話。そして映画づくりでも良くあるように、オースターはこの物語の中に、「ガラスの街」のピーターや「リヴァイアサン」のサックスを登場させている。つまりフィクションの中に既に知られているフィクションを重ね合わせることでオースターは通俗的ではあるが、ある種の現代の世界観を描き出している。

日本の私小説のような私とアナタの物語ではなく、どこまでも彼(三人称の普遍的人間)を描こうとする姿勢。このスタイルこそ、エンターテイメントではあっても芸術的と呼べる古来からの方法と言って良いのではないだろうか。

Google Keepから共有

2014年9月3日水曜日

6才のボクが大人になるまで

映画 6才のボクが大人になるまで。
「トスカ」について書いていた。プッチーニが作曲したこのオペラは1800年6月17日というローマの丸一日だけが舞台だ。そして、午後、半蔵門の東和の試写会で「6才のボクが大人になるまで。」を観た。この映画はパパがいなくなった6才のメイソンがテキサス大学に入学するまでの話。それもなんと12年間をまともに12年かけて撮った映画だ。
「トスカ」はその日の内に主役4人 死んでしまう、大向こうの受けを狙った腑抜けたお涙頂戴の感情志向オペラだという話を書いていただけに、離婚した両親と姉弟2人の12年かけた12年間の地味で訥々とした物語には却って驚かされた。それも面白いことにどちらも同じ150分の超ヴェリズモなドラマなのだ。

今日は 「6才のボクが大人になるまで。」を続けよう。ボクの周りでも最近、とみに多くなったパパと離れた子どもたちの話。アメリカではなんと50%もの子供たちがそんな環境にあるというが、映画はトスカのようにドラマチックではないが見どころ豊富、いろいろ考えさせられた物語。
全編35ミリで撮り続けたとというだけに、12年間の子どもたちの成長以上に機材の継年変化は凄まじく、映像制作にはいろいろ苦労したようだ。しかし、あえて淡々と描かれた時間と映像は継ぎ目なく、却って観るものにきめ細かく沢山の事を語り続ける。しかし、描こうとしているものは決して時間の継起ではない。むしろ瞬間瞬間の持つ意味を積み重ね織り上げている。ここら辺りがこの映画の見どころでありポイントだろう。

いささか長い映画だが、powerMacやX-Box等の変遷 、ゲームとSNSでサイボーグ化されつつある高校生たちの画一的な(舞台はテキサス州ヒョーストン周辺)郊外住宅での日常生活。
さらに、イラク戦争とブッシュ批判のパパとパパの仲間、オバマ応援の選挙サポート、アストロウズを応援するナリーグ観戦やハリー・ポッターミュージアムでの熱狂。
レアー化された映像の積み重ねだが、映画はまさに21世紀アメリカ、いや、サイボーグ化された子どもである事を実感する頭のいいメイソンの呟きはまさに現代の日本人若年層そのものの姿に繋がる。

特に惹きつけられたのは二週間ごとに遠方から会いに来る父親の状況変化とユーモアある言葉と心配り。
15才のサマンサの誕生日には、パパは避妊についての話を姉弟二人に懇々とする。「まずは決してセックスしないこと、するときは絶対にコンドームを忘れないこと」。そして翌日メイソンとの男同士二人だけのキャンプでは、「女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?」というメイソンの質問にパパは言う「彼女を質問責めにして、答えを熱心に聴いてあげるんだ。そうすれば必ずライバルを引き離せる」。
パパの両親の家でのメイソンの15才の誕生日パーティー。そこにはパパの新しい奥さんと生まれたばかりの彼らの弟も参加する。パパからのプレゼントは彼が編集したビートルズのブラックアルバムとメイソンにとっては初めてのスーツ。お爺ちゃんからは散弾銃と射撃訓練、おばぁちゃんのプレゼントは名前入りの聖書。

18才のメイソンの高校卒業パーティーはパパの家族もお爺ちゃんたちもみんなママが苦労して手に入れた家に集まる。パーティーの後、パパはメイソンだけを連れ彼の昔仲間のライブハウスに行く。そこでは往年のもて男だったミュージシャンたちのお祝い演奏。そして、メイソンは一緒にヒューストンにいくはずだった恋人に振られた話を打ち明ける。「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄ってくるよ。自分に得意なものがあれば女はいつでも選べる。」と写真が得意なメイソンを励ます。この言葉はママに振られたギタリストパパの実感でもあるだろう。しかし、言葉の裏には、幼い子を残しアラスカに逃げた彼の悔恨とママへの深い想いも込められている。

そしてなによりもこのドラマは、夫とわかれキャリアアップまでして、ひとり子育てを続けた、ママの苦労物語と言っていい。
新たに結婚した二人の夫からは、家財道具も持ち出せぬまま、子どもたちをワゴンに放り込み、逃げ出して行くママ。パパのいない子どもたちを守り続けるのは施設でも学校でもなくママだけなのだ。
テキサス大学の寄宿舎に行くという別れの日、その日をママは「人生最悪の日」と言った。この言葉もまた意味深い。巣立った子どもたちとの別れの日だが、懸命な子育ての最終日でもあり、ようやっと好きな本を書く時間が許された日でもあるのだ。

Google Keepから共有