2011年12月20日火曜日

ウルビーノの宮廷人



アルベルティの仕事はフィレンツェ以上にフェラーラ、ウルビーノ、マントバ、リミニで展開された。
15世紀イタリアを動かしていたのはミラノ、フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア、そして教皇領という五つの勢力だが、アルベルティが招かれた小都市はエステ家、モンテフェルトロ家、ゴンザーガ家、マラテスタ家という一族の支配によりどこも繁栄している。
しかし、どの一族も強国の覇権を交わし生き残る為には、戦争に変わる外交と、その威信を示すための文化政策が不可欠だった。
文化政策の中心は古典文化を広めること、透視画法利用により新たな理想世界の表象を描き出すことにある。
その為の見識と手法を示した「絵画論」「建築論」を書いたアルベルティはどの都市にとっても文化政策の中心的役割を果たす推進者だったのだ。
後のフィレンツェがオペラを必要とするのと同じ理由だが、十五世紀後半、これら小国はアルベルティとその「建築論」を必要としていた。
彼はイタリア中の僭主・貴族に招かれ、きわめて多彩、驚くべく広範囲の都市と建築に関わる仕事を残している。

ウルビーノはマールケ州、アドリア海に近い山間の小都市。
15世紀半ば、教皇庁の総司令官であった傭兵隊長フェデリーゴ・ダ・モンテスフェルトロにより絵画と建築に満たされたルネサンス都市として変貌する。
フェデリーコは軍人だが、信心深く、教養も高い、文化政策にも優れた名君として有名。
アルベルティを始めルチァーノ・ラウナーナとフランチェスコ・ディ・ジュールジョ・マルティーニ、さらに画家のピエロ・デラ・フランチェスカやパオロ・ウッチョロ等多くの芸術家たちが、フェデリーゴ公との関わりのなかで沢山の作品を残している。

特にアルベルティとそのサークルの建築家たちによって建設された古典形式の美しい中庭を持つウルビーノ公館と図書館はこの山間の小都市をルネサンスの華として位置づけている。
さらにその息子、グイドバルド公の時代、その宮廷は大国の狭間で揺れに揺れるが、その頃この宮廷を舞台として、バルダサーレ・カスティリオーネが「宮廷人」を書いていることは有名です。

グイドバルドは父のように才能豊かでもなければ心身が壮健でもない、国事の全ては妻である、エリザベッタ・ゴンザーガが仕切ることになる。
彼女はマントヴァ公フェデリーコ一世の娘、イザベラ・デステとは義妹という間柄。
イザベラほどではなかったかもしれないが、彼女もまた美人で教養も深く、趣味も多彩な人。
ウルビーノのエリザベッタはイザベラ同様、小国の文化政策に大きな貢献している。
さらにそこにはカスティリオーネがいた、ルネサンスの宮廷を知る上で目が離せない。
マントヴァ時代に人文主義の教育も受け、数カ国語が話せるばかりか、美術を解し音楽も興じるルネサンスの才女の一人です。

昼は病弱なウルビーノ公を助け政務に励み、夜はサロンを主宰する。
公館の広間は夜遅くまで、詩人、画家、建築家、音楽家との歓談が続いていた。
エリザベッタのウルビーノはイタリア中の知識人にとっても最も魅力ある場所であったに違いない。
そこにはいつもいささか物憂げな貴公子の姿、公妃のお気に入りであり、当時最も洗練された社交人、バルダッサーレ・カスティリオーネが中心的役割を果たしていた。

1478年生まれのカスティリオーネはアルベルティとは一世代異なる人。
残念ながら、同時期にこの宮廷で二人が会い見合うことはなかったが、後の歴史家が書く二人の相貌はとてもよく似ている。
共に貴族青年の常として馬術、弓術、剣術をたしなみ、リュートやヴィオールを演奏し、作曲もするが、舞踊にも長じる。
その優雅な身のこなしは女性を魅了し、軽快な話術を巧みとした。
カスティリオーネにとって、フェデリーゴとアルベルティ以来のウルビーノ宮廷は瀟洒で軽快な雰囲気を持った最も好ましい世界であった。
後にその体験から「宮廷人」を書くこととなり、カステリオーネはイタリア中に知れ渡り、ローマ、マドリッドという当代一級の宮廷にも招かれるが、彼はいつもこのウルビーノを愛し、最も優雅な宮廷と位置づけていた。

同時期、ローマで活躍したラファエロは1483年、ウルビーノ宮廷画家ジョヴァンニ・デ・サンティの子として生まれ、14歳までこの山間の都市ウルビーノで生活した。
父ジョヴァンニは傑出した才能の持ち主ではなかったが、文筆に長け、フェデリーゴの政治力、軍事力、文化的業績を賛美する記録を数多く残した。
ラファエロはそんな父に連れられるまま公館を訪れている。
利発で見目麗しい彼は父の自慢であると同時に、宮廷でも人気者であった。
この頃カスティリオーネとも面識が生まれたのは当然だろう。
ラファエロはローマ時代の彼の自画像をルーブル美術館に残している。

この時代、最も人気の高かった画家はミケランジェロでもなく、ダヴィンチでもなく、ラファエロです。
彼を仕事から引き離すことが出来たのは女性の魅力だけ、と言われるほどラファエロと女性との関係はかまびしいかぎり。
美青年で、粋で、気前が良かった彼のもとへは女性はいつでも、いくらでも集まってきた。
そんな彼が当時の大天才たちよりも人気が高かったのは、ラファエロの方が生き方においても、芸術においても、その時代の気分と理想をよりよく代弁していたからに他ならない。

15世紀末の持つ異教的ファンタジア、そのファンタジアは一世紀あとのオペラに注がれるものだが、それはこの時代ラファエロのみが表現できたこと。その揺藍の場所がこの優雅なウルビーノ宮廷。
フェデリーゴ・ダ・モンテスフェルトロ、アルベルティ、カスティリオーネそしてラファエロ、彼らはもちろんオペラにはなんの関わりもない人たち。
しかし、トリッチーノ(二本の塔)を持つこの宮殿をオペラの舞台とするならば、彼らの多彩で優雅な生き方は皆、万人があこがれるオペラそのものと言えよう。
好ましい環境と優雅で多彩な役者に恵まれたウルビーノもまたオペラ発祥の地と呼んで良いのではないたろうか。